世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2013年07月

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ヘブロン(アルハリール)の旧市街にあるイブラヒムモスクはイスラム教徒が多くお祈りに来る大切な場所。その同じ場所は同時にユダヤ教徒にとっての聖地マクペラの洞窟でもある。

このイブラヒムモスクとマクペラの洞窟は、内側をそれぞれの祈りの場として仕切られている。当然それぞれの入り口も別。このモスクの入り口ゲートの検問はイスラエルのボーダーポリスがおこなっていて、この地域の警察、治安の権限はパレスチナ自治政府にはない。したがって、街なかはパレスチナ人が多く暮らす場所であっても、占領状態にある。

人々は、モスクにお祈りに行くという日常的な行動にも、検問を受けることを強いられる。子どもたちが先生に伴われて、モスクのことやイブラヒムのことを学びに来るのにも、当然、検問がなされる。

このマクペラの洞窟が存在することで、ヘブロンの町には、極右の入植者が多く暮らす。「この町を1ミリたちともアラブに渡してはならない」と主張する人たちが、ボーダーポリスや「国防」軍の黙認や支援のもと、パレスチナ人住民に壮絶な嫌がらせ、脅し、追い出しをはかっている。

ヘブロンの町を歩くと、心がヒリヒリしてくる。少し歩けば、ボーダーポリスに拘束され、尋問されているパレスチナ人の青年たちの姿に必ずぶち当たる。あちこちで、殴られた、蹴られた、罵声を浴びせられた、逮捕された、火炎瓶を投げ付けられた…という話を聞く。

日本に帰ってきてからも、ヘブロンで歯を食いしばり生き抜くことを心に誓っている知人たちが、頻繁に「逮捕、拘束」されるニュースが入ってくる。彼らは、決して「黙らない」人たちだから。理不尽なことを理不尽だと声を上げ続けている人たちだから。

彼らの勇気に、ワタシは心からの賛辞をおくる。自分が同じ立場だったら、そんな勇気を持ちえただろうかと、頻繁に自問する。

ただ、同時に、生き抜くために、家族を守るために、声を上げられないでいる人たちのことが気になる。そのことに気付かされたのは、拙著「パレスチナ・そこにある日常」でも書いたように、エルサレムの安宿で、労働許可証と引き換えに、政治的なことには一切関わらず、家族とも切り離されたボロイ宿でたった一人で生きていた青年に出会ったから。毎日のように各地の問題に首を突っ込み、話を聞いてくるワタシに「うらやましいよ」とため息をつきながら水煙草をご馳走してくれた彼に出会ったから。

もっともっと、そういう人の声こそを聞いて回らなければと思う。

ビリンの「いとこ」、双子のアーシムとムハンマドが夜間に連れ去られて二週間ほどが経った。昨日、ムハンマドだけ「釈放」されてビリンに戻って来たそうだ。

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最近ブログを書くことも滞り気味。そんなあいだにも、パレスチナではいろいろなことが起きている。

ビリンでは、ハムディの甥っ子、姪っ子が立て続けに三人生まれた。長男ハミースの息子、四女イクラームの娘、五女イルハームの娘。昨年生まれた次男ムスタファの息子や三男ヘルミーの息子も含め、アブーラハマ家は赤ちゃんだらけ。さぞ賑やかなことだろう。ハムディや孫に囲まれて、笑っているママの顔が浮かぶ。

ハイサムの一家も、カルミーを亡くした後、少しずつそれぞれが歩き始めている。カルミーのお兄ちゃんのムハンマドは、今年文化交流プログラムで、地域の「子ども会」のような仲間と引率の大人と一緒に伝統舞踊を披露するアルジェリアへの旅に出かけた。その写真をみると、ムハンマドの表情がまた一段と大人びて見えた。

ジェニン難民キャンプの家族アワード家にも赤ちゃんが生まれた。昨年結婚した長男カマールに子どもが生まれた。きっと明るい笑顔に包まれているだろう。

その一方で、ビリンではつい昨日デモのさなかに十代の幼い少年が顔を撃たれて運ばれているという衝撃的な写真がハムディから送られてきた。同じように占領と闘うアンナビーサーレハでは十歳の少年がゴム弾で撃たれ、それを助けようとした22歳の青年が実弾で撃たれた。

そして、ママの弟バスマンおじさんの息子のアーシムが夜中に連行されたまま帰って来ない。

ヘブロンでは、イブラヒムモスクにお祈りに行く地元住民に対する検問を監視していたカナダ人のサラさんが、ただそれだけでボーダーポリスに「逮捕」され連れ去られた。同じくヘブロンで活動する知人のイーサは、フランス人のジャーナリストに「ここには占領があるから…」と本当のことを語っただけで基地に連行され、数時間後、救急車で運ばれた。そのあいだに何があったのかは想像に難くない。

いま、イスラエル領内ではPrawer Planに反対するアラブ系住民たちのデモが起きている。エルサレム、ハイファ、ガラリア地方などで。これは、ネゲブ(ナカブ)砂漠で生活を営むベドウィン(遊牧民)たちのサイト(家だったりテントだったり家畜小屋だったり、形態は様々)を破壊して強制移住をさせるというもの。この国が「民主主義国家」の顔をした差別国家であることは様々なアラブ系住民やアフリカ系住民への対応で既に明らかではあるが、それにしてもこの計画はひどい。

そろそろ勇気を出してうちへ帰ろうかなあと思う。カルミーを喪ってから、ずっとその喪失とうまく向き合えず一歩を踏み出せなかったけど。このままでは、なにも進まない、始まらない。

みんなのもとへ、帰りたい。

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もう一年経とうとしているんだなあ、キューバ再訪から。

ここ数年ずっとアフガニスタンとエジプトとパレスチナをぐるぐるしているワタシには、お気楽極楽な純粋に「楽しむ旅」ってのはキューバが久々だった。エジプトもかつてはそういう場所だったけど、自分にとって。

この写真は、旅の最終日に時間があったので海の方へ散歩に行って、ビーチでも何でもない磯場で地元の子どもたちが泳いで遊んでいるところをぼーっと眺めていたところ、「名前なんて言うの?」「中国人?」っていろいろ聞かれて、写真撮ってって言われて…という、お約束のパターンで撮ったもの。

問題が何もないわけじゃないんだけど、キューバってホントにみんないまを楽しんでいて、いまを一生懸命生きていて、先のことばっかり考えて満たされないでしかめっ面している多くの日本人とは対極で。もちろん、自分もそんなひとりだけど。なんか、自然と笑っちゃうんだよね。

スコールで何時間も広場の屋根のある場所で、やることもなく雨がやむのを待つのも、何時間もなかなか来ないバスを待つのも、「まあ、そんなもんか」って、自然と笑っちゃう。

旅に出たいなあ。何も考えず、気楽な旅に出たい。

毎日毎日エジプトのニュースが気になって仕方がない。

つい先日、エジプトへの留学時代から一番の仲良しのMと電話で話した。彼は徹底した世俗派。敬虔なムスリムで信仰心は篤い。宗教は自分自身の内面の問題と考える彼のなかでは、敬虔であることと世俗派であることは相反しない。

2011年のエジプト「革命」で、彼の勤める会社は業績がガタ落ちした。観光業にとって、国の安定は必須。ガタつく国に観光客は来ない。それでも、きっと国はよくなる、いまだけの辛抱だと、自由に声をあげられることを喜んでいた。

2012年、「革命」一年後のカイロで、Mの才能を見出し引き立ててくれたボスのもとで学生時代から働き続けてきた彼は、ずっと勤め続けてきた会社を離れるべきかどうか悩んでいた。

「ボスは仕事もないのにみんなに給料を払い続けてくれてるんだ。いまはこんな時期だけど、きっとよくなるときが来るから、それまで一緒に耐えてほしい…って」。そのことに苦しんでいた。仕事もしていないのに給料をもらい続けることを。そして、何よりずっとそばで一緒にやってきた尊敬するボスの苦悩を間近で見ることを。

Mは、仕事で付き合いのあったドバイの会社からヘッドハンティングを持ちかけられた。「ボスは仕事には厳しいけど、心底はとても優しい人だから、俺たちの誰のクビも切れないでいる。このままじゃ、ボスも会社も破産してしまう。だから、俺はドバイへ行こうと思うんだ」と、打ち明けてくれた。

しかし、彼の奥さんはエジプトを離れることに反対した。「行きたければあなた一人で行けばいいわ。私は娘と一緒にエジプトに残る」と、聞く耳を持ってくれなかったそうだ。「離婚しようかなと思ったよ。もともと、娘の母親…という存在でしかないんだ。特別に愛情があって結婚したわけでもないし、理解しあえないのはなにも初めてのことじゃない」とMは考えたそうだが、結局、最愛の娘との別離を考えると耐えがたく、ドバイ行きをあきらめた。

2012年、彼はサラフィー主義者の台頭をなによりも懸念していた。「彼らが力を握ったら、自由さや寛容さはなくなってしまうんじゃないだろうか…」と。

世俗派の人間も、ひとによっては、民主的に選ばれたムスリム同胞団出身のモルシ大統領や福祉活動に力を入れてきた同胞団を評価していた。しかし、せっかく「民主的な」選挙で選ばれた大統領が、「非民主的な」やり方でその権限を強化し始めたとき、Mは危機感を抱いたそうだ。

今回、クーデターが起きたときにすぐにMに電話してみた。「軍の一時的なコントロールには賛成。あの大統領よりはいい。きっと何もかもがよくなるよ。大丈夫。俺たちのことは心配しなくていいよ」と。

エジプトは、自分にとって近すぎる国でありすぎて、冷静な分析も何もできないで(まあ、もともとそんな能力はないが)、ただただ多くの友の身をオロオロと案じるばかりの日々。

どんな信仰を持つひとも、どんな思想を持つひとも、ひとしく「エジプト人」でいられるような国であってほしいと願う。どんな勢力を支持しているひとであっても、それを理由に殺されることなんてないように…。

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