本日、写真展「パレスチナ・抵抗の壁画と人々のまなざし」は無事終了しました。足をお運びくださいました皆さま、ありがとうございました。
写真展のたびに、非常に多くのことを考えさせられるけれど、今回は、より一層色々なことを考えさせられた。
集客について、このたびは、ただひたすら自分が実際に出会ったことがある人、特に宮古のボランティアでお世話になった人、そして友人の友人たち…という風に、身のまわりの人脈からのご来場者がほとんどだった。twitterでは大先輩の古居みずえさんが写真展のことをつぶやいて応援して下さったため、それをご覧になっておいでになった方も少なからずいらっしゃり、本当にありがたことだと感謝。
でも一方で、去る者日々疎し…という言葉も何度もアタマをよぎる。人生って出会いと別れの繰り返しだし、そんなもんだと分かってはいるけれど、こんなときは痛切に感じてしまう。
そういう意味でも、同じことを繰り返すことの難しさも感じる。地道な努力しかないと分かってはいても、なかなか広がらない。今日、あるご来場者の方が「私たちの世代は日本赤軍とか、パレスチナって、危険という感じがして、あまりいいイメージはないですからね」とおっしゃった。
店主さんも「パレスチナって言うと、たいがいそれだけで引かれちゃうからなあ。ほんの一部の熱心な人以外にはなかなか広がらない」と。これホントにワタシが感じ続けるどうにもできない事実。
そして、用事のついでにご覧くださった方は「できれば、こういうことからは目をそらしていたいんです」と。それは、仕方のないことだとも思う。自分がたまたまパレスチナに関わっているだけで、自分だって、世の中の多くのことから目をそらしているのだから。でも、やっぱり、悲しくなかったといえば、嘘になる。
自分が書いたパレスチナの原稿に「希望が見えない」と指摘を受けたとき、「ああ、自分自身が希望を失いかけてるんだろうなあ」と思った。あきらめちゃいけないのも分かってる。間違っていることには間違っていると気づいた人が言い続けなければならないことも分かっている。
でも、やっぱり、それは大概、孤独な作業でもあって、一緒に間違ってると声に出してくれる人の存在を、感じることができているときはいいんだけど、それを感じられずに、ふっと自分がどこに居るのか分からなくなるときがある。ビタミンティーの店主さんは、その危うさを、的確に指摘してくれた。
伝わらないのは、伝える力が足りないから。ただそれに尽きる。観に来てもらえないのは、魅力やたとえ魅力があったとしてもアピールの努力が足りないからだと分かっている。
以前のように、写真展で大赤字を出さなくても済むくらいには、足を運んでいただけているのも事実だけれど、自分はそのことに満足していないし、反省がいっぱいあるなあと、ちょっとどんより気分な夜。
ただ自分の能力の範囲で、できることを続けていくだけだと、分かってはいても。
もっとタフにならなきゃいけないなあ。パレスチナのみんなみたいに。彼らの苦しみに比べたら、ワタシのちっぽけな悩みなんて、明日にはケロッとわすれてるような些細なものなんだし。
写真展のたびに、非常に多くのことを考えさせられるけれど、今回は、より一層色々なことを考えさせられた。
集客について、このたびは、ただひたすら自分が実際に出会ったことがある人、特に宮古のボランティアでお世話になった人、そして友人の友人たち…という風に、身のまわりの人脈からのご来場者がほとんどだった。twitterでは大先輩の古居みずえさんが写真展のことをつぶやいて応援して下さったため、それをご覧になっておいでになった方も少なからずいらっしゃり、本当にありがたことだと感謝。
でも一方で、去る者日々疎し…という言葉も何度もアタマをよぎる。人生って出会いと別れの繰り返しだし、そんなもんだと分かってはいるけれど、こんなときは痛切に感じてしまう。
そういう意味でも、同じことを繰り返すことの難しさも感じる。地道な努力しかないと分かってはいても、なかなか広がらない。今日、あるご来場者の方が「私たちの世代は日本赤軍とか、パレスチナって、危険という感じがして、あまりいいイメージはないですからね」とおっしゃった。
店主さんも「パレスチナって言うと、たいがいそれだけで引かれちゃうからなあ。ほんの一部の熱心な人以外にはなかなか広がらない」と。これホントにワタシが感じ続けるどうにもできない事実。
そして、用事のついでにご覧くださった方は「できれば、こういうことからは目をそらしていたいんです」と。それは、仕方のないことだとも思う。自分がたまたまパレスチナに関わっているだけで、自分だって、世の中の多くのことから目をそらしているのだから。でも、やっぱり、悲しくなかったといえば、嘘になる。
自分が書いたパレスチナの原稿に「希望が見えない」と指摘を受けたとき、「ああ、自分自身が希望を失いかけてるんだろうなあ」と思った。あきらめちゃいけないのも分かってる。間違っていることには間違っていると気づいた人が言い続けなければならないことも分かっている。
でも、やっぱり、それは大概、孤独な作業でもあって、一緒に間違ってると声に出してくれる人の存在を、感じることができているときはいいんだけど、それを感じられずに、ふっと自分がどこに居るのか分からなくなるときがある。ビタミンティーの店主さんは、その危うさを、的確に指摘してくれた。
伝わらないのは、伝える力が足りないから。ただそれに尽きる。観に来てもらえないのは、魅力やたとえ魅力があったとしてもアピールの努力が足りないからだと分かっている。
以前のように、写真展で大赤字を出さなくても済むくらいには、足を運んでいただけているのも事実だけれど、自分はそのことに満足していないし、反省がいっぱいあるなあと、ちょっとどんより気分な夜。
ただ自分の能力の範囲で、できることを続けていくだけだと、分かってはいても。
もっとタフにならなきゃいけないなあ。パレスチナのみんなみたいに。彼らの苦しみに比べたら、ワタシのちっぽけな悩みなんて、明日にはケロッとわすれてるような些細なものなんだし。