世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2010年02月

「実家に帰ってくる祭には、是非とも一度パレスチナの話を聞かせてほしいとみんなに言われている」と父母から告げられてしばらく経っていた。地元で早期退職をして、自分の畑で蕎麦を育て、蕎麦打ちに夢中になっている父には、蕎麦を通じて広がった友人、知人が多いと言う。その輪のなかで、時々「フォーラム」を開いて、集まってさまざまなジャンルの勉強を重ねているそうだ。

父と母からその話を聞いたとき、「普段地元でお世話になっている父と母の仲間の皆さんに娘として恩返しが出来るなら…」なんていう気持ちで引き受けてしまった。父と母からはノーギャラを強調されていたし(笑)、集まる方々もごく親しい友人が集まる小さな集まり…と聞かされていた。それこそ、ワタシがオムツをして歩いていた頃から知っている、父の古くからの友人が中心だろうと。

会場に着いて、まずは立派な建物に驚いた(笑)そして続々とお集まりになる人数に驚いた。圧倒されながらも、休憩を挟んで二時間、エルサレムの立ち退きと家屋破壊の話、カルキリヤの分離壁に四方を囲まれた町の話、ナーブルスの町で出会った人々の話、入植者と隣り合わせに暮らすへブロンの人々の話、そしてビリンの話をゆっくり、じっくりとすることが出来た。そして、質問には多くの手が挙がり、ご来場者の発せられる疑問によって、足りなかった部分の補足までが出来た。

どこか遠くのほうにあるパレスチナの、なんだか分からない小難しい紛争の話ではなく、皆様の胸に誰か一人の笑顔でも、印象でも、残すことが出来たならと思う。

恩返しなんてこんな若造には百年早かった(汗)。たっぷりとギャラをいただき、そのうえ「才能のある若者を育てることがフォーラムのひとつの目的」と多額のカンパをいただいた。昨今「若者を育てる」と口で言うばかりで、その実態は間逆の搾取と押さえつけのような「大人」も居るけれど…。

会場では、カルミーの病気のことを案じて多くの方がお気持ちをお寄せくださった。このことを、しっかりとビリンに戻ってハイサムに伝えたい。

会場で終始ニコニコしながら、多くの地元の仲間達に囲まれていた父と母の姿をみて、とても嬉しかった。仲間の皆様に父と母がとても大切にされ、愛されていることがよく分かったから。

いろいろな意味で、恩返しのつもりが、すっかりお世話になりっぱなしになった会となった。

ご来場者の皆様、フォーラム’10実行委員会の皆様、本当に有難うございました。

パレスチナを語るドサまわりの日々も中盤を迎え、明日の福山市神辺文化会館での「フォーラム’10」実行委員会の方々のお招きで、パレスチナを語ることになった。

ドサまわりの初日は、朝早く東京を旅立ち、正午にブログ友達のFaridaさんにお目にかかった。ふたりで神戸の王子動物園を散策しながら、いろいろなことを語った。Faridaさんがおっしゃったパレスチナの「負けるための闘い」の話がとても心に響いた。パレスチナで日々みんなの生きる姿を眺めていて、負けるんじゃないか、きっと勝てはしないと思う…多くの人が、そう感じていることに気付かされる。彼らもそれを知らない訳じゃない。圧倒的なイスラエルの軍事力や諜報力の前で、まともに向かって行って勝てっこないのは分かりきっている。ピンクさんがご自身のブログで度々述べていらっしゃるように、パレスチナ人は悲しいほどにお人好しで、優しすぎるのだ。それでも向かっていくのは「矜持の問題」とFaridaさんはおっしゃる。本当にその通りだと思う。楽しく、素敵な時間をありがとうございました。

夕方、この冬の「ガザ・フリーダムマーチ」の参加者で友達になれたYさんと落ち合い、中華街や港の散歩を楽しんだ後、Yさんのお宅へお邪魔してふたりでダラダラ語って過ごした。寝る前にふたりで入植者に囲まれながら生きているへブロンに住むパレスチナ人の女生徒についてのドキュメンタリーを観る。一緒に歩いたへブロンの町の置かれた悲しくて悔しい現実に、ふたりとも押し黙ったまま画面をみつめる。パレスチナ自治区と呼ばれる西岸のなかでも、パレスチナ人の町や村であるはずの東エルサレムでも、今この瞬間にも不条理に自分達の土地を追われている人たちがいる。

翌日、報告会に向かった。東京から送った写真を会場に並べ、スライドの用意をした。持ち時間はたったの一時間。あれこれと一時間で語ることはとても難しい。歴史的な背景や、出会ってつながり続けている多くの人たちのことや、各町の現状は割愛せざるを得なかった。エルサレムの分断、壁に四方を囲まれたカルキリヤ、入植者に追い出されているへブロン、そして分離壁と闘うビリンに生きる人々のことをかいつまんで話せただけだった。それでも、ご参加の皆様の心に何かを残せたのであれば、それは無駄ではないこと。ブログを観てご来場くださったキャンねこさん、クマさんありがとうございました。ゆっくりと話す時間もなくて…心残りです。

そして、いよいよ明日は地元近くの会場にて語るパレスチナ。時間は「一時間以上、三時間以内ならどれくらいでも(笑)」とおっしゃる主催者。伝えたいことをゆっくりと伝えられそうだ。「テレビが報道しない紛争地の住民と日常生活について見識を深めていきたい」とのこと。それこそが自分の伝えたいことだと、自然と気合も入る。

場所は福山市神辺文化会館会議室1&2(福山市神辺町大字川北1155-1、電話084―963-7300)。13時半から16時半まで。参加費500円。

もし近辺の方がいらっしゃいましたらお越し下さい。

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2月19日、ビリン村の違法な分離壁に反対する運動の5周年の記念デモが呼びかけられた。その数日前に「全世界の仲間のみんな、この記念すべきデモに集まろう!」とFFJは呼びかけた。そして国際司法裁判所のからみでビリンとも縁の深いスイス、ジュネーブの市長をはじめ、全世界、他の西岸の町、イスラエル国内から3,000人もの人々がこのデモに集まった。

この5年の間に多くのことがあった。1,200人が怪我をさせられ、バーセムが殺され、85人もの村人がイスラエルに逮捕された。そして、この5年間で勝ち取ったのは「イスラエル最高裁による村を分断する分離壁ルートの違法性と見直し命令」と、ようやく始まったその予定ルートに敷かれたフェンスの解体作業。新たなルートによっても奪われた30パーセントの土地しか取り戻せない。残りの70パーセントの土地には、既成事実として造り上げられた入植地が鎮座している。

でも、村人たちは絶対にあきらめない。辛いことも、悲しいことも、持ち前のガッツと明るさのなかに封じ込めながら、未来の世代のために闘っている。

そんなビリンの5年間に遠い日本からエールを送った一日。

ハイサムが撮ったデモの様子↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=quSVqqEao4c&feature=player_embedded

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去年からいきなりひどくなった花粉症。ここ最近ジワジワと症状が出ているので、ああ…春が来たんだなあと思う。

やることに追われていて、なかなか丁寧にひとつひとつをこなせない毎日。日々休みのような、日々仕事のようなメリハリの少ない毎日。ああ、このままじゃいけない。

写真展の直前に、前の晩御飯のゴーヤチャンプルーと冷めた白米を弁当箱に詰めて、井の頭自然文化園にひとやすみに行ってきた。そんなに撮影に身が入ったわけでもなかったが、のんびり梅の花を見ながら食べるお弁当の味は格別だった。

春はそこまできている。なんてことはない日常の話。ちょっとだけひとやすみな一日の話。

これからしばらく、大阪→神辺(広島県)→谷戸(西東京市)→高円寺とパレスチナを語るドサ周りの日々。

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「明日はそろそろ子ヤギが生まれそうだな」前の晩にパパがお茶を飲みながらそうつぶやいた。「メスト、子ヤギを自分の手で取り上げてみるか?」とパパは笑った。そんな大役が務まるのかな?ドキドキしながら眠りに就いた。

朝、とりたてて子ヤギの出産が珍しいシーンでもなんでもない妹たちは、手伝うそぶりはもとより、ベッドから起きだす気すらないらしく、毛布をアタマまでかぶって寝ていた。昼ごろまで寝ていることが多い妹たちに、ときどきママが「あんたたちいい加減に起きて家事をしなさい!」と怒るものの、知らんぷりを決め込んで寝たふりをしている。「兄貴が夜中に帰って来て腹が減ったって言うから、夜中にわざわざご飯を作ったのよ。もうちょっと眠らせてよ。ああ疲れた」と不貞寝している。

確かに、長男のハミースや三男のヘルミーは、夜遊び(と言っても村の友達と水煙草ふかしてお茶飲んでるだけ)をして帰って来て「腹が減った!」と妹たちを叩き起こしている。不機嫌な顔して返事もせずにキッチンに向かうのが彼女たちの精一杯の反抗。冷蔵庫から自分の食いたいもん探して勝手に食えばいいのになあ…と日本的文化に染まったワタシは寝ぼけマナコで思う。

話が逸れた。階下の家畜小屋に降りてみると、小屋の一角に敷物を敷いて、ゆっくりお茶を飲みながら静かに子ヤギを取り上げるタイミングを待っているパパとママの姿があった。

小屋の向こう側から差し込む光がとてもキレイで、軽々しく話しかけちゃいけないような厳粛な空気を感じて、黙ってシャッターを切った。

生れてくる命に静かに向き合うパパとママ。これがあんたたちの言う「テロリスト」かよ?とイスラエル軍のお偉いさんに、この光景を突き付けたくなった。そんなワタシの怒りや、悲しみや、やりきれなさをよそに「さあ、そろそろかな」とパパがお茶の入ったカップを置いて立ち上がった。

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