世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著、かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2008年02月

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来週旅に出てきます。
念願の旭山動物園へ!!!
雪の積もった冬にこそ行きたかったのです。
ツアーの効率の良さは捨て難いのですが、いかんせんこの性格なので団体行動が苦手。旭山動物園行きのバスだけが付いたフリープラン札幌2泊3日を申し込みました。

一人で行くと割高なのでどうしようかな…と悩んでいましたが、一人旅に慣れている私は誰かと一緒に旅に出るということに躊躇してしまいます。旅にまで出て、誰かに合わせるなんてわがままな私には耐えられません。しかし、居ました!旅の供に適役なヤツが。彼女は会社の後輩。私と同じで一人が苦にならず、気まぐれ、ノリで物事を決める、エトセトラ…何だか似たタイプなのです。面白いヤツです。ノリで誘ったら、ノリで「いっすねえ」と答えやがり(笑)、翌日には日程まで決まり、さらに翌日には申し込みも済みました。この旅の決定までに要した話し合いの時間、ものの二、三分。このノリこそが旅の供に求める資質です。

それ以来、一度も話し合ったりもしていませんが(笑)、私の中では旭山動物園、円山動物園、イサムノグチの遺作モエレ沼公園の3つで決まりです。このプランが気に入らなければ、彼女は別行動を勝手にとってくれるだろうし、不本意についてくるけど実は不満…でも単独行動は苦手…みたいなタイプだったら絶対に誘いませんでした。

北海道なんて14年ぶり!まだピチピチの十代(死語)のころ一度行ったきりです。

北海道の方、そして北海道におススメの場所などお持ちの方(あ、札幌限定)、どしどしお知らせくださいませ。お待ちしています。

写真と文がまったく関係なくなってしまいました<(_ _)>

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最近自分で自分の首を絞めているような日々です。
忙しい…。
やらなければならないことに次から次へと追われ、自分のキャパを超えそうです。
疲れた…。
3月がまた怒涛のような予定の連続。
旅に出たいです、ちょっと旅に出てきます。国内で今一番行きたい所へ。

昔、うちの地元にも夏休みになると土曜の夜、商店街に夜店が出ました。今は大型スーパーに客足を奪われシャッターが下りてしまっている商店街ですが、子供のころは活気のあるアーケード街でした。子供心に金魚すくいや風船釣りソフトクリームなどなど…夜店はワクワクするものばかりでしたが、何といっても嬉しかったのは夜店の玩具屋で玩具を選ぶ時でした。浴衣を着て、下駄を履いて、家族と一緒に歩いた思い出、遠い昔の話です。

この玩具屋に出会った時、不思議なくらいにその頃の記憶が甦りました。この雑多な商品の吊下げ具合、商品の種類や質まで不思議なくらいに似ていました。

そして、世界は広いし、世の中は色々だけど、根本的に人間は同じなんだなあ、と妙な感慨が生まれました。

パレスチナの子供たちも、きっとあの頃の自分のように、このお店の前でワクワクしているに違いない。おじさんも、そんな子供たちにニコニコ玩具を売っているに違いない。

そう思いませんか?

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いやいや、なかなか暖かくなりませんね。高気圧と低気圧の押しくらまんじゅう、なかなか高気圧が押しきれません。梅の花もキレイに咲きはじめ、春はもうすぐそこまで来ているのに。

今の季節、実はパレスチナも結構寒いんです。しかも地中海性気候のこのあたりは意外と冬には雨もよく降ります。イスラエルの都合だったリ(まるで嫌がらせかのように、突然予告もなしに送電をストップされたりします)、パレスチナ自治区自体に十分な電力を賄う力がなかったりで、寒い冬にもエアコンやヒーターでポカポカなんて望むべくもありません。人々はどうやって暖を取っているか?…焚き火です。パレスチナではあちこちで焚き火を囲んで談笑する人々の姿をみかけます。

そして焚き火のそばで、みんな不思議と笑顔です。
火の温もりが、仲間との触れ合いが、心まで温めるのかな。
通りがかると、必ず火に当たっていけとお声がかかります。撮影でかじかんだ手をみんなと一緒に温めていると「寒いのにご苦労さんだな」なんて言われたりもします。顔を見合せて笑いながら、妙な連帯感が生まれます。

あの焚き火に、また当たりに行きたいな。
今度はお芋の手土産なんか持って…。

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なんだか思わせぶりなタイトルになってしまいました。そんな艶っぽい話ではないのですが(笑)

「この瞳の輝きを」で紹介した、ヨルダン川西岸の町ラマッラーの人たちが好きでした。他の町より活気があって、笑顔に溢れていて、でもどこかのんびりしていて。商業の町の名にふさわしく、市場には品物があふれていました。

西岸の主要な町、エリコ(アリーハ)、ナブルス、ジェニン、カルキリヤ、トゥルカレムなどへ行く時は必ずこのラマッラーを経由するよう幹線道路が通っているので、ラマッラーに各地へ向かう乗り合いタクシーが集結します。エルサレムから一旦ラマッラーを経由して(ここまではイスラエルの登録車両の黄色いナンバーの車)、ラマッラーからパレスチナ自治区の登録車両の緑のナンバーの車で向かいます。複雑ですよね?この面倒くささが「自分の国を持てない」ということなんです。まあ、それはさておき。

西岸の各地へ行くたびに通るものだから、必ず馴染みの店、馴染みの場所、馴染みの人が現れます。乗り合いタクシーを待つために時間をつぶすお茶屋だとか、茶屋の常連さんだとか、毎日通り過ぎる市場の店員さんだとか…「おお、今日も来たな」と言われながら、毎日声を掛け合います。

そして、毎日彼のイチゴを積んだ屋台の前も通り過ぎていました。ただでさえ撮影機材が重いので、道すがら買い物なんて出来ないのですが、毎日彼に呼び止められていました。そして、イチゴを売りつけるでもなく、「食べていきなよ」と一番美味しそうな商品を選んで差し出してくれるのです。

そして、そんな日々が過ぎていき、西岸を離れる日がやって来ました。いつものように彼のイチゴ屋台でイチゴを頬張りながら、
「実はさ、明日ガザに向かうんだ。もう西岸には戻らずにエジプトに帰ることになると思う」
と切り出しました。
「そうか…お前に最高のイチゴを食わせてやれるのも今日で最後か」
と彼。
「毎日売り物を遠慮なく食べちゃってごめんね。ホントに美味しいイチゴを毎日ありがとう。お礼にもならないけど、思い出に写真撮ってエジプトから送るから、撮らせてもらっていいかな?」
「やめろよ…照れくさいし、俺は絶対カメラの方を向かないぞ」
撮ろうとすると、そっぽを向く彼でした。

そして、日本でも見るようなプラのケースに、とびきりのイチゴを選んで詰めながら
「寂しくなるな、明日から…。ほら、これ持って行け」
と、差し出されました。

「また来いよな。おいしいイチゴ用意して待ってるからな。いつでも来いよ」

何も求めず、自分の持つ最大限を与えてくれる人たち。
これがパレスチナの人たちなんです。

あれから7年も経ってしまいました。
出会って、たくさんの親切や心使いをくれた人たちに、不義理をしてしまってるような7年です。

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パレスチナ自治区、ラマッラーの市場で出会った子供です。
お父さんに連れられて、市場に買い物に来ていました。

ラマッラーは自治区の議長府のある場所。西岸の政治の要です。アラファトがしばらく実質軟禁状態に置かれていたのもこのラマッラー。また、ラマッラーは政治だけでなく、西岸の経済と言うか商売の要衝地とも言えます。ガザに住む友人が、
「パレスチナで買い物と言えばラマッラー、もっともガザの人間がガザから西岸に行くなんて夢みたいな話だけどね!」
ガザ地区から出ることすらままならない状況下、そう言っていたのを思い出します。西岸に行くということは、必ずイスラエル領土を通過するということ。西岸とガザは地続きではなく分断されているのでそういう事態が生じます。それゆえに、イスラエル側は簡単には自分たちの領土を踏ませようとはしません。労働許可証を持った、ほんの一握りのパレスチナ人だけが出ガザ許可証を持って、イスラエルに出稼ぎに行きます。そして、どんなに仕事で遅くなってしまっても、決してイスラエル領内で夜を明かすことは許されず、自治区に何としてでも戻らなくてはなりません。こういう人たちが、イスラエルのいわゆる3K労働を担っていました。現在は、アジアからの出稼ぎ労働者を受け入れる方針に変えたようですが。

何はともあれ、ラマッラーの町には、電化製品や車などの宣伝看板が立ち並びます。それだけでも、他の町とは雰囲気が違います。

人との出会いは一期一会、最近皆様からのコメントからも、それを実感させられています。
こんな輝く瞳をもった子供が、この輝きのまま成長していけることを祈っています。
それこそが、今パレスチナに一番必要なこと。

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