世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2010年03月

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キリスト生誕の地があるベツレヘム、ここには多くのクリスチャンとムスリムが仲良く隣り合って暮らしている。さかんにパレスチナは「宗教戦争だ」としたり顔で語る人がいるけれど、それが主な原因ではないことは、この地の二つのコミュニティの共存で明らかだ。もちろん、「ユダヤ教徒の国家イスラエル」という国をつくった以上、そこに宗教的な争いの要素はないとは言えない。でも、宗教を原因にするだけでは、この争いの本質は見えてこない。

まあ、そんなコムズカシイ話はいいや。

ワタシは、このベツレヘムの一角にある市場が大好きだった。時間があればここに通って、店先に座って市場の人たちを撮った。ときどき、忙しそうなお店の手伝いなんかもやっていた。ハーリッドさんと言う雑貨商と仲良くなったことがきっかけで、ここの市場の人々との付き合いが始まった。彼らの生活がみえるこの市場が大好きだった。額に汗して働いていることの充実感なのかな?小さくても一国(一店舗)の主であることの誇りなのかな?みんないい顔して働いていた。しかし、そこに店を構えるまでに経験してきた苦労は、みんな並大抵のものではない。ハーリッドさんも貧しい難民キャンプの出身で、小学校を終えるとすぐに働きに出なければならなかったという過去をもつ人だ。そんな話は珍しくない。

先日、ようやく冬のパレスチナ訪問記の原稿を書き終えた。だから、それがどうなるかはまだ分からないけれど。先月公民館で講座をした際のアンケートをもらった。そこにしたためられていた皆様のお言葉から、本当に「ふつうのパレスチナの日常とそこで生きる人々のありのままの姿」を伝えることの意味は大きいと感じた。

早くパレスチナへ戻りたいと思っている。でも、今度はもう少し計画的に。

みんなの笑顔に出会いたい。

その(1)はコチラ→http://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/33700093.html

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パレスチナ自治区、西岸地区のなかでパレスチナ自治政府が実権を握っている地域は約四割に過ぎない。ヨルダン川沿いの水資源のある地域は例外なくイスラエル側が掌握し、肥沃な土地、テルアビブやエルサレム郊外のベッドタウンとしての入植地などを狙って、軍隊の駐留と入植地とが西岸地区を巣食っている。

オスロ合意後、パレスチナによる自治は拡大したと言えども、大きな町やその周辺の一部の地域に過ぎない。西岸地区は国際法的にも明らかにパレスチナの領土ではあるが、譲らせるばかりで自分は一切譲らないイスラエルには、それらの土地をパレスチナ側に渡す気はさらさらない。その証拠に現在も、西岸の、東エルサレムの入植地は拡大するばかりである。

西岸地区の入植地同士を結ぶ街道、テルアビブやエルサレムと入植地を結ぶ街道が、西岸地区を分断している。その街道のいくつかは、西岸内にあると言えどもパレスチナ人の利用が許されていない。

そのために、各町から街道に出るポイントには必ずイスラエル軍による検問が敷かれている。

検問所では、どの車が止められるか分からない。もちろん、西岸地区からイスラエル領内へといたる場所での検問は一台一台チェックが入るが、平常時西岸地区内の検問は、ランダムに行われる。

この日、ナーブルスへ向かおうとしていた。町へ入る手前の検問所で、車が何十メートルも列を連ね、やがてピタリとも車列が動かなくなった。どうやら念入りに検問を行っているようだ。三十分近くもその状態が続いた。

自分が乗った車の何台か前にいた車(乗り合いタクシー)が検問のため止められた。中の乗客は一列に並ばされ、イスラエル兵に銃口を向けられたまま、ひとりひとり自分の荷物を順番に開けなければならない。

ただ、他の町へ移動しようとしているだけで…。

しかも、自分たちの土地、自分たちの自治区の中で…。

世界はどうして黙って見過ごし続けているのだろう?違法な入植地とこの「占領」を。

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以前、大好きなドクトール・ホマール(ロバ先生)のことを書いた。彼の本名はヘルミー。マンゴーのすぐ上のお兄ちゃんである。彼はエジプトで医学を修めたが、残念ながらその資格を活かせる仕事に就けていない。

かつて書いた彼のこと。↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/33582642.html

彼は村の活動家で、昨年7月に逮捕、拘束されたままのアディーブさんの次女と婚約中。昨年秋に結婚する予定だったが、アディーブの軍事刑務所への収監が長引き、結婚は延期となった。彼女とはいとこ同士にあたる。もう、本当だったら新居で一緒に生活を始めていたであろう冬、ドクトールと彼女は毎晩のようにお互いの家を訪問しあっていた。なかなか一緒に暮らし始められない…若いカップルは、もう待ちきれないとばかりに、暗い夜道に手をつないだり、腕を組んだりして歩いていた。傍目にも熱愛が分かるくらいの熱さで…。結婚前の若いカップルには珍しいことだ。でも、周りも事情を察して見守っているようだった。

ドクトールは、私が知る限りほとんどFFJの活動とは距離を置き、デモなどにもあまり参加しない。金曜日にはラマッラーへ買い物や、友達に会いに出かけることが多く、仕事が終わった夜も同様だ。マンゴーとワタシが、夜中にイスラエル軍の侵入を撮影に向かっても、ドクトールは家でナルギーレ(水煙草)を吸い続けている。

彼は、新居を建てるため、結婚をするために、建設業の肉体労働者として働いている。朝七時くらいに仕事に向かい、夕方六時くらいに泥だらけになって帰ってくる彼は、必ず泥だらけの作業着から私服に着替え、小ざっぱりとした格好で遊びに向かう。家にいることがほとんどなかった。

FFJの活動も、もちろん個人の自由なので、力を入れている人、距離を置いている人双方がいる。それは、たとえ兄弟同士、親子同士であっても同じことだ。ドクトールや次男のムスタファのように、イスラエル領内に働きに行かなければならない人は、分離壁反対運動に関わることは不可能に近い。心のうちに色々なものがあっても、イスラエル領内での労働許可証を守るためには仕方がない。そういう経済システムにパレスチナは組み込まれてしまっているのだから。産業を育たせず、イスラエルの領内での低賃金労働者として働くしかないように。

かつて、ドクトールはビリン村で分離壁への反対闘争が始まったとき、最前線で活動する活動家だった。村で最初に逮捕されたうちのひとりだったそうだ。その頃彼はまだ学生だった。そしてその頃、足を撃たれて怪我も負っている。

その話を今回ママから聞いて、何も語らず、夜な夜な能天気に遊んでばかりいる彼の姿は、一種の切ない処世術なんだと気づかされた。運動に深入りすれば、仕事を失い、婚約者との未来を築くことが難しくなるから。

思い切り活動に没頭する弟を、彼はどんな思いでみつめているのだろう。そしてやがてマンゴーにも、そんな葛藤の日が来るのだろうか。

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2009年最後の日、一緒にいた日本からのグループと離れたかったワタシは、彼らがエレズにデモに行くというので、願ったり適ったりとラマッラーのデモへ出かけた。ガザへの連帯を示す2009年最後の日のデモ。そこにはビリンからも何人かが参加すると聞いていた。

デモのさなかにイヤード、マンゴー、ハイサム、アシュラフと会えた。そしてそのまま彼らと一緒にビリンに向かった。たった一週間ぶりの村の景色なのに、その間に散々な目に遭ったワタシには、とてつもなく遠く、恋しい景色だった。

そのまま村から離れたくなかった。しかし、翌日ビリンのデモへ日本からの一行を案内することになっていたので、エルサレムへ戻らなければならなかった。

夕方、もうすっかり暗くなり、ラマッラー行きのセルビスは三十分待っても来なかった。木曜の夜だ、みんな早く仕事を終えて、週末の夜を家族と楽しみたい。「むしろ帰れなきゃいいのになあ…」なんて言いながら、さらに待った。

そこへ、ラマッラーから帰ってきた村の活動家イブラヒムが通りがかった。かなりシャイな青年なので、挨拶以上の会話をほとんど交わしたことがなかった。「あれ?メスト…どうしたの?」「今日中にエルサレムまで帰らなきゃいけないんだけど、セルビスが終わっちゃったのか来なくてさあ。かと言って、タクシーに乗るお金もないし」。ちなみに運賃はセルビスなら6シェケル、タクシーだと50シェケル。

黙ったまましばらく考え込んだイブラヒムは、いきなり携帯電話を取り出して、隣村に住む知り合いのドライバーに電話をしてくれた。「彼はお風呂に入って、ご飯を食べたら車を出してくれると言っているから、彼が来るまでうちでお茶でも飲んで待ってればいいよ」と家へ連れて行ってくれた。

イブラヒムは、抵抗のアートを、イスラエル軍に撃ち込まれた弾やキャニスターで作るアーティストだ。無口な彼はその自分の思いをアートに昇華させている。デモの最前線に常に立ち、撃ち込まれた催涙弾を投げ返す炎のファイターだ。でも、だからこそ彼もイスラエル軍の目の敵にされ、1月逮捕されてしまった。

やかんいっぱいのお茶を沸かしてくれて、いっぱいお茶を勧められた。親切心から思わず助け船を出したものの、イブラヒムは迎えの車が来るまで少し居心地悪そうにそわそわしていた。

イブラヒムの作品を写真に撮らせてもらっているうちに、外からクラクションが聞こえてきた。ドライバーと何やら話をしたイブラヒムは「通常のセルビスの料金でいいってドライバーが言っているから」と、そこまで話をつけてくれた。

イブラヒムが村に帰ってきたという報せが待ち遠しい。

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十二月以来逮捕されて拘置所に入れられていたFFJの活動家、アブダッラーが帰ってきた!本人からメールが来ていてビックリした。アブダッラーはビリン村の出身。ラマッラーの高校で英語の教師をしている彼は村から車で三十分ほどのラマッラーで暮らしている。

ワタシは実は、アブダッラーに直接会ったことがない。何故ならワタシが村へ行くたびに、彼は逮捕されて拘束されている。いつも何故かすれ違いで、一度も会って話したことがない。お互いに、みんなからお互いの話を散々聞かされてはいても。

アブダッラーは、今回「不法武器所持」というでっち上げの容疑で捕まった。彼の家にあったのは、ビリン村のデモのさなかにイスラエル軍から撃ち込まれた催涙弾のキャニスターくらいだ。

話は変わり、昨日「軍事閉鎖地域」に指定された金曜日の二度目のデモだった。これは金曜日の朝八時から夜八時までビリン村へイスラエル人と外国人が立ち入ることを禁じたイスラエル軍の命令。今週は、その命令に従わず(っていうか、こんな馬鹿げた命令に従わなきゃいけないなんて…)デモに参加したイスラエル人の54歳の男性活動家が逮捕された。あんまりだ。

こんな馬鹿げた軍法でパレスチナの占領を続けるイスラエルの本当の姿を、ひとりでも多くの人に知ってもらいたいと思う。悔しいけれど、今の自分には他に出来ることが何もない。

一日経っても、ハイサムの映像がアップされない。マンゴーの写真がアップされない。こんな日は、彼らの身に何かが起きているんじゃないかと、彼らのことが心配でたまらない。

☆写真☆
昨日のデモで撮られた写真。村の友人サーメルから送られてきたけど、撮ったのはマンゴーかなあ…。ちょっと不明。

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