世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2008年12月

最近、すべてにヘトヘトなので家に居る間は寝てばかりいる。たっぷり悪夢を見ながら。起きている間、パレスチナのことを考えるのが辛くて仕方ない。年末年始の華やかさに彩られた日本の幸せムードが辛くて仕方ない。

国連事務総長が三日連続で即時停戦を求める声明を出した。イラクにはかつて、国連決議という大義名分で攻めこみ国を崩壊させた。イスラエルに対する非難決議は、すべてアメリカが常任理事国の拒否権を行使して握り潰す。この矛盾は何?この欺瞞や大嘘や、腐りきったダブルスタンダードが何故罷り通る?

イスラエルは、ガザに攻めこむ口実が欲しかっただけ。目の上のタンコブであるハマスを潰して、再びアメリカやイスラエルの言うなりに成り下がってしまったファタハを交渉相手にして、都合よく最低限のパレスチナ国家のカタチを押し付けたいだけ。権利を殆ど奪われた最低限のカタチを。

国があれば三百人を殺してもテロと言われない。国のないパレスチナ人はやることなすことテロと片付けられる。本当に卑劣で、本当に必要のない殺しを行なっているのは誰?選挙前のアピール、レイムダック政権のアメリカが何もしないで暗黙の承認を与えている今というタイミング。そんな馬鹿げた都合で日々人が殺されていく。

今年は色々なことがあった。ブログ仲間の皆さんに出逢えたり、交流を深められたり、そのお陰で二度も写真展が出来たり、自分なりに成長出来た一年だったと思う。

でも一方で、アフガニスタンの雲行きが再び怪しくなり、最愛の友アクバルは爆撃に巻き込まれ、そして今再びパレスチナの友が命の危険に直面している。

そんな一年をいい一年だったなんて言える訳がない。ブログ上でも御目出度い言葉が並ぶなか、暗い顔して冷や水を浴びせる自分の空気の読めなさ加減を皆様には申し訳なく思うけど、どうか幸せな時こそ、その陰で苦しんでいるたくさんの人に少しだけ思いを寄せてほしい。

ガザの冬はとても寒い。セーターやコートも要るくらい。電気はイスラエルに止められているだろうし、焚き火に使う燃料すらないだろう。こんな冬に、焼け出され、家を喪う人たちのことを思うとたまらない。一年の終わりに、こんな思いを味わあせてごめんなさい。だって、それは見て見ぬふりをしている世界全体の責任だから。気付いているのに、何もしないでいる自分の責任だから。

職場に着いちゃった。皆様、よいお年を。この腐った世界が少しはキレイになりますように。

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ガザでお世話になっていた家は農家だった。難民ではなく、元から先祖代々ガザに住んでいた一家。彼の家は農業の傍ら、小さな商店を経営していた。どこにでもあるような小さなスーパーマーケット。

この日は、朝から飼育していた鶏をさばいて、近隣の住民に鶏肉を売る日だった。大きなドラム缶のような大鍋にグツグツと煮えたぎったお湯が張られ、そこに首を落とした鶏をしばらく突っ込んで毛をむしりやすくしてから、毛をむしる機械の中に入れる。小屋の傍らでは、自分の運命を知ってか知らずか、鶏たちが大騒ぎ。

一家総出で、大人も子どもも作業を手伝い、見守る。ちょっとしたお祭りムード。今の日本では想像もつかないかもしれないが、食卓に肉がのぼるなんてガザではまだまだ特別なこと。ハレの日のムードが漂っている。

そんな楽しい作業を見守り、子どもたちの歓声を聞きながらニ階でお茶を飲んでいると、突然ピシピシという鋭い音がのんびりムードを切り裂いた。台所に居たお母さんとお姉ちゃんの悲鳴、「伏せろ、床や地面に伏せろ!」と叫ぶお父さんの声。ヒステリックに泣きわめく赤ちゃんの泣き声。

数分が経った、数十秒だったのかもしれない。もう銃弾が飛んでこないと判断したお父さんは、家族全員の無事を確かめて回った。運良く、被弾した部屋には誰も居らず、壁や窓ガラスが穴だらけになっただけで済んだ。

「イスラエル兵が監視所から撃ってくることもある。その向うの入植地から入植者が撃ってくることもある。そういうことが頻繁にあるけど、そのたびに子どもたちが恐怖で引きつけを起こしたり、パニックになって泣きやまなかったり、色々なことが起こる」

怯えきった青い顔で、父親に命じられて散らばった弾丸を拾う子どもたち。小さな手のひらの上に載った鉛の弾。この小さな弾が日々普通の暮らしを営んでいるだけの人々の人生を切り裂く。

撃ち込まれたこの家はテロリストの拠点だろうか?庭先の小さな小屋で製造されていたのは武器だろうか?大抵、イスラエル軍の報道官は襲撃した場所を「テロリストの潜伏したとみられる家…、テロリストの武器製造所…」などともっともらしく説明する。でも、私が目の前で見たのは、小さな子どもと農家のおじさん達が「鶏をさばいていただけ」という光景。ここに銃弾が撃ち込まれるどんな理由があるというのか?

お父さんは怒りも湧かないと言う。「ただただ、みんなが無事で良かった」と。

でも、もし運が悪く、無事では済まなかったら?

そして、無事では済まなかった何千人もの悲鳴が今日もガザ中にこだまする。

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自分が見てきたことを綴ること、撮ってきた写真を公開すること、思いのたけを綴ること、それらに意味がないなんて絶対に思わない。一緒に感じて、一緒に痛みを共有してくれる人たちがいる限り、それが無駄だとは思わない。

だけど、圧倒的な悲しみの前で、あまりに自分が無力で悔しくなる。見てきたこと、聞いてきたことを最大限伝える努力をしていない自分の不甲斐なさに、出会ったパレスチナのすべての人たちに申し訳なくなる。

もう、自分が見てきた、撮ってきたパレスチナはそこにはない。あれから長い年月が経って、あの頃よりもっともっとどん底の状況に人々は追い込まれている。あの頃より、もっと自由が失われ、経済活動が立ち行かなくなり、失業者が増え、分離壁の建設により自分たちの土地にすら行けない人の数が増え、膨大な数の命が喪われてきた。

もし、自分の畑に勝手に「保安上の理由」とやらで壁が作られ、自分が昨日まで作ってきた野菜の収穫にすら行けなくなったら自分ならどう感じるだろう?突然自分の親が、兄弟が、子どもが犯しても居ない罪を疑われ期限もないまま監獄に入れられたら?そして大事な人が、ある日突然空爆で殺されたら?

少しでも想像力があれば、そんな痛みには耐えられないことに気付く。けれども、平気でそれを繰り返し、それを後押しする人間がいる。本当に人間なのか?

ハマスが政権を取る前、ただただ「和平交渉」と言う名の欺瞞の裏で進められてきたのは、狭い狭いパレスチナの土地にどんどん国際法違反の入植地と分離壁を作り上げ、パレスチナの土地を、人々の営みを分断してきた現代のアパルトヘイト。

パレスチナの人々は、どこまで騙され、どこまで譲れば、「人として普通の暮らし」を営むことが出来るのだろう?

この写真を、自分は、まっすぐに見れるだろうか?ただただ自分にはどうにも出来ない大国のパワーゲームに翻弄され、殺されていくのは、こういう何の罪もない子どもたち。自分は、この子たちに何をしてあげられるだろう?

今朝起きて新聞を取り込んだ途端に目に入った「イスラエル軍ガザ空爆、194人死亡」の文字。「何やってんだよ」と絶叫してしまった。

アメリカが好む、いわゆる民主主義により正当な選挙で選ばれたハマスはアメリカが好まない勢力だった。ハマスは国内では社会福祉に力を入れ、長年政権を維持し腐敗したファタハに絶望した民衆が期待を込めてハマスに投票した。しかし、対外的には「イスラエルの存在を認めない」と強靭な姿勢を取るハマスに対する制裁でガザ全体が封鎖された。ガザ全体が巨大な監獄になり、人も物も流れない社会は完全にたちゆかなくなった。貧しいガザが益々貧困に苦しむことになった。イスラエルの狙いは、ハマスを選んだ民衆への見せしめ。それでもガザの人は頑張った。トンネルを掘ってエジプトから物を運んだり、知恵を絞って苦境に耐えてきた。

ハマスとイスラエルの停戦期間が過ぎた。ハマスには現実的に停戦を続けようとする政治部門と、この状況を打破するためには戦いしかないという軍事部門が存在する。停戦して話し合いを続けようと試みた政治部門の努力を空爆が木っ端微塵にした。その裏にあるのは、いくら話し合いを続けても経済封鎖が解かれず貧困、失業、先の見えない絶望だけが広がる現状、話し合っても何も変わらないことへの苛立ち。ガザの封鎖がガザの人々を追い込むことは目に見えていた。この現代のアパルトヘイトを続けるイスラエル、後押しするアメリカ、見て見ぬふりを決め込む国際社会の罪。ハマスは堰を切ったように抑え込んできた軍事行動を再開するだろう。でもそれは封鎖を、空爆を許したイスラエルの、アメリカの、国際社会の責任。

この空爆、イスラエルの次の選挙の為の人気取りが狙い。「ハマスに対してこんなに毅然と対応出来る現政権に投票を!」というアピール。そんなことの為に殺されるパレスチナの人たちの命の重みって!

悔しくて涙も出ない。多分久々に全面戦争が起きる。とはいえ、あまりに違う軍事力、実際には膨大な犠牲者が一方的にパレスチナに生じるだけ。そしてまたパレスチナで死んでいくのは、たまたまパレスチナに生まれた罪のない人々。誰も生まれる場所を選べない。パレスチナに生まれたこと、それ自体が罪だと言うのか?

でも今日も何もなかった顔して仮面かぶって後輩の指導。吐き気がする。人の命が喪われてるのにアナウンスの矯正かよ。

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時々トラちゃんの「ここから出してくれよお」という叫びが聞こえる時がある。

この時も瞳がそう言っていた。

いろんな景色が見てみたい、いろんな世界を見てみたい、いろんな生き物に会ってみたい、恋もしたい…そんな風に聞こえる。

この瞳の裏に見える、トラちゃんの寂しさがたまらない。

いつもそんなことを勝手に考えながら、ファインダー越しに語りかける。

井の頭自然文化園のトラちゃん、あなたの瞳が大好きです。

あ~あ、会いに行きたいよお!!!!(絶叫)

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