世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2007年12月

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月並みな言葉ですが、ご訪問くださった皆様、コメントなどを通じて深く交流してくださった皆様、今年一年本当にありがとうございました。

8月にブログを始めて以来、ブログがもたらしてくれた出会いの大きさ、深さの意味を噛みしめ続けた5カ月でした。今年はふたつの大きな出会いを与えられました。

今年、初めて支援活動をしているアフガニスタンの学校を訪問することが出来、大きな大きな出会いと感動を心に残してくれました。それが一つ目の出会い。

そして、その旅の様子を綴るために始めたブログがもたらしてくれた皆様との出会い、二つ目の出会いです。

自分にとって、大きな大きな意味のある、有意義な一年でした。それも、皆様のお陰です。

皆様、良いお年をお迎えください。
そして来年も、よろしくお願いいたします。

来年もまた、世界の笑顔に出会いたい。
そして、彼女の笑顔にも再会したい。

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以前、エジプトのお散歩話の中で、いつも一緒に散歩をするカナダ人とオーストラリア人の友について書きました。(その記事はコチラ→http://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/10148519.html

春先から何カ月も毎日家族のように(片方はフラットメイトだったので、ある意味で家族でしたが)一緒に過ごしてきた我々も、バラバラになる時がやってきました。その辺の経緯は、とてもここでは書ききれそうもないので、またいずれ。切ない友情物語でした。

オーストラリア人の友は、夏が過ぎ、カイロから南へ300キロほど離れたアシュートという小さな町で英語教師を始めました。木曜の午後、授業が終わるとカイロ駅から電車に飛び乗り、6時間ほどかけてアシュートに遊びに行くのが月に一度のお決まり旅行になりました。

アシュートはキリスト教徒も多く暮らす街として知られ、同時にイスラーム原理主義者勢力の拠点もあるとされていることから、何かと対立が顕在化しやすい街でした。これよりもっと昔、旅行者としてやってきた時には、駅を降りたとたん警察に囲まれ、「特に用事がないならこの町から出て行ってほしい」と言われたこともありました。情勢によっては、テロ対策がらみでそんな風に自由に動き回れない時もあります。

しかしまあ、この時期は比較的穏やかな時期でした。行き先を把握しておきたい警察にちょくちょく行き先を尋ねられることはあれども、行動を制限されたり、町を歩く限りはコンボイで護衛されたり、警察が付き添ってきたり、そんなこともありませんでした。人懐こい友も、アシュート生活を楽しんでいるようでした。

彼が昼間、教師として出勤している間、ひとりで街の散歩を繰り返していました。
空き地で羊を追いかけている姉弟に出会いました。羊を追いながら各地を転々とする彼らがジプシーとかロマと呼ばれていることは知っていました。彼らについて書かれた本をたくさん読んでいたし、長い迫害の歴史の中で、そうそう部外者に心を許したりする人たちではないことも。

でも、彼女は挨拶を交わした後、「弟を撮ってやってよ」と話しかけてきました。空き地に一緒に座りこんで話をしました。通りがかりの誰もが小さな親切、大きなお世話で「その子たちから離れなさい。何を盗られるか分ったもんじゃないよ」と私に声をかけて行きます。そのたびに、彼女は俯きながら唇を噛みます。私は、この子たちはそんな子じゃない、自分の直感を信じていました。例え、被害にあったとしても、盗られるものなどたかが知れているし、それはそれで構わない、と。

お父さんやお母さんは他の家畜を連れて、他の町を先に進んでいるらしく、この数十頭の家畜たちを姉弟の二人で面倒見ていること、今日はこの空き地に野営しようと考えているけど町の人から追い出されることもあること、そんなことを話してくれました。
「写真はいつ出来る?」と彼女。
「今から大急ぎでお店に行っても明日かな。明日まだここに居るなら持ってくるよ」と私。
「インシャーアッラー(神が望めば)」

翌日、プリントされた写真を握りしめ、空き地に向かいました。話を聞いた友がたくさん用意してくれたお菓子袋を持って。彼らの姿も、家畜の姿もありませんでした。

いつの日か、この写真が渡せればいいのにな。

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エジプトは某地方都市、街歩きの途中で通りに屋台を出して店番をしている女性が居ました。
ほぼ毎日同じ場所に店を出し、お客さんも隣のお店も顔馴染み、彼女にとってここに座っていることは完全に生活の一部です。
彼女に限らず、エジプトの屋台を守るお母ちゃんたちは本当に強くて、優しくて、笑顔の明るい、話好きな人懐こい人々です。彼女がどんなお店を守っていたかは忘れましたが、明るい笑顔にすっかり惹きつけられました。彼女が乳飲み子を抱えてお店をやっていたことも立ち止まった一因かもしれません。

しばらく話しているうちに、彼女の赤ちゃんが大泣きし始めました。
「あらあら、お腹がすいちゃったんじゃないの?」
周りのおばちゃんや、ばあちゃん方も精一杯あやしますが、泣きやみません。
すると、彼女は躊躇なく、勿論胸元はうまく隠しながらも、店先でそのまま子供に授乳を始めました。

確かにこの街は、いわゆるイスラームの教えに保守的な街ではないし、女性は髪こそスカーフで覆っていますが顔は出しているし、胸元まで隠れる大きなヘガーブ(スカーフ)ではなく、下町や農村女性の普段着特有の髪だけサラッと覆うスタイルです。
…とはいえ、ここは勿論、男性も通る街の中の路上、あまりに開放的なあっけらかんとした姿に一人でびっくりしていました。すると、周りのおばちゃんやばあちゃん方が口々に「写真撮れ、撮れ」…と。
何度も言いますが、イスラームの国です。人によっては顔さえ撮られることを相当嫌がります。そんな国で授乳姿(勿論隠れていますよ~)を!

びっくりたまげて躊躇しながら件の彼女に視線を送ると、「ええ。どうぞ。」…と。
周りの空気に気押されながらシャッターを切ったのでした。

う~ん…奥の深い国だ、と一人感じ入ったのは言うまでもありません。

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お久しぶりのアフガニスタンの山の上の学校のお話です。
ブログ仲間のthinkiwiさん(タイ北部のカレン族の子供の教育支援に携わっていらっしゃいます)も言ってらっしゃいましたが、書けば書くほど、最後の日、別れの日に近づくので私の場合、明らかに逃避気味です。最近学校の記事が少ないのはそういう訳です。出し惜しみです。

この12月で、寒く雪深い、子供たちの暮らす地域は冬休みになります。進級試験が行われ、3月いっぱいまで長い長い冬休みです。子供たちはようやく年に一度の恐怖のテストを終えたことでしょう。点数が足りなければ、容赦なく落第です。家の仕事もあるため、毎日授業に出られる訳ではないので、ある意味仕方のないことですが。

さて冬休みの間、子供たちは何をしているのか?
まだ積雪がさほどでなければ、家畜を外に連れ出すでしょう。食料となる薬草となる山菜類も摘みに行くでしょう。氷り付いていなければ水も汲みに行くでしょう。大きな仕事は、屋根の雪下ろしです。木や藁で出来ている屋根に雪が滲みてくる前に下ろさなくてはなりません。冬休みの間も子供たちは大忙しです。

とはいうものの、日中は炬燵にもぐり込み、家族で過ごします。そんな時間に、たくさん用意した学校の図書が子供たちに持ち帰られて、読まれているといいなあ。

写真は3年生の生徒とそのお父さんの学校の先生です。大好きな一家なので、何度も記事にしていますが、この家の場合、やはり先生が就学児童の息子・娘たちと近所の子供たちにミニ授業を開いたりするのかなあ?3か月って、長いですよねえ。きっと、みんな会えない友達に会いたくてたまらないんだろうな。

いつか、長い長い冬休みを子供たちに密着しながら過ごしてみたいと考えています。

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風邪をひいてしまいました…。
昨日の勤務中は、あまりの辛さに泣きかけました。まさか、本当に泣いてる場合ではないけれど。
今日は、病院に行って、薬を飲んで、一日寝ていました。久々の休みが、こんな一日とは…。

先日お伝えした犠牲祭と、ラマダーン明けのお祝いの時期の二回、イスラーム諸国は祝日になります。ラマダーン明けの時にもお話ししましたが、子供たちは新しく買ってもらった洋服を着て、おもちゃを持って、家族同士、友人同士、町に繰り出します。元々エジプトには屋台形式のお店が路上に多くありますが、この屋台で買い食いや買い物を楽しみます。

ラマダーン明けの祝日、エジプトのルクソールで子供たちの笑顔に出会いました。
みんな、それぞれ新しい洋服を買ってもらったと、嬉しそうな顔でした。普段は大体が兄弟や親せきのお古を与えられることが多いので、そんなに洋服に思い入れの少ない男の子でも、やっぱり嬉しいようです。

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