世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著、かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2014年02月

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ビリン村ではオリーブの収穫時期に合わせて村の小学校で収穫祭がおこなわれている。

お祭りが始まったのは、イスラエル軍兵士にバーセムが殺された2009年から。一年目の収穫祭は、バーセムへの追悼の意をこめて始められた。

そのあと、バーセムの姉のジャワーヒルも殺されてしまい、いまでは壇上にふたりの遺影が飾られている。

この収穫祭には、パレスチナの文化大臣やラマッラーの知事も出席する。彼らのためのボディガードで一瞬あたりが物々しくなる。

収穫祭には、携帯電話会社ワタニーヤのスポンサーがつく。会場づくりから、西岸地区各地からやってくる演奏家たちの旅費まで様々なサポートをしている。

バーセムとジャワーヒルの追悼が終わり、アラブの伝統音楽の演奏が始まり、客席のみんな(村の人々)は大合唱をして盛り上がる。

その次には村の子どもたちで編成された伝統舞踊ダブカのチームが踊りを披露し、子ども達の親親戚が大盛りあがり。

そして、最後に十代後半から二十代の若いダンサーたちが、伝統舞踊を披露した。

ワタシは撮影を続けながら、ファインダーでその姿を追いながら、その美しさにすっかり魅了された。夢中になってシャッターを切り続けた。

豊饒なる大地の恵みに感謝をささげる踊り。それを撮影しながら、しみじみとパレスチナの人々は、この大地とともに生き、その恵みに感謝し、ずっとずっと生き続けてきたのだなと思った。

この伝統的な踊りも、音楽も、衣装も、そういうすべての伝統を守り、伝えていく努力を感じた。

やっぱり伝統芸能っていいね。

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小金井市で活動する小金井平和ネットの恒例行事「パレスチナカフェ」において、
スライドトークをおこないます。

・分離壁反対運動をおこなうビリン村の現状
・ジェニン難民キャンプで暮らす家族
などのお話をいたします

小金井平和ネット 2014 パレスチナカフェ
「パレスチナに生きる」高橋美香 スライドトーク

日時:3月1日(土) 17時から19時半

場所:コミュニティ湧 (JR中央線武蔵小金井駅南口徒歩)
   小金井市本町6丁目5-3 シャトー小金井1階

参加費:500円

主催:小金井平和ネット 042-387-1662(佐藤)

会場ではパレスチナ産タイべビールも販売します。

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パレスチナの「妹」の結婚のことを聞かされたのは、「壊された5つのカメラ」のプロモーションで来日した監督のイマードからだった。久しぶりに会ったイマードに色々とビリンのみんなの近況を聞いているさなかに、ふと「そういえば、君の『妹』、アブーハミース(パパのこと)の末の娘が結婚することになったぞ」と。

相手をたずねると、「ビリンの人間ではあるけれど、分離壁反対運動に積極的にかかわっているわけでもないし、君の『実家』から近い家の人間でもないし、どうかなあ、ミカは知らないんじゃないかな」と「マーリク」とその名を教えてくれた。知らないひとだった。

妹の結婚式にも参加できなかった。その様子は、ハムディから聞かされた。そして、ワタシがパレスチナに行く数か月前、妹が女の子を産んだ。

昔、妹たちとは本当に色々あった。決して良好な健全な関係とは言えなかったと思う。「早く結婚して実家から出ていってほしい」と願ってもいた。血のつながりはないけれど、「家族」としてひとつ屋根の下で暮らす時間の長さに比例して、その愛憎の渦の中で翻弄された。

約二年ぶりの「実家」、妹たちのいない家はひっそりとしていた。近所に住む兄弟たちのお嫁さんたちが通っては来るが、妹のいないパパとママの生活は成り立たなくなっていた。目の見えなくなったママには日常生活すら困難で、かろうじて少しは目の見えるパパは家事は不得意だった。

ワタシも家事は得意ではないが、出来るだけのことはやろうとした。掃除と食器洗いだけ。でも、パパとママの口に合うようなパレスチナの料理はつくれそうもなかった。そんなことを始めようとすれば、「もうすぐ嫁の誰かが来るだろうから待っていよう」とパパとママに止められた。

騒々しかったけれど、世話好きではあった妹たち。自分の生活の不便さもさることながら(勝手な言い分だ!)、パパとママの生活が嫁たちの都合に左右されるということが辛かった。ワタシが外出して家に帰ると、夕方まで誰も来ず、お腹を空かせて待ち続けているパパとママの姿を目にしたのも一度や二度ではない。

妹が実家に来ると、正直ホッとした。パパとママもホッとしているようだった。やはり嫁には頼みにくいこともたくさんあるのだろう。

妹に、何度も「うちに遊びに来てよ」と誘われた。滅多に外出することのなくなってしまったママと一緒に行くことにした。妹の旦那のマーリクが車で迎えに来てくれた。

マーリクは、自分の嫁の実家が、何のためらいもナシに、見知らぬガイジンを、まるで本当の家族の一員のように扱っていることに、きっと最初は驚いただろう。しかし、そんな素振りも見せず、すぐに「義姉と義弟」として優しく接してくれた。とても穏やかな、優しい青年だった。妹はいいオトコのところに嫁に行ったなあと、なんだか嬉しかった。

マーリクの実家は専業農家。結構大規模に家畜を飼っていて、それを飼育して販売することで生計を立てている。マーリクのお母さんは、パパのお父さんの後妻さんの妹とのことだった。妹にとっては「姑は祖父の妻の妹」ということになる。マーリクが育った実家の三階部分にマーリクと妹の新居があった。広くはないし、豪華でもないが、若いカップルらしい地に足の着いた生活ぶりが微笑ましかった。

妹のイルハームは、ママと私のためにご飯をつくってくれた。「初めてガイジンがうちに来た!」ということで、マーリクの兄弟姉妹、甥姪、親戚一同が集まってきた。妹はてんやわんやで対応に追われ、行儀の悪い子どもたちを叱りながら、マーリクの姉妹と言葉を交わし、それらをソツなくさばいていった。

ああ、イルハームはもう「実家」アブーラハマ家の娘じゃなく、嫁ぎ先の一員なんだな…とその姿をみて思った。それを感じたとき、自分でもビックリするほど寂しかった。

イルハームはお茶を飲みながら「よくケンカしたよね。ホントにいろんなことがあった。前回最後にあったときもケンカしたまま別れたんだったよね。ミカに謝らなくちゃいけないこともたくさんした。私は本当に子どもだった。でも少しは大人になったから」とイルハームが娘のナウラスをあやしながら笑う。

「いいひとと結婚して、幸せになって、本当に嬉しいよ。色々あったけれど、本当に大人になったなあと思うよ。安心した。でも、なんだか不思議なくらい誰もいなくなった実家が寂しく感じるときがある。あの騒々しい日々すらが懐かしく感じるときがある」と答えた。

夜も遅くなったので、ママと一緒に帰ることにした。マーリクが「アンメティ(直訳はおばさん、だが姑に対して使う言葉)、少しは歩いたほうが体の為ですよ。僕が家まで手を引きますので一緒に歩いて行きましょう」と、目の見えないママの手を引く。歩くと普通の人の足で20分ほど。ママの足では30分はかかる。しかし、それを厭うことなく、ママは笑顔でマーリクと腕を組み、歩きはじめる。ママのマーリクへの信頼の大きさが垣間見えた。

ワタシは帰り道の途中で呼び出しがかかり、ママとマーリクと別れることにした。マーリクに「今日はお招きありがとう。ママのこと頼むね」というと「来てくれて嬉しかったよ。イルハームもずっとミカが来てくれるの待ってたから。お義母さんのことは任せて。行ってらっしゃい」と手を振ってくれた。

写真はママとマーリク

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以前、ハイサムが映像を撮っていたときにはよくご紹介していたイスラエル軍のビリン村への夜間侵入。映画「壊された5つのカメラ」でもそのシーンが描かれている。

あの映画が撮られた当時、特に2008年から2010年に比べれば、現在はああいうやり方はとられていない。しかし、それはゼロではないし、現在はもっと巧妙な作戦がとられている。

この夜、写真の撮られた時間をみると午前一時過ぎ、ワタシはハイサムの家ですっかりパジャマに着替えて、ハイサムとだらだら話をしていた。そこに突然ハイサムの電話が鳴り、村にイスラエル軍兵士が侵入してきているとの連絡。正確な場所は、いまひとつ分からない。

「ミカ、どうする?危ないから一緒に来いとは言えないけれど、いま村にいる外国人はオマエだけだから、もし来てくれるなら助かる。その存在が俺たちを守ってくれるから」とハイサム。

着替えなきゃいけない、寒い、眠い、だるい、怖い…アタマの中ではたくさんの行かない言い訳が駆け巡る。でも、自分の存在「ガイジンがいる」という事実、ワタシが構えるカメラの存在、それらが本当にハイサムたち地元の人々を守れる可能性があることは事実。行かないわけにはいかない。

そこで、慌てて着替えて(夜間侵入が多かった時期には、いつでもすぐに出られるように、決して夜中はパジャマなんかに着替えないで待機していたものだが…)ハイサムが村の中だけで乗り回す廃車寸前のボロ車「ホマール(ロバ)号」に乗り、村のなかを走って回る。どこに軍のジープがいるのか、標的は誰なのか、目的は何なのか。

ようやく先に標的を探し当てたハムディと連絡がつき、ハムディと合流して、イスラエル軍兵士がいる場所へ向かった。軍のジープが五台も入ってきている。

見張りをしてる兵士に近づいて、ハイサムがカメラを向け始める。ワタシも慌ててカメラを構える。本当に、数分先の状況が読めない緊張の場面。自分がヘマをしないように、そればかり考える。

その場所での「作戦」は終わったようで、兵士が群れをなしてそれぞれのジープに乗り込み、次の場所へと走り去る。

ようやく、「標的」にされた村人から話を聞くことができた。それは、シャバク(保安情報部)への出頭命令書を渡して回っているとのことだった。命令書を見せてもらうと、ラマッラーの町中にある入植地兼軍事基地べトエルのシャバク事務所に出頭するようにとの命令だった。

ここでは「捜査」と称して、脅しをかけられたり、甘言だったりをうまく使い分けながら、彼らの「協力者」をリクルートしていると村人たちが話す。報酬だったり、病気の家族の治療をチラつかされたりという話を、経験者から聞いたことがある。

次の「標的」は、ワタシもよく知るMのところだった。彼や家族の身を案じながらも、「ここは軍事閉鎖区域だ、下がれ」とワタシたちをブロックする兵士に阻まれる。ハムディは年の若い見張りの兵士に胸を小突かれる。興奮する若い兵士。ハムディは、あくまで冷静に話しかける。「俺に触るなと言っているだけだよ。隊長と話をさせてくれよ」と。しかし、その若い兵士は「下がれ、カメラを向けるなと言っているだろう!」とワタシたちに怒鳴り続ける。

その声を聞きつけて隊長がやって来た。ハムディが直接英語で声をかけると、ハムディには返事もせず「まあ、そんなに興奮するな、放っておけ」と若い兵士に隊長は声をかけた。

そして「さあ、引き上げるぞ」とジープに乗り込み、この夜はそのまま兵士の一群は去って行った。


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下記の通り、小金井市で活動する小金井平和ネットの恒例行事「パレスチナカフェ」において、スライドトークをおこないます。

・分離壁反対運動をおこなうビリン村の現状
・ジェニン難民キャンプで暮らす家族
などのお話をいたします

小金井平和ネット 2014 パレスチナカフェ
「パレスチナに生きる」高橋美香 スライドトーク

日時:3月1日(土) 17時から19時半

場所:コミュニティ湧 (JR中央線武蔵小金井駅南口徒歩)
   小金井市本町6丁目5-3 シャトー小金井1階

参加費:500円

主催:小金井平和ネット 042-387-1662(佐藤)

会場ではパレスチナ産タイべビールも販売します。

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また、2/22と3/8(土)には、西東京市谷戸公民館において講座
「変貌する現在を知る」と題してパレスチナと宮古のお話をします。

分離壁を越えてイスラエル領へ働きに行くパレスチナ人労働者たちの姿を追ったドキュメンタリー
Nine to Five (ダニエル・ガル監督・2009年)も上映。

詳細は→http://www.city.nishitokyo.lg.jp/event/kyoiku/kouminkan/yatogenndai.html

期間中、同館ロビーにおいてパレスチナの写真展示も行っております。


みなさまのお越しをお待ちしております。

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先日、ハムディから連絡があった。「ママの調子が悪いから入院させることにした」と。

そして、その晩、夢を見た。ママの病院でハムディとこれからのことを話し合っていた。

「ママを海外に連れて出て治療受けさせられないかな?」

「じゃあ、誰が付き添う?」

「娘たちより息子たちの方が頼りになるだろうけど、でもママの身の回りのことは娘たちの誰かの方がいいよね」

「ああ、アンタが家事が出来ればいいのに…」と、ワタシがハムディに告げたところで夢から覚めた。実際には、ハムディは家事はある程度出来る。ドイツで一人暮らしをしていたから。

こんな夢を見た翌日、ハムディからまた連絡があった。「ミカ、俺たちのママの容体が悪化している。ついに人工透析を受けることになった」。

ハムディから送られてきたママの顔写真は、土色だった。

ついこのあいだ、ビリン村を去るとき、「ミカ、行かないで。このままここにいて。ずっとここで一緒に暮らそう。もういま別れてしまったら二度と会えない気がする」とママは泣いた。

ここ数年ずっと体調の悪そうなママ。でも、このときまで「別れ」をこんなにも意識したことはなかった気がする。

糖尿病の悪化で、いくつもの病気を併発している。もう彼女の眼は光も失っている。ここ数年は、普段家の外に出ることすらない。一日中、体の痛みに泣いている。

「病気のからだも神様のおかげ。この辛さも神様から与えられたもの。感謝しなくちゃいけない。でも神様にお願いもする。もう楽にしてくださいと…」。

ママを愛している。パレスチナでの一番の恩人は、赤の他人のガイジンを「家族の一員」として迎え入れ、帰る場所を与えてくれたアブーラハマ家のパパとママ。

どうかママと一緒にまた笑える夜を過ごせますように。ママの容体が良くなりますように。

写真は、三男ヘルミーの話を聞きながら脚を掻いてあげるママ

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下記の通り、小金井市で活動する小金井平和ネットの恒例行事「パレスチナカフェ」において、スライドトークをおこないます。
・分離壁反対運動をおこなうビリン村の現状
・ジェニン難民キャンプで暮らす家族
などのお話をいたします。

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小金井平和ネット 2014 パレスチナカフェ
「パレスチナに生きる」高橋美香 スライドトーク

日時:3月1日(土) 17時から19時半

場所:コミュニティ湧 (JR中央線武蔵小金井駅南口徒歩)
   小金井市本町6丁目5-3 シャトー小金井1階

参加費:500円

主催:小金井平和ネット 042-387-1662(佐藤)

会場ではパレスチナ産タイべビールも販売します。

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また、2/22と3/8(土)には、西東京市谷戸公民館において講座
「変貌する現在を知る」と題してパレスチナと宮古のお話をします。

分離壁を越えてイスラエル領へ働きに行くパレスチナ人労働者たちの姿を追ったドキュメンタリー
Nine to Five (ダニエル・ガル監督・2009年)も上映。

詳細は→http://www.city.nishitokyo.lg.jp/event/kyoiku/kouminkan/yatogenndai.html

期間中、同館ロビーにおいてパレスチナの写真展示も行っております。


みなさまのお越しをお待ちしております。

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