
このイブラヒムモスクとマクペラの洞窟は、内側をそれぞれの祈りの場として仕切られている。当然それぞれの入り口も別。このモスクの入り口ゲートの検問はイスラエルのボーダーポリスがおこなっていて、この地域の警察、治安の権限はパレスチナ自治政府にはない。したがって、街なかはパレスチナ人が多く暮らす場所であっても、占領状態にある。
人々は、モスクにお祈りに行くという日常的な行動にも、検問を受けることを強いられる。子どもたちが先生に伴われて、モスクのことやイブラヒムのことを学びに来るのにも、当然、検問がなされる。
このマクペラの洞窟が存在することで、ヘブロンの町には、極右の入植者が多く暮らす。「この町を1ミリたちともアラブに渡してはならない」と主張する人たちが、ボーダーポリスや「国防」軍の黙認や支援のもと、パレスチナ人住民に壮絶な嫌がらせ、脅し、追い出しをはかっている。
ヘブロンの町を歩くと、心がヒリヒリしてくる。少し歩けば、ボーダーポリスに拘束され、尋問されているパレスチナ人の青年たちの姿に必ずぶち当たる。あちこちで、殴られた、蹴られた、罵声を浴びせられた、逮捕された、火炎瓶を投げ付けられた…という話を聞く。
日本に帰ってきてからも、ヘブロンで歯を食いしばり生き抜くことを心に誓っている知人たちが、頻繁に「逮捕、拘束」されるニュースが入ってくる。彼らは、決して「黙らない」人たちだから。理不尽なことを理不尽だと声を上げ続けている人たちだから。
彼らの勇気に、ワタシは心からの賛辞をおくる。自分が同じ立場だったら、そんな勇気を持ちえただろうかと、頻繁に自問する。
ただ、同時に、生き抜くために、家族を守るために、声を上げられないでいる人たちのことが気になる。そのことに気付かされたのは、拙著「パレスチナ・そこにある日常」でも書いたように、エルサレムの安宿で、労働許可証と引き換えに、政治的なことには一切関わらず、家族とも切り離されたボロイ宿でたった一人で生きていた青年に出会ったから。毎日のように各地の問題に首を突っ込み、話を聞いてくるワタシに「うらやましいよ」とため息をつきながら水煙草をご馳走してくれた彼に出会ったから。
もっともっと、そういう人の声こそを聞いて回らなければと思う。
ビリンの「いとこ」、双子のアーシムとムハンマドが夜間に連れ去られて二週間ほどが経った。昨日、ムハンマドだけ「釈放」されてビリンに戻って来たそうだ。

