世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著、かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2007年08月

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アフガニスタンで、ボスがこの地に長く関わるきっかけを作ってくれた人がいます。
自分に厳しく、他人に優しく、寛大で、ユーモアがあって、勉強家で、努力家で、周りの人間から慕われた稀有な人だったそうです。執務の傍らお祈りをし、読書をし、非常に限られた自分の時間を大切のする人でもあったそうです。
その人のお墓参りに行きました。故郷の丘にねむっています。志半ばで斃れた彼は無念だったでしょう。ようやく、平和が戻りつつある故郷で、穏やかにねむっています。たくさんの花とたくさんの訪問者に囲まれて。
お墓参りのため、ボスの旧知の友人宅に花を摘みに行った時、このロバと子供たちに出会いました。

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ウソ、ウソそんな堅い話じゃないので気軽に読み始めてください。
本日は旅の供(友?)通訳のオマールと運転手アクバルについてのお話です。

彼らは共に、19歳。青春真っ只中の青年達です。校長先生の紹介で彼らと出会いました。校長ともう一人の先生の従兄弟、兄弟との事だったので、最初内心では、ここぞという収入は身内で山分けか?という穿った見方をしていたのですが、のちにこの判断が大変重要だったことが発覚します。(その話はあとで)

オマールは3年前に家族とともに帰国するまで、ずっとパキスタンで育ったそうです。現在はカブール在住できちんとライセンスを持った通訳として仕事をしています。彼のお父さんはスウェーデン委員会のコックを勤めていたそうで、後日お会いしたところ、非常に穏やかな方でした。恐らく父親の職業が彼に影響を与え、英語を学び、通訳の資格を取らせたのでしょう。性格は明るく、気分屋、能天気の三言で言い表せそうです。質問の答えをを尋ねる相手に代わって答えたり、自分の意見を差し挟んだ答えや問いを用意してみたり、仕事中も明らかにつまらない面倒くさそうな顔をしたり、いつの間にか脱走していたり・・・問題行動は尽きませんでしたが、愛すべき奴でした。常に携帯電話を片手に誰かとお喋りし、ガールフレンドは4人いると豪語したり、田舎では誰も着ていないような蛍光イエローや赤の服を着て、ナイキのスニーカーを履き、世界のサッカー中継の衛星放送に目を輝かせ、インド映画に喜び、山の上に日参しながら「俺だったらこんなつまらない田舎にいたら気が狂う」と。世界中どこにでも居そうな現代っこの代表が彼でした。

一方、アクバルは山の麓の村で生まれ育ち、二番目のお兄さんを頼ってカブールに出て運転手をしています。性格は優しくて、穏やかの一言。携帯電話で喋るのは仕事の用だけ手短に。オマールが車で流行りのアラブポップス(日本人で言うところの流行りの洋楽みたいな感じですかね)をかけようとすると、少し眉を寄せながら反対の意を示し、テープが一周したらすかさずド演歌のようなアフガンポップスのテープを入れ替えます。初日こそ若者らしく洋装でしたが、二日目からはずっとシャルワーカミーズ(伝統的なアフガン服)でした。一度、靴を川に流されて泣いていた子供を抱えて、山道を登りその子を送り届けていったことがありました。そういうことを笑顔で出来る優しい青年でした。残念ながら言葉があまり通じず、込み入った話や質問は出来ませんでしたが、言葉が通じないことを忘れるほど、先回りして気遣いをしてくれるアフガンホスピタリティーのかたまりのような人でした。

何故二人がこの任務に加わることになったのか、山の上の村で明らかになりました。
まず、オマール(通訳)。山の村に滞在するのに、余所者では宿泊の受け入れ先探しが困難でした。一泊くらいならともかく、連泊となると余所者でない、身内でないと家の女性たちが安心してくつろげません。他人の男性に顔を見せるなんてもってのほかの地域です。その点オマールは身内なので、彼の前で女性たちも安心してくつろげます。この点が滞りなく任務を進める上で重要だったのでした。
一方運転手のアクバル。学校のある村に日参するのに、ものすごく険しい未舗装の岩だらけの山道を四駆の車で上り下りしなければなりません。道幅は車一台通れるだけで、横にはずっと川が轟音をたてながら流れています。地元出身で、道を知り尽くした運転のできる人間でなければなりませんでした。

こんな風にひょんなことから選ばれ、旅を共にし、何日も一緒に過ごしてきた彼らですが、二人とも性格は正反対のようなのに、不思議と滅茶苦茶気が合っていました。

最終日、学校のある村からカブールへの帰り、学校に我々は重大な忘れ物をしてきてしまいました。そこで、さらに数倍の時間をかけて来た道を引き返して学校に戻り、忘れ物を持ってカブールへ再び帰ることを要求された彼ら。いつものオマールなら「冗談じゃない、そんなの俺の職務を越えてるね。行くならチップをはずんでもらわないと!」くらいの軽口は叩きかねないのですが、何も言わず、落ち込む我々に「心配するなって、数時間後にカブールで!」と言い残し、村へ戻っていきました。何時間もの悪路の運転でヘトヘトなはずのアクバルも「大丈夫、まかせといて!」と笑顔で去っていきました。

数時間後、忘れ物を持って笑顔でカブールに現れました。そして、何日も一緒だった彼らとお別れをしました。「また会おう!」「うん、きっと」二人と長い長い握手をしました。そのぬくもりに泣きそうになりました。
明るく、優しく、思いやりにあふれた青年たちでした。普通の青年たちのことを知ってほしいと思い、長い話を書きました。

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調子に乗ってこんな書庫を作った挙句、熱心に写真を探し出しアップしております。
でも、ロバが好きなんです。

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先日、雪渓を越え、山道を上り、必死に子供たちについて帰った話をしました。
その続きのお話です。

我々は、校長先生のご自宅にお世話になることになりました。村の若手の中では一目置かれる校長といえども、暮らしは周囲の家と変わりません。二部屋に家族10人ほどが暮らします。電気は、裸電球一つ分の電力を賄うため、川から水力発電の電線を引いてきているそうです。勿論、他には電化製品などはありません。他に手洗いと土間の台所がありました。煮炊きはかまどでおこないます。我々がチャイを飲むたびに、奥さんは炭に火を着けるところから始めていたのでしょう。大変な仕事です。
昼食をいただき、集まってきた近所の子供たちと遊び、疲れ果てて昼寝をし、夕方になりました。
夕方の放牧からそろそろ帰ってくる頃です。途中で落ち合って、放牧を見学させてもらおうと、山道を散策に出かけました。ガイドのつもりか、暇つぶしか、子供たちがあちこちの家から集結し、一行は膨れ上がりました。

山道を歩いていると、**ちゃんのお姉さんとか**ちゃんのお父さんとか、生徒の父兄にどんどん出会います。勿論、生徒本人たちも、山菜とり、水汲みなど仕事中の姿に出くわします。

散策すること1時間ほど、ようやく放牧帰りの2年生の生徒のお父さんと、この日学校を休んで放牧当番に当たっていた4年生の生徒に出会えました。山の上では、どこの集落も10家族前後が暮らす集落なので、当番制で各家の羊をまとめて放牧に連れて行くようでした。この日、4年生の彼の家の当番でしたが、お父さんは体が弱く床に臥せっていて、おそらくお兄ちゃん達はほかの仕事があったのでしょう。毎日学校に行けるとは限らないのが現実です。だからこそ、学校に行ける日はみんな大喜びです。

学校に行けなかったのに、こんな道端でたくさんの友達たちに思わず出会えたのが嬉しかったのか、もうすぐ家に帰れる喜びなのか、一仕事をちゃんと果たせた充実感なのか、ふっと彼が微笑みました。その穏やかな微笑みが忘れられません。

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ついに、アフガニスタン以外の記事に手をつけてしまいました。
エジプト渡航歴8回、写真もネタもありすぎるので、迂闊に手を出すべきではないと知りつつも…つい出来心で。

カイロから5時間ほどバスに揺られて辿り着くのはバハレイヤオアシス。エジプト人の友人とともに訪れ、友人の友人を案内人に砂漠キャンプへ出かけました。
白砂漠に黒砂漠、夜は満天の星空の下、炭焼きチキンをパクつき、砂の動くサラサラという音と焚き木のパチパチはじける音以外に何も聞こえない静寂の中眠ります。朝は、雄大な日の出を眺めながら、一杯のシャイ(茶)とともに始まります。

砂漠の魅力は尽きません。

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