世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2009年08月

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ワタシが東北で浮かれている間にも、ビリンではまたもや悲しいことが起こっていた。勿論、ワタシが何処で何をしていてもその事実は変わらないんだけど。

27日、ビリン村には、アメリカ元大統領のジミー・カーター氏と南アフリカの大司教デスモンド・ツツ氏が訪れた。彼らは分離壁の実態を見て回った後「ここはイスラエルじゃない、れっきとしたパレスチナの土地である」との談話を発表。影響力のある国際人がこうやって現地から声を上げてくれると、一歩も二歩も事態は進展する。かつてイスラエルのベギンとエジプトのサダトに和平を結ばせたカーターの訪問。ビリンの闘争にとって、大きな大きな意味のある一日になったと願いたい。

そして迎えた翌日のデモ。デモの初盤からガス弾がガンガン撃ち込まれた様子が伝わってくる。

更に翌日29日深夜、村の活動家で私自身もとても仲の良い友人であるアシュラフが逮捕された。ビリンから送られてくるメールで逮捕者の名前を見たとき、アシュラフの名前をみつけて愕然とした。いつも祈るような気持ちで逮捕者の名前を見つめている。勝手な言い分だけど「どうか親しい友ではありませんように…」とリストをみつめてしまう。ついに恐れ続けたこの日が来た。

アシュラフはハイサムの弟でもある。いつもニコニコ笑みを絶やさない人。今までに何度か逮捕されていて、デモで撃たれて少し不自由になってしまった足を引きずりながら歩いている。彼はそれでも最前線に立つ。でも決して石なんて投げていない。非暴力の闘いの意味をよく分かっているから。

まだ今は情報不足で、アシュラフの逮捕の根拠が分からない。けれど、毎週のように片っ端から最前線で一番頑張る活動家が逮捕され続けている昨今、アシュラフにもいつかその魔の手が及ぶのかも…と、悲しい想像をしていない訳ではなかった。

ビデオは、そのアシュラフの逮捕のため、兄のハイサムの家を侵入、捜索するイスラエル兵の様子がハイサムの手によって撮影されている。またもや「ビデオを下ろせ、撮影は禁止だ!ここは軍事封鎖地域に指定されている!」と根拠もない命令を叫び続けている兵士の姿が写る。

ハイサムが撮影した映像はコチラ↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=KI12qJKoCAw&feature=player_embedded

希望と絶望と…繰り返されるのがビリン村の現状。

写真はデモの後で、その日に使われたガス弾の説明をしているアシュラフ。どうか無事で…。

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何を隠そう、東北には初上陸だった。二泊三日の仙台、蔵王、松島の旅、感動だらけの三日間。空気がきれい、水がきれい、食べ物がおいしい、人が優しい、満点だね。

初日は着いてすぐに仙台市八木山動物園へ。この動物園のことは、また改めて大量に撮った写真とともにご紹介。ホッキョクグマのカイ君と、一緒に遊んでいるかのような距離感が最高!動物園を出てからは仙台城跡→瑞鳳殿へ。夜は勿論牛タン!

二日目は、前日申し込んだ蔵王へのバスツアーに参加。蔵王山頂から眺めるかつての噴火口「お釜」が目当て。しかし、バスに乗り込んで初めて「お釜はいつでも見える訳ではない…むしろ、時期によっては見えることの方が珍しい」と聞かされる。その日の天気は思いきり雨。雲多い、ガスってる…絶望的じゃん。でも、結果は…見えた!この日の顛末も、また後日。この日の夜もさらに牛タン。偶然入ったお店で店のおやっさんに気に入られ秘蔵の漬物をたんまりサービスして貰った。

三日目は塩釜→松島へ。塩釜神社に参拝して、塩釜で有名な寿司を食べて、塩釜から遊覧船で松島へ。船の上ではウミネコの餌やりに夢中になり、キレイなお庭の円通院→瑞巌寺→五大堂→福浦島を散策して帰途へ。仙台で寿司や牛タン、ずんだモチに笹カマを買いまくって新幹線に乗って帰ってきた。

夢中になれるものいっぱいの仙台、蔵王、松島の旅。東北いいところだなあ。

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今日はドバイより帰国中のお友達サラサラさんと二人のお子さん、T君、Sちゃん、サラサラさんのお友達のジュンコさんとお子さんのTちゃんと総勢6人で井の頭自然文化園に行ってきた。いつもは一人でひっそりとか、せいぜいパートナーかウメコと二人…なので、新鮮で楽しかった!

自分一人だと、つい熱帯鳥類館を飛ばしたり、トラジロウに張り付きっぱなしだけど、ゆっくり全体をお喋りしながら周るのも楽しいものだ。おまけにみんなで青空のもとワイワイお弁当。これは絶対に一人では味わえないひととき。

ジュンコさんとはまだ二回目、サラサラさんとだって実際に会うのは三回目なのに、もう随分長いこと親しくしているような不思議な距離感。ブログのお陰なんだよね。こうやって、なんの偶然かでこのブログ上で出会って、親しくなって、実際に会うたびに、こんな素敵な出会いをもたらしてくれたこの場所に感謝する。

みんな、また会おうね!今日はありがとう。

さて明日の早朝からワタシとパートナーは東北地方某地に行ってきます。海と山と温泉と動物園…そのうちどれだけ周れるかは風まかせ旅なので分からないけれど。

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最近続けざまに三冊のパレスチナに関する本を読んだのでご紹介したい。

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作品社「パレスチナ・ナウ」四方田犬彦
映画評論家である筆者が、パレスチナを取り巻く現状を、パレスチナを取り上げ撮影された映画に基づいて解説していく評論集。残念ながら日本では、東京や大阪など一部の大都市でのみの単館上映かアラブ映画祭などでしかこれらの作品を観る機会は、あまりない。

この本が気になったのは、エルサレムのパレスティニアン・ナショナルシアターで出会ったイスラエリ・アラブの俳優、サーレハ・バクリー氏のお父さん、有名な俳優で映画監督でもあるムハンマド・バクリー氏の作品を取り上げてあったから。ムハンマド氏は、イスラエル国籍を持つアラブ人俳優として、イスラエル国内で演劇を学び、映画に出演していった第一人者。国内での「二級市民」としての差別を跳ね返しながら、どんどんその名声を高めて行った人。

しかし、2002年のジェニン難民キャンプでの虐殺直後に、西岸に数人のスタッフと乗り込んで撮影した「ジェニン・ジェニン」で、イスラエル国内から壮絶なパッシングを受け孤立していく。虐殺を生き残った人々の声をひたすら集めたドキュメンタリーは、海外では高い評価を受けたものの、イスラエル国内では上映する劇場すら見つからなかった。パッシングは、「イスラエル国籍を持つアラブ人として、大人しくしてればいいのに…」という意味合いのパッシング。イスラエルの大半の人々は、そんなものは観たくもないし、知りたくもない。

イスラエリ・アラブはその複雑なアイデンティティの模索で苦しんでいる人も多いと聞く。イスラエル側は、本当は一人でも多くのイスラエリ・アラブを西岸やガザ地区、もしくは周辺国へ追い出したい。有名なユダヤ人の政治家、時には大臣までもがそれを公言する。自分の土地を守りきった人々も、こういう悲劇にさらされ続けた六十数年間。

ムハンマド・バクリー氏は「『ジェニン・ジェニン』をめぐるイスラエル人の反応をドキュメンタリーにしようと思う」と次回作の抱負を語る。

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めこん(JVCブックレット)「ガザの八百屋は今日もからっぽ」小林和香子
JVC(日本ボランティアセンター)の現地代表として、ガザ空爆の前後も支援を続けた活動の記録。ジャーナリストの多くも締め出され、なかなかガザの様子が伝わってこなかった今回の封鎖と空爆の間に、現地に生きる人々がどんな様子でそれらに苦しめられ、耐えていたかの貴重な声が集められている。「テロリスト」として空から爆撃を受け続けた人、そして今も非人道的な封鎖で餓死寸前に追い込まれている人々は、本当はどんな人なのか。

新書版、百ページほどの分かり易い本なので、是非多くの方に気軽に読んでいただきたいなと思う。

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北星社「ハビービー わたしのパレスチナ」ネオミ・シーハブ・ナイ
アメリカで何不自由なく暮らしていた少女が、突然父親から「彼の故郷のパレスチナに移住する」と告げられるところから物語は始まる。身の回りのことに深い洞察力を持ったこの少女は、戸惑いながらもパレスチナに渡り、様々な出来事に驚き、感動し、喜び、傷つきながら成長していく。

彼女に出来た友達は、難民キャンプに住む兄妹、そして彼女に出来たボーイフレンドはエルサレム生まれのユダヤ人。パレスチナ人の父親とアメリカ人の母親は、娘の成長とこのパレスチナという土地や文化や家族の橋渡しをしながら、日々は過ぎて行く。

彼女の一人称の語りから生まれる言葉のひとつひとつが、瑞々しく愛しい。そしてここに描かれているのは、分断政策によって深く傷つけられながらも、「相手を好きになり、知ろうと努め、尊重しながら」ともに生きて行こうとする人達の姿。

これは夢物語ではないと信じたい。ひとりでも、ふたりでもこういう人たちが生まれ、相手を尊重して生きて行こうとする空気が生まれるなら、決してそれは不可能ではない。まずは知ることから。

自身もパレスチナ系アメリカ人である著者の体験に基づいた物語。一冊の本をこんなに愛しく感じたのは久しぶり(アフガニスタンが舞台のカイト・ランナー(邦題、君のためなら千回でも以来かな)。

そして、この本を読めば読むほど、パレスチナを愛しいと感じた。文中で描かれたひとりひとりが、実感として感じられるし、そのひとりひとりの笑顔まで感じられるようだった。


難しい政治の流れがどうであれ、私たちは今までも、これからも、ただこの子たちの笑顔を見守るため、一生懸命活動を続けて行くだけ。

「アフガニスタン山の学校支援の会」
http://www.h-nagakura.net/yamanogakko

9月13日  東京 武蔵野芸能劇場(三鷹)
10月17日 大阪 高槻現代劇場(高槻)

にて、年に一度の現地報告会を行います。

子どもたちの笑顔に、出会いにお出かけ下さい。

当日の飛び込み参加も可能。ただし、定員を超え次第締め切らせていただきます。

御予約は、こちらのブログからでも可能。

内緒コメで、お名前をお知らせください。

多くの皆様のご参加をお待ちしております。

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