世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2009年11月

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気がつけば明日からは師走。もうパレスチナ行きまで半月をきった。うわあ、やらなきゃいけないことだらけ。でもいつものように直前にならないと出来ないんだろうな。

行く前に「パレスチナ2009」写真展の写真紹介くらいはしておかなきゃ。

今日の写真は、西岸最大の商業都市ラマッラーのパン屋さん。中心部は商店街みたいに色々な店が立ち並んでいる街。大昔、ガザ地区と西岸地区の行き来が今みたいに不可能ではなかった頃、ガザ地区に住んでいる友達が「家族でラマッラーに泊まりがけで行ったことがある。遊びに買い物に、本当に楽しかった」と遠い目をしながら言っていたことを思い出す。

ラマッラーには、バーもライブハウスも映画館もオシャレなカフェもファストフードもある。イスラエルの入植地建設のために資金を提供していると言われているス○バをモジリ、地元資本の「スターズ&バックス」なんてのもある!なんたるシニカルさ!!!ロゴの色遣いも似てるんだよなあ。遠目から見たら、「え?パレスチナにス○バが?!」と驚く。活気のある面白い街である。エルサレムに自治政府を置くことを阻まれているので、このラマッラーに置かれ、行政の中心地でもある。

街を歩き回っていたら、だんだんお腹が減ってきた。撮影に夢中になっていると食事を抜いていた…なんてザラにある。日本じゃ考えられないけど(笑)焼き立てのパンのいい匂いが漂ってきた。無意識にじーっとみつめていたのだろう…パン屋のお兄さんが「入ってきなよ。一個食べな。ほら」と焼き立てのピタパンを渡してくれた。何も中に入っていない、何もつけていないシンプルなパン。でも、焼き立てのそれは最高に美味しかった。フカフカで小麦の味がシッカリしていて。「美味しい。ただのパンがこんなに美味しいなんて思わなかった」と言うと「そりゃそうだ。焼き立てだから」とお兄さんは、何枚も新聞紙にくるみ、袋に入れて渡してくれた。お金を払おうとしても当然受け取ってもらえず、お礼を言って街歩きを再開した。

旅を目前にすると、情けなくもウキウキ感よりも、はるかに腰の重い、面倒くさがりな「ものぐさ」な自分が勝ってくる。いざ現地に着いてしまえば楽しいんだけど。残り二週間は、そんな自分との闘いの日々。やっぱり我が家の自分の布団って最高なんだもん(笑)でも、それだけで満足できない自分なんだから仕方がない(笑)

PS・ジョーさん、Kちゃん、キリタンポご馳走様!キリタンポ記事書かなくてごめんね(笑)

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品川のキャノンタワーで写真家、長倉洋海さんの講演会を聞いてきた。今回の写真展のテーマは「シルクロード 人間の貌」2001年に長倉さんが撮り続け、友とも言うべき存在だったマス―ドがテロで斃されてから、写真を撮る気力すらも失くしていた…という日々を経て、再びカメラを握り、世界を歩くことを決めたのが、シルクロードの旅だった。「どこか遠い世界のマス―ドだと感じていたけれど、シルクロードを通りアフガニスタンに至ることで、彼を近くに感じた」という一本の道。

長倉さんは今年、フリーでの写真家生活30周年を迎えた。その記念として出版されたのが、平凡社「地を駆ける」。「三十年前と今とでは自分の視点も違うし、いいと思って選ぶ写真も違う」という今の長倉さんが選んだ集大成。アフガニスタンも、エルサルバドルも、アマゾンも、フィリピンも、コソボも、アンゴラも、南アフリカも、シルクロードの国々も、故郷の釧路も…どの国でも写されているのは、人々の暮らしと、同じ人間であるというまなざし。人と出会い、人を知る。そのことが長倉さんの旅と撮影の原動力。「人間の違いではなくて、共通点をみつめたい」という視点は、まさにこの15年余りの時間で、長倉さんに教えられた視点。

「昔は紛争地を切り取り、悲惨で衝撃的な場面を切り取ることがフォトジャーナリズムだと思っていた。でも今はそうは思わない。世界の知られていないことを切り取り、伝えることがフォトジャーナリズムだと思う。そういう視点でこれからも撮っていく」という言葉に、うんうんと頷いた。それこそが、長倉さんに教わったこと。世間であてはめられた視点なんかではなく、自分は何を撮りたいのか、伝えたいのか。そこにこだわり続けることの大切さ。

一瞬の出会いや、一瞬の人生の交差において、立ち止り考えてばかりいては何も撮れないし、大事な「最良の一瞬」を逃す。「だから走りながら撮っている」と長倉さん。「だからこそ、後で眺めた時に、撮った時には気付かなかったことがたくさん発見できる。そこが写真の面白いところ」

笑顔のマス―ド、パルミラ遺跡のラクダ、シルクロードにいきる人々…知ってるはずの写真なのに、今日には今日の視点がある。

講演会の後、支援活動の仲間たちと長倉さんと飲みに行った。いつものメンツに囲まれて、この場ではグッとカジュアルトークな我がボス。第一線に立ち続けることの苦労をお茶目に語ってくれながらも、やっぱり長倉さんの人間としての優しさ、心のキレイさ、がむしゃらに夢を追う少年のような姿勢、そういうものに、いくつも心を打たれた一日だった。

そして、我々若者世代に、熱いエールをありがとうございました。心から、一歩でも近づけるように頑張りたいし、そんな最高の目標であり、人生の導であり、師である人に巡り合え、こうやってかわいがってもらってることの幸運を、本当にありがたいと思った。

長倉洋海さん写真展「シルクロード 人間の貌」は品川キャノンギャラリーSにて12月19日まで。ご本人から聞けるギャラリートークの日程は、12月5日(土)、11日(金)、12日(土)、19日(土)13時半から。

素晴らしい写真展です。

☆追伸☆
写真展とは話は変わり、同じく飲み会に参加した仲間で、未来社のワタシのご担当の編集者のMさんが、長倉さんに、ワタシの連載が始まったことを伝え二号分を手渡してくださっていた。多忙極まりない長倉さんに、自分から「読んでください」と渡すことはなかなか出来ないし、写真展に忙しくて行けなくてごめんね…と、わざわざその会期中に手紙をくださる長倉さんに、そんなお気づかいをいただくこと、気にかけていただくことすら申し訳ないと思っている。直接何を言われるわけでも、アドバイスされるわけでもないけれど、長倉さんのアドバイスは、日々のその姿勢や言葉から伝わってくる。「大変な道だけど、粘り強く続けなきゃね」と一言。本当にありがたい一言。

その未来の12月号が出たので、また入手方法についてお知らせ。

以下は、未来社のHPより。

本誌「未来」は原則として直接購読をお願いしております。1年(全12号)ご予約いただきますと、送料・税込みで1200円です。
ご希望の方には見本誌をお送りいたしますので、小社までご連絡ください。
(tel:03-3814-5521/info@miraisha.co.jp)

詳細はhttp://www.miraisha.co.jp/

紀伊国屋、ジュンク堂などでは無料配布も。その他全国の書店でも注文可能。

あと編集者のMさんより皆さんへ「未来の巻末のアンケートはがきに、是非とも感想を書いて送ってください」とのこと。叱咤激励お待ちしてます。

さらに、BSジャパン、データ放送778CH「ぶらりメディア」の「ぶらりギャラリー」での12月いっぱいの「パレスチナ 街角の肖像」(毎朝晩それぞれ8時半から一時間)の放映が決まり、金曜日の打ち合わせで、2月の初旬に神保町でパレスチナの写真展をやることも決まりました。

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夏に逮捕されたままだったビリン村の友、ハイサムの弟アシュラフが勾留を解かれて村に戻ってきた。数か月もの間、軍の拘置所に留め置かれたままだった彼、本当に無事で何より。ビデオの中での彼は、そんな苦難の日々に屈することなく、再びデモの最前線で声を上げている。拘置所の中では、言葉には出来ないほどの辛いこともたくさんあっただろう。暴力、拷問は日常茶飯事だと聞く。表面上、民主主義国家を標榜しているイスラエル。パレスチナの人たちにとる手段は、民主主義国家のそれとは程遠い。それをくぐり抜けて再び前線へと向かうアシュラフ。いや、村のみんなに多かれ少なかれそんな経験がある。それでも向かう人間の勇気のすごさを、彼らから教えられる。そこで挫けることこそが、イスラエルの唯一の狙いであり、望みであることを、彼らは知りつくしているから。

ハイサムが撮った今週のデモの様子↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=oT077JME1X0&feature=player_embedded

村の青年イブラヒームが、パレスチナ人に対する怪我や病気の治療に向かうアクセスの権利を求めて、一週間の断食(日本語風に言うとハンスト)をしている。彼自身、去年の6月にデモの最中に脚に実弾を受け、重傷を負い、一時は危篤にまで陥った。そして、その彼が集中治療のために西岸地区を出ることを、医師が求めたにもかかわらず、イスラエル当局はそれを許可しなかった。人の命に関わることにすら、こんな不条理がまかり通っている。そのことに対する抗議と、そんな不平等の是正を求めて、彼は今闘っている。

この、小さなニュース(実際に日本でニュースになることはないが)から、読みとれることはたくさんある。パレスチナ自治区に病院があるとは言っても、限られた治療しか現実には出来ないこと。設備であったり、薬の不足であったり、いろいろな理由が考えられるだろう。専門家ではないので詳しくは分からないが。そして、たかがデモの鎮圧、そもそも、国際法ですら違法だと言っている土地への分離壁に対する、正当な反対の声を封じるために実弾を使っている事実。そのことの非道さを許してはならない。

イブラヒームが撃たれた時の映像。かなりシビアな映像なので、覚悟をもってご覧ください↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=XF1ibN40FJE&feature=player_embedded

ビリンでは、みんなに明るい笑顔と、たくさんの優しさや思いやりをもって迎えてもらった。ユーモアや笑いに溢れた村の人々。だから、こんな辛くてシビアな話はふっと抜け落ちてしまいそうになるんだけど、これがまぎれもない村が抱える苦難の現実。

自分の土地を再び耕したい、自分の土地で家畜を追いたい、自由に村の中を行き来したい、何の心配もなくただ暮らしていきたい…そんなささやかな願いすらもかなえられず、そんなささやかな願いを口にするだけで、逮捕され、実弾で撃たれる。そんな現実。

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紅葉の季節、なかなか遠出をする余裕はないので、ふっと時間の空いたときに紅葉を楽しむために、ひとりチャリンコのメストクンに乗り、井の頭自然文化園に行ってきた。

井の頭のなにが好きって、トラちゃんやハナちゃんを身近に感じられる距離感や愛着もさることながら、雑木林が残されていて、園内で自然散策が出来ること。春はサクラ、初夏の新緑、秋の紅葉…誰でもが散策をする公園と違って、入園料を払う分ゆったりしているのだ。四季の移り変わりをしみじみと感じたり、眺めたり、撮ったりするようになったのは、井の頭に通い始めてからかもしれない。まあ、なかなか木々や草花の声は、動物の声ほどには聞こえてこないんだけど…とほほ。それでも、他の場所の木々や草花の声よりは、井の頭のそれを、より聞きとることが出来るから不思議だ。

夕方、トラちゃんの前に居たら、園内を巡回中の獣医さんに会った。トラちゃんがどうやって人を判別しているのかをお尋ねしたら、まずは飼育員の格好(制服であるカーキの作業着)を一目で判別して、その後で餌をくれる人か、そうでない人か顔を凝視するそうだ。獣医さんを熱い視線でみつめるトラちゃん。「最近トラジロウは二十日間入院してたんですけど、その間ずっと私が餌をやっていたので、まだ私が餌をくれるのかと思って、こんなにみつめてるみたいですね」と獣医さん。

獣医さんに素敵な話を聞いた。トラちゃんのご担当の飼育員さんについて。彼は、ワタシが出会う限りでも、トラちゃんを淡々とみつめている。自転車でやってきて、様子を観察して、さっと立ち去る。名前を呼ぶでなし、笑いかけるでなし。「彼はトラジロウが来たときからの担当なんですが、名前を読んだり、表面的にかわいがったりもせず、淡々と世話をしています。園によって、飼育員によってそれぞれいろんな考え方があります。若い飼育員の中には、そのやり方が「冷たいんじゃないか」という者もいます。でも、飼育員には異動があるので、あまりにかわいがり過ぎて、慣れさせすぎると、他の飼育員を拒絶するようなことがあります。動物園の動物はペットではないので、そういうことも考えて、彼は淡々と世話をしているんですよ」と。

ワタシは、この話を聞いて、そのトラちゃんのご担当の飼育員さんが、どれほど内心トラちゃんを思い、愛してるのか思い知った。表面的にベタベタかわいがることが愛情ではない。いつか来るかもしれないご自分の異動と、その次のご担当者の方や、トラちゃんのその後のことまでをも考えた愛情…ジーンときた。そんな方々に見守られて、トラちゃんは毎日元気でいてくれているんだ。

ますます井の頭自然文化園が好きになった。

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パレスチナで出会った映画監督アハマドが撮りあげた映画‘Two meters of this land' のホームページが出来たと、彼から連絡があった。ホームページ上のスライド写真の最初の四枚はワタシの写真。
http://www.twometersofthisland.com

7月の旅日記でも書いたし、その後の記事でも「この土地の2メートル」として三度にわたってこの日のことを書き上げた。アハマドに頼まれて、この映画に出演することになったいきさつなど…。

パレスチナを離れて4カ月、アハマドと撮影現場で別れてからも4カ月。彼はその後もパレスチナで映画を撮り続け、スペインに戻って編集作業を続け、ようやく映画も完成品として世に出ようと、その時を待っているのだろうね。

共通の友人が言っていた。「アハマドはやるよ。今の彼は静かな中に燃やしてる闘志がすごいもん。きっとスゴイものを作り上げるよ」と。

彼が育ったのは、お母さんの母国スペイン。彼が自分のルーツとして、深く深く追い求めるのは、お父さんの母国パレスチナ。

淀みないアラビア語を操りながら、静かにほほ笑みを常にたたえていたアハマドの姿を思い出す。撮影中、NGを出す時も決して「今のはダメ」とは言わない。「今のもいいけど、もう一回やってみようか。きっともっと良くなるから」と微笑む。その微笑みに負けて、ヤケクソ半分でカメラの前に立ったことを思い出す。

遠い日本から、心より映画の成功を祈ってる。アハマドが伝えたかったパレスチナを、いつか自分も全編通して観ることが出来たらなあ。

写真は映画のクルー。

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