世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著、かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: エジプト里帰り日記2008

最後の夜。まったく悔いなく、晴れやかな気持ちでパソコンに向かっている。

最後の一日は、迷おうとも、どうなろうとも、気の向くままにイスラミックカイロの奥深くへと決めていた。朝の十時半にダウンタウンの宿を出発して、大体の方向感覚だけを意識して、地図も見ず、通りの名前も見ず、とにかく人々の息吹の感じられる町を歩いた。ありとあらゆる問屋街、家具や金属細工の職人街、何でこんなところへ!と出会う人々に驚かれながらも、ガイドブックや地図には載っていないような道をとにかく歩きつくした。勿論、時々進むべき方向が分からなくもなり、地元の人に広い通りを何度か指し示されながら、たくさんの笑顔に出会いながらただひたすら歩いた。

そして、昼過ぎにようやく迷路のような町を抜け出し、死者の町へ。以前にも書いたように、イスラエルとの戦争で住む所を失ったシナイ半島の人々や、爆発的に増える人口のために、中世の貴族の墓だったこの町に、多くの人が住み着いた。ガイドブックには貴重品は身につけて行かないようにとか、ごくまれに強盗や傷害事件に遭う外国人もいると書かれているので、後輩も一緒のことだし、最大限に振る舞いに注意しながら歩く。精一杯アラビア語で挨拶しながら、マズイと感じたらすぐに身を引きながら、大通りの場所を常に意識しながら、古くからある中世の墓や、モスクを訪ね歩く。途中、サンドウィッチを食べて行け、お茶を飲んで行け、たくさんの親切を受けながら、進んでいく。一番の目的は、苦しい生活の中でもメッカへのハッジ、巡礼を済ませた人と、その人の家の壁に描かれたハッジペインティングに出会うこと。そんな人を捜し歩きながらの散策。この町には裸足の人や、身なりの貧しい人が多いことも確かだが、これもまたカイロの一つの側面。

15時ごろ、ようやく歩みを止め、2005年にオープンしたばかりの丘の上に造られたアズハル公園へ。広大な敷地に緑が生い茂り、イスラミックカイロを一望できる展望台やレストランがある。ここで噴水のそばに陣取りランチ。歩きつかれた体を癒す。ここで夕暮れを迎えようと、芝生で寛ぎながらモスクのミナレットの向こうに見える夕日を眺める。真っ赤に染まるイスラミックカイロ、響き渡る夕暮れのアザーン、あまりの美しさに、ただただ身を委ねて夕暮れのカイロの町を眺めた。

また帰りも、バザールのハーンアルハリーリで最後の買い物を楽しみ、アタバの地元の人用のスークや問屋街を歩きまくり、帰り道に友達に挨拶しながら帰ってきた。所要時間11時間の旅。ただひたすら自分の足で歩き、みつめたカイロ。

最高の締めくくり。

寂しいし、帰りたくないけど、不思議とああすれば良かった、あそこに行けばよかったなんて悔いはまるでない。出会うべきものに出会い、撮った旅。

エジプトが好き。言葉に尽くせないくらい。

またすぐに、帰ってこよう!
出会ったすべての人に、ありがとう。

もういよいよ残り少なくなってきました。その残り少ない時間の中でどこへ行くか、やはりここは外せませんでした。

カイロの中央駅から急行電車に乗って一時間少々、田園風景の中を抜けて辿り着いたのは、大好きなタンタ。何年か前のガイドブックには特に見所なしと書かれ、最新版のガイドブックでは遂に記述から外された町!そんなの関係ない、見所の有無なんて自分で決めるさと行ってきました。

何度か書いたとおり、この町はモロッコ人のスーフィ神秘主義者のアハマドバダウィのモスク。正統派からは異端ともされがちなスーフィ教団、このモスクでも聖者への願掛けのような場面が見受けられます。そして、このモスクを中心に門前町として栄えた町。いつも家族連れがモスクの周りに集い、子供は玩具を買ってもらい、大人の女性は新しい服を買ったりします。そのためにモスクの周りには、玩具屋、衣料品屋、お菓子屋が立ち並び華やかな門前町です。

その一方、豆と綿花の集積地としても有名な地。とにかく商業が盛んで大きな問屋さんも立ち並びます。今日はやけに静かだと思ったら、日曜日は基本的にタンタの商店、問屋は休みだそう。ひっそりと静まり返った裏道を歩いていると、見覚えのある光景が。なんと、以前、タンタのタブラ職人の記事で紹介した職人さんに再会!突然の珍客に戸惑いながら、それ以上に驚きながら、温かい笑顔で迎えてくれたファラグさん。再会を喜び、またもやお茶をご馳走になり、またもや後輩共々太鼓をプレゼントされおいとま。

やはり、タンタは最高。出会う人々の笑顔の温かさが桁違い。この町の、とあるモスクの建築方にたまたま興味を抱いていたかつての友人のお陰で偶然出会った町。こんなにも長く、深い付き合いが出来る場所になるとは。人生ってやっぱり面白い。今日出会ったたくさんの笑顔に、またファラグさんと再会できたように再び出会えますように。

いよいよ、カイロを離れる日まであと二日。

悔いのないよう、たくさんの笑顔に出会いたい。

今日は別行動でいいと、慈悲深い後輩に言われたので、大喜びで一人で出歩いた。性格上、負けっぱなしとか許せないタイプなんで、向かった先はカイロ動物園。あの酷い記憶のままトラウマにしてなるものかと、バスに乗って一人で乗り込んだ。

平日だったので、園内は大人のグループか、幼児連れがほとんど。タチの悪い年代もあまり居なくて、みんなそれぞれに時を過ごしている。まったく穏やかそのもの。暇を持て余して他人を襲撃する悪ガキも居なくて、安心して園内を今日こそは一回り。クマ、トラ、カバ、チンパンジーなど前回見ることが出来なかった多くの動物を見ることが出来て大満足。

昔の記憶を辿りながら、動物園から昔よく歩いたドッキ地区を散歩し、大型スーパーを目指して色々買ってメトロに乗って帰る。

夕方カメラの充電とカードのデータを移して、この旅最後のスーフィダンスへ。

演奏を聴きながら、踊りを観ながら、彼らの表情を全力で追う一時間半。あっという間の時間。終わってから、演奏家やダンサーのみんなにお別れの挨拶。今まで何度も繰り返してきた。そして、またこうしてここに戻ってきている。みんなも、自分自身もそれが分かっているから、くだらない感傷よりも、また会おうと笑顔での別れを。今回、フセインモスク裏でのカフェでの演奏共々一番お世話になったダンサーのサーベルに、一番大きな感謝を込めてお別れを言う。

いつもいつも、何年経っても、まるでつい最近別れたばかりのように温かく迎えてくれるみんな。そんなみんなに会いたいから、こうしてまた戻ってくる。

エジプトが大好き。エジプトで待ってくれている、笑顔で迎えてくれるみんなが大好き。それをひたすら痛感する夜。

エジプトを離れる日まで、あと三日。

夜行電車で眠れなかったので昼寝をして、起きて観光客用のエジプト料理屋フェルフェラにご飯を食べに行く。朝昼夜兼用。隣に友達が働いている会社があるので訪ねてみると、ようやく在席で再会!昔話に花が咲く。フェルフェラではエジプト肉料理のカバブ、コフタを注文。でもやはり、観光客プライス、高いなあ。

今日は金曜日。イスラームの国エジプトでは休日なので、友達が出演するカフェのライブに再び赴く。イスラーム地区のフセインモスクから大バザール、ハーンアルハリーリのあたりは金曜の夜は特に大賑わい。モスクの周りに集い、食べ、お茶を飲み、おしゃべりに興じるエジプト人でごった返している。そんな人波を掻き分けて、カフェに到着。早速一番目の席に通され、すっかり盛り上がった演奏に聞き惚れる。夜中まで約3時間、地元の常連客と一緒に歌に踊りに演奏にを楽しみつくす。今日は私も常連さんを真似て20ポンドのお捻りを演奏家達に渡す。

普通は決して男性の前でタバコや水タバコなどは吸わない女性も、この自由でさばけた空気のカフェでは思い思いにタバコの煙をくゆらせている。勿論、決して真面目な淑女の方々は遊びには来ない場所なんだろうけど!曲の盛り上がりに合わせて女性達がベリーダンスを踊り、豪快なダンスにも札びらが舞う。ある種の退廃的な自由さが漂うこの空気がたまらなく好き。

いやあ、楽しかった。やっぱり人間の生き様が見える光景が好き。多様な人間模様が見えるカイロが好き。

明日のスーフィダンスに出演もする、演奏家の友達に別れを告げて12時頃家路へ。明日は、いよいよこの旅最後のスーフィダンス。悔いの残らないように、しっかりと目に焼きつけよう。

あっという間に、帰国まであと4日。

二泊、車中泊二泊五日、実質三日のアスワン、アブシンベル、ルクソール弾丸ツアーからカイロに帰ってきました。

撮影してきた写真を交えて、細かい旅のエピソードはおいおいお伝えするとして、アウトラインをお話しすると、個室コンパートメントのリクライン出来ない、暗い6人がけの座席に見知らぬ6人が集う気まずい一晩の車中泊一泊目。寝れないし、室内は以上に寒いし、アスワンまで15時間、まさに悪夢でした。明けない夜は永遠かと思えた。

そして長い夜行電車のたびを経てアスワンに到着。早速貸切の車とガイドとが用意され、巨大人造湖ナセル湖に浮かぶカラブシャ神殿に行き、なんと贅沢なことに他には誰も居らず遺跡全体が貸切状態!静かな神殿を堪能しました。そのあと、ナイル川に浮かぶフィラエ神殿へ。ここは観光客でごった返していたけれど、さすがに見ごたえのある遺跡でした。翌日が早朝3時出発なので、夜のフリータイムにはアスワンのスークをぶらつき、駅前のエジプト料理食堂でご飯を食べ、早めに宿に戻って就寝。

早朝起床はアブシンベル行きの為。3時にホテルにワゴン車が迎えが来て、同じようにツアーを申し込んだ他の客を各ホテルで拾い、真っ暗な砂漠の一本道をひたすら南下すること3時間、ようやくアブシンベルに到着。前回行ったときは、まだ陸路での移動が解禁になっておらず飛行機でしか行けなかったので観光客の数も少なかったが、今回は大型バスが何十台も連なり、神殿内は観光客でごった返していた。一部、神殿内並ばないと入れなかったり、ゆっくり見れなかったり、他の遺跡同様現在では内部の写真撮影も禁止なので、前回ちゃんと見て、撮っておけば良かったと、またもや頭によぎってしまいました。でも、20メートルのラムセス2世像は何度見ても圧巻!キリリと凛々しいスターチューに見とれました。

アブシンベルからアスワンに戻って、ナイル川をフルーカと呼ばれる帆船に乗って対岸に渡り、古代のエジプトの貴族達の墓である岩窟墳墓群へ。ここもまた貸切状態で、ガイドの説明を聞きながら貴族達のかつての暮らしに思いを馳せました。こうしてアスワンはタイムリミット。このあたりに多く暮らす、エジプト人ともまたルーツの異なる黒人系のヌビア人が独特の文化の中で暮らすヌビア村や、ヌビア博物館にも行きたかったけれど、また次回の課題。課題が残ればまた来るモチベーションが上がるしね。

アスワンから3時間ほどかけてルクソールへ。その夜は到着が遅かったこと、駅からダイレクトにホテルに送り届けられたので、いまいちホテルの場所が町のどのあたりなのか把握できなかったことから、ホテルの周りの通りだけ迷わない範囲内で散策。夕食のとれる食堂を探すが、繁華街と反対方向をチョイスしてしまったようで手頃な食堂が一軒も見つからない。ふと諦めかけた先に一軒のサンドウィッチ屋が。招き入れられ、エジプシャンハンバーグとも言うべきコフタと、エジプシャン炭焼き焼き鳥とも言うべきシシタウークのサンドウィッチを頼む。一緒にサラダと揚げたてのポテトフライも。しかも、これも食べてみなと、炒めたてのレバー、キブダも皿に乗せてくれる。温かく素敵なおやじが営む小さな食堂。最高のご馳走でした。

さてさて、ずいぶんアウトラインだけのつもりが長くなった。

翌日のルクソールはひたすら遺跡めぐり。王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿、メムノンの巨像、ルクソール神殿、カルナック神殿、ガイドの話を聞きながらだと古代の王の人間像がリアルで面白い。そしてフリータイムにしてもらって、最後に町をぶらつく。とうとう時間になり、またカイロ行きの夜行電車に乗り込む。

こんな弾丸ツアーでした。

↑このページのトップヘ