世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2012年05月

宮古でも、パレスチナでも、アフガンでも、近づけば近づくほど、抱えきれなくなりそうな、完全に自分のキャパオーバーだってことが、溢れてくる。

宮古で、ずっと親しくしている「おばあちゃん」がいる。その方は、津波でご家族を亡くされ、たったひとりで津波に遭った家をなおして暮らしている。

何度も何度も訪ねているうちに、初めてご家族のことを話して下さった。こちらからは、決して聞かない、聞けない、大切なご家族を津波で亡くされたことを。

「おばあちゃん」は、ふとしたとき、すごく寂しそうな顔になる。いつも努めて笑おうとしているのに、どうしても笑えないときがある。そんなとき、必ず、亡くされたご家族の話になる。

ひとりぼっちの家。それは、倹しく、ひっそりと懸命に生きる「おばあちゃん」のすべて。でも、その生活の倹しさに、言葉が出なくなる。その暮らしのなかで、懸命に、もてなしてくれる「おばあちゃん」。

余裕のない暮らしは分かっている。よく「おばあちゃん」と買い物に行く。百円のものを買うのに、ずっと悩んでる「おばあちゃん」の姿を、いつも見ている。

それでも、「ミカちゃん一緒にアイス食べよう」「ミカちゃん、これ買ってきたから」と、いろんなものを持たせてくれる。

最初は、「おばあちゃん」に三百円のアイスを買ってもらうことも、抵抗があった。いつもいつも持たせてくれるお土産をもらうのにも。そのお金を、自分のために使ってほしかった。津波でボロボロになった家を、なおすお金にしてほしかった。

今回、「おばあちゃん」に少しだけ会えた。盛岡で六魂祭を終えて、宮古に向かい、ボランティア仲間と飲みに行って、帰り道、「おばあちゃん」の家の前を通りかかると、電気が点いていた。玄関が開いていたので、大声で「おばあちゃん」の名前を呼んだけれど、返事がなかった。テレビの音は聞こえていたので「あがるね!」と、仲間と一緒に居間にあがってみると、こうこうと明かりのついた部屋で、つけっぱなしのテレビの前に布団を敷いて、横になっている「おばあちゃん」の背中が見えた。

その背中は、ちっちゃくて、壊れそうで、騒々しいバラエティーの音が、よけいに切なくて。

「おばあちゃん」は目を覚まして「あら、その声はミカちゃん?」と、起き上がり、「ああ、信じられない…」と抱きしめあい、冷蔵庫からありったけのデザートとビールを出してくれた。

「泊まっていってよ」と、布団の用意をしてくれる「おばあちゃん」。

翌日、袋に入ったお菓子を渡され、「これ、おまもりだから。一緒に入れておくから、失くさないように」と言われた。

そのときは、なんとも思わずに受け取り、「おばあちゃん」と別れたあとで、ふと気になって開けてみたら、現金が入っていた。「また会える日まで。おまもり」と手書きで書かれた封筒に。

頭が混乱した。ボランティアとして出会って、関わった以上、そんなもの決して受け取っちゃいけない。軽い気持ちで袋を受け取ったことも、いままでのことも、悔やむ気持ちになった。そんなことしてほしくなかった。でも、その一線を越えた「おばあちゃん」の気持ちを思うと、送り返すこともできなかった。

世のおばあちゃんが孫にお小遣いあげるみたいな気持なのかな?答えの出ない問いが、ぐるぐると頭を巡る。家族を亡くした「おばあちゃん」には、孫もいないし、もう、誰もいない。ワタシには、「おばあちゃん」の娘になることも、孫になることもできない。いつもいつも、その寂しさに寄り添ってあげることもできない。

震災以来、ストレスで発作を起こし続け、入退院を繰り返す友、そして「おばあちゃん」。

近づけば近づくほど、ワタシにはなにができるのか、なにをすべきなのか、分からなくなる。

それでも、ワタシは宮古に向かい続ける。どこに行こうとしているのか、分からないまま。

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多分、名前を出さなくても、ブログの読者や本の読者のなかには、この石を握る手が誰のものなのか、読後気づかれる方もいらっしゃるかもしれない。

彼は、奥さんと三歳の娘と三人暮らし。つい最近、ようやく新居を造りあげた。彼の祖父は、難民としていまはイスラエル領の故郷を追われた。その当時10歳だったおじいちゃんは、闘うには幼すぎた。お兄さんに手をひっぱられ、逃げることしかできなかった。

彼のおじいちゃんは、「イスラエル」となった故郷をその後一度も見ることなく亡くなった。彼がおじちゃんから繰り返し聞かされたのは「家族を、故郷を守ることの大切さ」。

自分が大人になって、家族をつくり、ささやかな幸せを彼は求めた。家族が安心して生きていける場所、彼が望むのは、ただそれだけ。

でも、非情にも、イスラエルはそれを許さず、彼の村を占領した。そして、彼の土地のまわりを我が物顔で侵入してくるイスラエル軍の兵士に、ジープに、彼は、彼らが手にすることのできる唯一の石を投げる。

彼は、何度も撃たれ、何度も逮捕されてきた。ささやかな夢すら、簡単には手に入れられない。それでも、彼は、いつも家では笑っている。ひょうきんなお父さんとして、娘に冗談ばかり飛ばしている。

彼の娘は、そんな父親の性格を受け継いだのか、三歳にして、とても芯の強い子だ。「おとうさん、こんどヘイタイがおとうさんをつかまえにきたら、わたしがまもるから」と、強く宣言する。「怖くないの?」と聞くと「おとうさんといっしょだからこわくない」と答える。

ある晩、深夜、彼の村にイスラエル軍の兵士が侵入してきた。夜中、人が寝静まる時間にわざわざ入ってくる。村中に響き渡る音響爆弾の音は、それが音だけだと分かっていても、一瞬、みんな顔が引きつる。

そんなとき、彼の奥さんから電話がかかってきた。「うちのだんながまだ帰ってきてないの。こんな深夜なのに。イスラエル軍に捕まったんじゃないかと心配で…」と、半泣きだ。

すぐに、あちこちに連絡を取って真相を確かめようとするが、なかなか状況が分からない。彼の電話はずーっと通じないまま。

結局、イスラエル軍兵士は、いやがらせに音響爆弾を炸裂させて、村のなかをジープで走り回って帰って行った。そして、彼も、無事に帰ってきた。

「アイツ、何回逮捕され、何回撃たれれば分かるんだろう…。頭がおかしいとしか言いようがない」と、彼のお兄さんは、苦虫をかみつぶしたような顔で、彼を評する。イスラエル軍の兵士に、投石をすることについて。

「非暴力」、理想としては、本当に立派だと思う。そして、そのやり方こそが、少しずつパレスチナの現実を変えて来ているとも思う。でも、武力で向かってくる相手に?そもそも、実弾を撃ってくる相手に石を投げることが「暴力」?

ワタシは、彼が冗談を飛ばして娘をかわいがっている姿と、イスラエル軍兵士をみつめる姿と、その表情の違いに、いつも驚かされる。

そして、ひとりの優しい子煩悩パパに、こんな厳しい表情をさせる「占領の」恐ろしさを思う。

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今後の写真展、スライド・トークなど。

【小金井】
写真展「パレスチナに生きる」

5月28日(月)~6月1日(金) 15時から22時

6月2日(土)10時から19時
6月3日(日)10時から17時

※3日(日)14時から16時までスライド・トーク「パレスチナに生きる」と分離壁と闘うビリン村のドキュメンタリー映画 Life On Wheels上映

サーハ日乾煉瓦 (武蔵小金井駅南口より徒歩5分、小金井街道沿い)
小金井市前原町3-40-1小金井スカイコーポラス312A

問い合わせ:090-8170-2977

※パレスチナ風料理、パレスチナワイン、お茶などのうち1オーダーをお願いします

皆さまのお越しをお待ちしております

ヘブロン南部での家屋破壊と追放が続いている
 
パレスチナのあちこちからここにひとが集まってきて、サポートが始まった
 
Al Mufaqarah R-Exist ~ Support this community in its legitimate struggle to keep living in its land.The Popular Struggle Coordination Committee is launching a campaign to support the community of al Mufaqarah in its legitimate struggle to keep living in its land through the construction of brick houses in order to stress the permanent character of their presence in the area and opposed Israeli policies of displacement. The PSCC will also provide legal support and a long term monitoring of the situation. The purpose is to repeat the successful story of al-Tuwani, a 300 resident's village that faced the same situation but that is now recognized by the Israeli Occupation Authority, and to create a precedent for the communities of the firing zone. The first action will take place on the 19th of May with a festival nearby the under construction mosque of al Mufaqarah, in the presence of the local community of the South of Hebron villages, official representatives, volunteers and media. All together, we will build up the 1st house of "Al-Mufaqarah R-Exist" project We invite you to participate in the event and join the action, as well as to spread the word. Any support you can provide will be greatly appreciated. ..

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金曜日夜に新宿に集合して首都高速道路&東北道を一路盛岡へ。いままで何度も宮古でご一緒しているアツコさんやミキさん、アフガン支援活動の仲間マキさんや、アツコさんとミキさんの山関係の仲間の方々と同行。

深夜、盛岡に到着し、ザーザー降りの雨の中某公園の展望台の軒下にテントを張り、明け方まで酒宴、そして数時間の浅い眠り。そして盛岡の六魂祭の会場へ。ここの復興支援市場会場に出店する宮古魚菜市場のお手伝い。

そしてその日は宮古へ移動、一泊して、翌日は赤前小学校の運動会で豚汁と富士宮焼きそばのお振舞い。給食室で300人分の豚汁をつくる。

赤前でも、多くの方が家をなくされ、家族を亡くされた。小学校の運動場に仮設住宅があるので、運動会は体育館のなか。仮設住宅に暮らすおじいちゃんおばあちゃんも、運動会に参加。

あの津波で、家をなくされたおばあちゃんと一緒に豚汁を食べる。「畑も家もなーんもなくなった。本当にどうしたらいいんだか」と、辛い胸の内を。「遠くからありがとう。また訪ねて来て」とおばあちゃん。一年以上たっても、被災された方々にとって、辛さは増すばかり。誰もかれもが復興の波に乗っている訳じゃない。

この二日間の写真
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.470585872955751.126490.100000130287150&type=1&l=61b5820c53

東京に帰ってきて、写真展「パレスチナに生きる」の搬入。

宮古、パレスチナ、いろんなひとが、いろんな思いを抱えて生きている。

自分に、その思いが、受け止めきれているのかな…。

悩みながらも進むしかない。

写真は、会場で土日に出されるパレスチナのベツレヘム産ワイン。

是非ともおいでください。

※写真展は今日から日曜日まで。

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「農民にとって土地は命だ」パレスチナではよくこの言葉を聞かされる。田舎育ちのワタシは、祖父が朝から晩まで畑で野菜を植え、世話をして、収穫している姿を見ながら育ったので、その言葉が実感として分かる気がする。

ビリン村をはじめ、土地を奪われたパレスチナのひと達は、その命を取り戻すために闘う。「なにもそこにこだわらなくても、他の土地へ行けばいい。アラブの国は他にいくらでもある」イスラエルが言っているのはそういうことで、言葉通り、どんどんパレスチナの土地を奪い取っている。

アブーラシードはビリン村に暮らす農民。分離壁建設予定地に張られたフェンスの向こう側に広い畑を持っていた。そしてその目と鼻の先に入植地が建てられ、その入植地が建てられた土地は、同じ村の仲間が奪われた土地。

アブーラシードは若くはないので、この土地に通う許可が下りた。とはいえ、いつでも自由にとはいかず、イスラエル軍兵士の気まぐれな管理によって、その検問所は開けたり閉めたりされた。

それでも、アブーラシードは、根気強く畑に通い、耕し続けてきた。

分離壁の建設ルートが変わって、土地が返還されたり、立ち入りが許されるようになった。アブーラシードは畑に通うことが楽になった。間に立ちはだかっていた検問所がなくなった。とはいえ、入植地や分離壁に最も近いこの場所に、頻繁にイスラエル軍兵士がやってきて、意味もなくうろうろ歩きまわったりする。畑の作物などお構いなしに。

「脅しのつもりなんだろうな。だから出て行けって言う…」。

アブーラシードは、畑のすべてが愛おしいというように、微笑みながら自分の畑を歩く。アブーラシードの顔が夕日に照らされた。

そして畑の向こうに広がる入植地も、夕日に照らされた。

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今後の写真展、スライド・トークなど。

【小金井】
写真展「パレスチナに生きる」
6月2日(土)10時から19時
6月3日(日)10時から17時
サーハ日乾煉瓦 (武蔵小金井駅南口より徒歩5分、小金井街道沿い)
小金井市前原町3-40-1小金井スカイコーポラス312A

問い合わせ:090-8170-2977

3日(日)
14時から16時までスライド・トーク「パレスチナに生きる」と分離壁と闘うビリン村のドキュメンタリー映画 Life On Wheels上映

※1ドリンクのオーダーをお願いします

皆さまのお越しをお待ちしております

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