
今年の冬のパレスチナ行きは、そのハムディが故郷を立ち去ることを決めたからだった。故郷の村で、家族と過ごす最後の日々を、カメラで追いたいとビリンに向かった。
ハムディの出発を受け入れられない母親のバスマとハムディの心は、お互いにすり減っていた。理解されないハムディは怒り、理解できないバスマは泣き、そのふたりに寄り添って、向き合うことは、想像していたよりもずっと大変なことだった。
かつて「故郷には家族、友達、大切なものすべてがあるけれど、自分の夢を追う自由がない。占領がすべてを台無しにしている」と口にしたハムディは、パレスチナの人々の苦悩を言い当てている。みんな、生きていくのに、いや生き延びるのに精一杯で、目先のことではない、広い意味での将来の夢や希望や、そんなことを語るのは、贅沢ですらある。占領された地で、制限されて生きている環境で、夢や希望を持ったり、かなえたりすることは、日本でのそれとは大きく違う。
自由だって楽じゃない。自由があるからこその責任も苦難もたくさんある。いまの日本の社会には、そういう苦難が溢れている。でも、それでも、占領されて自由のない苦難よりは、よほどいい。
ここのところ、あまり周りのひととうまくいかないことが多くて「もう、いままでのすべてを捨てて隠遁する」とパートナーにぶつけると、彼は笑いながら「そうしたかったら、そうするのもいいんじゃん」とひとこと。そうなんだよな、ワタシには、それを簡単に選択する自由すらある。
PCもカメラも本も、すべてのしがらみも捨てて、新しい場所で生きていくって、どんなことなんだろう?最近、よくそんなことを考えてしまう。パレスチナもアフガニスタンも沖縄も宮古も、すべてを忘れて生きていく、それは、どんな人生なんだろう?
ハムディが自分の夢を追う自由を選んだ引き換えに失ったものは、故郷。
占領された、主権のないパレスチナには、独自の国境なんてないので、イスラエルの思惑ひとつで、出国も入国も制限される。
いつか、ハムディが自由に故郷へ帰れる日が来るのかな。ハムディとビリンで再会できる日が来るのかな。一緒にまたしょーもない冗談を飛ばしながら、ビリンの野山を駆け巡って並んでシャッターを切る日が来るのかな…。
そんなことを考えると、ビリンにハムディがいないことの意味を思い知る。



