昨夜はタハリール広場で、カイロ在住のパレスチナ人の友人ラーエドと待ち合わせてタハリール広場で過ごす。
普段はシッタオクトーバーという、カイロから少し西の砂漠へと入っていった新興の町で過ごしている彼。「タハリールなんて、2月にミカと一緒に来て以来だよ。普段は全然こっちに来ないもんな」と、二人でタハリール広場のデモを眺めながら、機会があればそこにいる人に話を聞く。
ラーエドのおじさんは、26年間イスラエルの刑務所に入れられていて、このたびの大掛かりなハマスによる囚人解放交渉により、刑務所を出てガザにいるそうだ。「でも、おじさんに会いに俺がガザに行くなんて不可能だけどね」と、おじさんのイブラヒムから送られてきた写真を見せてくれた。
夜も深まり、デモ隊と「政府に金で雇われた」デモつぶしとの間で大乱闘。投石が始まり、割ったガラス瓶での乱闘が始まり、騒然となる。流血者も増え、すぐそばにまで石が飛んでき始めたので、ラーエドと「もういいか」とその場を離れる。
広場のすぐそばのナイル川沿いでは、川を眺めながら人々がゆったりとお茶を飲み、水タバコをふかす。船の上では、まだ十代の若者が踊り狂う。「同じ通りの両側で、一方は血を流し、他方は踊り狂う…これがいまのエジプトなんだよなあ」とラーエド。
彼は今度の一月か、試験の結果次第では六月に卒業してパレスチナに帰る。「もうカイロには来ないだろうなあ」という言葉から、パレスチナ人が異国で、たとえ同じような言葉を話す兄弟国とはいえ、暮らしていくことは、ワタシには想像もつかない苦労があったんだろうなあと思う。ラーエドは昨日も、あちこちで聞かれるたびに「シリア人」「ヨルダン人」と名乗り、パレスチナ人だと話す相手に明かすことはなかった。
「早くエルサレムに帰って、薬局を開きたい。イスラエルでの許可証を取るのがまた大変だから、そう簡単には開けないだろうけど」。ラーエドの薬局を、いつか撮影できるといいな。
かつて住んでいたモハンデシーンに行き、ちょっと値のはるレストランでご飯を食べた。しばらく前に別れた彼女とモハンデシーンに来たことがあり、色々と思い出したようだった。相手の子はイラク人だったそうだ。「彼女に結婚してエルサレムに一緒に来てほしい」と言ったけど、「エルサレムは無理」と言われたそうだ。
イラク人女性がイスラエル領で生きていくのも、それは大変なことだろう。「お互いにすごく好きだったけど、どうにもならないもんな」と、ラーエドは辛そうにつぶやいた。国籍とか国とか、それによって人生の壁にぶつかるパレスチナ人の姿を多く見てきた。ラーエドになんの慰めの言葉もかけられなかった。
夜中になって、広場の騒乱状態は少し落ち着いたようだった。ドアまで送り届けてくれたラーエドと、今度彼の住むシッタオクトーバーに遊びに行く約束をして、別れた。
普段はシッタオクトーバーという、カイロから少し西の砂漠へと入っていった新興の町で過ごしている彼。「タハリールなんて、2月にミカと一緒に来て以来だよ。普段は全然こっちに来ないもんな」と、二人でタハリール広場のデモを眺めながら、機会があればそこにいる人に話を聞く。
ラーエドのおじさんは、26年間イスラエルの刑務所に入れられていて、このたびの大掛かりなハマスによる囚人解放交渉により、刑務所を出てガザにいるそうだ。「でも、おじさんに会いに俺がガザに行くなんて不可能だけどね」と、おじさんのイブラヒムから送られてきた写真を見せてくれた。
夜も深まり、デモ隊と「政府に金で雇われた」デモつぶしとの間で大乱闘。投石が始まり、割ったガラス瓶での乱闘が始まり、騒然となる。流血者も増え、すぐそばにまで石が飛んでき始めたので、ラーエドと「もういいか」とその場を離れる。
広場のすぐそばのナイル川沿いでは、川を眺めながら人々がゆったりとお茶を飲み、水タバコをふかす。船の上では、まだ十代の若者が踊り狂う。「同じ通りの両側で、一方は血を流し、他方は踊り狂う…これがいまのエジプトなんだよなあ」とラーエド。
彼は今度の一月か、試験の結果次第では六月に卒業してパレスチナに帰る。「もうカイロには来ないだろうなあ」という言葉から、パレスチナ人が異国で、たとえ同じような言葉を話す兄弟国とはいえ、暮らしていくことは、ワタシには想像もつかない苦労があったんだろうなあと思う。ラーエドは昨日も、あちこちで聞かれるたびに「シリア人」「ヨルダン人」と名乗り、パレスチナ人だと話す相手に明かすことはなかった。
「早くエルサレムに帰って、薬局を開きたい。イスラエルでの許可証を取るのがまた大変だから、そう簡単には開けないだろうけど」。ラーエドの薬局を、いつか撮影できるといいな。
かつて住んでいたモハンデシーンに行き、ちょっと値のはるレストランでご飯を食べた。しばらく前に別れた彼女とモハンデシーンに来たことがあり、色々と思い出したようだった。相手の子はイラク人だったそうだ。「彼女に結婚してエルサレムに一緒に来てほしい」と言ったけど、「エルサレムは無理」と言われたそうだ。
イラク人女性がイスラエル領で生きていくのも、それは大変なことだろう。「お互いにすごく好きだったけど、どうにもならないもんな」と、ラーエドは辛そうにつぶやいた。国籍とか国とか、それによって人生の壁にぶつかるパレスチナ人の姿を多く見てきた。ラーエドになんの慰めの言葉もかけられなかった。
夜中になって、広場の騒乱状態は少し落ち着いたようだった。ドアまで送り届けてくれたラーエドと、今度彼の住むシッタオクトーバーに遊びに行く約束をして、別れた。

