世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著、かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2018年03月

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ビリン村のパパ、ワタシがパレスチナで最も、もしかすると心の底から絶対的に…というレベルでは唯一,信頼を寄せる男性。そんなパパと重ねてきた年月は拙著『パレスチナ・そこにある日常』でも『それでもパレスチナに木を植える』でも綴った。

2012年に再会したときまでは、パパもまだ畑仕事に出かけたり、放牧に出かけたりしていた。先祖から引き継いできた土地を五人の息子たちにそれぞれ分け与え、長男の結婚式の際に多額の資金を用意する必要があり、パパはそれまで飼育していた家畜を売り払った。耕す畑も、息子たちのそれぞれの家の建設用地としてつぶした。

もともと口数も少なく、みんなと大笑いしながら戯れるようなひとでもない。みんなの輪のなかにいても、ひとり黙って煙草をふかすのがパパの常だった。だからパパはカバンにパンとお茶を詰めて、ひとりでラジオを聴きながら放牧に出かけることや、農作業に出かけることは好きだった。お金になる仕事ではないが、それでも、それはパパの大切な仕事だった。

耕す畑を失い、放牧に連れていく家畜を失い、パパにはなにもすることがなくなった。一日中、玄関先に座ってただ煙草をふかしているだけのことが多くなった。

そんなパパの姿を見かねて、一度だけ「ねえ、パパ、ワタシが山羊を何匹か買って、パパに預けたら代わりに育ててくれる?」とたずねたことがあった。ワタシは久しぶりに会ったパパの老け込みぶりに焦りを感じていた。でも、パパから教えられたヤギ数頭分のの値段は、当時のワタシの持ち金を軽く超えていた。そのことに気づいたパパは、きっとワタシに気を遣ったのだろう。「ミカ、もういいんだ。体調もあまりよくないし、仕事に行くのも疲れたからもういいんだ。あとはのんびりさせてもらうよ」と微笑んだ。その微笑み、その言葉を表面的に言葉通りに受け取るというミスを犯したワタシは、打つべき手をその場で打たなかった。

次の年、パパの体調は悪化していた。糖尿病の悪化で片目の視力を失い、もう一方の目もほとんど見えていないとのことだった。パパはすっかりふさぎ込み、ますます玄関先にただ座って煙草をふかすばかりになった。その姿は一見その前年と変わっていないように見えたが、大きく異なっていたのは、パパのその疲れ切った表情だった。「なにもすることがない。一日が長くて仕方がない」とパパはつぶやいた。

「することがないと、動かないから、ますます体調が悪化したのだろう。悪循環だった」と周囲のひとはワタシに話した。無理をしてでも、たった一頭か二頭でも、パパにヤギを買って預ければよかったと悔いた。悔やんでも悔やみきれなかった。結果は同じだったかもしれないが、ベストを尽くさなかったことが悔やんでも悔やみきれなかった。

そして前回の悔いだらけのパパとの再会から、さらに三年がたった。三年ぶりにビリンの「実家」を訪ねると、階段を昇って行った正面のソファ、いつもの場所にパパは座っていた。でも、階段を上りきったワタシの姿を正面にしてもパパの表情は動かなかった。「ああ、なにも見えていないんだ…」と、その瞬間に悟った。きっとパパは「誰が階段を上ってきたんだろうといぶかしがっているだろう」と瞬時に察した。「パパ、お久しぶりです。帰ってきたよ」とパパに近づいてその右手を握った。ビックリするほどヒンヤリした手だった。血が巡っていないのだろう。パパは「ああ、ミカか。帰ってきたんだな。おかえり」と淡々とワタシに告げた。

パパはこの三年で完全に視力を失っていた。どこにも一人では行くこともできず、お茶を淹れるのも、コーヒーを淹れるのも、自力ではできなくなっていた。日中は家に残っている二人の息子もいない。仕事だったり、同じく糖尿病で人工透析を受けているママの病院の付き添いだったり。近所に暮らす長男、次男、三男のそれぞれの嫁がたまたま訪ねてくるか、気を遣って訪ねてくるかでもしない限り、ご飯どころかお茶の一杯を口にすることも難しい。三年前、「パパのいまの人生は忍耐の試験のようなものだ」と感じたが、その困難はそのころの比ではなくなっていた。もはや、すべてが他者の都合次第でしか進まない日常。「考えても仕方がないことなのに、時間がありすぎるから、考えてしまうばかり」であることを、パパは近いひとに漏らしていた。

ナーブルスに行った日、パパの大好きなコーヒーと、糖尿病なので食べられるかどうかはわからない名物のクナーファをお土産に買っていった。パパは「せっかくミカが買ってきてくれたからひとつだけ」とクナーファを食べたいといった。

毎日があっという間に過ぎ、とうとうビリンを離れる日が来た。パパに別れの挨拶をする。できるだけ感傷的にならないよう、軽く別れを告げる。「また来年あたり帰ってくるね」と。

パパは「遅くなるなよ。さもないと、もうこれが今生でのお別れになってしまうからな。ひょっとするともう最後のお別れかもしれないな」と淡々とした口調でワタシに告げた。いつも毎回そんな言葉を漏らしながら泣くママを、パパはいつも声も出さずに笑ってみつめていたのに。パパの口からその言葉を聞くのは、重すぎた。ワタシは思わず泣いてしまいそうになった。

人生は一期一会。遠いパレスチナでたまたま出会ったひとたちと、こんな風にともに年月を、時間を重ねてこられたことにこそ感謝すべきなのだろう。別れ、またはその可能性を嘆くよりも、そのときそのときを大切にするだけのことなのだろう。そうアタマではわかっていても、パパの言葉は胸が張り裂けそうだった。

パパは、きっと、いまの日常がしんどいのだろうな。そんなパパのことを思うと、自分のエゴで「なにがなんでも、どんな状態でも、一日でも長く生きてほしい」とはとても言えない。

キリがなくなりそうだったので、もう一度「また帰ってくるね」と軽く言い残して玄関の扉を閉めた。階段を下りて夜道を歩きながら、涙がこぼれた。

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今後の報告会等の予定をお知らせします。

★3月31日(土)
国立市公民館「図書室の集い」 
14時から16時半
参加費無料
http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/kouminkan/kouminkan3/1509178221759.html

★4月1日(日)
「パレスチナ連帯集会」
文京シビックホール地下1階学習室 18時半から21時
・18時35分~19時25分 『This Is Palestine』(2017年アイルランド、日本語字幕付き)上映
・19時40分~20時20分 現地報告(高橋)
資料代500円
主催JAPAC(日本・パレスチナプロジェクトセンター)

そのほか、順次決まり次第お知らせします。

いくつかの報告会でパレスチナの女性たちが製作した刺繍クラフトを販売いたします。
報告会会場にお越しになれない遠方の方のためにも、なんとか時間をみつけてブログでご紹介できればいいなと考えております。

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出発前にお預かりしたカンパの報告、最後は(B2)の部分についてです。

ビリン村には「外に働きに出たくても出られない」様々な事情を抱えた女性たちがいます。家族の反対だったり、子どもがまだ小さかったり、失業中の夫が「体面が悪いから」と許さないこともあります。家計は火の車なのに。親族からの借金で生活をまわしている、という話もよく聞きます。たまに収入があると、それらを順番に返していくそうです。

そんな女性たちが、家のなかでも、家事の合間のわずかな時間にでもと、刺繍をしています。ただし、刺繍をしても、それだけではわずか10シェケル(330円)くらいにしかならないそうです。「資本力」と「販売力」のある「元締め」を除けば、手間賃として入る収入はわずかです。

ビリン村で、たくさんの女性たちが刺繍仕事をしてわずかな手間賃を稼いでいました。でも、誰に聞いても、「その賃金が割に合わないけれど、ほかに稼ぐ手段もない」と多くの女性が口をそろえて言いました。そこで、非常に熱心でなおかつ向上心もあり、改善の努力を惜しまない姿勢をもつ女性たちのグループに、白、黒、赤、茶、緑の布地と刺繍糸、各色裏地、各色ファスナーの材料、中古ミシンを買って提供し、その材料を使って今回の期間中に製作された品物約500ドル分を買い上げてきました。

以前、村にやってきたフランス人とイギリス人には代金未払いのまま品物を持ち逃げされ、日本人には安値で買いたたかれたとの話を聞き、それぞれどんな事情があるのかは知らないが、ゲンナリする。

なにはともあれ、プロの方があいだに入って指導されているようなグループの作品と比べると、やはり見劣りするし、かといって自分もそれ以上の労力は割けないし、またその方面の能力もないし。まあ、どこまで続けられるものやら…と思いつつ、5年続いている。途切れ途切れではあるものの。

そして、光熱費を払うことに困っていた彼女たちのうちの一人に生活支援を、また同じ村のママ…『パレスチナ・そこにある日常』の表紙のひと…の糖尿病、人工透析費用の支援の一部にも、皆様からお預かりしたカンパのなかから下記の金額を充てさせていただきました。

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:収支報告:

・収入
カンパ
(オリーブの苗木) 15,000円
(使途は高橋に一任)84,200円 
前回からの繰越金 25,570円

計124,770円

・支出
アワード家(ジェニン難民キャンプ)支援 38,500円(J)

ハイサム(ビリン村在住カメラマン)活動支援 13,800円(B)
オリーブの木購入(ビリン村) 26,400円(B)

刺繍クラフト製作支援、材料費(ビリン村)14,000円(B2)
ミシン購入支援(ビリン村) 6,000円(B2)
生活支援(ビリン村)14,700円(B2)
治療費支援(ビリン村) 11,500円(B2)

計124,900円

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出発前に「パレスチナの誰かのために使って」「オリーブの苗木を贈りたい」とカンパをお預かりしました。報告会などの会場でカンパ箱を置いて集めた資金もここに組み込まれています。

大きくわけて、難民キャンプとビリン村とでお金を使いました。理由は、広く少しずつあちこちでいろんなことをおこなうよりも、継続的にきちんと信頼関係を築くことができていて、今後のゆくえをきちんと責任をもって見守り、報告することが可能で、なおかつ差し迫って必要としているところで、サポートをしたかったからです。

今回は下記の支出(B)のご報告を。

いろいろと考えた末に、ビリン村のハイサムの土地に大きなオリーブの木を植えることになりました。前著『それでもパレスチナに木を植える』に書いたとおり、三年前のハイサムとワタシの関係は崩壊寸前でした。分離壁反対運動を続ける村への弾圧、分断、村の出来事を伝えるハイサムの不遇、次男カルミーの死、家族の不和、貧困…多くの問題が彼にのしかかり、そのストレスのはけ口として、まるで八つ当たりのサンドバッグのようにされ、ワタシ自身がもう耐えきれなくなりました。

今回、ビリンに行くのは、ハイサムに会うのは、正直に言うと恐る恐る…という感じでした。あまり長居はしたくなかったし、また同じ問題が起きたら、今度こそはすぐに逃げ出そうと決めていました。残念なことではありますが。

でも、三年のあいだにハイサムが変わったのか、ワタシも変わったのか、あんなふうにナイフを研ぎあって切り付けあうようなそんな関係ではなくなっていました。ハイサムとくつろいだ気持ちで過ごしたり、話したり、笑顔になれたり…なんだか久しぶりのことでした。もうずっと、ハイサムの前では心からは笑っていなかったような気がする。そんな三年前が嘘のように、また昔みたいにきちんと心から言葉を紡ぎあいました。

ハイサムはカメラマンとしての活動の傍ら、もっぱら畑仕事にいそしんでいました。昔から家の前の小さな庭の畑や果樹の手入れは熱心にやってはいました。今回、ハイサムが先祖代々受け継いできた土地でハイサム、ハウラ、ムハンマドとワタシでバーベキューをして、ハイサムが「いつかお金ができたらこの土地を整地して、きれいな畑にして、ムハンマドに引き継がせたい」とその夢を語りました。

「もしワタシがオリーブを植えたいって言ったらどうする?」とたずねると、「よく外国人が記念樹的に植栽して帰っていく、そんな適当なオリーブの木だったらいらないなあ。もしミカに望みを言って許されるなら、樹齢百年くらいの、この畑の象徴となるような大きな、質の高いオリーブの木がほしい。この秋からすぐにでも実をつけてくれるような、そんな木が」とハイサムが言う。

聞けば、「囲いを作って、岩を取り除いて、草を抜いて、木々を植樹して、土地を耕して畑に肥料を入れて、休憩場所をつくって地上の楽園にしたい」と夢を語る。ムハンマドも父親のそんな話を笑顔で聞いている。その大きな夢に乗りかかるのも悪くないなと思う。「俺はオリーブの木を通じて、この大地とミカとミカの日本の友達をつなげたい」ハイサムはそう語った。

その日から、出せる金額の上限を決め、足りない分はハイサムが負担することも決まり、あちこちの苗木業者への問い合わせの末、希望どおりの木を探してもらうことになった。

ようやく二週間ほどしてみつかった木は大きく、とても人力で穴を掘って植えられるような大きさではないので、ショベルカーの手配もしなければならなかった。

結局、ワタシは植樹を見届けることはできず、帰国した13日、「ようやく植えたぞー」とハイサムから写真が送られてきた。

オリーブの木は700シェケル(23,100円)、ショベルカーの費用が200シェケル(6,600円)、本当にオリーブの木というのは樹齢や質に合わせてピンからキリまで様々なのだということを知った次第です。

カンパにご協力くださった皆様、秋には収穫が待っています。ぜひともご参加を!

写真はすべてハイサムとハウラから送られてきたもの。

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:収支報告:

・収入
カンパ
(オリーブの苗木) 15,000円
(使途は高橋に一任)84,200円 
前回からの繰越金 25,570円

計124,770円

・支出
アワード家(ジェニン難民キャンプ)支援 38,500円(J)

ハイサム(ビリン村在住カメラマン)活動支援 13,800円(B)
オリーブの木購入(ビリン村) 26,400円(B)

刺繍クラフト製作支援、材料費(ビリン村)14,000円(B2)
ミシン購入支援(ビリン村) 6,000円(B2)
生活支援(ビリン村)14,700円(B2)
治療費支援(ビリン村) 11,500円(B2)

計124,900円



※上記の金額は、「○○さんの一家に」などと使途を限定、指定されてお預かりした分は含まれておりません。別会計でご指定の使途へふりわけました。

※現地でお目にかかってお預かりしたものも、上記の金額には含まれておりません。別会計でご指定の使途にふりわけました。

※高橋個人へのカンパとしてお預かりしたものは、上記の金額には含まれておりません。別会計でそれぞれ必要とされているところにふりわけました。

※円からドル、ドルからシェケルへと両替をして用いているので、多少の誤差が生じていることはお許しください



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今後の報告会等の予定をお知らせします。

★3月31日(土)
国立市公民館「図書室の集い」 
14時から16時半
参加費無料
http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/kouminkan/kouminkan3/1509178221759.html

★4月1日(日)
「パレスチナ連帯集会」
文京シビックホール地下1階学習室 18時半から21時
・18時35分~19時25分 『This Is Palestine』(2017年アイルランド、日本語字幕付き)上映
・19時40分~20時20分 現地報告(高橋)
資料代500円
主催JAPAC(日本・パレスチナプロジェクトセンター)

そのほか、順次決まり次第お知らせします。

いくつかの報告会でパレスチナの女性たちが製作した刺繍クラフトを販売いたします。
報告会会場にお越しになれない遠方の方のためにも、なんとか時間をみつけてブログでご紹介できればいいなと考えております。

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出発前に「パレスチナの誰かのために使って」「オリーブの苗木を贈りたい」とカンパをお預かりしました。報告会などの会場でカンパ箱を置いて集めた資金もここに組み込まれています。

大きくわけて、難民キャンプとビリン村とでお金を使いました。理由は、広く少しずつあちこちでいろんなことをおこなうよりも、継続的にきちんと信頼関係を築くことができていて、今後のゆくえをきちんと責任をもって見守り、報告することが可能で、なおかつ差し迫って必要としているところで、サポートをしたかったからです。今日は、今回の使途についてのご報告を。まずは(J)ジェニン難民キャンプでの使途について。


三年前、難民キャンプでオリーブの木を植え、家畜小屋をつくった話はもうすでに何度も触れていますが、前回のカンパの使途も参考までに。
https://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/40310959.html

そして、三年後、この難民キャンプの一家を取り巻く環境は大きく変化をしていて、一番の変化は、木々の世話をして、家畜の世話をしていた長男のカマールが昨年の八月イスラエル軍兵士に連行され、現在裁判中。「投石をした」かどで「一年半の刑期」を求刑されていること。判決は4月22日に出る予定。現在彼はメギドに勾留中ですが、一般的に刑期だけでなく莫大な金額の「罰金」(15,000シェケル50万円ほどではないかと家族談)が科されることも多く、また弁護士費用も5,000シェケル16万5千円ほどかかるみこみ。一家にこの金額が重くのしかかる。

一方で、三年前「家畜を買う費用に」と預けていったお金で、一家は鶏と鵞鳥を飼い始めた。大きな家畜小屋はお金が足りなくて工事が中断したまま。屋根もドアもないままカマールが帰ってくるまで保留になっているが、一家は廃材を使ってうまく鶏と鵞鳥のための小屋をつくった。毎日鶏がいくつも卵を産み、確実に家族に恵みをもたらしてくれている。ただし、餌代も相当な負担だそうだ。大きな小麦袋のような袋に入った飼料は50キロ入り。その袋をひと月にふた袋120シェケル(約4000円)で買うという。「カマールが捕まって彼の収入がなくなった分、じわじわと負担がのしかかる」とかーちゃんのマハはため息をつく。

「裁判費用、弁護士費用、家畜の餌代、カマールが釈放されたときのふるまい料理代…どうふりわけてくれてもいいから使って」と皆様からのカンパのなかから一家に渡した金額は38,500円。(下記の,ら用いました)

写真’兀爐鮖箸辰萄遒辰新楙屋
写真∪犬澆燭討陵颪鮗蠅砲靴唇豌箸亮|縫爛魯鵐泪
写真7椶非鳥に餌をあげるマハ

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:収支報告:

・収入
カンパ
(オリーブの苗木) 15,000円
(使途は高橋に一任)84,200円 (1)
前回からの繰越金 25,570円

計124,770円

・支出
アワード家(ジェニン難民キャンプ)支援 38,500円(J)

ハイサム(ビリン村在住カメラマン)活動支援 13,800円(B)
オリーブの木購入(ビリン村) 26,400円(B)

刺繍クラフト製作支援、材料費(ビリン村)14,000円(B2)
ミシン購入支援(ビリン村) 6,000円(B2)
生活支援(ビリン村)14,700円(B2)
治療費支援(ビリン村) 11,500円(B2)

計124,900円

※上記の金額は、「○○さんの一家に」などと使途を限定、指定されてお預かりした分は含まれておりません。別会計でご指定の使途へふりわけました。

※現地でお目にかかってお預かりしたものも、上記の金額には含まれておりません。別会計でご指定の使途にふりわけました。

※高橋個人へのカンパとしてお預かりしたものは、上記の金額には含まれておりません。別会計でそれぞれ必要とされているところにふりわけました。

※円からドル、ドルからシェケルへと両替をして用いているので、多少の誤差が生じていることはお許しください

次回は(B)ビリン村での使途についてご報告します。

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今後の報告会等の予定をお知らせします。

★3月31日(土)
国立市公民館「図書室の集い」 
14時から16時半
参加費無料
http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/kouminkan/kouminkan3/1509178221759.html

★4月1日(日)
「パレスチナ連帯集会」
文京シビックホール地下1階学習室 18時半から21時
・18時35分~19時25分 『This Is Palestine』(2017年アイルランド、日本語字幕付き)上映
・19時40分~20時20分 現地報告(高橋)
資料代500円
主催JAPAC(日本・パレスチナプロジェクトセンター)

そのほか、順次決まり次第お知らせします。

いくつかの報告会でパレスチナの女性たちが製作した刺繍クラフトを販売いたします。
報告会会場にお越しになれない遠方の方のためにも、なんとか時間をみつけてブログでご紹介できればいいなと考えております。

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約三年前の秋、難民キャンプの居候先の裏庭に木を植えた。その顛末は拙著『それでもパレスチナに木を植える』の根幹にあたる部分なので、ここでは繰り返さない。

三年ぶりに植えた木を訪ねると、大きく成長していた。「弟」カマールがあんなにほしがったレモンの木は、しっかりと実をつけていた。オリーブの枝は、きちんと剪定されておらず、伸び放題という感じがした。それもこれも、この一家は土地を失った難民、土地も畑もなく、この難民キャンプの裏庭で本当に育つのかわからないオリーブを未経験で植えたのだった。

しかも、木々の手入れを担うはずだった長男のカマールは8月にイスラエル軍兵士に連行されて、「投石をした」として現在も勾留が続いている。裁判では軍の検察官から「一年半の刑期」を求刑されている。しかも、莫大な「罰金」と弁護士費用が一家に重くのしかかる。

この土地に木を植えたのは、カマールの幼馴染のハムザが「ハマースの戦闘員」として銃を手に取って闘って殺されたことが大きなきっかけでもあった。ワタシが知るハムザはいつも笑っていた。冗談ばかり飛ばしているヤツだった。

「まじめなひと、繊細なひと、思いやりがあるひとであればあるほど、この現実が耐えきれなくなる」と、多くのひとがため息まじりそうに話す。「割り切ることができるひとは、案外うまく現実と折り合いをつけて世の中を渡っていけることが多い」とも。

本当のハムザは、どんな心の内を抱えていたのだろう。冗談を飛ばす裏で、どれほど苦悩を抱えていたのだろうと思うと、そのたびに、なにも見えていなかった自分の浅はかさが嫌になる。

でも、きっと、わかりっこないのだ。彼らの苦難なんてワタシにわかるわけがないのだ。

どれだけ近づこうが、どれだけときを重ねようが、どれだけ語り合おうが、ワタシはパレスチナで占領に苦しめられる人々と同じ立場になんてなりえない。

それでも、木を植え続けよう。彼らの言葉に耳を傾け続けよう。泣いている彼らを黙って抱きしめよう。憤る彼らの傍らに立とう。

ワタシがパレスチナでできることなんて、ただそれだけ。でも、それでいいのだと思う。

ハムザの墓参りに行くと、彼の笑い声が聞こえた気がした。

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今後の報告会等の予定をお知らせします。

★3月31日(土)
国立市公民館「図書室の集い」 
14時から16時半
参加費無料
http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/kouminkan/kouminkan3/1509178221759.html

★4月1日(日)
「パレスチナ連帯集会」
文京シビックホール地下1階学習室 18時半から21時
・18時35分~19時25分 『This Is Palestine』(2017年アイルランド、日本語字幕付き)上映
・19時40分~20時20分 現地報告(高橋)
資料代500円
主催JAPAC(日本・パレスチナプロジェクトセンター)

そのほか、順次決まり次第お知らせします。

いくつかの報告会でパレスチナの女性たちが製作した刺繍クラフトを販売いたします。
報告会会場にお越しになれない遠方の方のためにも、なんとか時間をみつけてブログでご紹介できればいいなと考えております。

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