世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著、かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2013年04月

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また今年も新入生が入学してきた。

顔ぶれをみると、何となく見知った子がいる。

誰かの弟妹だったり、去年まではオブザーバーとして来校していて、今年ようやく正式な新一年生だったり。

ニコニコ笑っている子、見慣れぬ「ガイジン」にポカーンとしている子、明らかにかたまっている子…。

そんな子どもたちに、担任のカリマ先生は、「みんなを応援してくれている日本からのお友達です。しっかり勉強しましょうね」と声をかける。

よくよく見てみると、先生の問いかけに元気に手を挙げているズィアがいる。マリナの弟、ホラム先生の三男だ。

初めてズィアに会ったときは、彼がまだ赤ちゃんのときだった。

「ズィア、一年生なんだ。大きくなったね」と声をかけると、二年前に会ったことを覚えていて、ズィアは恥ずかしそうに微笑んだ。

2008年に政府と国連の計画、資金で建設が始まった新校舎がようやく完成。今年はようやく一年から三年生が新校舎で学び始めていた。

先生のあとについて、元気に唱和する声が響く。

たくさんたくさんこの学校でいろんなことを学んでね。

子どもたちの姿を眺めていると、ただそれだけで自然と顔がゆるんでくる。

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実は今回のアフガニスタン行き、当初の旅程は山に一週間、バーミヤンに四日間、そのあとはボスと仲間のMさんとイスタンブールまで一緒に行って、イスタンブールで解散という予定だった。イスタンブールからは、ひとりでトルコに逃れたシリアからの難民に会いに行ってみようと考えていた。

山からカブールに戻った日、車の修理のためにカブールにやって来たヤシン先生とのお別れのとき、毎回毎回繰り返しているように「さあ、ミカ、もう一回山に帰ろう」と誘われた。一緒にカブールにやって来たヤシンの次男のワーレスも、ヤシンの弟のアクバルも黙って笑っている。いつもいつも、この誘いを断腸の思いで断り、アフガニスタンを後にしたものだ。

バーミヤンでの四日間、それはそれなりに楽しかった。カブールとパンジシールしか見たことがなかったので、とても新鮮で楽しい日々だった。

でも、何かが足りない。気が付けば「ああ、この景色、ヤシン家のみんなにも、山の子どもたちにも見せたいなあ」という思いが募るばかり。

バーミヤンからカブールに戻る日、さあ明日はイスタンブールへ向かう…というその日、アフガニスタン全体の天気があまり安定しておらず、前日から機材繰りがうまくいっていなかったようで、バーミヤンからのフライトが三時間半遅れた。

待合のターミナルもないバーミヤンの空港。青空の下でじりじりと太陽に焼かれながら、「ああ、やっぱりワタシ山に戻ろう。イスタンブールには行かない」とつぶやくと、ボスの旧友でカブールでワタシたちがお世話になっているYさんが「じゃあ、そうしたら」と背中を押してくださった。

カブールに戻り、再会したボスと話し合い、Yさんがトルコ航空の事務所に連れて行ってくださり、421ドルの変更料とペナルティーを払って、イスタンブール行の日付を八日後にしてもらった。

Yさんの家に帰ると、アクバルが山の学校の子どもたちのために買いまわってくれていた本を届け、ワタシたちみんなにお土産を持って来てくれていた。

「ミカ、また会う日まで元気で」というアクバルに、「ワタシ山に戻る。もし可能ならまたアクバルに連れて行ってもらえる?」とお願いすると、呆気にとられた顔。出発を二日後と決める。

翌日、イスタンブールに向かうボスやMさんたちを空港に見送る。いままで、いつもわがままを言うことを我慢して、控えてきた。どんなに山に戻りたくても、どんなにこのまま残りたくても、そのことがどれだけボスや仲間に迷惑をかけるか分かっていたから、ずっと我慢してきた。でも、バーミヤンの青い空が、ワタシの背中を押した。

本来なら出ないはずのビザ。それは、これまで三十年間のボスのアフガンとのつながりや仕事に敬意を表されてようやく出されたもの。そのことの重みをしっかりと受け止めながら、ボスの「気を付けて。Yさんとヤシンやアクバルのいうことをよく聞いて」という言葉をかみしめる。心配しながらそれでも、わがままを許してくださったボスに心から感謝。

その二日後、アクバルと再びパンジシールへ向かいながら、「ミカ、金曜日はワーレスとバーエス(ヤシン家の二男と三男)と一緒に、カバブを持って山にピクニックに行こう」とアクバル。「いいね、いいねー」。アフガン人にとって、休日のピクニックは最高の娯楽だと聞く。家族や友人と過ごす大切な時間。

そして金曜日の朝、バーエスとワーレスは親戚から猟銃を借りてきて、車に積み込む。鳥を撃つためだそうだ。そしてたまに出てくるオオカミ除けのためにも。

下の町で、四人分のカバブをナンに包んでもらって、車で行けるところまでのぼる。学校を通り越し、一番上の集落の先で車が通れる道は終了。そこに車を止めて、そこからは雪渓の残る山道をキノコを採りながら、鳥を撃ちながら進んでいく。

「ここに来るの15年ぶりだよ」とアクバル。不自由な足を引きずりながら彼も懸命に歩く。身軽なワーレスとバーエスは、山を縦横無尽に駆けていく。その姿を笑いながら見守るアクバル。

1時間半ほど歩いて、大きな滝のある場所でカバブ弁当。アクバルとワーレスとバーエスの笑顔が、心にしみる。この家族にとって、この笑顔は決して「当たり前の」ものではない。テロで傷ついたアクバルと、それを見守るしかなかった家族の、懸命に過ごした月日を思う。

「ミカ、楽しかった?」代わる代わる三人がたずねてくる。「うん、最高の一日だったよ」大袈裟じゃなく、本当にそう思う。心の底から…。

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二年ぶりのアフガニスタン行きだった。空港には、アフガニスタンで暮らす、ボスの友人Yさんと運転手のサーレさん、そしてアクバルが迎えに来てくれていた。

カブールで二日過ごして必要なものの買い出しをする。

三日目に、ようやくパンジシールへ。マスードがねむる丘の上にある廟へ。ボスが花を手向ける。

マリナに会ったのは、さらにその翌日。中学三年生になった彼女は、すっかりお姉さんになっていた。声をかけると恥ずかしそうに「グッドモーンング、ミカ」と、授業で習った英語で。マリナに初めてであったのは、彼女が小学校三年生のとき。しっかりしたお姉ちゃんに成長している。

生徒たちが暮らす山の生活を見渡してみると、岩を砕き、開墾された土地にどんどん畑が広がり、少しずつ少しずつ耕せる土地が増えている。小麦や野菜や杏や…いろいろなものが植えられている。

子どもたちも、学校が終わると、せっせと畑仕事を手伝っている。先生たちも、仕事を終えると畑仕事にいそしむ。

日本で放映されるアフガニスタンについてのニュースを観ている限り、いいことなんてなーんにもない国みたいに聞こえてくる。戦争、テロ、そんなイメージしかないみたいに。でも、ワタシにとってのアフガニスタンは全然違っていて、愛しい人たちが笑っている…そんな場所。

マリナの笑顔はずっとかわらない。そのことのありがたみを思い知る。

これからもずっと、みんなの笑顔を見守り続けられるといいな。

今日3週間の滞在を終えて無事にカブールからイスタンブールへと飛んできました。諸事情により、ほとんど誰にも詳細を話せずに旅立ちましたが、四度目のアフガニスタンは、テレビなどで流されているテロのニュースの印象とは裏腹に、少しずつ少しずつ確実に再建へと向かっているように感じます。もちろん問題は山積みであっても、それでもそこには普通に暮らしを営む普通の人々の生活があります。

山の学校に関して言えば、生徒たちはみんな元気に学んでいます。マリナももう九年生。お姉ちゃんたちは高校への進学を諦め、家の手伝いをしていますが、成績優秀なマリナはどうするのでしょう。

ワタシたちの滞在中に、一年生の担任だったカリマ先生が急死されるいう大変ショックなことが起きました。まだ45歳。サフダル校長に続いて二人を亡くしたショックは大きく、また生活環境の厳しさを思い知ります。

一方、テロに巻き込まれて瀕死の重傷を負ったアクバルは、少しずつ少しずつ、自分の足でまた歩き出しています。笑顔も大分戻ったかなという印象。元気に頑張っています。

カブールからイスタンブールに来ると、まるで別世界で、このきらびやかさと騒々しさにめまいをおぼえます。きっと楽しい町には違いないけれど、心をアフガンにおいてきてしまったようなワタシには、この活気すらしんどく、埃っぽくて、欲しいものもあんまりみつからないような、そんなカブールが恋しくてたまりません。

アフガニスタン、ホントに大好きだ。みんなの成長を見守り続けられる幸せは何にもかえがたく、みんなと培ってきたつながりは何にも代えがたい。

パンジシールの丘で、今日もマスードがみんなを見守ってくれている。あの丘を見上げるたびに、その思いを強くする。

「仕事」のため、ブログをお休みします。まあ、いまだって、そんなに更新出来ていないけど。

4月下旬には、またボチボチ書いたり、写真載せたりできるかなーと想っています。

ではでは。

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