世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2013年01月

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去年の秋以来久しぶりに明日宮古へ。

最近すっと仕事しかしてなかったから、どこかへ行くのも久しぶり。

あいたいひとの顔がたくさん浮かんでくる。

みんな元気かな。寒いけど、体調崩したりしてないかな?

去年「仮設住宅は結露に悩まされる」「プレハブは本当に寒い」と聞いた冬が、またやってきた。

被災地の二度目の冬。そして、三月には、またあの日を迎える。

被災地の苦しみは、いまでも続く。

でも、そこには笑いもある。

いつか、皆さんが、心の底から笑える日まで、宮古をずっとみつめていたい。

11回目の宮古行き、行ってきます。

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キューバに行った日々が遠い遠い昔のことのようだ。たった半年前とはとても思えないほど、記憶が遠のきつつある。全然キューバの話を書いてないよなあ。

最近、仕事で忙しいので全然PCを開いてじっくり何かを書く余裕をなくしている。通勤や休憩時間の暇つぶしにと思って買ったタブレットのネクサス7で短文を書き込むくらいのもの。だってタブレットって文字を入力しにくいんだもん。ワタシからの誤字や未変換の読みにくいメールが届いた皆さん、そういうわけなのでお許しを。

今日は六時間しか働かなかったので、やはり時間に余裕がある。余裕のある生活っていいね。時間に追われてばかりの日々。

さて本題。

この日、ハバナ郊外の動物園に行こうと、ホテルの兄ちゃんに頼んで車を呼んでもらった。パルケレーニンという広大な森の公園に隣接してあるらしい。場所はよく知らないまま、ロンプラの情報を頼りにドライバーの兄ちゃんに車を走らせてもらう。気が付けば、舗装された道から遠く外れ、のんびりした田舎風情の景色のなかを車は爆走。到着してみたら、開園時間までにまだまだ時間があり、特にメジャーな観光地というわけでもない、こんな場所に現れた外国人に、みんなの目は注がれる。

キューバ人って、正直者で親切な人が多いと思う。もちろん、どんな国にもちょっと悪い奴、こずるい奴は存在するけれど、それでも総じて正直者が多いのがキューバの印象。たとえば、開園の窓口並びとか、バスに乗る順番とか、みんな「我先に」と窓口に殺到するくせに、みんなの迫力に圧倒されて次のバスなどを待とうとすると、誰からともなく「あのチーナ(中国人の意味。日本人じゃなくて中国人だと思われている)の方が先に待ってたんだから入れてやれよ」と、必ず声をかけてくれる。座席に座るとき、列に並ぶとき、必ずなのだ。

ところで、動物園の開園まで時間があったので、動物園の近辺を散歩していた。ハバナの都会のなかとは全然違う光景で、一面畑が広がっている。何が植えてあるんだろうなあと畑に近づくと、農作業をしていたおっちゃんが手を止めて近づいてきた。

「こんなところに外国人が来るなんて珍しいな。中国人か?」
「いや、日本人の旅行者。ここでなにをつくってるの?」
「いろんな野菜をつくってるぞ。そうだ、いまちょうどグアバを収穫しようとしているところだから、ちょっと待ってろ。いま採ってきてやるから」

しばらく待っていると、おっちゃんが手にグアバを抱えて戻ってきた。

「ほら、持っていきな。暑いからこれでも食べて、水分とって」
「もらうわけにはいかないよ。苦労してつくったものだもん。お代は?」
「そんなのただに決まってるだろ。いい旅をな」

おっちゃんにお礼を言って動物園に戻った。

おっちゃんからもらったグアバは、ちょっと青くさかった。

ただそれだけの話。でもキューバってやっぱりいいなと思ったひとときの話。

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写真はビリン村のロバ。このロバに乗って遊んだ日々が懐かしい。一年も経っちゃった。

最近ホントに忙しくて、なかなか腰を据えてブログを更新しようという気が起こらなくなっている。つい、140字のツイッタ―やフェイスブックに逃げ込んでいる。ブログだけは、なんか真面目に書かなきゃ…っていう意味不明な気負いがあるのか、ないのか。

久しぶりにふたつほど原稿書きの仕事をいただいたら、ここんとこずっと長文を書いていないせいか、なんだかうまく書けなくなっていることに気づく。サラサラと進まないのだ。ブログをサボっているせいに違いない。ブログはいいトレーニングになっているのだと気づく。

そうそう、もうすぐアカデミー賞の発表。日本では25日。長編ドキュメンタリー賞を「壊された5つのカメラ」がとれるかどうか、めちゃくちゃ気になってそわそわしている。ノミネートだってすごいことだけど。賞をとったら、もっともっとビリンやパレスチナに注目してもらえる。

ところで、「ブログ楽しみにしてます」って言われることがある。社交辞令みたいなもんかもしれないけど。ずっと更新してないと、なんだか申し訳ないような気持ちになる。ちょっとだけ。

早くパレスチナに行きたい。文章も支離滅裂、ワタシも疲れで支離滅裂な夜。

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この「キャンプ」は1月アタマから参加が呼びかけられていた。ワタシのところにも、フェイスブック上で参加の呼びかけが来た。

金曜日の早朝から、西岸地区の各町村から人々が集まって、東エルサレム郊外にある巨大な入植地マアレアドミムに隣接する土地に200人ほどが20あまりのテントを張って、ここをパレスチナの新しい村「太陽の門」と名付けた。

この土地は、法的にはあるパレスチナ人遊牧民の私有地。しかし、イスラエル政府はこの土地を接収して、入植地建設を計画している。「ここはイスラエルじゃない。パレスチナだ」とアピールするために、多くの人々が「村人」になるべく集まった。

ここはE1地区とイスラエルが名付けて、入植地建設のために接収を進めている地区。国際法上は違法だが、世界はこの横暴を止められないでいる。パレスチナが国連でオブザーバー国家となって、その腹いせにイスラエル政府は入植地建設を発表したが、その建設予定地がまさにここだ。

早速、イスラエルのボーダーポリスがこの「村」を取り囲み、軍用車、ヘリコプターまでもが現れた。ここを「軍事閉鎖地域」と指定したボーダーポリスと国防軍は、この「村」に近づく人間を阻止するため、周辺の道路を封鎖し、強制的な排除を発表した。

そして、昨夜、プレス関係者を追い出し、撮影を一部禁じて、「村人」ひとりひとりを4、5人がかりで抱えてひとりずつ排除していった。抵抗する「村人」への弾圧は熾烈を極め、怪我を負わされたひともいる。

結局、けが人以外の多くを強制的にバスに乗せて、カランディア検問所でバスから降ろし、釈放したそうだ。

違法行為だと拘束され、排除された「村人」たち。そもそも、パレスチナの土地を奪い、そこに入植地をつくり、占領を繰り返すイスラエルの行為は「合法」とでも言いたいのか?法ってなに?強者だけが法なの?

ほとんどの「村人」たちは、自分たちの家に帰ったそうだ。「太陽の門は閉じられたけれど、また新たな門を開けてみせるさ」と、ある参加者。

写真は、「村人」が強制排除される様子。撮影:ハムディ・アブーラハマ

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昨日発表された今年のアカデミー賞の最優秀ドキュメンタリー映画賞にビリン村の分離壁や入植地との闘いを描いた「壊された5つのカメラ」がノミネートされた!監督のイマードは「ずっとテレビで授賞式の赤い絨毯の上を歩く監督の姿を観てきたけど、それが自分の身に起きるかもしれないなんて夢みたいだなあ」と。「(占領されたパレスチナという題材を描いた)映画について、それをとやかく言う人は多くいるけれど(事実、フランスでの上映ではユダヤ系社会から大ブーイングを浴びたと共同監督のイスラエル人ガイも話していた)、これは単に自分の村の、まったく個人的な物語に過ぎない。言いたい人には言わせておけばいい」とコメント。

アカデミー賞にのみねーとされることで、より多くの人の興味を引き、より多くの人がこの映画を通じてビリン村の、分離壁や入植地の、占領の実態を知ってくれるきっかけとなるなら、素晴らしい。

さて、同じころ、ハムディからのメッセージで、パレスチナ西岸地区各地から多くの人が集まって、東エルサレム郊外の入植地マアレアドミム近郊の入植地建設予定地にテントを張って「新しい村」バーブアッシャムス(太陽の門)をつくることを宣言したと。

この場所はE1地区と呼ばれていて、エリアCにあたり、完全にイスラエルが占領して主権を握っている地区。西岸地区のなかにもかかわらず、パレスチナ人の主権がまったく及ばない地区。さっそくこの新しい村づくりにかかわった200人に「違法行為だ。立ち退きを命じる」とイスラエル警察が宣告。これに抵抗する人々に、強制退去を執行する準備を進めている。

この新しい村づくりの構想を練ったひとりは、ビリン村の「村長」ムハンマド。自分の村だけでなく、パレスチナ全体のことを考えながら、集まり、行動を共にする、この「闘い」大きなエールを送りたい。

いますぐここに参加したいなーと思いながら、いまはみんなのことを遠くから見守る。

「壊された5つのカメラ」と新しい村、このふたつの「闘い」を一緒に見守ってください。

写真はハムディ・アブーラハマ撮影。新しい村バーブアッシャムスにて。

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