世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2009年12月

数日間みんなでベストを尽くしたけれど、エジプト政府は動かなかった。予定していたプランのすべてを阻止された。ガザでなくなった人の数だけ流すキャンドル流しさえも!もうカイロではこう着状態。日本からの一行はカイロに、ガザ行きに見切りをつけ、西岸地区を案内してくれと。調子も最悪、正直言って荷が重い。でも、こうやって多くの人に現地でいろいろなことを実際に自分の目で見てもらって、伝えていってもらうことも、私の役割なのかもしれない。まあ、もし本当に入国できればなんだけど。私一人が国境で追い返される可能性もなくもない。

明日からエジプトでエジプト、イスラエル間の首脳会談が行われることになったそうだ。ガザに自由を。ガザの人々に生きる希望を。パレスチナに未来を!

調子が悪いのに寝ていられないってもう最悪。

でも、愛するビリンに戻れるかも。

ビリンを離れるその瞬間まで、ずっとカイロに戻らない言い訳を探し続けていた。カイロに戻らず、ガザに行かず、一ヶ月ビリンに居続けたかった。あの後は数日間夜間のイスラエル軍の強襲もなく、日々いろんな人々の姿を撮りながら、話しながら過ごした。個別の話は帰って写真とともに。

いつもいつもどんな時でも笑ってるマンゴーが、さすがに最後の日に塞ぎこんでいた。ワタシと車椅子に乗った活動家のジュディが同じ日に村を離れることになった。「たった一日で親友が二人ともいなくなってしまうなんて」とずっと泣きそうな顔をしていた。その顔を見ているのが辛かった。離れることを決めるワタシたちより、見送る彼らのほうがずっと辛い。

そして、昨日朝から大移動旅。恐怖の国境越えは、なんと何事も言われず、トラブルもなく越えられた。ということは、また入国できる可能性が大だ。希望が見えた。でもバスの中でものすごい悪寒と熱が出て、もう全てがどうでもいいような気持ちになってカイロにたどり着く。朝の7時から夜の11時のうんざりするような国境越えの旅。一晩ベッドで寝たら、大分熱は下がってきた。頭と関節が痛い。

肝心のガザにはどうも入れそうにない。エジプトが国境を開けることを拒否しているそうだ。そりゃそうだ。アメリカ、イスラエル連合に逆らうと、もう明日から経済が立ち行かなくなるほど、首根っこをつかまれているのだから。事前のミーティングも阻止するため、6人以上が集まることを禁止するとの通達も出たらしい。逮捕、国外退去もちらつかされている。予定されていた決起集会もキャンセル。事務局が必死で対応プランを練っている。でも正直言って、半ば他人事みたいな気持ちになっている。日本から来たグループの人たちともまだ連絡を取っていない。

ビリンで数日過ごした後エルサレムで友達に会う為に一日だけ戻ってきた。ここには書きつくせないほど色々なことがあった。

ビリンでは二日続けて夜中に村への侵入があった。ハイサムやマンゴーと一緒に、侵入された家に向かい寒さと土砂降りの雨に打たれながら、銃を向けられながら写真を撮った。兵士に身分証の提示を求められ、それを本部に連絡され、多くの活動家達がそんな目に遭ったように、次回の入国が難しいかもしれないという現実を突きつけられた。一緒に居たイタリア人の活動家の子は、その現実に考え込み、頭を抱えて泣き出した。「あなたはどうして笑っていられるの」そう問われた。

でも辛いのは私たちじゃない。入国が出来ないかも、もうみんなに会えないかも、そんなことより遥かに遥かに大きな苦しみ、悲しみ、恐怖を抱えてビリンのみんなは、パレスチナのみんなはここで生きている。そんな彼らが私たちを励まそうと笑っているのに、どうして泣いたりなんか出来るだろう。一緒に笑うことしか私には出来ない。怖くないから笑っているんじゃない。楽しいから笑っているんじゃない。悲しみの中の笑いもある。

ここに今リンクを貼る余裕は無いので、どうか「ビリンむらのこと」の一番上に貼ってあるFFJのサイトでご覧ください。

夜中に人の家に押し入って、パジャマ姿の住人を外に立たせて、家の中を荒らしまわることにどんな意味があるのか。占領とはそういうこと。ただ住人の身分証を確認して、それだけのために入ってきて出て行く彼らの心の無い占領の姿をどうか見て欲しい。

脅されても、逮捕されても、暴力をふるわれても命がけでそのことを世界に発信しようとしているハイサムやマンゴーの魂を。さて、愛するビリンに帰ろう。もしかすると、もう二度と行けないかもしれないビリンに。今出来る精一杯のことをしたいし、彼らの姿をみつめていたいから。先のことはその時に考えよう。

お預かりした寄付とメッセージはFFJに渡しました。アディーブの家族もなんとか歯を食いしばって頑張っている。彼らは強いよ、本当に。私は彼らの強さにただただ頭が下がる。そして、人間が勇気をもって困難に立ち向かっていく姿の美しさに多くのことを日々学ばされている。

山田さん、大当たり!無事に国境を越えられました。辻褄の合うように、当たり障りのない台詞を悶々と考え続けていたけれど、微笑を精一杯たたえて「シャローム」と挨拶。ニッコリ微笑み返されたので勝利が決まった。全然当たり障りのないことを聞かれて、パレスチナのパの字を出す必要もなく、今までにはなく荷物のチェックも簡単で、調べられたら長い検問が待ち受けているに違いない写真やメッセージも開けられることなく、3ヶ月のビザが下りた。ああ、10日弱しかいないのにもったいない!

エイラットからエルサレムまで一気に走り、あの居心地の悪い安宿へ再び。相部屋のオヤジはアメリカ人。いびきが超うるさい。でもまあ、居心地の悪さってそのうち慣れるさと自分に言い聞かせる。

エルサレム旧市街の雰囲気や匂いは独特。そんなに好きな街ではないけれど、懐かしさすら覚える。今日は早速ビリンに向かおう。パートナーと二人で選んだお土産を抱えて。みんなから預かったメッセージを抱えて。数日後エルサレムに戻ったら、またレポートします。

早く写真が撮りたあい!!!

カイロについて早くも二日目の夜。カイロで友達に会ってとりとめもないことを話している時間も悪くはないけれど、やっぱりそんなことしてる場合じゃないと、気持ちが焦る。なので、重い腰をあげて国境行きのバスのチケットを買ってきた。明日早朝6時発のバス。明日の今頃はエルサレムにいることを願うのみ。国境越えがちょっと心配。まさかビリンにデモを取材に行きます、、、なんて言える訳がない。

何はともあれ、行って来ます。

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