「どうせ欧米諸国の人びとやその関係者の退避が済んだら、アフガニスタンはまた忘却の彼方に置き去りにされてしまうんだと思う」というアフガニスタンのひとの言葉が目に入った。きっと、そうなのだろうと思う。だって、いままでずっとそうだった。圧倒的大多数のひとは、すぐまた次の話題に目を向ける。まるで、なにも「見なかった」かのように。そう、きっと私も。

「どうか無事を祈っていて」というメッセージが届く。「助けて」というメッセージを前に何ひとつできることもない私は消えてしまいたくなる。気休めの言葉すら言うことができない。

私は今日も、なんの意味もなくアフガニスタンで撮りためた写真を並べる。ひとを撮ることが好きなので、ひとの表情が写っていない写真は本当に少ない。だからいま紹介できる写真も日増しに枯渇している。「個人が特定されるような、顔がはっきり写っていない写真で、なおかつ人びとのいとなみが伝わるもの」と限定すると、けっこう難しいんだなと気づく。そして、普段私はいかにひとの顔ばかり撮っているのかということに気づかされる。

最高の笑顔が並ぶ。泣きたくなるくらいにステキな笑顔。でも、それらを紹介するには、いまは、あまりにも「先が読めな」すぎる。いつか、また、笑顔の写真を何の不安も憂いもなく並べられる日が来ると信じたい。

今日もまた、山の暮らしを中心に。みんなに会いたい。みんなが恋しい。どうか無事でありますように。祈りは届くのだろうか。


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連日、家畜の写真ばかりだけれど、山の暮らしは人間と家畜が混然一体となって暮らしている。家畜はほぼ自給自足の村のいとなみを支える大切な命。子ヤギのとぼけた表情が愛しい。


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牛を追って山を登る。

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明け方、これから放牧へ。各戸のヤギが集められる。昔は集落で順番に放牧当番を担っていたが、この集落では近年プロの牧童に賃仕事として頼んでいる。

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山に登っていくヤギの集団。

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小さな子どもは子牛を追う。ヤギほど広範囲に草を食べ歩かない。

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子牛の瞳にノックアウトされる。かわいい。

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山の上の朝ごはん。搾りたてのミルクで作った甘いプディングのようなものや自家製のバターやナン、フライドポテトが並ぶ。このギザギザカットが近年の山での流行。

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庭先ではコルート(だったと思う。発酵乳を乾燥させて固めた保存食)が作られていた。

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村人(実は私たちが「支援」する学校の卒業生)が急流に渡された手作りの橋を渡る。

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…と思ったら、崖をあっという間に上がってきた。村人たちの足腰の強さは本当にすごい。体幹もバランス感覚も研ぎ澄まされている。

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桑の実(トゥート)はまだ少し早かった。6月ごろ実がなる。日本の花見のように、一家で集って木の下にシートを広げたりしてトゥート狩りをするのが風物詩。

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残念ながら、まだ食べごろではなかったトゥート。

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山の貴重な栄養食である山菜。皮をむいて生で食べる。ちょっと酸っぱい。

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山の上の昼食。ゆで卵は自宅で飼っている鶏からの恵み。だいたいどこの家でも鶏を飼っている。キュウリやコリアンダーなどは山では採れない(というか栽培していない)ので、下の町から買ってくる。この家があるあたりは、下の町から歩いて片道三時間。下りはもう少し早い。

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これは下の町に近い集落。自慢のガスオーブン。「ナンを焼くのも簡単になった」と。でもときどき、炭火でかまど(タンドール)を使ってナンを焼くこともある。

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焼き立てのナンは、それだけで最高のご馳走。645-20210825-182212
お湯を沸かす器具。お風呂に入る(というか湯浴びする)ときなど、これで沸かしたお湯をバケツに入れてもらって湯浴びする。

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泉の水を自宅に引いて、蛇口をひねれば水が出る水道ができたのが数年前。かなり感動した変化だった。それ以前は、家の近くを流れる泉の水を岩で溝をつくって引いた場所に水を汲みに行ってから、すべてをまかなっていた。泉の水を家の近くまで引いたことだって十分感動的な変化だったが。さらなる進化。肉を洗っているところ。

みんなのいとなみが、守られますように。