
昨日、ビリン村のハイサムの甥っ子、14歳のジャマールが、イスラエル軍兵士にゴム弾を撃たれて、ラマッラーの病院へ救急搬送されたと聞いた。撃たれたのはお腹と顔。命に別条はないと信じたいが、その後の容体などは確認できていない。
ジャマールは、ワタシが1月にビリンに辿り着いた直後、分離壁のそばで遊んでいたところを、パトロール中のイスラエル軍に捕まり、イスラエル軍の監視所に連れ込まれ、目隠しと手錠をされたまま4時間も拘束された。その4時間のあいだの暴力、脅しの言葉、14歳の少年が体験するには過酷すぎる体験を強要された。でも、これは何も特別なケースじゃなくて、多くのパレスチナ人の少年少女が味わっている苦難。
噂は、村のなかを疾風のように駆け抜ける。この日も朝起きて妹たちに「ミカ、ハイサムの甥のジャマールが拘束されて行方不明って言う話よ」と伝えられた。慌ててハイサムに電話をかけ、噂が本当であることを知り、急いでハイサムの家に出かけた。アブーラハマ家からは、壁も監視ポストもよく見渡せるので、ベランダから必死に様子を見てみたけれど、何も分からなかった。
数時間後、ジャマールが帰ってきた。ハイサムがジャマールに色々と早口で訊ねている。壁のそばで友達と一緒に遊んでいたら、みんな捕まったとのこと。拘束された4時間のあいだ、「誰が分離壁反対運動に深くかかわっているのか?」「デモで投石をしているのは誰なのか?」「おまえらも反対運動に関わろうとすると、今後どういう目に遭うか分からないぞ」などと、尋問、脅しを受けたという。
ジャマールは、ハイサムの一番上のお兄さんアーティフの長男。サッカーとPCでのチャット、歌やダンスも大好きで、とにかく元気で明るい、そして少し大人びた雰囲気の少年。病気の従弟のカルミーの面倒を本当によくみる優しいお兄ちゃんでもある。
そんなジャマールが、痛みに顔を歪めながら、手錠をかけられて真っ赤に腫れあがった両手を見せてくれた。写真を撮ったあと、すごく悔しい気持ちになり「ジャマール、痛かったね、怖かったね、よく頑張ったね」と思わず自分より背の高いジャマールの頭をなでた。ジャマールは笑いながら「よくあることだよ。絶対に負けないから」とワタシの真似をして「ミカ、よしよし」と頭をなで返してきた。
いま、ジャマールだけでなく、ビリン村では、いやパレスチナでは多くの少年たちが、このような目に遭わされている。少年たちが、自分たちの声で、自分たちの思いを…故郷を返せ、人間として当たり前に生きていける権利を返せ…と叫ぶことは、そんなに罪なことだろうか?誰に言わされているわけでもない。親たちや周りの大人たちの味わってきた苦難をみつめながら、自分で感じ取り、自分で考えて発している言葉であり、行動だ。
そして、その言葉とともに、石のつぶてを投げることは、そんなに罪なことだろうか?彼らには、最新式の兵器、武器に立ち向かうのに、死をも受け入れる覚悟と、その覚悟の末の声と、小さな石ころしかないというのに…。
ビリン村で、中心となる大人たちが掲げる「非暴力」での抵抗、それは尊いものだと思う。ショボイ武器で向かっていった挙句に何千人、何万人と殺されてきたパレスチナでは、武力をもって向かっていくことの意味さえも揺らいだ。その末に「非暴力闘争」を掲げ、そのことによって多くの世界中からの賛同と支援を得たのも事実だ。ワタシごとき部外者が、さまざまな考え方の人々にあれこれ意見する、口をはさむ立場にもない。
でも「非暴力で向かっても結局はいままでと同じように潰される。石ひとつ投げることが、そんなに暴力的か?」と問いかけてきた、ある友人の言葉が忘れられない。そして、そんな思いの少年たちは、「非暴力闘争」を掲げるビリン村のなかにもたくさんいる。




