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「大丈夫か?」、辛い心情を吐露するたび、心配していろんな方がそう声をかけてくださる。ありがとう、ワタシは大丈夫。どうか、ワタシのちいさな苦しみを心配するよりも、現地の方々が日々直面させられている大きな苦しみを心配してください。そして、ワタシを心配するよりも、現地で起きていることを、周りの誰かに伝えてください。

友達のお兄さんがパレスチナで検問所の兵士に射殺されたこと、お兄さんの死を受けて、友が数年ぶりに故郷に帰ることを決めたことをブログに書いた。すでに書いたことは、ここでは繰り返さないので、こちらを。
http://mikairvmest.livedoor.blog/archives/8478879.html

その友が、今日連絡をくれた。「いまは危険だから帰ってくるな」というご両親のお言葉を受けて、故郷に帰ることを断念したと。

ワタシも「友が無事に帰ることができて、ご家族と一緒に苦しみと悲しみを分け合えればいいな」と願っていた。遠く離れた場所で、誰とも苦しみも悲しみも分け合えずにいるより、ずっといい。だから、とにかく無事でと願っていた。

強くそう願っていたのは、「故郷に帰る」という、ただそれだけのことが、パレスチナ人にとってはどれほど困難で、危険すら伴うことかが分かるから。私たちの多くは、コロナ禍で初めて「自由ではない」「制限される」ことの意味を実感したかもしれないが、パレスチナ人はずっと占領と抑圧と封鎖によって、人為的かつ意図的に、さまざまな形でそれらを強いられている。自治区在住のパレスチナ人も、イスラエル在住のパレスチナ人も、国外に在住のパレスチナ人も、それぞれ。

国境はすべてイスラエルに管理され、パレスチナ自治区に無事に入れたとしても数々の検問所なども存在する。恒常的な検問所だけでなく、いつなんどきお兄さんが射殺された現場のような検問所が設置されるかも、イスラエル軍の思惑ひとつだ。

国境で入国の際に挑発されて、弾圧を受けることだってあり得ない話ではない。いろんな意味で「狙われる」ことだってあり得る。どんな危険が待ち受けているかわからない。具体例をあげることは避けるが、国外に出よう、国外から帰国しようとした多くのパレスチナ人の友達から、その困難や嫌がらせなどの例を聞かされている。占領され、徹底的に個人情報も含めて管理されているということは、そういうことだ。人びとの出たい、帰りたいという切なる望みにつけこんでくる。

そのうえ、友の故郷の実家周辺には、兵士も情報を売り渡す人間も多く配置されていることだろう。パレスチナではどなたかが殺されると葬儀や抗議集会などがあり、通常それを弾圧するために、多くの人員が配置される。国外に生活の拠点がある友が、どんな危険な落とし穴にはめられるか分からない。

だから、普通に旅行するひとに「道中ご無事で」というのとは全然違う種類の、「どうか無事で」という切なる願いを抱いていた。

ご両親は「子に会いたい、悲しみを分かち合いたい」と、どれほど強く願っていらっしゃるだろう。それでも、なお、すべてを飲みこんで、わきに置いて、子の安全を優先させるために「いまは、帰ってくるな」と告げなければならない、その苦しみ。

何重の苦しみを強いるの?どれだけ苦しめたら満足するの?終わらせてくれるの?こんな世の中は狂っている。でも、この狂った世を、無関心や沈黙でつくりだしているのは、ワタシ自身なのだ。

ご飯を食べようとすると、友はちゃんと食べているのかな?と案じる。眠ろうとすると、友はちゃんと眠れているのかな?と思う。そのたびに、泣きだしそうになるけれど、泣いていいのはワタシじゃない。泣く資格すらないように感じる。

いまはただ、静かに見守ることしかできない。見守るって言ったって「見える」わけじゃないので、実際には、ただ静かに待つことしかできない。ときが過ぎるのを。ときが来るのを。友がまたどこかに歩み出せるまで。

オサマさん、どうか安らかに。どうか友を天国から支えてあげてください。祈るしかない。毎日、毎日。