
ときどき緑の草むらや畑が光り輝いていてまぶしい時がある。
どうして彼らの日常にこだわるのか?難しい政治の話からはけっして見えてこない、ひとりひとりの生き様や命がそこから見えてくるから。
いくら四回もあった中東戦争の話を繰り返したって、そこで亡くなった人、苦労して生き抜いた人の人生は見えてこない。そして、共感できる命の姿が見えなければ、けっして彼らを身近に感じることも、シンパシーを感じることもないと思うから。
村を分断する分離壁の建設予定地とその側道(イスラエル軍のパトロールのために接収された)のすぐ傍にも、当たり前の日常がある。
パンを焼きにかまどへ向かうお母さんたちと、飛び跳ねながら母親に付いていく子どもたち。
そんな日常のひとこまが愛しくてたまらない。
大人たちが命をかけて守ろうとしているのは、こんな当たり前の日常のひとこま。






