世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2008年01月

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昨年の東京国際映画祭での上映で仕事のため見逃してしまった「迷子の警察音楽隊」を、ようやく観に行ってきました。

まだ、こういうストーリーがファンタジーではなかった、今よりずっと和平の機運が高かった90年代が時代背景です。

イスラエル国内のとある町のアラブ文化センターの落成式に、親善で招かれたエジプトはアレキサンドリア警察音楽隊。音楽より、芸術より、金儲けだとかで忙しい世界の流れを受けつつあるエジプトで、常に廃部?の危機感を持っていて、このたびの成功で存在感を印象付けようと必死の団長トウフィーク。

しかし、何故か降り立った先に迎えがなかった。自力で演奏する町へ行こうとする音楽隊の面々。ここでマジックにかけられる!

…と言うのも、大半の日本人がRとLの区別がつかないように、大半のエジプト人はPとBの違いをはっきり区別できないという事実がこの映画の「オチ」になっている!!!音楽隊が目指した町は「ぺタハティクバ」実際に辿り着いてしまった町は「ベイトハティクバ」声に出して読んでみてください。

一日に一便しかバスのない、いや何もない町で、茫然とする面々。バス停の前にある食堂の女主人が見かねて自分の家と常連客の家にみんなを泊めることを申し出る。しかし、長年敵対してきた共通点も何もないエジプト人とイスラエル人、間に流れるのは気まずく、冷たい空気。

しかし、音楽を愛する心とか、家族を大切にする心、人間の持つ寂しさ、弱さ、人恋しさ、徐々にお互いを同じだと感じ始めた一晩。ぎこちなかった両者の間に、温かな感情が芽生えていく。

瑞々しかったです。監督は私と同年代。この世代が、こういう視点でこういう作品を撮れることが希望だと思いました。

そして、第二の希望は、エジプト人の音楽隊員を演じている面々!彼らはイスラエル国内に暮らす、イスラエル国籍のパレスチナ人(イスラエルの国民の15%を占めます)。イスラエル建国の際に、国の「内側」に居た人々、およびその子孫です。彼らは、国籍こそ与えられてはいるものの、「ユダヤ人国家」が前提であるイスラエルでは二級市民扱い。勿論、そのため国防を担う兵役義務も課されない微妙な立場です。イスラエルのパレスチナ人の学校では、パレスチナ寄りの歴史などを教える事も出来ません。アイデンティティに悩む方々も多いと聞きます。そんな苦難など存在しないかのような、突き抜けた素晴らしい演技。団長トウフィークを演じるサッソン・ガーベイ(劇中ではどこからどう見ても、エジプトおやじに成り切っていました!)、団長に反発する若い団員ハーレッドを演じるサーレフ・バクリ(彼も今時のちょっと軽薄で実は心にしっかり夢とか抱えてるエジプト人の若者に成りきっていました!)の演技こそが希望でした。

政治的な話ではありません。でも、政治を抜きにはなかなかこの地域の現状が見えてきません。そういう意味で、あちこちに散りばめられてはいます。…が、温かな人間模様と、平和への希望を、笑いながら、しんみりしながら、しみじみ楽しむ素敵な時間でした。

☆追記・および訂正☆
主演のサッソン・ガーベイ氏はイラク出身のユダヤ人であるとの、ご指摘をいただきました。お詫びして、訂正いたします。言い訳がましいですが、名前からして、アラブ名ではないな、とは感じていたのですが、氏のよどみないアラビア語から、早合点してしまいました。

このように、アラブ諸国出身のユダヤ人もたくさん居ます。彼らはセファルディと呼ばれ、欧州出身のアシュケナージからの差別もあると聞きます。ユダヤ人の国イスラエルの中においてすら、同じユダヤ人ではいられないのです。

ご指摘いただき、ありがとうございました。

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皆様から大きな励ましをいただきながら、パレスチナの記事をこの世に産み出すべく奮闘中です。
辛い現実をお伝えすることが、どうしても増えてしまいますが、ではパレスチナに笑顔はないのか?暗い顔で泣いているばかりなのか?決してそんなことはありません。我々と同じように、笑顔も泣き顔も喜びも悲しみも、その日常にはあります。制限され抑圧された日常の中にも。

ヨルダン川西岸の町へブロン(アル・ハリール)の町で、建築作業に従事している青年に出会いました。へブロンの町は旧市街のパレスチナ人が暮らす地域のすぐそばに、イスラエル人の入植地が造られ、何かと争いが絶えない町です。この町については、後日語ることにしましょう。今日の主題は争いではなく笑顔なので。

青年と出会ったのは、旧市街の茶屋でした。仕事の休憩に立ち寄った彼と隣り合わせの席になりました。下手くそなアラビア語を喋る小娘に満面の笑顔で接してくれた彼と、お茶を飲みながら意気投合しました。

休憩時間が終わり、彼が仕事で手掛けている一軒の家の建築現場に連れて行ってもらいました。この町は先ほども述べたように、常に争いの緊張感と、イスラエル軍の侵攻に晒された町です。この町で家を建てるということ、何かを造り上げるということ…私は、とても複雑な心境になりました。その思いを彼に問わざるを得ませんでした。
「造っても、造っても壊される…それでも造るの?」
「ものなんてさ、いくらでも造りなおせばいいんだよ。そりゃあ誰だって自分の家が目の前で壊され、大切なものが根こそぎ潰されていくのを見るのは辛いよ。でも、それでも造ることが、パレスチナ人の意志でもあるんだ。俺たちは決して諦めない。俺たちは、何度だって立ち上がるっていう。造りなおせないのは、人の命だけだよ。」

この穏やかな笑顔に込められた思い、覚悟、皆様に伝わりますか?

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パレスチナの少し辛い記事が続いたので、今日は笑顔の大輪を咲かせたくなりました。

アフガニスタンの地方都市、チャリカールで出会った兄弟です。
お兄ちゃんの腕をしっかりつかんでいる、その手がとても愛しいです。
こういう、シンプルだけど、不変の人間の根本にある感情、大好きな家族、大好きな人といつまでも一緒に居たい気持ち、しっかりとつながっていたい気持ち、世界共通です。

世界中の人たちが、そういうシンプルだけど一番大切なものを、失わないでいられる世の中でありますように。

私の願いは、ただそれだけ。

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今日もパレスチナについて書きます。

この日私は、レバノンのサブラ・シャティーラ難民キャンプで起こった大虐殺の追悼デモが行われるというので、ヨルダン川西岸の町、ベツレヘムの難民キャンプに赴きました。この虐殺についての解説や、この日のデモの様子についてはまたいずれ書くこともあるでしょう。今日、お伝えしたいのは、あくまでもデモが終わって、その散会が進まぬうちにイスラエル軍への投石が始まり、応酬としてゴム弾が撃ち返されたその様子について。

以下、当時の日記より。
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デモ隊は、町をひと回りして、予め会場に定められていた空き地で集会となった。子供達が追悼と決意を示した作文を読み上げ、会場内の人々が呼応する。追悼の碑にはパレスチナの旗が飾られデモは終わりを迎えた。

しかし夕暮れになり、散会が進まない中で、誰からとも無く数百メートル離れた所で集会を監視するイスラエル兵に投石が始まった。罵声、怒声が飛び交う中で石を投げるのは、ほとんどが少年であった。街灯も無い薄暗い場所で、イスラエル軍車輌の赤いランプの光りだけが不気味に光る。パレスチナ警察の制止を振り切り、本格的に投石が始まり、業を煮やしたイスラエル兵がゴム弾の射撃をし始めた。あたりは騒然となり、みんなが盾代わりになる壁に隠れようと必死の形相だ。ゴム弾といえども決して柔らかいゴムの弾ではなく、鉛の弾にゴムがコーティングされている物で、当たり所が悪ければ重傷を負いかねないので、一通り撮影した後その場を離れる。

そして数百メートル先のイスラエル軍の側にまわってみると、いくつかのメディアの取材班がヘルメットに防弾チョッキ着用の重装備で取材していて、Tシャツにジーンズの自分の姿がなんとも心もとなくなる。そんな中でコンクリートのバリケードに身を隠しながら、タイミングをはかり射撃していく二人の兵士の後ろで、無線連絡などをしている兵士に話を聞くことが出来た。

「あれ?あんたマスコミの人?じゃないよね?装備軽すぎるもんねえ。まあいいか。あのガキどももそろそろ石を投げ疲れて、お母さんのもとに帰って、メシ食って宿題して寝るだろうよ。なんてったって明日は学校だしな!残念ながら休みじゃないもんな。この騒ぎ?もう終わると思うよ。今日はパレスチナ警察がデモの全責任を負ってるから、そろそろ意地でも止めさせるだろうしな。」

まさに大人と子供のけんかだ。まるで条件反射のようにイスラエル兵に投石を始め、投げているうちに本気になり、本気になったところをゴム弾で応酬され、ますますムキになる子供達。そして、それをいつものルーティンワークだとでも言いたげに適当に相手にするイスラエル軍兵士。この時は、政府レベルでいくら和平交渉が進もうとも、一人一人の心に宿る、憎しみ、嫌悪、不信、妬み、そういう感情は決して消えないんだなと感じた。石とゴム弾の飛び交う中で和平・共存の難しさを感じた夜だった。しかし、思えばこの時がちょうど、ありふれた日常のルーティンワークと本気の境目だった。

この二週間後に爆弾と実弾の応酬が始まる。
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まさに、大人と子供の喧嘩だった。
この当時は、今よりも遙かに和平の機運が高まっていた時期なので、この程度の騒ぎで済んでいた。実際にゴム弾に被弾して、重傷を負ったり、柔らかい頭部に被弾して亡くなる人も多いけれども、少なくとも実弾ではなかったし、任務中に質問に答える兵士など、緊迫感は薄かった。

現在は、子供も容赦なく射殺されている。
それでも、子供たちは、イスラエル兵に向かって行く。
家族を殺し、家を奪い、兄弟を拘禁し、畑を根こそぎブルドーザーで均したイスラエル軍への憎しみをこめて、唯一の武器である石を投げる。

あまりに多くの少年が、この戦いで命を落とした。あまりに多くの父母が、息子の死に涙を流した。
いつになったら終わるのだろう…。

1)ゴム弾の射撃が始まり、必死で身を隠す少年たち
2)バリケードから、余裕しゃくしゃくで任務を遂行するイスラエル軍兵士

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ガザの国境の壁破壊騒動に触発され、とうとう重い腰をあげて昨日書き始めた「パレスチナの詩」、皆様からお寄せいただいたご感想にパワーをもらいました。今までの記事のように気楽に書ける記事ではないので、集めた情報や自分の当時の思いを整理しながら、少しずつ皆様にご紹介したいと思います。

今回の騒動の、脇役ではあるものの、意外と重要な役どころを割り振られたエジプト、その後のニュースを見ていると打算と戸惑いと予測のつかなさと、色々なファクターに様子見を決め込んでいるようにも見えます。

エジプト人は一般的に同じアラブ人である隣人のパレスチナ人に同情的で、こういう事態が起こった時、押し寄せられた街のエジプトの市民は、パレスチナの隣人のために一肌脱ぐか、儲けのチャンスと見てビジネスに走るか、いずれにせよ歓迎ムードであることは今のところ間違いないのではないかと思います。政府レベルでは和平を結んだとは言え、市民の感情レベルでは、アンチイスラエル感情が根強いエジプトでは、その鼻をあかした今回の壁の破壊は痛快だと思われ、喝采を浴びていることでしょう。

しかし、エジプト政府はイスラエルとの和平と引き換えに、アメリカから巨額の援助をもらっている身なので、傍観することは許されず、一応治安部隊を派遣してパレスチナ人を壁の向こうに押し返し、鼻をあかされたイスラエルに協力する姿勢を演じなければなりません。一般の部隊員や市民は、誰も本気で押し返したいなんて思っていないでしょうが!

政治ってやつは!

さて本題。そんなエジプトのカイロ動物園を今日も。
動物園と言えば、家族総出でおめかしをしてピクニックにやって来るところ。レジャーシートを敷いて、お弁当を食べ、お茶を飲み、ワイワイがやがや話に花を咲かせます。子供たちは、あちこちの動物の檻へ飛び回っています。赤ちゃんと、お父さん、同じような格好で、木陰の下で昼寝をしていました。その横で静かに佇むお母さん。

こんな素敵な光景も、平和があってこそなんです。

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