
6月26日、朝から太陽がジリジリと照りつける暑い日だった。午後の礼拝が終わった後に始まる週に一度の恒例のビリン村の分離壁反対デモに出かけた。集合場所に着くと、前回の村への訪問で村を案内してくれた写真家のマンゴーが大きく手を振ってくれている。見知った人の姿に緊張していた心が少しほぐれる。
村に来る前、この村のデモの話をエルサレムに在住の活動家の方から詳しく伺った。容赦ないイスラエル軍の攻撃で、毎週のように怪我人が出ること、重傷者、死者までも出ていること。外国人と言えども容赦なく、怪我を負わなくても、カメラなどは叩き壊されることもあること…などの話を聞いていた。そんなワタシの心は少しナーバス。
デモが始まり、FFJのスポークスマンバーセル氏とカナダ人の活動家にしてジャーナリストK氏の声明の発表や質疑応答などプレスカンファレンスが行われた。そして、いよいよイスラエル軍の居る分離壁建設予定地のフェンスへ。パレスチナの旗を振り、占領や壁への反対を謳いながら行進を続ける。やがて、容赦ないガス弾とサウンドボムの攻撃が始まった。
活動家は前線でガスを浴び、少し後方に撤退して体調を整えてからまた前線に向かう。後方には、ガスを中和する為のアルコール綿を配ったり、いつでも重傷者を運べるように忙しく動いている赤新月社のスタッフの姿が。彼らも命がけ。
ガス弾に包まれて辺りが真っ白になった。もう用意していたスカーフでは防ぎきれない。あまりに痛くて目も開けられず、呼吸も出来ず、皮膚はしみるような激しい痛み。少し後方でゲ―ゲー吐きながらふっと顔を上げると、涙と鼻水でグシャグシャになった友マンゴーの姿が。一枚のアルコール綿を二人で分け合って、涙でグシャグシャになりながらも、まだ元気にカメラを握ってるお互いの姿に大笑いしながら「ヨカッタネエ!」。そして、励まし合いながら(いや、主にワタシが励まされながら…)一緒に前線に撮影に戻った。
初めて村に行く前、マンゴーのお兄さんのハミースが、デモで頭に銃撃を受けて瀕死の状態だったフィルムを観ていた。そして、元気に歩いている本人に会った時、あまりに驚きで(正直言って頭をあんな風に狙撃されて無事だったとは考えてもみなかった)、思わず日本語で「よかったねえ!」と叫んでしまった。その日から、マンゴーやハイサムは何かと言うとニコニコ笑顔で「ヨカッタネエ」を連発。デモの間も、何度も「ヨカッタネエ」と言っては和ませてくれていた。
涙と苦しさでグシャグシャになりながらも、お互いにふっと顔を見合せて笑い合う瞬間が、たまらなく愛しいものに思えた。こんなにある意味ではシャレにもならない状況なのに、共有する思いがあること、そしてそんなものに出会えたこと、それがとても幸せだと思った瞬間だった。カメラを通して、何かを一緒に伝えたい…お互いにそんな思いを共有すること、昼夜を問わず、たくさんのことを語り合った友。ビリンはそんなかけがえのない友に出会わせてくれた場所。
写真はデモの最中、涙グシャグシャになりながら「ヨカッタネエ!」と言った瞬間のマンゴー










