世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2010年01月

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ビリン村は美しい村である。

ときどき緑の草むらや畑が光り輝いていてまぶしい時がある。

どうして彼らの日常にこだわるのか?難しい政治の話からはけっして見えてこない、ひとりひとりの生き様や命がそこから見えてくるから。

いくら四回もあった中東戦争の話を繰り返したって、そこで亡くなった人、苦労して生き抜いた人の人生は見えてこない。そして、共感できる命の姿が見えなければ、けっして彼らを身近に感じることも、シンパシーを感じることもないと思うから。

村を分断する分離壁の建設予定地とその側道(イスラエル軍のパトロールのために接収された)のすぐ傍にも、当たり前の日常がある。

パンを焼きにかまどへ向かうお母さんたちと、飛び跳ねながら母親に付いていく子どもたち。

そんな日常のひとこまが愛しくてたまらない。

大人たちが命をかけて守ろうとしているのは、こんな当たり前の日常のひとこま。

やっぱり日本でPCの前に座ってこの映像を眺めているだけという状況は悔しくて我慢が出来なくなる。

おそらくこの映像は、「インターナショナル」の活動家Tが撮ったもの。一緒に村で過ごした仲間たちSやKの姿も写っている。

12月末から続く一連の夜間侵入と村の活動家の逮捕、そしてデモで使われ始めた実弾といったものから見て、イスラエル軍が相当躍起になって村の分離壁反対闘争を潰そうとしているのが分かる。だからこそ、一番見られては困る「外国人」の活動家を脅し、逮捕や国外退去もチラつかせている。

映像のなかで「あなたたちはここで何をしてるの?村に侵入してくる、家宅捜索をする、ここを軍事閉鎖地域だと宣言して通行を邪魔し、撮影を制限する根拠である令状を見せなさい」と食い下がる活動家に、下っ端の兵士はタジタジである。彼らはきっとどうして自分たちがビリンに居て、どうして活動家たちに問い詰められるのかさえ分かっていないだろう。上官やイミグレーションポリスは別として。だからこそ、あんなに不安げな顔をビデオカメラに晒しているわけだ。

後半のビデオでは、Kのかばんを無理やり開き、そのうえ数人がかりで両脇から拘束し、道路に引きずり倒すイスラエル兵の姿がおさめられている。「任務の遂行を妨害したから逮捕する」と宣告するオフィサーの姿も。

そして、この日逮捕された村の活動家ムハンマドの容疑(馬鹿げた表現だ!)は明らかにされていない。

この分離壁反対闘争の灯を決して消してはいけない。こんな不正義を絶対に見逃してはいけない。

現場の映像。
http://www.youtube.com/watch?v=L4B6X9qjIVI&feature=player_embedded

http://www.youtube.com/watch?v=iGglC6erqFA&feature=player_embedded

http://www.youtube.com/watch?v=eIiN8KS0o8Q&feature=player_embedded

☆追記☆
翌日29日のデモのあと、白昼堂々とイスラエルの占領軍は村のなかに入り込み、畑を踏み荒らし、逃げまどう村人にガス弾やゴム弾(殺傷能力は十分にあります!もちろん)をぶっ放している様子が、ハイサムの写した映像と、村に滞在する「インターナショナル」活動家Tの写した映像から明らかになっている。ジワジワと違法行為の範囲を日々広げながら、村の運動を潰そうとしている。今まで少しは躊躇していたことも、日々少しずつ侵せば罪の意識が減るとでもいうのだろうか。

何度でも言おう。国際法上も、イスラエルの最高裁の判決でさえもが「違法」としたビリン村の分離壁のルートに異を唱える「正当な抵抗」に軍事力でその声を潰そうとするイスラエルの不法行為を、どうか見逃さないでほしい。悔しいけれど、今日本にいるワタシには、そのことをしつこく言い続けるほかに、何一つ出来ない。

ハイサムが撮った映像↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=8DpBxqcEsQo&feature=player_embedded

Tが撮った映像↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=nrpjUjESh6c&feature=player_embedded

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パパの朝は静かに始まる。起きてコーヒーを飲んで、畑で飼っている蜜蜂の様子を見に行って、蜂蜜を集めて帰ってくる。その頃たいてい八百屋の移動トラック販売車がやってくるので近所の人たちとトラックに群がり野菜を買う。かつてはいろいろなものが採れていたビリン村も、分離壁や入植地の建設によって村の多くの土地を盗られ、野菜の自給も難しくなった。パパの畑で今採れるのは、ネギやガルギールなど緑の葉っぱ類が中心。毎日料理に使うトマトやジャガイモやナスはすべて移動八百屋から買わざるを得ない。大家族なので、野菜を買うのもキロ単位。あっという間にお金がとんでいく。

買った野菜で手早く作った料理と家で焼いたパンをリュックに詰めて、パパは出勤する。行き先は、分離壁の向こう側、奪われた村の農地。奪われた土地のすべてが入植地となっているわけでもなく、パパのような年齢ならば、検問所を越える許可証が手に入る。自分の土地に行くのに許可証が必要なんておかしな話だ。ただし、一般的に高齢者にしか許可は出ないので、どんなに仕事が多くても、パパは息子たちを連れていくことが出来ない。何十匹もいるヤギをたったひとりで追いながら、検問所を越え、分離壁の向こう側に放牧に行くのがパパの日課だ。

検問所はいつも開いているわけではないので、パパは毎朝10時を過ぎて出かける。そして同じように毎日日没前に帰ってくる。パパは今どこかなあ?と二階のベランダから見渡すと、遠くの丘にヤギを追うパパの姿が見えることがある。そしてみんな、パパの姿が見えるとなんとなくホッとした気持ちになる。日課と言えども、ひとりでイスラエル兵の横を通り、イスラエルに完全に「占領」された土地へ向かうのだ。みんな口には出さないけれど、やっぱり心配だ。

「パパおかえり~!」と手を振ると、くわえ煙草のまま軽くヤギを追う棒を上げるパパ。一日の仕事を終えて静かに微笑むパパの姿を見るのがとても好きだった。

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ハイサムの弟のアシュラフと仲良くなったのは、夏に村のなかでハイサムの姿を探しまわっていたとき、村の人が「彼はハイサムの弟だから彼ならハイサムが何処に居るか知っているかもしれない」とアシュラフのところへ連れて行ってくれたことがきっかけ。アシュラフがハイサムの携帯電話に電話してくれ、病院に子どもを連れて行っていたハイサムと数時間後に会うことが出来た。

その日から、ハイサムの弟という親近感もあって、ずいぶんアシュラフと仲良くなった。一番の理由は、アシュラフの冗談にヒネリが効いていて、話が面白く上手な人で、話していてとても楽しいということ。頭の回転が速く、常にみんなを笑わせることを考えている。アラビア語で「愉快な人」に対して「ダンムハフィーフ」と評する褒め言葉がある。直訳すると「血が軽い」という意味なのだが、アシュラフは本当にダンムハフィーフな人だ。

デモになると、危険を顧みず、最前線に突っ込んで行く。勿論突っ込んで行くといっても、旗を持って前線で声を上げるというだけなのだが。そして、催涙弾が撃ち込まれ始めると、転がってきた催涙弾を躊躇なく掴み、イスラエル兵に投げ返す炎のファイターだ。

だからこそ、去年の夏、彼は何度目かの逮捕をされた。「逮捕や拘束や暴力で俺たちをビビらせようとしたって無駄さ」と微笑むアシュラフも、今回ばかりはキツかったに違いない。何故なら彼には子どもが生まれたばかりだったから。一人娘のアダーリを目のなかに入れても痛くないほど可愛がっている。パレスチナ人は基本的に本当に子煩悩。生まれたばかりのアダーリを残して、いつ出られるか分からない軍の刑務所に入れられるのは辛いことだっただろう。

そして12月、ワタシがパレスチナに赴く直前、アシュラフが釈放されたとの知らせが入った。実際にビリンでアシュラフに再会して「おかえり!辛かったね」と言うと「大したことじゃないよ」と彼は笑った。そして釈放の条件として「デモに参加しないこと」とのお達しがあったらしいが、「アホぬかせ」とばかりにアシュラフはデモの最前線に立っている。

ビリンの大人たちは、子どもたちの将来をとても心配している。既成事実として作り上げられた入植地や分離壁、それらによって永久に村の土地を、自分たちの土地を、暮らしを失って、この先子どもたちがどうやってここで生きていくのかと。「子どもたちのためにもこの土地を取り戻さなきゃ」と。

アシュラフもそんな風に、アダーリの幸せだけを願っているひとりのお父さんに過ぎない。これがイスラエルが「テロリスト」のレッテルを貼り、逮捕し続けている男の素顔。

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ようやくビリンに辿り着いた最初の夜、再会を果たしたハイサムとFFJの事務所からの帰り道、付近の畑からレモンをもぎ取り、爆笑しながらかじり歩いたその夜、一ヶ月ぶりにイスラエル軍による村への侵入があった。

村のなかで何かがあると、すぐにFFJの責任者であるイヤードに連絡が集まるようになっている。そこから連絡を受けたハイサムとマンゴーとイタリア人の活動家のF、イギリス人の活動家Jと一緒に急襲されている家へ向かった。緊迫した空気のなか「ひとりになると危険だから、絶対にグループから離れないように!」とハイサムがきつくみんなに言い渡す。他の誰かの目があれば防げるかもしれない誘拐や暴力から身を守るため。みんな無言でうなづく。

連絡を受けた場所に行くと、なんとそこは「インターナショナルハウス」と呼ばれる、外国人の活動家やジャーナリストのためのゲストハウスだった。FやJにとっては自分の家が強襲されたわけだ。「ここはワタシの家よ、入れなさい!」「家宅捜索の令状を見せなさいよ!」と迫るFに「この場所は軍事封鎖地域に指定されている。下がれ!」と馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返す兵士。ビデオをまわすハイサム、写真を撮るマンゴーやワタシにも「下がれ!写真を撮るな!ビデオを止めろ!」と吠えまくる。大粒の雨のなか、その場に立たされたままパスポートを取り上げられ、無線で軍の本部へ照会を始められた。「コレはやばいなあ…」内心焦る。

しばらくして、ようやく家のなかに入り込むと、7、8人の兵士が家のなかを捜索している。「何を捜しているんだ?何か見つかったのか?」と問う住人のアイルランド人の活動家Tの問いかけには無視を決め込む兵士たち。家のなかはもちろんのこと、こちらのひとりひとりの顔をビデオとカメラで記録していく兵士たち。

そして一時間ほどして帰っていった。

大雨にうたれびしょ濡れでマンゴーの家に辿り着いた。疲れなのか何なのかマンゴーがやたらハイになっている。「ここ一ヶ月も夜間の侵入がなかったのに、メストが来て初日の夜に侵入があるなんてさ!メストはラッキーなのかアンラッキーなのか!」ということを大笑いしながらしゃべりまくる彼。疲れたみんなは黙り込んでいるし、パスポートを軍の本部に照会され「国外退去、次回の入国禁止」が可能性としてのぼってしまったFは頭を抱え込んで半泣きになっている。「あーあ、なんと初日の夜に夜間侵入に遭遇するなんて!メストおまえってやつは!!!このたったの一回が最初で最後かもしれないなんてなあ!」と周りの神経に触れることをお構いなしに笑いまくるマンゴー。内心は滅茶苦茶ブルーだったけど、マンゴーに調子を合わせて笑うしかなかった。

「こんな状況に置かれてあなたはよく笑っていられるわね」泣き顔で、そうFに告げられた。でもマンゴーなりの気遣いで、茶化しながらシリアスになり過ぎないように、わざとそうやって笑い話にしてくれていることが、痛いほど伝わってきた。それが分かるから、ワタシには笑うしかなかった。国外退去より、入国禁止より、遥かに遥かに深刻な辛い目に遭わされているのは彼らの方なのだ。

大雨にうたれた体と服をたき火で乾かしながら「これがみんなと会える最後なのかもしれない、悔いのないようにこの日々を過ごさなきゃ」と覚悟を決めた。

後日、結果的にはまだ持ち点が残っていて、ゲームオーバーにならずに済んだことが分かったけれど、この夜のあの気持ちは、一生忘れないと思う。何ひとつ法を犯していなくても、何ひとつ悪いことをしていなくても、相手の気分一つで自分の身の行く末が決まる「占領」がどういうことなのかを、体で感じた夜。

あの夜、ハイサムが撮った映像→http://www.youtube.com/watch?v=J9woGNUOd1M&feature=player_embedded

そして、ついに最近のデモではイスラエル軍は実弾を使いはじめているとのこと。

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