世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著、かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: アフガニスタン 2010

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まず、冒頭でアフガニスタンで「爆弾テロ」に巻き込まれたアクバルへのカンパのお願いをしてしまおう。

アクバルはワタシの大切な友人。支援活動に携わるアフガニスタンの山の奥の学校への訪問時に、いままで二度運転手を務めてくれ、一緒に過ごすうちに、彼はかけがえのない友人となった。
(詳細は過去のアフガニスタンの記事をご覧ください)
http://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/18967967.html

http://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/34925022.html

2008年、カンダハルで仕事中だった彼は、「爆弾テロ」に巻き込まれて重傷を負い、一年間の入院、リハビリ生活を終えて、不自由な体を抱えながらも、その「日常」に戻ろうと、懸命に努力を続けている。

しかし、労災があるわけでもない、懸命に復帰した運転手の仕事も、体が不自由なアクバルには、まわってくる仕事が限られている。入院で百万円近い借金を背負ってしまった。アフガニスタン人の収入からすれば、天文学的な数字だ。

幸い、サポートを呼び掛けてきた山の上の子どもたちへの支援は、多くの会員や賛同者の皆様のおかげで順調におこなわれている。だとしたら、ワタシは個人的に、アクバルが不運にも背負わされてしまった借金を減らすために、できることを一緒にしていきたい。

昨年は、個人的に仲間とふたりでアクバルにカンパを渡してきた。でも、所詮ふたりで出来ることは小さなことだ。だから、皆さんに広く呼び掛けたいと思う。

ご賛同いただける方は、お知らせください。

昨夜、宮古で集ったボランティア仲間たちと飲んだ。その席でボランティアや活動に「偽善者」という言葉を浴びせられて辛いと漏らした仲間がいた。

ワタシも、そういうことで悩んだ時期がなかったといえば嘘になる。キツイ言葉を浴びて悩んだこともないわけではない。でも、何かをするってそういうことなんだと思う。それが怖くて黙ってじっとしていられるのか?と問われれば、答えはノーに決まっている。偽善者で結構。その行動を、誰のために、なんのためにおこなうのか、それが自分のなかでブレなければ、それでいい。

ボランティアなんて、ひとのためじゃない。自分のためだ。

誰かが喜んでくれればうれしい。誰かが少しでも楽になってくれればうれしい。たくさんのひとと出会って、つながることが出来たら嬉しい。ただ、それだけのこと。

宮古のひとに「日常」が戻ってほしいから、宮古に向かう。カルミーやハイサムに笑ってほしいから、白血病の治療費のカンパを届ける。アフガニスタンの子どもたちに夢をかなえてほしいから、支援活動をおこなう。アクバルに幸せになってほしいから、不運なだけで背負わされた借金を減らす手伝いをする。

どれも、たまたま出会って、たまたま心が通じた人たちの笑顔がみたい、ただそれだけ。

何年も前の夏に、「支援活動はタカリだよ、でも誰のためにタカるのか。それがハッキリしているのなら堂々とタカレばいい」と教えてくれた、ボランティア活動の大先輩の言葉を、ワタシは常に思い出す。

あと、宮古の海鮮セットのご注文
http://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/36900695.html
こちらは、今週いっぱい7月2日(土)にいったん締め切りを設けます

カルミーへの白血病治療費支援
http://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/35235869.html

山の学校支援の会を通じての、ポーランデ村の子どもたちへの支援
http://www.h-nagakura.net/yamanogakko

も、引き続き宜しくお願いします。

アクバルへのカンパは、今年の夏から秋に予定されている「アフガニスタン山の学校支援の会」公式訪問に参加するスタッフが、責任を持ってアクバル本人かアクバルの兄のヤシン先生にお渡しします。

今日の記事の写真とは少しズレるけれど、一緒にこのアフガニスタンの学校への支援活動を続ける仲間に「被災地ボランティアへ行く方法を探っている」と前回の会議の日に話したことがきっかけで、5月に震災で壊滅的な被害を受けた某地へボランティアに行けることになった。

ひとりでやみくもに行くのも却って迷惑だろう、そもそも車のないワタシには被災地までのアシもない。東北にツテもないワタシには受け入れ先のツテもない。そう思い悩み、ボランティアをツアーとしてパッケージしている団体で行く方法も探ってみた…でも、何かが違った…。

震災以来、京都で写真展をやっているときも、東中野で写真展をやっているときも、やっぱりワタシは悩んでいた。自分にしかできないこと、自分だからこそできることをやる、自分がいま立つ場所で自分の日常を送る、そのことももちろん大切だと分かってはいても、どうしても直接この目で被災地をみて、被災地を踏んで、被災された方々の声を聞いて、そしてその場所でできることを探ってみたいという思いが頭から離れなかった。

被災地へ出向くために、急遽、GW前半は連日連夜働いて、GW後半からは現地入りすることになった。なんの特殊技能もない自分が現地でできることなんてタカが知れているだろうけど、でもきっと無駄じゃないはず。

アフガニスタンから、義援金が届けられたと聞いたときには、胸がつまった。某政府高官がアフガニスタンを支援する復興会議で「いつか支援される立場ではなく、支援する立場になれるといい」と口にしたことがあった。「自立」できること、その可能性を示されることこそが、一番の「支援」だと思う。支援はお金やモノを渡せばいいというものではない。被災地の方が、テレビのインタビューで「一日も早く自立できるように頑張りたい」とおっしゃっていた。自立こそが人間の尊厳。その意味は、アフガニスタンでもパレスチナでもよくよく考えさせられる。

ただちょっとだけ、余力のある人が、余力を失くした人に「自立」のためのお手伝いをする…そして、アフガニスタンの子どもたちが、それぞれの未来へと羽ばたけるように、そんな思いで続けている活動と同じように、被災地でも未来につながる何かがお手伝いできるといい。

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2年生ルビナ

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2年生の授業、担任は新任のハーン・ミルザー先生

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3年生の担任はホラム先生

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3年生マリアム

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6年生マリナ

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5年生シャボナ

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用務員二ザメディーンさんが合図の鐘を鳴らす

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5年生の生徒たち

パレスチナや沖縄や動物園や写真展…この一年もバタバタと過ぎて行った。そのバタバタのなかで、アフガニスタンの未公開エピソードも写真もたくさん残してしまったことに、今更気づかされる。

ちょうど昨年の今ごろ、インドのデリー経由でカブール入りした。カブールの空港にはやせ細ってしまった(いま思えば、病気だったんだから当たり前だ)サフダルが迎えに来てくれていた。わざわざ、体調が悪いのに、山のうえから二時間も歩いて下の町に降りて、そこから三時間ほど車を乗り継いで迎えに来てくれたのだった。

もう三年も会っていなかったのに、その間の空白なんてなかったかのように「ミカ、久しぶりだね。元気そうでなによりだ。本当に再会できて嬉しいよ」とサフダルは微笑んでいた。その懐かしい微笑みに、「ああ、ようやくアフガニスタンに帰ってこれた」と心が溶けた。

カブール市内で、学校備品の買い物などを片付けて、いよいよ山のうえに出発の日、門を開けたら朝の光のもとにアクバルが立っていた。ビックリするほど、マンガのように心臓がドクンと音をたてた。本当に信じられなかった。二年前、テロに巻き込まれ瀕死の重傷を負った彼が、目の前で笑っているなんて。「ミカ、久しぶり」元々細いのにさらに痩せて、言葉に尽くせない苦労のせいか少し若々しさを失ってしまったように見えたアクバル…でも、その微笑みは、まぎれもなく三年前と同じだった。

そして、ボスの大切な人たちのお墓にお参りして、花を供えて、もう生徒たちは下校してしまった学校へと向かった。車に積んであるすべての備品を倉庫に入れるために。そして、学校で遊んでいた生徒たちに出会った。初めて会う、小さな一年生がワタシたちをみてはにかんだ。

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三年ぶりにアクバルと再会

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山へと向かう道中で出会った農民のおじさん

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草をはむ牛

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墓参りの帰り、山道を降りていくサフダルの後姿…きっと、このときもしんどかったんだろうな…どうして気づいてあげられなかったんだろうな、死に至るほどの病だったってことに…

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学校で遊んでいた新一年生のセジャート

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アフガニスタンにも、春がやってきた

春になると、アフガニスタンの夢をよく見るようになる。あの山のうえの子どもたちも、雪解けが始まって、元気に新学期を迎えている。そんな時期だから、きっと深層心理として、なにげなくあの山の人たちのことを考えているのだろう。

昨年、アフガニスタンに三年ぶりに行ったのも、ちょうど去年の今ごろだった。春になるとアーモンドやアンズの花が咲き乱れ、キレイなアフガニスタンの景色はますます華やぐ。

マリナはもう7年生だ。日本でいうと中学生!初めて長倉さんが撮った山の学校の子どもたちの写真のなかからマリナが気になったのは、彼女が2年生のときのことだ。そしてマリナに実際に対面することが出来て、たくさんの子どもたちと仲良くなって、ワタシにとってアフガニスタンのあの山のうえは、特別な場所になった。

昨年は、校長先生が結核で亡くなった。ワタシにとっては、「校長」というよりは、ほぼ同年代のひとりの友だった。最後に別れたときの、サフダルの手を振る姿はいまでも胸の奥に残っている。また会えると信じてた。「また来年!」なんの疑いもなくそう言って別れた。もう会えないって分かっていたら、もっと大切にすべきだったことがたくさんある。アフガニスタンでも、パレスチナでも、そういう出会いと別れがたくさんある…。だからこそ、いまこのとき、を大事にしなければいけないんだ。

今年も、新入生があの山道を駆け下りているんだろうな。学校に行けることにワクワクしながら。学校に行けるということが「特別」でもなんでもない日本では考えられないくらい、山の子どもたちは、学校が大好き。そんな子どもたちの背中を後押しし続けられるように、ワタシたちは活動している。

サフダルの遺児たちが、せめて中学を出られるまでは…と、育英基金へのカンパを呼び掛けている。アフガニスタン山の学校支援の会の会員の方々から、多くの志が寄せられた。サフダルの遺児だけでなく、父親を失くして、経済的な苦境にある生徒たちをサポートしていけるように、というのが、会の目標となった。

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お世話になったヤシン先生の家での朝食

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(去年の)1年生、ニギナ

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(去年の)4年生、マジャミン

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(去年の)7年生、シュワイブ

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(去年の)6年生、バシールと未就学児の弟

みんな、無事に進級できたかなあ。

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今までに何度かお仕事を頂戴している労大出版センターの発売されたばかりの「まなぶ」10月号に、「アフガニスタン・山あいの村に生きる人々」という巻頭グラビアページを4ページいただきました。

山あいの村はもちろん「山の学校」があるポーランデ村。

子どもたちの学びの姿や、家での様子など、写真十点をグラビアにしていただきました。

この「まなぶ」は月刊誌で、一冊450円。労働問題や時事問題などに力を入れている雑誌です。

もしよろしければ、お手にとってご覧ください。

最寄りの書店に注文、またはhttp://www3.plala.or.jp/rdsyupan/manabu/manabu.html からお問い合わせください。

興味ある人には内緒で…なんて申しておりましたが、公開します。

ちなみに画像は、このページを組みたてるためのイメージづくりのため、手書きでつくってみたもの。

これが、実際にはどうなったのか…お楽しみに(笑)

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