世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2011年09月

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最近、自分にとってハムディがビリンに居ることが、いかに大きなことだったのかを痛感する。2009年の夏、ハムディに出会い、カメラを手にするもの同士意気投合し、「兄弟」の契り?を交わし、たくさん大切な人がいるパレスチナのなかでも、彼は特別な存在だった。ハムディと彼の家族を通して、知ったこと、教えられたこと、学んだことがたくさんある。

今年の冬のパレスチナ行きは、そのハムディが故郷を立ち去ることを決めたからだった。故郷の村で、家族と過ごす最後の日々を、カメラで追いたいとビリンに向かった。

ハムディの出発を受け入れられない母親のバスマとハムディの心は、お互いにすり減っていた。理解されないハムディは怒り、理解できないバスマは泣き、そのふたりに寄り添って、向き合うことは、想像していたよりもずっと大変なことだった。

かつて「故郷には家族、友達、大切なものすべてがあるけれど、自分の夢を追う自由がない。占領がすべてを台無しにしている」と口にしたハムディは、パレスチナの人々の苦悩を言い当てている。みんな、生きていくのに、いや生き延びるのに精一杯で、目先のことではない、広い意味での将来の夢や希望や、そんなことを語るのは、贅沢ですらある。占領された地で、制限されて生きている環境で、夢や希望を持ったり、かなえたりすることは、日本でのそれとは大きく違う。

自由だって楽じゃない。自由があるからこその責任も苦難もたくさんある。いまの日本の社会には、そういう苦難が溢れている。でも、それでも、占領されて自由のない苦難よりは、よほどいい。

ここのところ、あまり周りのひととうまくいかないことが多くて「もう、いままでのすべてを捨てて隠遁する」とパートナーにぶつけると、彼は笑いながら「そうしたかったら、そうするのもいいんじゃん」とひとこと。そうなんだよな、ワタシには、それを簡単に選択する自由すらある。

PCもカメラも本も、すべてのしがらみも捨てて、新しい場所で生きていくって、どんなことなんだろう?最近、よくそんなことを考えてしまう。パレスチナもアフガニスタンも沖縄も宮古も、すべてを忘れて生きていく、それは、どんな人生なんだろう?

ハムディが自分の夢を追う自由を選んだ引き換えに失ったものは、故郷。

占領された、主権のないパレスチナには、独自の国境なんてないので、イスラエルの思惑ひとつで、出国も入国も制限される。

いつか、ハムディが自由に故郷へ帰れる日が来るのかな。ハムディとビリンで再会できる日が来るのかな。一緒にまたしょーもない冗談を飛ばしながら、ビリンの野山を駆け巡って並んでシャッターを切る日が来るのかな…。

そんなことを考えると、ビリンにハムディがいないことの意味を思い知る。

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今年の一月一日、ビリン村で、分離壁反対デモに参加していたわけですらなかったひとりの女性が、流れてきたガスの中毒で亡くなった。今年は、ワタシにとって、始まりから暗澹たる新年だった。

ジャワーヒルは、とても控えめな、おとなしくて、シャイな人だった。それがワタシのなかに残っている彼女の印象。

ビリンに向かったのは、ジャワーヒルが亡くなって、たった二週間しか経っていないときだった。風下で吸うだけでひとが死んでしまうようなガスも怖かったし、たった二年前に息子のバーセムを亡くしたばかりの母親ソブヘイヤに、さらにジャワーヒルのお悔やみを言うことも辛かった。ビリンに向かう足どりは、決して軽くはなかった。

死後40日のタアビーン(追悼集会、日本でいう法要のようなものか)を迎えるまでは、遺族のもとに親族や近所の人間が、毎晩のように集まって、死者を悼みながら、遺族を囲んで過ごす。

ここでも男女はハッキリ分かれていて、男性陣はソブヘイヤの長男アハマドをホストに、家の前でたき火を囲み、大きなテレビを外に出して、アルジャジーラで「アラブの春」を観ながら過ごしていた。宗教談議、政治談議、分離壁の話、ときには冗談も飛び交い、笑い声もあがるが、たき火に照らし出されるバーセムとジャワーヒルの写真は、遺族の痛みを痛感させた。

女性陣は、母親のソブヘイヤとアハマドの奥さんインム・イブラヒムがホステス役を務めながら、家のなかでジャワーヒルの思い出話を語っていた。ジャワーヒルの妹のアムナーは、つい「ねえ、ジャワーヒル…」と言いかけ、はっと彼女の不在に気づき、慌てて「そうだ、もうジャワーヒルはいないのよね…」とつぶやく。ジャワーヒルとアムナーは、本当に仲のよい姉妹だった。「いまだに、ここにジャワーヒルがいないことが信じられない。つい、いないことを忘れて、呼びかけてしまうの」。

たった二年のあいだに、愛しいわが子をふたりも亡くしてしまったソブヘイヤは、悲しみよりもむしろ、疲れきっているように見えた。土地を奪われ、たちゆかなくなった暮らし、そのうえ、「テロリスト」でもなんでもない、息子と娘を、理由もなく殺された。ただ、彼らがそこにいたから。ただ、彼らが分離壁を造られたビリン村で生きていたから…それだけの理由で。

そして、彼らを殺した兵士が理由を追及されることも、罰せられることもない。事実、バーセムを殺した兵士は「バーセムが投石をしたから」と堂々と嘘を繰り返し(それが真っ赤なウソであることは、彼ら自身が撮影している映像で明らかなはず)、ジャワーヒルの死に至っては「彼女は癌だった」と、これまた責任を逃れた。

結局、言っちゃったもん勝ち、やっちゃったもん勝ちの世界。和平がどうとかいいながら、臆面もなく違法な入植地の新規着工を表明する国。そこまで譲らされた先にある「和平」って、パレスチナにとってなんの意味があるのだろう?まあ、少しはあるかもしれないけれど。超限定的に。

大きなニュースの陰で、今日も家を壊され、追い出されて泣いているひとがいる。今日もどこかでバーセムやジャワーヒルのように、ただパレスチナに生きていた、それだけで殺される人がいる。

悔しいね、やりきれない。

ジャワーヒルとバーセムのポスターの下で、彼らの幼い甥っ子が、すやすやと寝息をたてていた。

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二ヶ月ぶりに訪れた宮古は、また一段と復興が進んでいるように見えた。商店の営業再開が増え、中心部からは瓦礫が撤去された。たとえ、それが表面上に過ぎなくても、復興の言葉の陰で多くの問題があるとしても、着実に町の雰囲気は明るさを取り戻しつつあった。

魚市場のある鍬ヶ崎も、5月にはまだ瓦礫の山、7月には瓦礫の何割かが解体され、この9月にはほとんどの瓦礫が撤去されて更地になっていた。その一方で、市場は再開し、水揚げが毎朝おこなわれ、問屋、加工会社それぞれがプレハブの事務所をつくり、工場を直し、営みを始めていた。

更地になった土地を、ワタシは頻繁にあてもなく自転車で巡る。眠れない朝のお決まりのサイクリングコース。土台だけが残った家のあとにはひまわりやコスモスが咲いていた。雑草も伸びていて、一見、ここが被災地だと知らなければ、のどかな光景にも見えかねない。更地の前も瓦礫の前の光景も知らないワタシには、かつての鍬ヶ崎を思い浮かべることができない。

鍬ヶ崎は、典型的な漁師町だったそうだ。海沿いの僅かな平地に間口の狭い家がひしめき合い、漁師さん、加工工場で働くひとが多く暮らしていたそうだ。そして、それらの人々の暮らしを支えるため、お店の数も多く、賑わいのある町だったと、多くの方々から伺った。

「かつての町の賑わいを取り戻すには、まずは商店が営業を再開し、ひとを町に戻さなければ…」と、このひとけの減った更地のど真ん中で、プレハブの仮設店舗を建てて、営業を再開していらっしゃる酒屋さんに出会った。

お名前はカワベさん。鍬ヶ崎の銘酒千両男山の菱屋酒造の工場の目の前で酒店を営んでいらっしゃったが、店舗、自宅ともに被災、現在は仮設住宅で暮らしながらの営業再開だ。

住宅と違って、商店や会社が被災しても、義援金など公的な補償は全くない。多くの商店主さんが、借金に借金を重ねて営業を再開するか、それを断念するかの厳しい選択を迫られている。先が見えない、この場所にひとが再び戻ってくるのかも分からない場所での営業再開は、いろんな意味で、大変な決断だったに違いない。

先の見えないなかで、必死に地域の再生を考えていらっしゃる、多くの方々がいらっしゃることを、この9月の訪問では実感した。

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今年で遂に8回目!アフガニスタン山の学校支援の会の総会&報告会のご案内

【東京】

10月1日(土)@武蔵野芸能劇場(三鷹駅北口駅前)

13時半 総会
14時半 当会代表・長倉洋海さんスライドトークによる現地報告会
16時  アフガン音楽ユニット「ちゃるぱーさ」ライブ
16時半 交流会

参加費:千円(報告会運営実費に充てさせていただきます)

【大阪】

10月8日(土)@高槻現代劇場・文化ホール展示室(阪急高槻市駅徒歩5分、JR高槻駅徒歩12分)

13時半   長倉洋海さんスライドトークによる現地報告会
15時15分 「ちゃるぱーさ」ライブ
16時    交流会

参加費:999円

長倉代表撮りおろしのパネル展示、スライドトークのほか、スタッフが撮影した子どもたちの映像や、東日本大震災に寄せた子どもたちの絵とメッセージの展示も予定。

http://www.h-nagakura.net/yamanogakko

多くの皆様のお越しをお待ちしております。

写真はスイカ割りを楽しんだ後、スイカを頬張るザーヒル(2年生)

約5か月ぶりのイスラエル軍のビリン村への夜間侵入
 
侵入の目的は、ハイサムの従兄弟バーデルの逮捕…という名の誘拐
 
国連加盟申請が大ニュースで世界を飛び交おうとも、
 
小さな村の、庶民の現実は、苦難だらけ

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