世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著、かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2009年05月

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きっと今回の旅も、厳しく辛いことがあると思う。パレスチナの日常で、日々そこにある不条理にぶつかってしまうこともあると思う。もしかすると、どんなに神経をとがらせて行動してはいても、危険なこともあるかもしれない。でも、日々そんな思いを、パレスチナのみんなは何十年も味わい続けている。

たまたま日本に生まれたワタシは、行くことも帰ることも出来る自由がある。たまたまパレスチナに生まれた彼らは、何処にも行くことが出来ない不自由さと抑圧の中で一生を過ごす。ワタシと彼らの間にどんな違いがあるというのだろう?何故日本に生まれた自分は自由で、パレスチナに生まれた彼らは命まで脅かされながら生きなくてはならないのだろう?

きっと、その答えは永遠に見つからない。見つからないからそのままでいいや…と、疑問を胸に仕舞い、感じる心に蓋をして、自分が幸せならそれでいい…と生きて行くなんてワタシには出来ない。何故なら、ワタシは両親やパートナーや友人からの深い愛情に恵まれ過ぎるほどに恵まれて、そのお返しを必ず誰かにしなくてはならないから。

パレスチナに行く理由、それは出会ってしまったから。エジプトに出会ってしまったことや、アフガニスタンの子どもたちに出会ってしまったことと同じ。まだ中学生や高校生の頃、ニュースから流れてくる戦火に追われる「パレスチナ難民」の姿がずーっと心の片隅に残っているから。彼らと自分の間にある違いに、運命の采配に納得のいく答えが欲しいから。

人生は一度しかない。迷いも不安もないと言えば強がりになる。

それでもやっぱり、パレスチナの笑顔に出会いたい。どんなことにも負けないで立ち上がろうとする彼らの笑顔に出会いたい。

行ってきます。

PS:温かい言葉で送って下さるたくさんの皆さん、温かいメッセージとお守りを送ってくださったみんさん、今朝横浜からわざわざモーニングに誘ってくれ、手作りのお守り&餞別(何かあった時の賄賂に使え…thinkiwi兄談(笑)を渡してくれたthinkiwi兄一家(会えなかったHちゃんの気持にもありがとう☆)、本当にありがとう。ワタシがみんなから貰った「幸せ」は必ずパレスチナの人々に返してくるね。

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かつてパレスチナを歩いて、話を聞いて、撮ってまわっていたころ、一度だけ取材中に涙を流してしまったことがある。本当ならば出会う人の笑顔で一杯の記事を書きたい。このブログも希望で一杯のブログにしたい。ことさらに悲惨なことだけを強調するようなことはしたくない…けれど、現実はそんなに笑顔ばかりでも、希望ばかりでもない。この日のことを書いてから、日本を発ちたいと思う。

二回目のガザ地区訪問の時、再び前回の訪問でお世話になったHの家を訪ねた。彼の家はガザ地区に古くから暮らす農家で、この地区に暮らす人々は大体が親戚関係にある。不幸にして難民となってしまった人々よりは暮らし向きは豊かで、耕した畑で実った農作物を販売したり、飼育する鶏や卵を販売したりして生計を立てている。

ボンボン育ち故なのか、前回会った時には強引で、我儘も炸裂で、ビックリするほど能天気だった彼も、その数か月の間にたびたびガザ地区にイスラエル軍の侵攻があったことも影響し、すっかり顔つきも印象も変わっていた。考えていることは大好きなサッカーのことばかりだった彼が、イスラエル軍への侮蔑と嫌悪を漲らせて暗い顔をしていた。度重なるガザ地区への侵攻と夜通し走りまわる戦車の音で、地域の子どもたちや赤ちゃんたちは、引きつけを起こしたように泣きわめいたり、恐怖で口数が減ってしまったり、何がしかの影響を受けてしまっているとHが説明してくれた。

一軒の家へ案内された。そこはHの親戚の家、幼馴染でもあるHより少し年上の男性と赤ん坊とその祖父母くらいの年齢の老夫婦が居た。Hが事情を説明してくれる。「この一家はうちの親せきで、この赤ちゃんのお父さんはイスラエル軍に最近殺されてしまった。この赤ちゃんのお母さんはショックで立ち直れず、彼女の実家に帰ってしまった。残された生後4か月の赤ちゃんは、この子のお祖父さん、お祖母さん、叔父さんが育てているんだ」

家族を失うこと、不条理に家族の命を奪われること、残された家族の辛さ、まだ幼い子どもの苛酷な運命…そういうものを頭では分かっていたようなつもりでいても、初めてリアルに自分の目の前に突きつけられた。今、この目の前に居る一家が、今現実的にそんな辛い思いを味わっているんだということを、突きつけられた瞬間だった。この家族には、この時点ではひとかけらの希望すらなかった。残されたのは、大事な家族を失って絶望と、混乱と、途方に暮れる思いを抱える家族の姿。

お祖母さんが、その赤ちゃんを膝に抱き、亡くなった息子さんのシャハーダ(死亡証明書のようなもので、ハマスなどからお見舞い金とともに付与される)を抱き「どうぞ撮ってください」と仰った。ワタシはあまりの動揺に隣に居るHを見上げた。気が向いたときだけフラリと現れ、他人の痛みに土足で踏み込んで、一度だけシャッターを押して、「はい、ありがとう、さようなら」なんて…。そんな自分のやっていることへの疑問と嫌悪感を目の前に突きつけられた思いでシャッターを押すことが出来なかった。Hは今までに見せたこともない大人っぽい表情でワタシを諭した。「ここで痛みに押しつぶされてどうする?君が今撮らなきゃ、書かなきゃ、この家族の痛みも涙も誰にも伝わらない」

この写真の像をファインダーから覗きながら、悲しさと、怒りと、自分の弱さへの悔しさと、色んな思いが溢れて来て、涙が流れた。そして、自分が流している涙の何百倍も、何千倍もの涙が、日々ここで流されていることを思い知った。泣いていいのは自分じゃない、自分が出会ったことの責任を果たさなければならない。そのことを本気で実感した一日。

だからこそ、パレスチナへ戻らなきゃ。

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パレスチナの人々の何が一番すごいって、とにかく「負けないこと」だと思う。何十年にもわたって、あんな風に屈辱を味わあされ、痛めつけられ、抑えつけられてきたら、昔の日本人ならともかく今のワタシたちの世代なら簡単に心が折れてしまうと思う。

大した理由もなく家族が殺される、家がロケット弾の標的になる、昨日まで隣に居て笑っていた家族が死んでしまう、大事にしていた物が根こそぎ踏みつぶされる…そんな日々と隣り合わせで、何度も絶望を味わいながら、それでも「生きて行かなくちゃ」と立ち上がる人々。

その姿を目にするのは、決して大袈裟な場面ばかりじゃない。

お世話になっていた家のお姉ちゃんは大学生だった。卒業試験を控えて、一生懸命勉強していた。イスラエル軍の命令で休校になるのはしょっちゅう。それでも、何年もかけて勉強を続けてきた。夜、一番電気が必要になる時間に限ってイスラエル側はガザ地区への送電を止める。一番必要な時に限って、断水が始まる。そうやって、パレスチナの人々に誰が支配者で、誰がライフラインを握っているのか分からせようとでもしているのだろうか。夜中にふと喉が渇いて目が覚めた時、お姉ちゃんは蓄電された非常用の電灯を抱えて廊下で這いつくばって勉強を続けていた。自分の勉強部屋はワタシに寝室として貸してくれていたから。「こんなに遅くまで頑張ってるの?」しかも休校なのに…喉元までその言葉が出かかった。「いつ休校が明けて試験が始まってもいいように、今から準備しておかなくちゃ」彼女は毅然とした微笑みを暗がりで返してきた。夜中じゅうずっと鉛筆とページをめくる音が聞こえていた一晩だった。

出会った多くの人たちの瞳が語っている。決して負けはしないよと。

パレスチナに長く関わるジャーナリスト土井敏邦さんの映画「沈黙を破る」を観てきた。以前この映画の原作とも言える同名の著作を読んだ時の感想をブログに綴った。

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昨夜も少し書いた、イスラエル軍の退役兵士や将校が語り始めた自らのパレスチナの「占領地」で犯した罪の証言集、岩波書店「沈黙を破る」土井敏邦著。

占領される側のパレスチナ人の視点から描いた戦争と占領の本は数多く出ているけれど、占領する側のイスラエル軍の兵士の視点、しかも自らがそこで犯した道義的、人道的な罪の話は珍しい。

語っている元兵士は、語ることで自分たちが犯し続けている人間としての罪を認め、見て見ぬふりをし続けるイスラエル社会に問うことで、本当に健全なイスラエル社会を築きたいと願うまだ二十代の若者たち。

そこで出てくる証言の数々は、読んでいて悔し涙が滲んでくる。些細な動機から人生を根こそぎ奪われるパレスチナ人たちの悲運と、一方で人間としての心を持った瞬間、占領軍兵士としての自分を支え切れなくなるがゆえに、徹底的に心に蓋をして感情に鍵をかけて徹底的に破壊しつくすイスラエルの若者の置かれた現状に。

パレスチナ人の家を破壊し、通りがかりの人間に暴力を浴びせ、罪もない人間の命を奪うのは「ただの退屈しのぎ」だったり「権力を味わう快感」だったり「安全保障という言い訳ですべてが正当化される任務」だったり、人間の命の軽さ、尊厳の軽さに吐き気がしてくる。

でも、これがパレスチナの現状。

この対立が終わらないのは、何度も言うように決して宗教なんかが理由じゃない。相手を人間として認めない軽んじられた命と尊厳の問題。人間の弱さの問題。

でも、こうやって声を上げ始めたイスラエル人が居ることは大きな救いだと思う。こういう声をしっかりと受け止めること、遠い国のことと見過ごさないこと、それが国際社会の一員である私たちが出来るせめてものことなんじゃないかな?

南アフリカのアパルトヘイトには国際的な批判と実効的な経済制裁があった。イスラエル軍が「占領地」パレスチナで行っていることは紛れもなくアパルトヘイトと同じこと。
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やはり、映画を観た感想も著作を読んだ時のものと同じ。映画の方には、実際に抑圧を受ける難民キャンプの住民たちの体験…家族が殺されたり、自分の家をブルドーザーでなぎ倒されたり、罪も犯していないのに投獄されたり、体の一部を失ったり…の証言と、実際に侵攻を受けるキャンプの様子が映像として加えられている分、より重層的な創りになっている。

映画は、ポレポレ東中野にて上映中。ただただ、語られる真実の重みを多くの方にご覧いただきたい。
こんなにも丁寧に、ジャーナリストとしてやるべき仕事をなさってきた土井敏邦氏を改めて心から尊敬する。
http://www.cine.co.jp/chinmoku

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スーフィダンスについての遣り取りをブログ仲間のastariskさんとしていて、ふとユーチューブでスーフィダンスの映像を観てみた。ワタシとしては、踊りだけでなく演奏も唱もすべてが魂にビリビリくるほど好きなので、こんな映像を見せられたらいくらでも観たいに決まっているし、たまらない。この隠し撮りの(写真撮影は自由だけれど、映像の撮影は不可)ビデオは、友人でもあるダンサー達に何の利益ももたらさないので、極力観ないようにしてきたが、懐かしさもあってつい見入ってしまった。いっそのこと、映像撮影もOKにして、その撮影代をこの文化保護のために役立てる方法を採ればいいのになあとも思うのだが、エジプト政府には政府の考え方があるのだろう。

参考までに貼り付けます。たくさんある中で、この映像が一番全体的にうまく捉えていた。画像の質はともかくとして→http://www.youtube.com/watch?v=ny72UqyxMZo

でも、やっぱり観ていて思ったのは、写真にしか表現できないスーフィの魅力はたくさんあると言うこと。ワタシが一番惹かれているのは、彼らの真剣な表情と、ふと演奏中、舞踏中ハイになって漏れる笑みや恍惚とした表情。そういうものの美しさは、やはり写真での表現が有効。

今回も、パレスチナ行きの前後にエジプトへ里帰り(?!)するので、彼らに再会するのが何よりも楽しみ。

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