世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2011年05月

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5月7日、ほとんど眠れずに空が明るくなった。あんなに何日も眠れないのは久しぶりだった。でも、それ以上に驚いたのは、眠れないのに、日中ボランティア作業をやっていて、疲れを感じていないことだった。神経も、心も、どこかしら麻痺していたのかもしれない。

前日の夜、コサカさんが「朝起きれたら田老に行ってみる?車出すよ」と声をかけてくださったので、ミズキ、チサコさん、ホダちゃんを誘って田老地区へ。宮古の中心部と違って、見渡す限り瓦礫。津波の破壊力を改めて知る。大きな田老観光ホテルも、下の階はあとかたも残っていなくて鉄骨のみが辛うじて残っている状態。防潮堤も津波で破壊され、車も家も商店も、なにもかもが特色のない「瓦礫」となっていた。

そのひとつひとつに、色んな人の人生が関わっていた。すべて、誰かの大切なものだった。そう考えると、瓦礫は無機質な何も語らないコンクリートや建材や鉄のカタマリではなくなる。

宮古で出会ったたくさんの人と話しているとき、語られる言葉に耳を傾けているとき、何度も泣きそうになってしまうこともあった。でも、その方々の前でワタシが泣くのは筋違いな気がして、瞼を開いて必死に涙を乾かしながら、話を聞いた。

でも一度、たったひとりで作業をしているとき、自分の家が解体されていくのを力なく座り込んで呆然と眺めている人の姿を目にして、パワーショベルのひと振りで、何年、何十年もの人生の積み重ねがほんとうに数分で崩れていくのを見て、防塵マスクとめがねで顔が覆われているのをいいことに、滂沱の涙を流してしまった。

目の前のその人の姿が、イスラエル軍のブルドーザーに家をなぎ倒され、瓦礫の山の前で呆然としているパレスチナのひとの姿に重なった。「これからどうすればいいのか…」と涙にくれる人たちの姿に。

それでも、いつか人はまた歩きはじめる。生きている限り。だからこそ、生きていることを肯定的にとらえる余裕のない被災者の方々に、少しでも何かが出来ればいいなと、いつも思う。現在、宮古の友人から「ボランティアが全然いない」と言われると、今すぐ駆けつけたいような衝動に駆られ焦るけど、でも出来るときに、出来ることを、自分の範囲で続けていくしかないんだろうな。

勝手なことを言わせて貰えば、どんな人にも出来ることはきっとある。義援金はもちろんのこと、被害の少ない東北内陸部に滞在しながら、ほんの少しボランティアに参加するもよし、営業を再開した観光地におカネを落とすもよし、現地の受け入れ先をみつけて本格的にボランティアに汗を流すもよし。

大体、日本ではボランティアって言うと、ちょっと「特別」視され過ぎなんだと思う。専門技術や知識を要するものもあるけど、志さえあれば誰にだって出来ることもたくさんある。最低限のマナーとして、現地に迷惑をかけないように配慮しなければならない部分は色々あるけど、その言葉が独り歩きしすぎて、未経験者にはハードルが高すぎる風潮があるように見える。

現地では、実際にありとあらゆる作業に人手が必要で、高齢者の多い町や村ではなおさらだと思う(そして今回の被災地は過疎が進む町であり村が多い)。だから、少しでも興味をお持ちの多くの方に、参加して、自分が関わった町や村に関心を持ち続けて、実感を持って復興を見守り続ける方々が増えるといいなあと思う。遠い誰かのことじゃなく、自分の出会ったひとの大切な町や村のこととして。

多くの方々に、ためらっているその一歩を踏み出してほしいなあと思う。自分の人生に大切な人が増える、大切な町が増えるって、幸せなことだとワタシは感じているから。

 
スーパーモーニングで放映されたパレスチナの現状
 
分離壁に囲まれた家、虐殺が起きたガザ、そして兄を殺されたビリンの友アシュラフも登場
 
分かりやすくまとめられています
パレスチナ 2011

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東京、那覇、京都とカメの歩みのように巡回してきた写真展「パレスチナ・そこにある日常」の次の開催地は広島県福山市。

パレスチナの地で難民として故郷を追われて生きる人々、不当に占領された土地で生きる人々の「そこにある日常」をテーマにした写真展です。

日時:6月9日(木)~30日(木) ただし14日(火)は休館日
   10時~19時 

場所:福山市中央図書館(まなびの館ローズコム) 1階展示コーナー
   福山市霞町1-10-1 
   084-932-7222

また6月11日(土)14時~15時半には同テーマの講演会をおこないます。
場所:福山市中央図書館 3階会議室

※予約不要 入場無料

問い合わせ:080-5459-9616(津森さま)

会期中前半は会場に居る予定です。

皆さまのお越しをお待ちしております。

転載、大歓迎です。支えてくださる皆様に心からの感謝を。

拙著「パレスチナ・そこにある日常」未来社
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624410919

5月25日、深夜一時過ぎ、二台のイスラエル軍のジープが村の中心部に侵入し、音響爆弾をぶっ放す。
 
村人たちに恐怖を抱かせ、その眠りを妨げるために。

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全国各地から宮古へのたくさんの支援物資が届いた。呼び掛けに応えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。今後とも現地との連絡のうえ、現地のニーズに迅速に応えていけるようにしていきたいと思います。出来ることは小さなことですが、確実に誰かの喜びや安堵の気持ちのみなもとになれるのなら、それも大切なことなのかなと思います。

再来週から、広島県福山市でパレスチナの写真展をやるので、パレスチナと被災地の問題の類似点などをずっと考え続けている日々。復興は、確かに間違いなく素晴らしいことだけど、自分自身も含めて、安易にその言葉を使い過ぎているのかな?と自省したりもする。

ひとつひとつの積み重ねが、全体の復興につながってはいても、復興ムードの陰で、その流れから取り残されていく人々のことが気になる。ご本人の努力とは関係のないところで、復興から取り残されていく人々が。

和平ムードに湧くたびに、必ずそのムードから取り残され続けてきたパレスチナ難民の姿を思う。カタチばかりの和平と引き換えに、自分たちの家や土地や財産の権利をすべて放棄しろと迫られ続けてきた人々を。

「どうして生き残ってしまったのだろう…」言葉は違えども、少しずつ表現は違えども、涙ながらにだったり、冗談めかして笑いながらだったり、ひとそれぞれだったが、そんな言葉を何回か被災地で耳にした。「最初はただ生きていることが嬉しかった。でも段々と現実の厳しさが押し寄せてきた。家もグチャグチャ、仕事も失い、友人も失い、生活を立て直すお金もない。残ったのは借金ばかり。働こうにも仕事がない。段々とどうして生き残ったのか…って考えてしまうのも無理ないよ」。何も言葉が返せない。

「それでも、生きててよかったですよ。きっと生きてればいいことがありますよ」被災地を自分の目で見なければ、被災した方々に直接会わなければ、きっとそんな言葉も言えていたに違いない。でも、宮古では、ワタシは出会った方々に、軽々しくそんな言葉を吐けなかった。パレスチナの友達に「きっと未来は明るい」と、安易に言えないように…。

でも、その言葉をいつか言えるように、努力していくことだけは続けて行こうと思う。現在少しずつ復興が進んでいることも事実だし、笑顔のひともたくさんいる。ただ、迷いなく復興へと自力で進める人々だけでなく、自力で進みたくてもどうにもならない人がいるということも忘れてはならない。それは、画一的に物差しで測れるようなものじゃない。

すべてのひとが笑顔になれて、すべてのひとが「やっぱり生きててよかった」と思えることが、本当の復興だと思う。その日まで、ワタシはささやかでも行動を起こしていきたい。その行動が誰かの笑顔につながれば、最高のご褒美だ。

写真はすべて宮古の魚菜市場にて。

☆追記☆
あ、そうそう、次回宮古に行く際には(6月後半か7月)、宮古復興支援のために、この写真のような「海産物セット」の注文を承って行くので、ご希望の方は何円のセット(内容は時期により変化あり)をいくつ、どこへ…ということをお知らせください。送料は大体一件1200円ほど。

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