世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2009年09月

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9月30日深夜二時頃、イスラエル軍によるビリン村への侵入があった。

昨夜の任務は、村の主要な活動家でFFJの委員でもあるバーセル氏を逮捕すること。どうやら、昨今の狙われている人選を見ると、段々と「主要な活動家を片っ端から逮捕して、闘争の弱体化を狙う」ことが明らかとなってきた。彼は自宅に不在だったので捜索だけで終わったが、捜索中の彼の自宅を「軍事閉鎖地域」に指定し、ビデオを回すハイサムに執拗に「やめるように」と繰り返す兵士。

イスラエルの最高裁ですら、「この分離壁のルートはおかしい」との判定を出し、ルートの再画定を促す判決を出した。それにもかかわらずルートが見直されることはなく、いまだにそこへ近づくことを禁じられている。

今日の写真を見てほしい。写真の中央部分に分離壁の予定地があり、その傍をパトロールのための道路が走る。勿論その辺りも、向こう側の丘の上に立つ入植地群も、元はと言えば奪われた村の土地。そして右側には建設中の高層マンション風の入植地が見える。最近の入植地は、入居予定の有無に関係なく、「将来の(ユダヤ)人口の増加分を見越して」造られている。一方で、パレスチナ人には圧倒的に住宅や住宅の建設予定地が不足しているというのに。しかも、これらを造っているのは、パレスチナの領土の上なのだ。

ネタニヤフ首相の最近の談話では「建設中の入植地は凍結しない」とのこと。人の土地の上に勝手に造った入植地、しかもそこには入居の予定もないものすら存在する。

出来るだけ今のうち(正式なパレスチナ国家としての国境が画定する前)にパレスチナの土地を奪っておこうという意図が、明確に見えてくる。

ビリンの闘いは、いくつもの苛酷な「占領政策」との闘い。

ハイサムが撮った夜中の侵入の様子↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=SojUQP1zKns&feature=player_embedded

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パレスチナの旅を終え、エジプトで骨休めをしながら過ごすなか、帰国も迫ったある金曜日の早朝、友達の友達にドライバーのアルバイトを頼み、カイロから北へ50キロほど離れたビルエーシュのラクダ市場に行ってきた。

金曜日と言えばムスリムの休日。家族でゆっくり過ごしたり、行きつけのモスクにお祈りに行ったりする大事な日、早朝からその身を借り出したことに詫びを入れながら、車の少ない幹線道路を猛スピードで走り抜けた。

普通のカイロっ子の彼も、さすがに「ラクダ市」の正確な場所など知らない。そりゃそうだ、用事ないもんね。点在する町や村で少しずつ道を聞きながら、車を進める。行政上の区分では、もうすっかり隣の県。ナイルデルタの肥沃な農村を車はどんどん進む。単線のローカル電車が横切ったり、ロバや牛を連れた農夫が歩いていたり、市がたっていたり、エジプトのエナジーを感じる。

早速ラクダ市の中を、撮影しながら進む。エジプト南部から来たラクダ、ソマリアやスーダンから来たラクダ、それぞれ産地によって市を仕切るボス(ムアッリムと呼ばれる)が違う。

そして、ムアッリムが仕事の途中に一息入れるお茶屋に入った。電気もない暗い茶屋に窓から差し込む光。そして談笑しながらお茶をするるムアッリムたちの静かな美しさにみとれた。

ビリンに戻りたくて、パレスチナに戻りたくて、しかも現実的に戻ろうと思えば戻れる距離に居て悶々と過ごしたカイロでの骨休めの日々。大好きなカイロに居るのに、珍しく何が撮りたいのかも分からずダラダラしていた。ムアッリムたちにカメラを向けながら、写真を撮ることだけが、自分にとって心落ち着く日々なんだと、しみじみ思った一日。

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国民として国籍や市民権を与えられながら、またその義務としてきちんと納税などを果たしながら、それでも権利を保障されていない人たちがいる。それがイスラエル国籍のパレスチナ人(イスラエリ・アラブ)。旧市街を含む東エルサレムにも多くのアラブ系住民が暮らしている。

多くのイスラエリアラブが暮らす地域は1948年の戦争後、自分の故郷や避難した先がイスラエルとなり、東エルサレムは1967年の第三次中東戦争でイスラエル側に占領されてから、好む好まざるにかかわらず、自分の家から離れたくない(そんなの当たり前だけど)パレスチナ人には、イスラエル国籍が押しつけられた。これは「国民はユダヤ人である」という前提のイスラエルには、大きな矛盾で、領土は欲しい、パレスチナ人は欲しくない…という本音のもと、建て前ではイスラエル国籍を与えながら、一方では差別、抑圧、さらには非情な追い出し作戦を、今現在も続けている。

先ほど差別の話が出たのでついでに言うと、同じパーセンテージの納税を負っていても、同じパーセンテージで公共の利益をイスラエリ・アラブが受けることはない。たとえば、ユダヤ人が暮らす地区と比べて、イスラエリ・アラブの暮らす地区は、インフラが整っていなかったり、公立学校が少なかったり、病院が少ないなど、目に見えて差異がある。

仕方がないので、東エルサレムに住む子弟は、検問所を越えて西岸地区の学校に通っていたりもする。母語アラビア語で教育を受けようとすると、こういう困難も伴う。検問所越えが容易でないのは、繰り返しお話している通りだ。

話を戻し、エルサレムの城壁に囲まれた旧市街の坂の下(エルサレムは起伏の多い地形なので)、古代ユダヤの遺跡シティ・オブ・デイビッドの底の部分に広がるのが、アラブ人の住むシルワン村である。かねてからお話している通り、遺跡を整備し、国立公園を造るという名目で、何十家族もが補償もなく立ち退きを迫られている。

ヘブライ語で書かれた行政命令書がある日突然突き付けられ、ヘブライ語を読める人を探すとか、弁護士に連絡をするとか、出かけている家族に連絡するとか…そういう時間も与えないまま、決められた時間になると中に人がいようがどうだろうが、その家にはブルドーザーがやってきて、家のすべてを破壊していく。

「家を離れるくらいなら死んだ方がマシだ」先祖代々、この地に暮らしてきた村人の中にはそうやって家から離れない人もいる。そして、そのままブルドーザーは瓦礫の山を造り、家を死んでも守ろうと決意した人は生き埋めにされていく。

実際に壊された家の一軒に行ってみた。そこに住んでいた人の行方は分からないと近所の人に言われた。「村のみんなが日々思っている。次はうちの番かもしれないと。でも何処へ行けと?」

瓦礫の前で子どもたちが遊んでいた。強い日差しの中、そんな悲しいことはまるで何もなかったかのような明るい顔で。

つい先日、イスラエルのネタニヤフ首相が入植地について話していた。「今後新規の入植地建設は差し当たり凍結するが、現在着工している分は工事を続ける。ただし東エルサレムはその限りではない」と。つまり、東エルサレムでは、今後も変わらずイスラエリ・アラブを追い出すために、様々な名目で(主には入植地の建設と公共施設や公園の整備)家屋破壊と強制退去が続けられる。

同じイスラエル国籍で、ユダヤ人の暮らす村や町にこういう措置が取られたことを、ワタシは聞いたことがない。

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「ハイサム逮捕」の文字を見たとき、心臓が止まるかと思った。でも、一方で「ついにこの日がきたか」と、とても冷静な自分もいた。正直言って、勝手な言い分が許されるなら、「いつ来るか分からないその時」を待ち続けていることの恐怖の方が大きい。

すぐに、ビリンに向かおうかと思った。非暴力デモにはっきりと「press」と書いたベストを着て、ジャーナリストとして参加しているハイサムへの逮捕は、明らかにオカシイはずである。現地に飛んで、FFJのもとで「ハイサム解放キャンペーン」でも張るべきかと考えた。

が、しかし、ハイサムは何も逮捕が初めての経験という訳でもない。友人としてハイサム一人の解放に尽力するよりも、ビリン村全体の戦略に則って逮捕された村人全体の解放を目指すべきである。そう考えると、今自分が現地に乗り込んで行っても、大した役に立てるわけでもない。その分、日本でそのための資金を稼いだ方がよほど役に立つ。

そう考えて一晩眠ると、今朝マンゴーからメールが届いた。「ハイサムは無事だよ!解放されて家に帰ってきた!!!」と。常々「今度撮影したら逮捕してやる」と脅されているハイサムやマンゴー。それが口先だけじゃないぞというアピールの逮捕なのか。恐らく法的には、兵士に向かってスローガンのひとつを叫ぶことすらしていないジャーナリストのハイサムを逮捕、拘束する根拠は何もないはずだ。だからこそ、拘留期限が切れたら家に帰さざるを得なかったのだろう。(…かと言って、他の拘留されたままの村の活動家が法に触れる何かをしたという訳では決してない!)

差し当たり、ハイサムの件だけは一安心。ハイサムのようなお父さんを傷つけるということは、それを通して、彼の家族、彼の幼い息子たちの心を傷つけるということでもある。そうやって、どうにか村の活動家の心を挫こうとしているのは明らかだが、彼らは決して負けない。

ビリン村へのチャリティに、ご協力をお願いします。
http://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/33266260.html(詳細)


写真はデモの日、亡くなったバーセムを悼むTシャツを着たハイサムの長男

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昨日のデモで、いつもと同じように最前線でカメラを回していただけの、ビリン村のジャーナリスト、ハイサムが逮捕された。

前線で、デモの様子を、夜中のイスラエル兵の侵入劇と誘拐劇を、ただ黙々と撮影してきたハイサム。殴られても、蹴られても、カメラを壊されても、声を荒げることなく、勿論罵詈雑言なんて一言も吐くことなく、自分の役割を冷静に果たしてきた彼が逮捕された。

収監先や、逮捕の理由などはまだ明らかにされていないが、つい先日ハイサムが撮った村への夜中の侵入劇が、イスラエルのニュースソースで公開され、そのことへの報復とみられている。

自分の村で、自分たちの土地を取り戻す非暴力のデモで、ただその様子を撮影することが逮捕に値する罪だというのなら、誰にも自分の村で、自由に生きること、自由に思いを言葉にすること、行動に移すことの権利なんてないということになる。イスラエルはパレスチナ人に対して、平気でそういうことを言っているに等しい。

パレスチナは、過去の和平交渉で常に譲歩を迫られてきた。イスラエルはアメリカが背後に付いているという安心感からか、たくさんの「既成事実」を交渉前に作り上げ、それを無理やりのませる形でパレスチナに譲歩を迫ってきた。「入植地建設の全面凍結」が和平交渉の前提だというのに、黙々と入植地を造り上げ、それを守る分離壁をパレスチナの村に侵食しながら造り上げてきた。

今イスラエルが言っているのは「和平交渉、はいはい、再開ね。じゃあ、これからは新しいのを造らないけど、今造り始めてる分は大目に見てね。あ、でもエルサレムには造り続けるから」というもの。それでも、結局はパレスチナ側が譲らざるを得ないと、過去の歴史が語っているから。脅して、なだめすかして、パレスチナ側を交渉の席に座らせてきた歴史が語っているから。

どうか、オバマ政権だけは、そんなイスラエルに毅然とした態度をとってほしい。それが出来ない和平になんて意味はない。どうせ、じわじわと同じように侵食され続け、やがてパレスチナには1ミリの領土も残らない和平になんて、どんな意味があるのだろう。

そして、そうこうしている間にも、自分たちの村で暮らしているだけの村人が逮捕されるような、そんなバカな話を、いい加減終わらせてほしい。後回しじゃ遅いんだよ。ハイサムが、パレスチナ以外の土地で生まれていたなら、しなくて済んだはずの苦しみを味わっているのは、今、この瞬間なのだから。

写真は、世界に村の情報を発信すべく、委員会の事務所で作業をするハイサム。本当に無事でいて。友が傷つけられているのを、日本で指をくわえてうろたえているしかないなんて、最悪だ。

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