宮古でも、パレスチナでも、アフガンでも、近づけば近づくほど、抱えきれなくなりそうな、完全に自分のキャパオーバーだってことが、溢れてくる。
宮古で、ずっと親しくしている「おばあちゃん」がいる。その方は、津波でご家族を亡くされ、たったひとりで津波に遭った家をなおして暮らしている。
何度も何度も訪ねているうちに、初めてご家族のことを話して下さった。こちらからは、決して聞かない、聞けない、大切なご家族を津波で亡くされたことを。
「おばあちゃん」は、ふとしたとき、すごく寂しそうな顔になる。いつも努めて笑おうとしているのに、どうしても笑えないときがある。そんなとき、必ず、亡くされたご家族の話になる。
ひとりぼっちの家。それは、倹しく、ひっそりと懸命に生きる「おばあちゃん」のすべて。でも、その生活の倹しさに、言葉が出なくなる。その暮らしのなかで、懸命に、もてなしてくれる「おばあちゃん」。
余裕のない暮らしは分かっている。よく「おばあちゃん」と買い物に行く。百円のものを買うのに、ずっと悩んでる「おばあちゃん」の姿を、いつも見ている。
それでも、「ミカちゃん一緒にアイス食べよう」「ミカちゃん、これ買ってきたから」と、いろんなものを持たせてくれる。
最初は、「おばあちゃん」に三百円のアイスを買ってもらうことも、抵抗があった。いつもいつも持たせてくれるお土産をもらうのにも。そのお金を、自分のために使ってほしかった。津波でボロボロになった家を、なおすお金にしてほしかった。
今回、「おばあちゃん」に少しだけ会えた。盛岡で六魂祭を終えて、宮古に向かい、ボランティア仲間と飲みに行って、帰り道、「おばあちゃん」の家の前を通りかかると、電気が点いていた。玄関が開いていたので、大声で「おばあちゃん」の名前を呼んだけれど、返事がなかった。テレビの音は聞こえていたので「あがるね!」と、仲間と一緒に居間にあがってみると、こうこうと明かりのついた部屋で、つけっぱなしのテレビの前に布団を敷いて、横になっている「おばあちゃん」の背中が見えた。
その背中は、ちっちゃくて、壊れそうで、騒々しいバラエティーの音が、よけいに切なくて。
「おばあちゃん」は目を覚まして「あら、その声はミカちゃん?」と、起き上がり、「ああ、信じられない…」と抱きしめあい、冷蔵庫からありったけのデザートとビールを出してくれた。
「泊まっていってよ」と、布団の用意をしてくれる「おばあちゃん」。
翌日、袋に入ったお菓子を渡され、「これ、おまもりだから。一緒に入れておくから、失くさないように」と言われた。
そのときは、なんとも思わずに受け取り、「おばあちゃん」と別れたあとで、ふと気になって開けてみたら、現金が入っていた。「また会える日まで。おまもり」と手書きで書かれた封筒に。
頭が混乱した。ボランティアとして出会って、関わった以上、そんなもの決して受け取っちゃいけない。軽い気持ちで袋を受け取ったことも、いままでのことも、悔やむ気持ちになった。そんなことしてほしくなかった。でも、その一線を越えた「おばあちゃん」の気持ちを思うと、送り返すこともできなかった。
世のおばあちゃんが孫にお小遣いあげるみたいな気持なのかな?答えの出ない問いが、ぐるぐると頭を巡る。家族を亡くした「おばあちゃん」には、孫もいないし、もう、誰もいない。ワタシには、「おばあちゃん」の娘になることも、孫になることもできない。いつもいつも、その寂しさに寄り添ってあげることもできない。
震災以来、ストレスで発作を起こし続け、入退院を繰り返す友、そして「おばあちゃん」。
近づけば近づくほど、ワタシにはなにができるのか、なにをすべきなのか、分からなくなる。
それでも、ワタシは宮古に向かい続ける。どこに行こうとしているのか、分からないまま。
宮古で、ずっと親しくしている「おばあちゃん」がいる。その方は、津波でご家族を亡くされ、たったひとりで津波に遭った家をなおして暮らしている。
何度も何度も訪ねているうちに、初めてご家族のことを話して下さった。こちらからは、決して聞かない、聞けない、大切なご家族を津波で亡くされたことを。
「おばあちゃん」は、ふとしたとき、すごく寂しそうな顔になる。いつも努めて笑おうとしているのに、どうしても笑えないときがある。そんなとき、必ず、亡くされたご家族の話になる。
ひとりぼっちの家。それは、倹しく、ひっそりと懸命に生きる「おばあちゃん」のすべて。でも、その生活の倹しさに、言葉が出なくなる。その暮らしのなかで、懸命に、もてなしてくれる「おばあちゃん」。
余裕のない暮らしは分かっている。よく「おばあちゃん」と買い物に行く。百円のものを買うのに、ずっと悩んでる「おばあちゃん」の姿を、いつも見ている。
それでも、「ミカちゃん一緒にアイス食べよう」「ミカちゃん、これ買ってきたから」と、いろんなものを持たせてくれる。
最初は、「おばあちゃん」に三百円のアイスを買ってもらうことも、抵抗があった。いつもいつも持たせてくれるお土産をもらうのにも。そのお金を、自分のために使ってほしかった。津波でボロボロになった家を、なおすお金にしてほしかった。
今回、「おばあちゃん」に少しだけ会えた。盛岡で六魂祭を終えて、宮古に向かい、ボランティア仲間と飲みに行って、帰り道、「おばあちゃん」の家の前を通りかかると、電気が点いていた。玄関が開いていたので、大声で「おばあちゃん」の名前を呼んだけれど、返事がなかった。テレビの音は聞こえていたので「あがるね!」と、仲間と一緒に居間にあがってみると、こうこうと明かりのついた部屋で、つけっぱなしのテレビの前に布団を敷いて、横になっている「おばあちゃん」の背中が見えた。
その背中は、ちっちゃくて、壊れそうで、騒々しいバラエティーの音が、よけいに切なくて。
「おばあちゃん」は目を覚まして「あら、その声はミカちゃん?」と、起き上がり、「ああ、信じられない…」と抱きしめあい、冷蔵庫からありったけのデザートとビールを出してくれた。
「泊まっていってよ」と、布団の用意をしてくれる「おばあちゃん」。
翌日、袋に入ったお菓子を渡され、「これ、おまもりだから。一緒に入れておくから、失くさないように」と言われた。
そのときは、なんとも思わずに受け取り、「おばあちゃん」と別れたあとで、ふと気になって開けてみたら、現金が入っていた。「また会える日まで。おまもり」と手書きで書かれた封筒に。
頭が混乱した。ボランティアとして出会って、関わった以上、そんなもの決して受け取っちゃいけない。軽い気持ちで袋を受け取ったことも、いままでのことも、悔やむ気持ちになった。そんなことしてほしくなかった。でも、その一線を越えた「おばあちゃん」の気持ちを思うと、送り返すこともできなかった。
世のおばあちゃんが孫にお小遣いあげるみたいな気持なのかな?答えの出ない問いが、ぐるぐると頭を巡る。家族を亡くした「おばあちゃん」には、孫もいないし、もう、誰もいない。ワタシには、「おばあちゃん」の娘になることも、孫になることもできない。いつもいつも、その寂しさに寄り添ってあげることもできない。
震災以来、ストレスで発作を起こし続け、入退院を繰り返す友、そして「おばあちゃん」。
近づけば近づくほど、ワタシにはなにができるのか、なにをすべきなのか、分からなくなる。
それでも、ワタシは宮古に向かい続ける。どこに行こうとしているのか、分からないまま。


