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どれだけこんなことを繰り返せば、終わりが来るのだろう。

パレスチナで友達のお兄さんが殺された。

オサマ・マンスールさん。五人の子どもをもつお父さんで、お連れ合いと一緒に車で帰宅中に、エルサレムの北、ラマッラーの南に位置するビールナバーラに一時的に設置された移動式の検問所(フライングチェックポイントと称される)で兵士に車を停められ、頭を銃撃されて射殺された。

お連れ合いの証言によると、「検問が終わり、『行け』と合図されたので車を発進させたところ、銃撃された」と。

このニュースを目にしてから数時間は、ご自身も背中を銃撃され負傷させられ震える声で証言するスマヤさんのインタビューを、痛ましい思いでみつめていた。辛い気持ちになったが、ワタシ自身にもなおどこかに「他人ごと」として眺めていた気持ちがあったことを、記しておく。自戒のために。

数時間後、続報が少しずつ入るにつれ、その状況が少しずつ分かってきた。ビールナバーラがどこにあるのか、どんな状況下に起きた事件なのか。軍の公式発表は、いつものとおり「車で襲って来ようとしたから射殺した」と。いつもの繰り返し。こうやって、どれだけ多くの真実が葬り去られてきただろう。五人の子どもが待つ家に帰るお父さんが、奥さんを助手席に乗せた車で兵士を殺傷するために車で突っ込むか?

その続報のなかに、殺されたオサマさんがビッドゥのご出身だという報が目にとまった。ビッドゥ?友達の出身地じゃないか。よく考えてみれば、友達とファミリーネームが同じだ。あれ?そういえばオサマさんという名前のお兄さんがいる。でもまさかな。とはいえ、きっとご親族の方なのだろうと、友達にメッセージを送った。

通常は、すぐに返信をくれるひとだ。何時間も返信がないなんておかしい。だんだん不安な思いが募り、眠れぬ夜を過ごした。明け方、「(殺されたのは)私のお兄さん」だという返信がきた。ああ、なんということだ。誰が殺されたっていいわけがないけれど、よりによって友達のお兄さんだなんて。

心臓がバクバクして、身体が震えた。この感覚はバーセルが殺されたことをニュースで知ったときにも経験した。友達に、かける言葉もみつからなかった。なにを言っても、言葉が空虚で、言葉をかければかけるほど、友達の心をえぐる気がした。

どうしてなんの罪もない一般市民が、日常の光景のなかでこんな風に突然その命を絶たれなければならないのだろう。どうして、嘘で塗り固められた「公式発表」がまかり通り、一般市民をなんの理由もなく殺した兵士が罪に問われることもないのだろう。そもそも、占領者はパレスチナの人びとの生活の場所に無理やり入り込み、押し込んできてなにをしているのだろう。あれだけパレスチナの人びとが譲らされて得たものってなんだったんだろう。日常の平安や平穏も得られないのに。オスロ合意ってなんだったんだろう。

友達は、パレスチナから遠く離れた場所で暮らしている。この苦しみ、哀しみをご家族と一緒に分かち合うこともできない。ひとり故郷から遠く離れた場所で、友はどんな思いで兄の死を受け止めているのかと思うと、どれだけ想像しても、その気持ちを察することもできない。分かりっこない。その痛みを分かち合うこともできない。してあげられることが、なにもない。

身勝手なものだ。ワタシの苦しみなんて、そんな身勝手なものだ。

友達を含めた、ご遺族のみなさんの痛みが、どうか和らぎますように。和らぐわけがないとわかっていても、そう祈らずにはいられない。

オサマさんを殺した兵士の犯罪が、きちんと裁かれますように。真実が明らかにされますように。

もう無理だ、もうたくさんだ。そう思っているのに、容赦なく始まる一日に叫び出しそうだったけれど、実際には、時間がたてばたつほど、心も体も鉛のようで、叫び出す気力もなかった。

こんなことを記してなにになる?毎日のように、占領者の非道を目にしながら、それを止められないあいだに、どんどんひとが殺されていく。止められなければ、その数百人に一人は友人知人の縁者だろうし、数千人に一人は友人知人本人が殺されていく。

虚しすぎる。ただひたすら、虚しい。光が見えない。

オサマさん、あなたが殺される理由なんてなにもなかった。止められなくて、ごめんなさい。いつも同じようなことを目にしているのに、ワタシたちは止める努力を怠っている。見過ごしている。黙っている。

オサマさん、どうかどうかその魂が安らかならんことを。

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@mikairvmest