つい先日、あるイベントでパレスチナを代表する詩人マハムード・ダルウィーシュの詩の朗読をした。詩を人前で読むなんて初めてだったし、ダルウィーシュのことはもちろん知ってはいたけれど、取り立てて自分から進んでこのイベントに参加したわけではなかった。でも、会場で彼の詩を読むうちに、不思議なくらい彼の世界に惹きこまれていった。彼がどんな思いでこの言葉を絞り出したのか、想像が膨らんでいった。
そして、家に帰って、慌ててガッサーン・カナファーニーの小説「太陽の男たち・ハイファに戻って」を本棚から引っ張り出して再読した。カナファーニーはパレスチナを代表する作家で、1948年にイスラエルとなった故郷を追われて難民となった。成長した彼は、新聞社で主幹などを務め、PFLPのスポークスマンとなり、作家として作品を発表していった。そして、幼い姪とともにイスラエル情報部に爆殺される。イスラエルが恐れたのは、彼が紡ぎ出す言葉であり、物語だったと言われている。
「太陽の男たち」は難民となってヨルダンに逃れた男たちが、避難先で生きているのか死んでいるのかも分からないような空虚な生活を送るなかで、家族に服を買ってやりたい、パンを食べさせてやりたい…と、イラクを通ってクウェートに出稼ぎに行く道中の話。身分証明書もパスポートも許可証も持たない彼らは、空っぽの給水タンクに隠れて灼熱の砂漠の国境を越えようとする。彼らを運ぶ運転手が、検問所で警備兵たちにからまれる。ジリジリと時間だけが過ぎていく。ようやく通ることを許された運転手がタンクの蓋を開けると、男たちは灼熱のタンクのなかで命果てていた。「どうしてタンクを叩かなかったんだ、どうして声を上げなかったんだ!」と運転手は驚愕する。
「ハイファに戻って」も痛烈な物語。ユダヤ軍がハイファに攻め込んできたとき、あるパレスチナ人夫妻は、戦火を逃れる際に自宅に生まれたばかりの赤ん坊を残してきてしまう。二十年後、皮肉なことにパレスチナ全土がイスラエルの占領下に置かれて初めて、夫妻はハイファを訪れることが許された。ハイファの自宅に戻ってみると、確かにその家はあり、そこに暮らすユダヤ人夫妻のもとに息子がいた。その青年こそが、ユダヤ人夫妻のもとでユダヤ人として育てられたパレスチナ人夫妻の息子だった。青年は、自分の出自に衝撃を受けながらも「親は自分を育ててくれた父母しかいない。あなたがたはこの二十年間、おめおめと泣いていただけじゃないか?あなたがたはどんなことがあっても家も子どもも手放すべきじゃなかった」と告げる。彼は、イスラエル国防軍の兵士としてパレスチナ人と戦う任務についている。ちょうど彼の弟は「故郷を取り戻すためパレスチナ義勇軍に入る」と両親に告げたばかり。パレスチナ人夫妻は、永遠に息子を失ったことを悟りながら「祖国とは、このようなことの一切が起こらない場所のこと」とつぶやく。
改めてこれらの物語を読んだとき、六十数年前のあの日々に故郷を追われて難民となったひと達の苦しみ、悲しみ、喪失をどれほど自分は分かっていたのだろうか?と自問した。この物語を読んだのは初めてではないし、難民キャンプでいくつもの話を聞いてきたし、なんだか分かったつもりのようになってしまってはいなかったか?なにも分かっちゃいなかったんだ…と痛感させられた。難民になるって、ただ家や財産や土地を失うというだけじゃない。永遠に自分の手に戻ってこない大切なものや場所やひとと切り離されてしまうこと。
ジェニン難民キャンプのアワード家の「兄弟」に、どうしても聞けないでいることがある。カマールにとって、ムハンマドにとって、ジュジュにとって、サリームにとって、「故郷ってどこ?」という問い。彼らのおじいさんが後にせざるを得なかった見たことのない場所を、彼らは「故郷」として描けているのかな?そのことを子どもたちに語るべき父親が喋れず、母親は難民ではなく育ってきた「兄弟」にとって、じーちゃんの村ゼライーン…とっくにその名前は消され、イスラエルの地図にその名をみつけることもできないけれど…は、どれだけ具体的なイメージを伴った「故郷」なのだろう?
難民が発生して、六十数年が経つってそういうことだ。難民キャンプで生まれ育った三世や四世に、見知らぬ地を、一度も訪れたことのない土地を「故郷」として思い描けなんて難しい。きっと、この固定化こそがイスラエルの狙いだったのだろう。三世、四世はイスラエルとなった「故郷」に戻りたいなんて思わないだろう…と。
十数年前、まだ和平への希望が残されていた時期に、ある難民キャンプの代表が話してくれたことを思い出す。「和平が進むことはいいことだけど、私たち難民の帰還権は置き去りにされているように感じる。和平の代償として私たちが『故郷』をあきらめなきゃいけないなんてあんまりだ」と。
「祖国とは、このようなことの一切が起きない場所のこと…」と書いたカナファーニーの言葉の重みを、いま改めて思い知る。
写真は、買ったばかりのPCでユーチューブを観るカマールと、居間の掃除のあいだカマールのベッドに座らされている父親のアブーカマール。昔はこの部屋がマハとアブーカマールの寝室だった。奥にビニールがかけられたままの家具は、カマールが結婚して新居で使う家具。
そして、家に帰って、慌ててガッサーン・カナファーニーの小説「太陽の男たち・ハイファに戻って」を本棚から引っ張り出して再読した。カナファーニーはパレスチナを代表する作家で、1948年にイスラエルとなった故郷を追われて難民となった。成長した彼は、新聞社で主幹などを務め、PFLPのスポークスマンとなり、作家として作品を発表していった。そして、幼い姪とともにイスラエル情報部に爆殺される。イスラエルが恐れたのは、彼が紡ぎ出す言葉であり、物語だったと言われている。
「太陽の男たち」は難民となってヨルダンに逃れた男たちが、避難先で生きているのか死んでいるのかも分からないような空虚な生活を送るなかで、家族に服を買ってやりたい、パンを食べさせてやりたい…と、イラクを通ってクウェートに出稼ぎに行く道中の話。身分証明書もパスポートも許可証も持たない彼らは、空っぽの給水タンクに隠れて灼熱の砂漠の国境を越えようとする。彼らを運ぶ運転手が、検問所で警備兵たちにからまれる。ジリジリと時間だけが過ぎていく。ようやく通ることを許された運転手がタンクの蓋を開けると、男たちは灼熱のタンクのなかで命果てていた。「どうしてタンクを叩かなかったんだ、どうして声を上げなかったんだ!」と運転手は驚愕する。
「ハイファに戻って」も痛烈な物語。ユダヤ軍がハイファに攻め込んできたとき、あるパレスチナ人夫妻は、戦火を逃れる際に自宅に生まれたばかりの赤ん坊を残してきてしまう。二十年後、皮肉なことにパレスチナ全土がイスラエルの占領下に置かれて初めて、夫妻はハイファを訪れることが許された。ハイファの自宅に戻ってみると、確かにその家はあり、そこに暮らすユダヤ人夫妻のもとに息子がいた。その青年こそが、ユダヤ人夫妻のもとでユダヤ人として育てられたパレスチナ人夫妻の息子だった。青年は、自分の出自に衝撃を受けながらも「親は自分を育ててくれた父母しかいない。あなたがたはこの二十年間、おめおめと泣いていただけじゃないか?あなたがたはどんなことがあっても家も子どもも手放すべきじゃなかった」と告げる。彼は、イスラエル国防軍の兵士としてパレスチナ人と戦う任務についている。ちょうど彼の弟は「故郷を取り戻すためパレスチナ義勇軍に入る」と両親に告げたばかり。パレスチナ人夫妻は、永遠に息子を失ったことを悟りながら「祖国とは、このようなことの一切が起こらない場所のこと」とつぶやく。
改めてこれらの物語を読んだとき、六十数年前のあの日々に故郷を追われて難民となったひと達の苦しみ、悲しみ、喪失をどれほど自分は分かっていたのだろうか?と自問した。この物語を読んだのは初めてではないし、難民キャンプでいくつもの話を聞いてきたし、なんだか分かったつもりのようになってしまってはいなかったか?なにも分かっちゃいなかったんだ…と痛感させられた。難民になるって、ただ家や財産や土地を失うというだけじゃない。永遠に自分の手に戻ってこない大切なものや場所やひとと切り離されてしまうこと。
ジェニン難民キャンプのアワード家の「兄弟」に、どうしても聞けないでいることがある。カマールにとって、ムハンマドにとって、ジュジュにとって、サリームにとって、「故郷ってどこ?」という問い。彼らのおじいさんが後にせざるを得なかった見たことのない場所を、彼らは「故郷」として描けているのかな?そのことを子どもたちに語るべき父親が喋れず、母親は難民ではなく育ってきた「兄弟」にとって、じーちゃんの村ゼライーン…とっくにその名前は消され、イスラエルの地図にその名をみつけることもできないけれど…は、どれだけ具体的なイメージを伴った「故郷」なのだろう?
難民が発生して、六十数年が経つってそういうことだ。難民キャンプで生まれ育った三世や四世に、見知らぬ地を、一度も訪れたことのない土地を「故郷」として思い描けなんて難しい。きっと、この固定化こそがイスラエルの狙いだったのだろう。三世、四世はイスラエルとなった「故郷」に戻りたいなんて思わないだろう…と。
十数年前、まだ和平への希望が残されていた時期に、ある難民キャンプの代表が話してくれたことを思い出す。「和平が進むことはいいことだけど、私たち難民の帰還権は置き去りにされているように感じる。和平の代償として私たちが『故郷』をあきらめなきゃいけないなんてあんまりだ」と。
「祖国とは、このようなことの一切が起きない場所のこと…」と書いたカナファーニーの言葉の重みを、いま改めて思い知る。
写真は、買ったばかりのPCでユーチューブを観るカマールと、居間の掃除のあいだカマールのベッドに座らされている父親のアブーカマール。昔はこの部屋がマハとアブーカマールの寝室だった。奥にビニールがかけられたままの家具は、カマールが結婚して新居で使う家具。