2011年08月
村のリーダー、イヤードのビリン村案内1
これをみれば、ビリン村の闘いのすべてがわかる…?
なんでもない日常の愛しさ

だからこそ、ワタシは日常の愛しさを、写真に撮り、追い続けている。
3月にパレスチナ、エジプトから帰国して以来、京都の写真展があって、東京の写真展があって、宮古に行って、広島の写真展があって、また宮古に行って、アフガニスタンに行って…なかなか腰を落ちつけられることなく、あっという間の半年間を過ごしてきた。
その合間を縫って、必死に取り組んでいること、それは1~2月のパレスチナの日々のことをつづること。
それが、ようやく8割方書き上げられた。なんでもない日常を追っただけの物語なのに、気がつけば9万字を超えている。単純計算で400字詰め原稿用紙で225枚。もちろん、長けりゃいいってもんじゃないし、赤を入れてみれば無駄だらけな文章だろうけれど、それでも、それだけのことがあったということに、改めて驚かされる。
意気地無しで、怠け者で、だらしないワタシには、到底最前線で鋭く問題に切り込む能力なんてありゃしない。自分で言うのもなんだけど、あるのは、受け入れてくれる人々のなかに、分け入っていく図々しさくらいだ。「こんなの誰だって行けば書けるよ、撮れるよ」うん、きっとそうなのだろう。
それでも、ワタシは、その成果を恥じることもないし、このありふれた日常を、これからも追い続けて、撮り続けていければと思う。
17ヶ月間「暴力扇動罪」なる罪を被せられて収監されたアディーブは、久しぶりに家族のもとに帰り、村で友人たちに囲まれて過ごせる、そのひとときを、心から慈しんでいた。
ワタシが撮ったのは「それだけの写真」かもしれない。でも、彼がこのひとときを取り戻すまでに、どれほどの苦難を味わって、どれほど家族が辛い思いをしたのか…それは、彼のせいではなく、紛れもなく「占領状態」に置かれたパレスチナだからということを、ワタシは伝えたいと思う。
アディーブの末っ子の娘トゥトゥは、アディーブがイスラエル軍に連れ去られたとき、たったの2歳だった。アディーブが不在のあいだ、不安げで、怯えていて、笑わない子になっていた。
アディーブが帰ってきてからは、いつもアディーブと手をつないで、何処へ行くのも一緒で、嬉しそうに父親に甘えていた。
そんな家族の、ふつうのひと達の、心のひだを、これからもみつめていきたいと思う。
さあ、あと2割…頑張るぞ。たとえ、発表のあてはなくても(笑)