世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2012年06月

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小金井平和ネットの皆さんと小金井でイベントをおこないます。

日時:7月8日(日)
14時から15時半 トーク「パレスチナに生きる」
15時半から16時 小金井平和ネット総会

場所:カエルハウス (小金井市中町3-10-10-103)
問い合わせ:大賀さん(042-301-8496)

入場無料

どうぞお気軽にお越しください。

いつも宮古でのボランティアでお世話になっているYMCAの被災地での活動の記録。
 

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昨日、オモチャとして遊びで使っているミラーレス一眼のE-P1(通称PEN)のこれまたお遊び用の望遠レンズを買った。普及版のレンズなのでちょっと暗い。でも、ミラーレスのようなカメラで明るい大きなレンズってのもアンバランスだし仕方がないのかな。とにかく、それの試し撮りに久しぶりに井の頭自然文化園に出かけた。

井の頭は開園70周年ということで、メモリアルグッズの販売もしている。ブックカバーとガイドブックを買った。

カモシカに赤ちゃんが生まれていたり、リスの小径が台風で壊れ、脱走したリスがおうちに帰りたくてその外を走り回っていたり。

ハナちゃんとトラジロウのところで、ことさらゆっくり過ごして、ガイドブックを眺めながらのんびりお昼ご飯を食べて、雨が降る前に(結局降らなかったけど)帰宅。

肝心の試し撮りは、動物園でコンデジやミラーレスは使いにくく、シャッターを押してからのタイムラグに泣かされ、会心の撮影とはいかないまでも、まあ、遊びならこれでいいよな、軽いし…、と納得。

やっぱり一眼レフの使いやすさって、すごい。ミラーレスはお手軽だけど、コンデジに近い。

ともかく、ひとりでゆっくり散歩なんて、久しくしていなかったので、いい一日だった。アジサイもきれいだったし。

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パレスチナに通ううち、通信社のジャーナリストたちと会ったり、顔見知りになったりしている。そのなかで、一番プライベートでもお世話になっているのが、AP通信ナーブルス支局のカメラマン、ナーセルでとその甥っ子のAPAのワジュディ。そしてまだゆっくり話したことはないけれど、ワジュディのお兄ちゃんのマジュディ。

そのマジュディは、地元を離れてラマッラーの支局で働き、ラマッラーで暮らしている。そのラマッラー支局のプロデューサーのジャラールとカメラマンのイマードのコンビに、同行する機会があった。

待ち合わせたのはラマッラーの郊外。その日はパレスチナ自治区のなかにいくつもある、ジェリコ郊外のの入植者専用道路でのパレスチナ人の通行権をアピールするデモがあった。その取材をするふたりに、ハイサムと一緒に同行させてもらった。

ジャラールが運転し、助手席には防弾チョッキを着たイマードが座る。なんと驚くことに、普段一般的にパレスチナ人が通ることを許されない入植地を通ってショートカットしてジェリコに向かうという。

当然、ゲートにはイスラエル軍兵士が立っていて、ジャラールが如才なく笑顔でAPの記者証を差し出す。同じようにイマードも記者証を差し出し、ハイサムとワタシは後部座席で、一言も口をきかずにおとなしく座っている。きっと、厳密にいえばワタシやハイサムは、ここを通ることは出来ないのだろう。ただ、特に害があると判断されなかったのか、APの名前の効力なのか、ワタシとハイサムは身分証を差し出すこともなく、車の通行が許された。

ふたりの仕事ぶりを眺めていると、大まかなストーリーの組み立てをジャラールがになっていて、イマードはそれに沿った絵を撮影しているようだ。ただ、実際にデモが始まってしまうと、ジャラールはデモ隊とイスラエルのボーダーポリスが入り乱れた一団からは少し離れて、全体の推移を見守り、イマードはデモ隊のなかで撮影を続けていた。

とっさに移動が必要な状況になると、どんなに通行が不可能と思えた場所にも、ジャラールがさっと車をまわし、猛スピードで絵を追える場所に車を走らせる。その判断力と、ふたりのアウンの呼吸に感嘆させられた。

夕方、仕事を終えた帰り道は、まるでピクニックの帰り道みたいな盛り上がりと高揚感で、みんなでハイテンションだった。いい絵が撮れたことにみんな満足していた。そして別れ際、なんだか名残惜しくて、何度も何度も握手をした。「今度アルビーレのオフィスに遊びにおいでよ」と事務所の住所が書かれた名刺をジャラールがくれた。

こんな穏やかな日だけじゃなく、本当に生死をかけた撮影の日をいくつもくぐり抜けてきたんだろうなと思った。そうやって世界中の地元のジャーナリストたちが命をかけているからこそ、新聞に載った写真を目にすることができる。

今度は、ジャラールにもイマードにも、もっともっと個人的な話を聞いてみたいと思う。どうしてこの道を選んだのかとか。新聞やウェブの片隅に載るはずの彼らの名前を、自然と探すようになった。

写真は仕事中のジャラールとイマード

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ヘブロン旧市街、入植者と軍事基地に占領されたシュハダー通りに面した一角に幼稚園がある。旧市街のなかでは、多くの人が入植者や兵士の嫌がらせや暴力に耐えかね、この街を離れた。そんななかで、学校や診療所や商店や幼稚園を守ることが、このコミュニティを守ることと決意して頑張っている人たちがいる。

スレイハさんもそんなひとり。小さな幼稚園を守っている。ヘブロンの子どもたちは、常に入植者の暴力にさらされている。それでも、ここに通う子どもたちの表情は明るい。

このあたりはH2地区といって、行政、治安維持すべての権限がイスラエル側にあるヘブロンのなかでもとりわけ厳しい地区。それは、軍事基地や入植地が近くにある区域だから。

入植者は、銃の携帯を許可されている。ライフルを肩から下げた入植者を、この地区で見かけた。

ここで暮らしを守ること、生き続けること、それだけで勇気を要すること。でも、出会った多くの人が、「なぜ自分たちが脅されてここを出て行かなきゃならないのか」という。それに、実際、よほど金銭的に余裕がない限り、どこかほかの土地へ移ることだって難しい。

パレスチナのなかでも、とりわけヘブロンはぴりぴりした空気を感じる。他の地区では、ここまで入植者やイスラエル軍兵士との距離が近くない。

そんな街で、子どもたちが笑顔で学んだり、遊んだりできる場所があることの意味の大きさを痛感する。

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