世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著、かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2021年04月

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十条のパレスチナ料理店ビサンのスドキさんのお兄さんオサマ・マンスールさんがイスラエル軍兵士に射殺された件は、繰り返しお伝えしてきた。ブログでは、お伝えしていなかったことは、オサマさんがスドキさんのお兄さんだということ。ツイッターでは、スドキさん本人の公開制限なしのフェイスブックへの投稿以来、伏せていた名前を明記することにした。本人が「多くのひとに知ってほしい、シェアしてほしい」と願っているので、ツイッターではその投稿のリンクと、FBを利用しないひとのために投稿のスクリーンショットの画像を貼ってある。

それらに書いたことは、ここでは繰り返さないので、話を先に進める。オサマさんが殺されたと知ったときに書いたブログのリンクだけ貼っておく。
http://mikairvmest.livedoor.blog/archives/8470247.html

繰り返し、繰り返しキリがないほど考えている。なにをしていても、他のことなどほとんど考えられないに等しい。そんななかでほぼ惰性でなすべきことをなしながら、空っぽなまま日常生活を送っている。

ワタシのことなど、どうでもいい。ただ、ずっと「できることなどなにもない」「なにをしても殺された命は戻ってこない」という絶望感のなかで、身動きひとつ取れないでいた。今朝、ハアレツ紙の詳細な記事(こちらもツイッターに貼ってある)を読みながら、イスラエルの人権団体ベッツェレムの調査なども反映させた記事により、知らなかったことも知る。コロナウィルスの感染や、労働許可証の問題、殺害現場となったビールナバーラを取り巻く状況(これは他社の報道でも早くからなされていた)など、多くの問題が重なって、オサマさんが殺される事件に至ったことを。(訳してきちんとした日本語に書き直す気力がないので、どなたかその作業を引き受けてくださいましたらシェアしてください。これも、ひとつの「できること」ではないかと)

オサマさんには五人のお子さんがいらっしゃる。言うまでもなくスドキさんの甥と姪だ。姪っ子のひとり双子の女の子のひとりはビサンちゃんだ。ハアレツ紙にも写真が載っている。ふと、「なにをしても、殺されたオサマさんの命が還ってくることはない、でも子どもたちになにかできないのだろうか」という気持ちに至った。

パレスチナでは、ただでさえ仕事を得るのは大変だ。一家の大黒柱を失ったということは、収入をもたらしてくれるひとを失ったということだ。そのことが、遺された家族にどれだけ重くのしかかるかは、『それでもパレスチナに木を植える』に書いた難民キャンプの一家アワード家の話を思い出してもらえばわかる。

「お金で命が還ってくるわけじゃない」。だが、この先一家が一番必要とするもののひとつは、お金であるという苛烈な現実がある。だとしたら、「なにかしたい」という気持ちは、「なにかしたい」とワタシにたくさん投げかけてくださるお気持ちは、このオサマさんの遺された五人の子どもたちを応援して、見守っていくということにつなげればいいのではないかと、ふと思った。

ただ、この話は一切スドキさんに相談していない。お金を寄せられても迷惑なのかもしれない。自分が責任を持って届けられる状況にない以上、スドキさんを巻き込み、スドキさんの手を煩わせるよりほかに方法がない。だけど、なにもしないよりはマシなんじゃないか?と思う。

現在、スドキさんとはいつでも連絡を取ろうと思えば取れるものの、スドキさんの精神的な負担を考えて、こちらからは連絡を控えるという状態にあります。だから、この件も事後承諾になります。実際に渡すときに初めて話すことになると思います。しかも、いつ渡せるという日時のお約束もできません。スドキさんが会うことや話すことができるときが来たら、そのために連絡をくれたらとしか、いまは言いようがありません。こちらからは一切「会いたい、話したい」とか言うつもりはありません。いままでずっとそうしてきたように、「元気?なにしてる?」と、連絡をくれるときまで、こちらからはアプローチをしないつもりです。ご報告も、渡したあとに、ツイッターかこのブログで一括報告になります。

もし、それでも構わなければ、みなさまからたくさん寄せられる「なにかしたい」という思いは、ご遺族へのお見舞金、特に子どもたちの今後のためのものとして、取りまとめて、スドキさんに渡します。もし受け取ってもらえない場合は、エルサレムや西岸の信頼できる友達の手を煩わせて、ご遺族に届けます。でも、この可能性と責任はワタシにとっても、とても重いものなので「信頼に値しない」と判断されましたら、直接ご自分でなさる方がよろしいかと思います。

もし、「なにかをしたいけれど、なにをすればいいのかわからない」と声をお寄せくださった方のうち、賛同される方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。
mikairv★gmail.com
★は@に

その際、
・金額とお名前を先方に伝えることの可否
・金額とイニシャルならオーケー
・名前だけならオーケー
など、ご希望をお伝えください。

ご遺族へのメッセージがあれば、取りまとめて、こちらもスドキさんにお伝えします。
その際も、名前を入れる、入れない(イニシャルでお伝えします)をご教示ください。

何度もしつこいですが、いつ渡せるかというお約束はできないので、その点だけはご留意のうえ、ご了承ください。

そして、「お金を送って終わり」にはしたくありません。オサマさんの死を忘れず、この事件の意味を考え、オサマさんの子どもたちの歩みを見守っていけたらいいなと思います。幸い、知ろうと思えば、いつでも知ることのできる「距離」にいる子たちのことなので。

オサマさん、どうか安らかに。

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「大丈夫か?」、辛い心情を吐露するたび、心配していろんな方がそう声をかけてくださる。ありがとう、ワタシは大丈夫。どうか、ワタシのちいさな苦しみを心配するよりも、現地の方々が日々直面させられている大きな苦しみを心配してください。そして、ワタシを心配するよりも、現地で起きていることを、周りの誰かに伝えてください。

友達のお兄さんがパレスチナで検問所の兵士に射殺されたこと、お兄さんの死を受けて、友が数年ぶりに故郷に帰ることを決めたことをブログに書いた。すでに書いたことは、ここでは繰り返さないので、こちらを。
http://mikairvmest.livedoor.blog/archives/8478879.html

その友が、今日連絡をくれた。「いまは危険だから帰ってくるな」というご両親のお言葉を受けて、故郷に帰ることを断念したと。

ワタシも「友が無事に帰ることができて、ご家族と一緒に苦しみと悲しみを分け合えればいいな」と願っていた。遠く離れた場所で、誰とも苦しみも悲しみも分け合えずにいるより、ずっといい。だから、とにかく無事でと願っていた。

強くそう願っていたのは、「故郷に帰る」という、ただそれだけのことが、パレスチナ人にとってはどれほど困難で、危険すら伴うことかが分かるから。私たちの多くは、コロナ禍で初めて「自由ではない」「制限される」ことの意味を実感したかもしれないが、パレスチナ人はずっと占領と抑圧と封鎖によって、人為的かつ意図的に、さまざまな形でそれらを強いられている。自治区在住のパレスチナ人も、イスラエル在住のパレスチナ人も、国外に在住のパレスチナ人も、それぞれ。

国境はすべてイスラエルに管理され、パレスチナ自治区に無事に入れたとしても数々の検問所なども存在する。恒常的な検問所だけでなく、いつなんどきお兄さんが射殺された現場のような検問所が設置されるかも、イスラエル軍の思惑ひとつだ。

国境で入国の際に挑発されて、弾圧を受けることだってあり得ない話ではない。いろんな意味で「狙われる」ことだってあり得る。どんな危険が待ち受けているかわからない。具体例をあげることは避けるが、国外に出よう、国外から帰国しようとした多くのパレスチナ人の友達から、その困難や嫌がらせなどの例を聞かされている。占領され、徹底的に個人情報も含めて管理されているということは、そういうことだ。人びとの出たい、帰りたいという切なる望みにつけこんでくる。

そのうえ、友の故郷の実家周辺には、兵士も情報を売り渡す人間も多く配置されていることだろう。パレスチナではどなたかが殺されると葬儀や抗議集会などがあり、通常それを弾圧するために、多くの人員が配置される。国外に生活の拠点がある友が、どんな危険な落とし穴にはめられるか分からない。

だから、普通に旅行するひとに「道中ご無事で」というのとは全然違う種類の、「どうか無事で」という切なる願いを抱いていた。

ご両親は「子に会いたい、悲しみを分かち合いたい」と、どれほど強く願っていらっしゃるだろう。それでも、なお、すべてを飲みこんで、わきに置いて、子の安全を優先させるために「いまは、帰ってくるな」と告げなければならない、その苦しみ。

何重の苦しみを強いるの?どれだけ苦しめたら満足するの?終わらせてくれるの?こんな世の中は狂っている。でも、この狂った世を、無関心や沈黙でつくりだしているのは、ワタシ自身なのだ。

ご飯を食べようとすると、友はちゃんと食べているのかな?と案じる。眠ろうとすると、友はちゃんと眠れているのかな?と思う。そのたびに、泣きだしそうになるけれど、泣いていいのはワタシじゃない。泣く資格すらないように感じる。

いまはただ、静かに見守ることしかできない。見守るって言ったって「見える」わけじゃないので、実際には、ただ静かに待つことしかできない。ときが過ぎるのを。ときが来るのを。友がまたどこかに歩み出せるまで。

オサマさん、どうか安らかに。どうか友を天国から支えてあげてください。祈るしかない。毎日、毎日。

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昨日、友達のお兄さんが殺されたことを書いた。

ワタシは、そこから一歩も進めないでいる。容赦なく日常は続くのに、なにをやるのにも集中力を欠き、なにかをやろうとしても三分もたないで、殺された友達のお兄さんのことを考えている。これだけ「無能(カギカッコ要らないかなあ、ホンモノの無能かもしれない)」無気力なワタシを受け入れ、生かし、活かしてくれるこの環境に感謝する。

昨日書いたことは、できるだけ繰り返さないでおこう。友達のお兄さん、パレスチナのオサマ・マンスールさんが検問所で射殺された件は、昨日の記述をご参照ください。http://mikairvmest.livedoor.blog/archives/8470247.html

自分の気持ちがどうであれ、友の壮絶な苦しみがどうであれ、そんなこととは関係なく日常は続く。家の外に出て、聞こえてくる明るい笑い声、SNSのタイムラインに流れてくる洪水のようなみんなの「つつがない」日常、それらは、普段なにごともなければ、好ましいもの、守られるべきものの筆頭だとワタシ自身が感じているはずなのに、いまのワタシにはそれらに接することが辛い。

オサマさんの死、かけがえのないひとつの命が奪われたことが、この世のほとんどのひとには届くことなく、顧みられることなく、埋没し、かき消されていくことが辛い。自分の無知、無関心だって、誰かにこの辛さを感じさせているのに。世の中の大半のひとには「関係ない」ことだし、そんなの仕方がないことだとアタマではわかっている。でも、感情が理性に追いつかない。

パレスチナからの報道ですら、一日以上たつと続報はほとんど出てこなくなった。パレスチナで起きている事件は多すぎるし、地元マスコミも報じなければならないことが多すぎる。エルサレムで新規入植地建設がまた承認された、入植者に高齢女性がひき殺された、入植者による暴行事件が起きた、エルサレムで入植者がアラブ系住民の家を占拠した…たった一日、ワタシが注意深くもなくザッと目にしただけで、こんな様子だ。オサマさんの埋葬が終わったいま、次に報じられることがあるとすれば、オサマさんを射殺した兵士の犯罪性(当局は当該兵士を擁護すると正式に発表とのこと)が明らかにされるか、そのための裁判などがあるかどうかのときだろう。

こうやってひとつの命が奪われたことが「なかったこと」にされていく。ご遺族やご友人など縁者の心だけが置き去りにされていく。占領のなかで生きるとは、こういうことだ。あまりに強大な権力の前に、真実が消され、捻じ曲げられていく。塗り固められた嘘が、まるで真実かのように流布していく。そうやって、見たくないものを見ない、都合よく事実を改変する社会。私たちが暮らす社会と似ているね。

新たな証言も出ている。「オサマさんご夫妻を銃撃した兵士は、撃たれて負傷させられたご夫妻を放置し、近くにいたひとたち(おそらく同じ検問の車列に並ばされていたひとたち)が懸命に救急措置をとるのを眺めていた」と。これがこの事件の本質を表している。パレスチナ人の命に対する圧倒的で絶望的な無関心。相手をひとりの人間だと感じていたら、絶対にできない。心ある殺人マシーンは軍には不要。軍に必要なのは「身内を守るため」に「敵」を殺す殺人マシーン。心は必要とされない。

オサマさんが友達のお兄さんだと知る前、「(まさか本当に兄弟だとは思わず)きっと親類縁者ではあるだろう」と思ったので、友達に確認するため、事件のニュースリンクを一緒に送ってしまった。そのリンク先には旗に包まれてストレッチャーに乗せられていたオサマさんのご遺体が映っていた。お兄さんだと返事があったときに、自分の思慮の足りなさ、最低最悪の無神経な浅はかさを呪った。すべては遅すぎる。一生消えない悔いであり、許されるべきではない過ちだ。

それなのに、友は「(故郷に)帰るよ。ありがとう」と、知らせを送ってくれた。苦しみのただなかにいるのに、わざわざメッセージをくれた、その短い言葉の行間に溢れる、言葉にできない思いに、丸一日経って、そのとき初めて涙が止まらなくなった。アッラーユサーフィルアレイ。信心もないワタシが、心からそう祈る。

「パレスチナの春は最高。花々が咲き乱れて本当にきれい。春になったら故郷に帰りたいな」と友から聞いたのは、何年前の冬だっただろう。コロナ禍で去年も今年もその友の願いは叶っていなかった。何年ぶりの帰郷になるのだろう。お兄さんが生きているあいだに、楽しい帰郷だったらよかったのにね…と思うと、また涙があふれてきた。

友が、ご家族や友達と一緒に、ひとときでも悲しみや苦しみを誰かと分け合えますように。

オサマさんの魂が、どうか安らかでありますように。

繰り返し、繰り返し、キリがないほど、そんなことを考えている。そう祈っている。


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どれだけこんなことを繰り返せば、終わりが来るのだろう。

パレスチナで友達のお兄さんが殺された。

オサマ・マンスールさん。五人の子どもをもつお父さんで、お連れ合いと一緒に車で帰宅中に、エルサレムの北、ラマッラーの南に位置するビールナバーラに一時的に設置された移動式の検問所(フライングチェックポイントと称される)で兵士に車を停められ、頭を銃撃されて射殺された。

お連れ合いの証言によると、「検問が終わり、『行け』と合図されたので車を発進させたところ、銃撃された」と。

このニュースを目にしてから数時間は、ご自身も背中を銃撃され負傷させられ震える声で証言するスマヤさんのインタビューを、痛ましい思いでみつめていた。辛い気持ちになったが、ワタシ自身にもなおどこかに「他人ごと」として眺めていた気持ちがあったことを、記しておく。自戒のために。

数時間後、続報が少しずつ入るにつれ、その状況が少しずつ分かってきた。ビールナバーラがどこにあるのか、どんな状況下に起きた事件なのか。軍の公式発表は、いつものとおり「車で襲って来ようとしたから射殺した」と。いつもの繰り返し。こうやって、どれだけ多くの真実が葬り去られてきただろう。五人の子どもが待つ家に帰るお父さんが、奥さんを助手席に乗せた車で兵士を殺傷するために車で突っ込むか?

その続報のなかに、殺されたオサマさんがビッドゥのご出身だという報が目にとまった。ビッドゥ?友達の出身地じゃないか。よく考えてみれば、友達とファミリーネームが同じだ。あれ?そういえばオサマさんという名前のお兄さんがいる。でもまさかな。とはいえ、きっとご親族の方なのだろうと、友達にメッセージを送った。

通常は、すぐに返信をくれるひとだ。何時間も返信がないなんておかしい。だんだん不安な思いが募り、眠れぬ夜を過ごした。明け方、「(殺されたのは)私のお兄さん」だという返信がきた。ああ、なんということだ。誰が殺されたっていいわけがないけれど、よりによって友達のお兄さんだなんて。

心臓がバクバクして、身体が震えた。この感覚はバーセルが殺されたことをニュースで知ったときにも経験した。友達に、かける言葉もみつからなかった。なにを言っても、言葉が空虚で、言葉をかければかけるほど、友達の心をえぐる気がした。

どうしてなんの罪もない一般市民が、日常の光景のなかでこんな風に突然その命を絶たれなければならないのだろう。どうして、嘘で塗り固められた「公式発表」がまかり通り、一般市民をなんの理由もなく殺した兵士が罪に問われることもないのだろう。そもそも、占領者はパレスチナの人びとの生活の場所に無理やり入り込み、押し込んできてなにをしているのだろう。あれだけパレスチナの人びとが譲らされて得たものってなんだったんだろう。日常の平安や平穏も得られないのに。オスロ合意ってなんだったんだろう。

友達は、パレスチナから遠く離れた場所で暮らしている。この苦しみ、哀しみをご家族と一緒に分かち合うこともできない。ひとり故郷から遠く離れた場所で、友はどんな思いで兄の死を受け止めているのかと思うと、どれだけ想像しても、その気持ちを察することもできない。分かりっこない。その痛みを分かち合うこともできない。してあげられることが、なにもない。

身勝手なものだ。ワタシの苦しみなんて、そんな身勝手なものだ。

友達を含めた、ご遺族のみなさんの痛みが、どうか和らぎますように。和らぐわけがないとわかっていても、そう祈らずにはいられない。

オサマさんを殺した兵士の犯罪が、きちんと裁かれますように。真実が明らかにされますように。

もう無理だ、もうたくさんだ。そう思っているのに、容赦なく始まる一日に叫び出しそうだったけれど、実際には、時間がたてばたつほど、心も体も鉛のようで、叫び出す気力もなかった。

こんなことを記してなにになる?毎日のように、占領者の非道を目にしながら、それを止められないあいだに、どんどんひとが殺されていく。止められなければ、その数百人に一人は友人知人の縁者だろうし、数千人に一人は友人知人本人が殺されていく。

虚しすぎる。ただひたすら、虚しい。光が見えない。

オサマさん、あなたが殺される理由なんてなにもなかった。止められなくて、ごめんなさい。いつも同じようなことを目にしているのに、ワタシたちは止める努力を怠っている。見過ごしている。黙っている。

オサマさん、どうかどうかその魂が安らかならんことを。

ニュースのリンクは、ツイッターにあげてあります。
詳細はそちらをご参照ください。
@mikairvmest

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ここ数日、書いては消し、消しては書きを繰り返したことがある。でも、やはり書き記しておかなくてはならないのだと思う。誰にも伝わらなくても、自分自身が忘れないために。

桜の季節になると、実は何年も前の出来事を思い出す。パレスチナのビリン村、居候先のママの甥っ子で「従弟」にあたる(本人からもよく冗談めかして「ビント アンメティ(直訳すると伯母さんの娘、つまり従姉)ミカ」と呼びかけられる)ムハンマドがデモのさなかにイスラエル軍兵士に銃撃されて生死をさまよう重傷を負い、結果的に片方の腎臓を損傷して摘出せざるを得なくなったが命は助かったという出来事を。まだムハンマドが重体の危機を脱しておらず、意識も戻らないと聞かされていた精神不安定ななか、ワタシは当日のドタキャンはしかねる予定が入っていた。

思い出すのが、赤羽で電車を乗り替えたこと。休日の赤羽駅構内は、これからお花見に向かう人の波で大混雑していて、食べ物飲み物レジャーシートなどを持ったひとたちの明るい笑い声と喧騒でグワングワンしていた。ワタシは、なぜかその喧噪も笑い声も突然耐え切れなくなり、「ムハンマドはいまにも死ぬかもしれないのに、なんでみんな笑ってるんだよ」と叫び出しそうになった。わずかに残っていた理性が、なんとか押しとどめた。

桜の季節になると、必ず思い出す。叫び出してしまっていたかもしれない自分の姿とともに。

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そして、きっと、これからは彼のことも思い出すのだろう。春になるたびに。

某国で、難民の少年が亡くなった。死因は就業中の事故死だった。彼は若くして働いていた。同級生の多くは学校に通っている年頃。彼は、父親がA国出身の難民で、ただし一家が暮らしている某国では難民としては認められておらず、難民申請は却下されていた。某国の制度では、彼らのような立場にあるひとは、正式な就労も叶わず、かといって公的な支援もあるわけではない。すべてが、あいまいなまま放置されている。

彼らのような立場にある多くのひとが、正式な就労ができないまま、かといって食っていかなければならないので、なんの保障もない、いわゆる3K労働と呼ばれる危険な仕事に従事している。少年もそんな現場で働いていたようだった。

実は、ワタシは少年のことをよく知らない。なにかを語れるほど知らない。面識はあった。ただし、挨拶を数度交わしたことがあるだけだ。少年のことを知らないのには、理由があった。

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ワタシは、少年の親族一家と付き合いがあった。某所を訪れるたび、少年の親族B家に立ち寄っていた。いままで、パレスチナやアフガニスタンなどでの付き合いや支援活動などをとおして多くのことを学んできたが、そのひとつが「困っているひとみんなの力になることなんて到底できない。だったら、ひと地域でも、ひと家族でも、誰かひとりでも力になれるところから始めた方がいい。なにもしないよりはいい」ということだった。

その思いで、少年の親族であるB家に焦点をあてた。それは、言い換えれば、「どうせ多くのことはできない」と割り切り、割り切って捨てた部分は「見ない」、割り切って捨てた部分では「なにもしない」ということだった。B家に関われば関わるほど、少年を含む、その地域のそれ以外のすべてのひとからは遠ざかった。割り切ることでしか、この「支援」は続けられなかった、ワタシの能力や力量では。でも、それは言い訳なのかもしれない。

だから、少年のことも、名前と顔以外、なにも知らないままだった。

ワタシは、なにを間違えてしまったのだろう。亡くなった少年にたいして、もっとできることがあったのではないだろうか。たとえ、そう思うこと自体が、思い上がりも甚だしいとしても。

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きっと、生まれた場所、祖国の状況、生きる環境が違えば、違った人生があったのだろう。某国でなければ、全然違った未来が開けていたのかもしれない。難民を難民として認めない社会が、難民となって逃れた本人だけでなく、その子や孫の世代の人生も壊していく。

少年は、まだ成人にも満たない年齢で、多くのことを背負わされていた。背負わせていたのは、この世界の、この社会の一員であるワタシ自身なのだ。その責任を痛感する。やりきれない。でも、このやりきれなさは、自分がなにを間違ってしまったのか、修正することはできるのか、なにをするべきなのか、考える礎としなければならない。

そのことを忘れたくなくて、やっぱり記しておこうと決めた。

○○君、どうか、安らかに。ごめんなさい。姿を目にするたびに気になりながらも、気にしないようにB家にばかり目を向けてしまって、ごめんなさい。

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「生きる喜び」は一つの常套句である。
もし、人の一生を天秤にかければ、喜びよりも悲しみが多い。
(アントニ・ガウディ)

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2019年、フェアトレードでパレスチナからオリーブオイルやザアタル、石鹸、刺繍製品を輸入販売するパレスチナ・オリーブ代表の皆川万葉さんと共著『パレスチナのちいさないとなみ』(かもがわ出版)を出版しました。パレスチナの「おしごと」をテーマにした一冊です。お近くの書店でお取り寄せが可能です。

パレスチナ・オリーブのサイト
http://paleoli.org/

読後のご感想もお寄せいただければ幸いです。
ネット上でのご投稿やご感想、レビューなどには #パレスチナのちいさないとなみ をつけてご投稿ください。

もちろん、本に挿しはさまれたハガキや、版元ページのご感想記入欄でも。

ネットでは、下記のリンク先などでご購入いただけます。

★『パレスチナのちいさないとなみ』
版元のかもがわ出版のページ
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ha/1026.html


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★過去の著作★

★『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624411022
 
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★『パレスチナ・そこにある日常』(未来社) 
版元の未來社のページ
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624410919

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