世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著、かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

カテゴリ: 極東ロシアにて

ウラジオストクで仕事(壁画の撮影)以外で一番楽しみにしていたのは、なんといっても沿海地方国立美術館。駅前の通りアレウーツカヤ通りを街中というか中心部の方へ歩くとある。1966年の開館。モスクワのトレチャコフ美術館から移管された作品がコレクションの中心とのこと。イコンから近現代までのロシア絵画が展示されている。

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沿海地方国立美術館の外観。次の企画展は『ボッティチェッリ展』だったみたい。いいなあ。

朝イチで開館時間に気合を入れて乗り込むが、入口のセキュリティ係の男性に「ちょっと待ってて」と言われるばかり。ロシア語でなにか説明してくれているのだが、残念ながらロシア語をほとんど理解できないので、「待って」ということ以外がわからない。男性も、ちょっと困り顔。幸い外と違って館内は暖かいので、入口でひたすら「なにか」を待つ。

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暇なので、写真を撮らせてもらった。ちょっと困り顔。でも、親切さとか気配りはシッカリ伝わってくる。

どうやら、待っていた「なにか」は、チケットを売る係の人だった。その方は館長さん?学芸員さん?お金などの貴重品を管理なさっている「エライひと」だったみたいで、英語も堪能でいらっしゃいました。「おはようございます。お待たせしてしまったみたいですみません」と英語で言われた。ちなみにこの同じ場所で、チケットのほかに図録や美術館のグッズなども買える。ハバロフスクもウラジオストクも、クレジットカードが使えるところが多い。これが結構助かった。

さて、館内へ。最初はイコンの部屋から。
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いつか、正教のイコンとかモザイクとか、集中的に観てまわるような旅がしたい。

つづいては、肖像画。ひとの写真を撮ることが好きなので、絵も肖像画が大好き。
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エカチェリーナ二世かな?
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実は、この部屋で一番グググッときたのが、この肖像画。描かれているのは誰なのだろうか?タイトルの英訳にはPortrait of Metropolitan M.Desnitsky と書いてある。ロシア史、ロシア絵画に詳しい方ならわかるのだろうが。本当に勉強不足が悔やまれる。この絵を描いた画家はウラジーミル・ルキッチ・ボロビコフスキー(1757-1825)現ウクライナ生まれの画家。コサックの家系で父親はアマチュアのイコン画家だったとか。ウラジーミル・ルキッチ(画家)はエカチェリーナ二世に気にいられ、サンクトペテルブルクへと移り住んだようだ。

さて、ほか展示品も紹介。
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最後はヴァシーリー・アンドレーエヴィチ・トロピーニン(1780-1857)の作品を。トロピーニンはロシアのロマン主義画家。『アレクサンドル・プーシキンの肖像』『レースメーカー』などが有名。農奴出身で40歳を過ぎるまで自由を得ることができなかったひと。

次回は次の部屋を紹介予定。沿海地方国立美術館にしても、先日紹介した極東美術館にしても、重厚な作品に背景の赤が効いているなあと惚れ惚れする。

寝食を惜しんで写真の再チェックとブログ書きにいそしんでいる、笑。「ブログを書くのが楽しい」なんてこの感覚、久しぶりだ。ブログを始めたころはこんな気持ちだったよ、確かに。誰を意識することもなく、なにを意識することもなく、書きたいことを書き、読んでもらえるかとか人目につくかとか、気にしないで書きなぐっていた日々。そんなころの気持ちを取り戻しているような。

新型コロナウィルスの襲来で仕事が吹っ飛んだ「壮大な春休み」。ひるむな、ビビるな、いまさらなんだよ。どうせ「どーでもいーこと」「無駄なこと」しかしてこなかった、そんなことにチカラをそそいできた人生じゃないか。誰の注目も浴びない、誰の役にも立たない写真を紹介し続けるのも、こんな「暇なとき」しかできないよー。

朝早く、原稿を書き上げたので外出しようかと思ったが(いまロシアの話を書いているからというわけではないが、偶然『ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像』が観たい。レーピンの幻の名画がテーマということなので)、通知が入り書留が届くというのでずっと家で待っている。この合間に極東ロシアの旅の話を進めるところまで進めていこう。

ウラジオストクで宿泊したホテルはジェムチュージナホテル。キレイだし、一階のカフェの朝ごはんは美味しいし、ロケーションも悪くないし、すぐ近くにスーパーがあるし(スーパー好きのワタシにはこれ大事)、初日レセプションの女性があまり感じよくなかったことを除いてはよかった。ハバロフスクのホテルが良すぎたので、どうしても点が辛くなる。とはいえ、バックパッカー時代を思えば、個室、しかもお湯が出るというだけで天国。このホテルは天国以上だ。レセプション以外のスタッフの方々はメッチャ感じよかった。チェックインには早すぎるので荷物を預かってもらって早速街歩き。

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これから日に何度も対面することになるお気に入りの看板。薬局かな。毎日「おはよう、アンティーカ」とか挨拶して通り過ぎてたバカはワタシです。nに見えるのホントはpだよね、ロシア語では。

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駅前のレーニン像

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港では巨大なクレーンが作業中、しばし華麗なクレーンさばきに見入ってしまった

駅の裏側には客船ターミナル「海の駅」がある。境港を出て韓国の東海経由のフェリー(実はこのルートも検討した)もここの発着。カフェやお土産物屋さんもある。

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ガラスケースに入った数多あるマトリョーシカのなかで、ふと瞬間的に「あ、この子だ!」と、ネコのマトリョーシカを我が家に迎えたい衝動がわきおこる。衝動のままに、ケースから出してもらって、中の子たちも見せてもらってお買い上げ。お父さん、お母さん、子どもというネコ一家のマトリョーシカだった。値札が付いていて明朗会計。確か800ルーブル(約1360円)だったような記憶が。こういう買い物は、一瞬の出会いだと信じている。

港湾付近を通って中央広場の方へ抜ける。
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港でやってはいけないこと???港に限らず、どこでもダメだね。こういう看板のデザインとか、いちいちツボにはまる。こういうものを撮り歩くのが大好き。そりゃ、いつまでたっても「売れない写真家」なはずだよね。

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ガイドブックにも教会の名前が載っていないなあ、修復中かなあ?と思いきや最近読んだ本で「建設中のロシア正教会」と書いてあった。ウラジオストクといえばアムールトラ!

付き合いの長いひとは、ワタシが昔ツシマヤマネコのトラジロウに恋心を抱き、井の頭自然文化園へ、そして移籍先の盛岡市動物園にまで通いつめていたことを覚えていらっしゃる方もいるかと思うが、ツシマヤマネコはアムールヤマネコの亜種だったよな、そういえば。そんな地域に立っているんだな、自分はと感慨を抱くひととき。

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中央広場、正式名は革命戦士広場。後日開かれていた市場が圧巻だった。

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中央広場にあるお土産物屋ブラッド・ギフツはお土産物のデパート。値札が付いていて明朗会計。種類が多いので選ぶ楽しさもある。看板ネコもレジ周りに鎮座。店員さんと遊んでいる。

いよいよグム百貨店へ。ソ連時代の国営百貨店を意味するグム百貨店は、帝政時代の19世紀末に建てられたアールヌーヴォー様式の歴史的建造物。百貨店だったのはかつての話で、いまはザラが入っていたり、カフェが入っていたり。でもテナントが入らないのか、入れ替えの途中なのか?空いている場所が多かった。もっぱら寒くなってカフェの利用で飛び込んだり、お手洗いを借りに飛び込んだり。
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グム百貨店のなかのカフェ。コーヒーもパニーニも美味しかった。

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レトロなデザインのポスター、ほしい

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グム裏と呼ばれる百貨店の裏側はレンガ倉庫などがリノベーションされ、カフェやバーやショップが増えたおしゃれスポット。
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実は今回の旅、パレスチナの分離壁に描かれた壁画から始まった、いや、正確にはもっとさかのぼりエジプト留学時代に撮っていたハッジペインティング(ハッジ、メッカへの巡礼を済ませたひとの家に描くお祝いの壁画)から始まった(のだと思う、多分)壁画への興味、偏愛を軸にライフワークとして世界中の面白い壁画やグラフィティを撮ろうという壮大な(?)プロジェクトの一環としての撮影旅行。

ウラジオストクで有名なのは地元のアーティスト、パヴェルさんの仕掛けたプロジェクト、街角ペインティングプロジェクト「33+1」。ウラジオストクにはグラフィティがあふれている。
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20世紀初頭、ウラジオストクに実在した外国人スパイ「ハスキー」の肖像画。ウラジオストクにはロシア革命に干渉しようと各国がシベリア出兵した時代など、スパイが暗躍する時代があった。ソ連時代は長く軍港として外国人だけでなく自国民にすら閉ざされた街だったこともそんなに昔の話ではない。開放されたのは1992年だ。そう考えると、ロシアが力を入れて開発する極東のイケイケな勢いのある明るい街の雰囲気の中に描きこまれたこの歴史は、とても興味深い。このたびの主要テーマなので、この話は、いずれまたどこかで。

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この看板、ワタシの最高のお気にいり!「カメラは見てんだぞー!悪いことすんなよ!」みたいな?

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チェーホフ?

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散策しているとお腹がすいたので、ピロシキを買った。ハバロフスクと違って温かい(この日は-1℃とかだったかな)ので買い食いができる!ハバロフスクでは寒くてとても買い食いする気になれなかったのは前述のとおり。じゃがいもとソーセージの入ったピロシキをガブリ。うまいー、素朴ー。近年、「安近早」の観光地化著しい(だからこそワタシも「近いから行ってみよう」というノリで行こうと思ったのだが)ウラジオストクの有名店で、ガイドブックなどにも「おばあちゃんのピロシキ屋」として紹介されている「ピラジョーチニッツア」。おばあちゃん、いらっしゃいました。日本語のメニュー、ありました。

さて、次はいよいよ国立沿海地方美術館へ。ハバロフスクの極東美術館と並んで楽しみにしていたスポット。

シベリア鉄道ハバロフスク20時45分発のオケアン(大洋の意味らしい)号に乗り込んで約12時間で目的地のウラジオストクに到着。


だんだん夜が明けるころ、ベッドを抜け出して廊下で車窓をみつめ始めた。最初は真っ暗闇の中にときおり浮かぶ車のヘッドライトや、線路のすぐわきにある家や工場くらいしか目につかず。だんだん空が明るくなるにつれ、車窓からの景色が見え始めた。
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ウラジオストクの近郊駅、到着1時間前くらいの記憶
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海だー!でも寒々しい


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ウラジオストク到着間際、だんだん都会になってくる

到着後、駅の待合室を撮ったり、跨線橋からホームを眺めたり、駅舎を撮ったり、まるで鉄道好きなひと。そういうわけではありません。荷物があるので、モスクワからの9288キロのキロポストとかそういうものはあとで見学に来ることにして、とりあえずホテルへ向かうことにする。

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通勤通学などに利用されるエレクトリーチカと呼ばれる近郊列車。ちょうど朝の通勤ラッシュくらいの時間。

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待合室

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ウラジオストク駅と駅の裏側

帝政ロシア時代、何千キロも離れたモスクワから(首都のサンクトペテルブルクからはさらに離れていた)主なヨーロッパへの輸出品だった毛皮を求めてシベリアへと乗り出していったと、なにかの本で読んだ。さらに、不凍港である南の海の港の獲得はロシアの悲願。弱体化の進む清朝からアムール川左岸の沿海州を手に入れ、ハバロフスクとウラジオストクを拠点とした進出に乗り出し、この地に鉄道が建設された。日露戦争など、兵士の大量輸送が必要とされた時代であったことも理由のひとつ。

12時間乗っただけでは、シベリアの、ロシアの広大さを実感することもできないが、広いロシアの地図を開き、12時間進んで地図上のたった数センチ…という点と点を結ぶ線を目にすると、「ああ、たったこれだけか」と思わされる。その広大さを少しだけ、実感するのであった。

たった一晩、約12時間のシベリア鉄道乗車体験。ハバロフスクから20時45分発のウラジオストク行きに乗車。夜だったのでハバロフスク駅は煌々とライトアップされている。駅に入るには、大きな荷物をX線にかけ、自分も金属探知機のゲートを通る。
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売店では軽食や飲み物などが売っている。駅の二階が待合室になっていて、お手洗いもその二階の端にあった。入口で係の女性に小銭を渡して入る。一階は、近郊列車の切符売り場があったり、わりと混雑していた。

出発時間が近くなると、ホームに向かう。暗いホームに長い列車が停まっている。各車両の入口にいる車掌さんに切符とパスポートを見せて、自分の腰より高い(という印象、実際はどうだったか)入口に重いスーツケースを担ぎ上げて載せる。自分もステップに足をかけて登る。
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いよいよ四人部屋のコンパートメントへ。部屋には左右両側上段、下段にそれぞれベッドがある。下段のベッドはソファにもなる。窓側にテーブルもある。夜行なので、まあ寝るには十分。きちんとシーツやカバーもかかっている。ベッドの横は収納スペースになっている。なんでもかんでも放り込む。大きいスーツケースは下段ベッドの下に。あまりに大きいと入らないかも。部屋の中は暑いくらい。同室はロシア人女性ひとり。

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ひとがすれ違うのは難しい廊下
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列車内で販売しているもの。車掌さんに伝えれば売ってくれる。シベリア鉄道キーホルダー買えばよかったなあ。
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車掌室のすぐ前に、この写真の右の部分に大きな銀色の湯沸かし器があって、蛇口のコックを上げ下げすれば好きなだけお湯がもらえる。食堂車を楽しみにしていたのだが、昼間遅い時間に食べすぎて、残念ながら断念。こんなこともあろうかと、日本からひとつ持参していたカップ麺にお湯を注いで暗い部屋ですする。わびしい。ついでに一杯ドリップ式のコーヒーを持っていたのでコーヒーも飲む。わびしさが増す。カップはアルミ製のアウトドア用のものを持って行ったが、車掌さんに言えばカップも貸してくださるらしい。

ちなみに、海外のホテルでホッと一息つきたいとき、お茶やコーヒーがあるとそれだけで疲れが癒えるので、日本食などは基本的に持って行かないが、コーヒーは必ず持って行くようにしている。行き先に中東とかが多いもので。ヨーロッパなら外に出てカフェに入れば済むだけのことだけど。

なにもすることがない車内。鉄路を走る音だけが聞こえる。ときおりポーっと汽笛が鳴る。寝るしかないので眠る。時々停車駅でガタンと音をたてて停まったり、走りだしたり。アナウンスのようなものはなにもない。まあ、意外と眠れた。少なくとも横になれるというのは素晴らしい。エジプトでカイロからアスワンまでよくネフェルタリ号という3列ずつの椅子が向かい合うコンパートメントに乗ったが、イスが倒れるわけでもなく、横になれるわけでもなくいつもキツかった。夜行列車に乗ると、ついあのネフェルタリ号を思い出してしまう。

明け方、朝もやの中に線路沿いの家々の灯りが見えてくる。どんな人が、どんな朝を迎えているんだろう。サモワールでお茶を沸かしながら、朝ごはんを食べているのかな?のぞいてみたいなあ。

すっかり朝になると、線路沿いに建物が増えてくる。ウラジオストクに近づいているのだろう。右側の車窓には海も見えている。なんとなく寒々しいが。

車内が支度する人でざわつきはじめ、そのうち定刻より少し遅れてウラジオストク駅到着。タイミング的にたまたまかもしれないが、ハバロフスクより暖かい。スーツケースを放り投げるように出口からホームへ降ろし、自分もジャンプして飛び降りる。

ホームから駅舎へ入るにはまた荷物検査とボディチェック。階段を上り二階にあがると広い待合室がある。待合室の天井にはウラジオストクとモスクワの街並みが描かれている。
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ウラジオストク駅の竣工を宣言した帝政ロシア最後の皇帝ニコライ二世。皇太子時代に日本に立ち寄って大津事件に遭ったり、日露戦争があったり、日本とも縁がある皇帝。隣国なので、当たり前といえば、当たり前か。

そう、この近さとか隣国という感覚が、実際に今回極東ロシアを旅するまで感覚としてわかっていなかった。いままで飛行機でモスクワに行くだけでは気づかなかったこと。二時間半から三時間ほどで着いてしまう近さ、船でも行ける近さ、シベリアの先住諸民族との文化的な近さ、こういうものにいまさらながら驚く日々だった。

さて、次回は(多分つづくはず)いよいよウラジオストクの街中へ。

今日はすべてスマホの写真で構成されております。

極東美術館での濃密な時間に大満足なハバロフスク。何百年も前に描かれた絵の前に自分しかいない…という贅沢。東京の美術館では絶対に味わえない贅沢。それに似た経験は、平日昼間に行ったひろしま美術館にて、かつて味わった。常設展はものすごい豪華なコレクションなのに、全然ひとがいなくて、貸し切り状態だった。何度も何度もグルグル展示室をまわって味わい尽くしたことがあった。そのとき以来の贅沢体験。

美術館からスパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂を目指す。ハバロフスクは坂の多い街で、大聖堂も坂の上。息も絶え絶えにたどり着く。ガイドブックによるとロシア正教会ハバロフスク大主教直轄の首座聖堂で2003年建設。こちらでもお祈りをしないワタシはろうそく代を寄せることもできないので、お布施?がわりに教会グッズ(聖者が描かれたミニイコンとかカレンダーとか)を買う。
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小高い場所から見下ろすアムール川

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大切なお祈りの場所なので、無知ゆえの失礼は慎みたい。帽子を取って礼をして、内部を見せてもらう。お祈りに来ていらっしゃった方は数人。邪魔にならないようにイコンを眺めさせてもらう。教会グッズを購入しながら、「聖堂内部を撮影させてもらうことは可能でしょうか?」と拙い(しかも、もはや忘れた)ロシア語でたずねてみる。「正面のイコンの撮影ならかまいませんよ」というお返事。お礼を言ってお祈りをする方の邪魔にならないように撮らせてもらう。どんなひとが、どんな思いで、どんな願いをこめながらこのイコンを描いたのだろう。
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その夜はハバロフスクからウラジオストクに移動だったので、シベリア鉄道の食堂を体験したかった(高いわりに美味しくないとか評判は良くないが、せっかくだったので)。早めの時間に軽い昼食を…と探すも、すっかり遅くなり、軽い昼食もなかなかみつからず(というか、ピロシキとかちょっとしたパンとかの売店はみつかるが、寒くて外でかぶりつく気になれないので、結局なんだかんだ逃す)、結局夕方近くになってロシアのファストフード店ロイヤルバーガーに入り、普通に食べてしまう。ああ、なにやってんだか。
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食後はショッピングセンターぶらついたり、市場をのぞきに行ったり。
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ロシアのケーキ、かわいい

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二階から見下ろせるようになっていて、二階には食堂とかもあった

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「さあさあ、なににするんだい?」とばかりの、肉屋の女性の雰囲気がかっこいい

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トムとジェリーに出てきそうなチーズのカタマリ

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ロシアのチョコといえばアリョンカ

サーモンやら白地にコバルトブルーの陶器グジェーリ陶器のお土産やら日本や韓国からの食品やらはちみつやら。あれもこれも買いまくりたい…でも移動だから。ネコのグジェーリ焼きのマグネット、しかもハバロフスクとロシア語で背中に書いてあるベタなものを購入。若いころだったら絶対に買わなかったけれど、最近、わりとベタなお土産が好き。だって、お土産だもん、記念だもん。冷蔵庫で毎日対面しては微笑んでいる。
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肉屋さんは、なんだかグッとくるディスプレイ、光景が多かった。かわいい牛のぬいぐるみなんてシュール。

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別に昔鉄道会社勤務だったからというわけでも、鉄道が好きだったから鉄道会社に勤めていたわけでもないけれど、つい目の前を走れば撮ってしまう。ハバロフスクの街を西に東にトラムが駆ける。

ホテルに帰り、ホテルのカフェでお茶を飲みながら、駅までのタクシーを頼んで、待つ。宿泊したハバロフスクシティ・ブティック・ホテルは、一階のカフェ?レストラン?も良かったし、レセプションのスタッフの対応もメッチャ親切だったし(ウラジオストクの某ホテルとは大違い)、とてもよかった。部屋が広かったしなあ。床暖房の効いたバスルームも快適だった。

ハバロフスク、本当にいいところだった。もっともっとスキマの話はたくさんあるものの、いったんハバロフスクの話はこれにて終了。

次回(があるとするならば)、一晩だけのシベリア鉄道体験にて移動したウラジオストクへつづく(はず)。

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