初めてロシア絵画を意識して目にしたのはいつだったのだろう。なんとなく暗くて、深い情念のようなものを感じて、思わずたじろいでしまうような不思議なチカラがあった。でも「好き」とは思わなくて、なんとなく敬遠していたように思う。それは帝政ロシアという時代の空気感を描いたような作品を目にして、その時代の「暗さ」を感じていたからだろうか。レーピンの「皇女ソフィヤ」や「息子を殴り殺したイワン雷帝」の作品やスーリコフの「銃兵処刑の朝」、数々の肖像画など…。眺めるだけで暗い気持ちになった。
それが不思議なことに、あるときそんなロシア絵画が気になって仕方がなくなった。いままで目を背けいていた絵を、画集などでじっくり眺めているうちに、不思議な愛着がわいてきた。有名なレーピンの「ヴォルガの船曳き」など、レーピンがその絵を描くために何度も通い、舟を曳いている人びととともに過ごし、その個性を描き出そうとしたというエピソードを知って、愛しくてたまらない一枚となった。レーピン、クラムスコイ、ペローフ、スーリコフなどの絵に魅力を感じるようになった。ああ、しつこいけどいつかトレチャコフ、ロシア美術館に行きたい。
さて極東美術館、イコンの部屋を抜けるとロシア絵画の展示へと至る。肖像画、風景画などの作品が並ぶ。相変わらずここにも人がいない。学芸員の女性が座っているだけ。嬉々として眺めているワタシを彼女も眺めている。
「あ、レーピンだ」と思わずつぶやく。ようやく対面だ。「そうレーピンの作品です。レーピンを描いたものではないですよ」と彼女が言う。「はい、描いたのがレーピンですよね?」「そうです」それが一番上の写真の男性の肖像画。ロシア語で画家の名前を追うのが精いっぱい。しかも、そのときはできたのに、いま読み返そうとするとすっかりロシア語の文字を忘れてしまって読み返す気力もない。ちゃんとメモしとけよ。メモ代わりに図録を買った(確か750ルーブルだったような)けれど、これまたロシア語オンリーの図録をきちんと見返す気力もなく、絵を眺めるだけに終わっている。語学って、継続しないとどうにもならないね。日々忘れるのみ。
まあ、しかし、誰が描いたとかなにを描いたとか、理解できた方が面白いけれど、その解読は今後の課題として、とりあえず極東美術館の絵画の宝を並べておこう。