世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2013年12月

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カルミーがこの世を去ってから一年が過ぎた。

カルミーと約束したたくさんのことが果たせず、悔いばかりが残ったまま、カルミーは逝ってしまった。

その後の一年間は、ハイサムやハウラに電話をかけて、何を言えばいいのか思いつかず、意気地のないワタシは、どんどん彼らに電話をかけられなくなっていった。

なんて薄情な友達なんだろう、そう自分を責める気持ちに襲われるけれど、カルミーを亡くした彼らに向き合うのが怖かった。

でも、また季節はひとめぐりして、カルミーとの小さな約束が果たせなかった秋がまたやって来て、そのことを強く意識しながら、ビリンに辿り着いた。

予想に反して、ワタシを迎えてくれたハイサムもハウラも、満面の笑みだった。そこにカルミーがいないことが信じられないくらいの。まるでカルミーは外に遊びに行っているか、隣の部屋で眠っているのか…というくらいに。

でも、それは長くは続かなかった。ひとしきり話をして、カルミーのお墓のことをたずねると、やはりハウラは泣き出した。「毎朝、誰も起きていない早朝にひとりでなら行けるけど、ごめんなさい、いまは一緒には行けない」と泣いた。

夜中、ハイサムがカルミーのお墓に連れて行ってくれた。「カルミー、天国はどう?遅くなってごめんね。約束を守れなくてごめんね」と、お墓のそばの「カルミーの木」に水をあげた。

「ミカ、カルミーはここにはいないよ。カルミーの体はここにあるけれど、彼自身はここにはいない」と、ハイサムは空を見上げた。

「毎日、毎日泣き続けているハウラをみるのは辛い。ハウラは『もう泣くのはやめてくれ』と頼む俺に向かって、『あなたはなんで悲しくないの?なんで平気な顔していられるの?』となじるけれど、俺が泣きっぱなしで、家のなかには笑いも何もなくて、カルミーのことばかり話していたら、ムハンマドはどうなる?家族はどうなる?俺は、冷血だと言われようともムハンマドの人生も、家族も壊したくないんだ。守りたいんだ」

「悲しくないわけがないよ。カルミーは俺たちのすべてだった。ムハンマドがそうであるように。でも、残された俺たちの人生は続くんだ。だから、誰にも見られないように、夜中、ここにカルミーを訪ねてきて、ひとりで大泣きすることもある。そんな姿、誰にも見せられないけど…」とハイサムは寂しそうに無理して笑った。

朝、カルミーがワタシを起こしに来ない。朝食のアボカドをカルミーと取り合いしながら食べられない。「ミタ(カルミーはミカと言えなかった)、ヌーヌー(おしっこ手伝って)」と呼ばれない。チョコレートもチップスも四人分しかムハンマドが買って来ない。。。日常のありとあらゆる場面で、カルミーがいないことに呆然としてしまう。

そして泣きながらチョコレートをかじる。泣きながらカルミーが好きだったトムとジェリーを観る。泣きながらアボカドを食べる。。。いつもハイサムに怒られる。

「たくさんの外国人がうちに来たけれど、カルミーが一番深く愛していたのはミカだった。カルミーは人見知りが激しいから、外国人がうちに来るとおびえてしまうんだけど、そんなとき、『この人はミカの友達だよ』と言うと、カルミーは彼らと仲良くなれたんだ。病院のベッドでも、ずっとミカの名前を呼んでいたよ。いつ来るのかってずっと気にしてた。ミカにとってカルミーが特別だったように、カルミーにとってもミカは特別な存在だった。カルミーを愛してくれて、カルミーと一番の友達でいてくれてありがとう」

カルミーが亡くなった日、ものすごく空が真っ青だったことを覚えている。泣きはらした目に太陽の光がまぶしかったことも。そんな日に、ウソの笑顔をつくって仕事をしたことも。

カルミーのお墓の小ささが、ひときわ辛かった。

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写真展「オリーブの涙・パレスチナの日々」

9月から11月に撮影の新作写真展

日時:1月29日(水)~2月3日(月) 12時~19時(最終日17時まで)

場所:吉祥寺 ビタミンTee(吉祥寺北町1-2-9)
   成蹊東門通り 四軒寺交差点すぐそば 吉祥寺駅より徒歩10分

電話:0422-27-1750

入場無料

http://vitamin-tee.com/

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「染色小田桐工房・いろいろな服たち」展のご案内

12月19日(木)~24日(火) 11時から18時まで

ギャラリーY
小平市たかの台44-11
西武国分寺線鷹の台駅すぐ
070-6660-8216

丁寧に染められてつくられた一点ものの服たちが、あたたかく迎えてくれる素敵な会場。
今回はクリスマスセールとして、特別価格で販売とのこと。

染色家の小田桐さんのご厚意で、この服たちと一緒にパレスチナのハンディクラフトとワタシのパレスチナポストカードを会期中置かせていただけることになりました。

お近くの方、染色に興味のある方、一点ものの丁寧に作られた服や雑貨がお好きな方は、是非とも足をお運びください。

ワタシは、24日に会場にお邪魔する予定です。

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二年ぶりのビリン村の「実家」でワタシを待っていたのは倍増した「家族」だった。

二年のあいだに、「弟」や「妹」たちに子どもたちが生まれ、一気に「甥」と「姪」が増えていた。

もともと知っていたのは、「姉」ファトヒーヤ(次女)の息子のソハイブ(スス)と「弟」ムスタファ(次男)の息子のヤジードだけ。二年前にギリギリ生まれたばかりのムハンマド(ムスタファの次男)を「みた」という程度。それが、この二年のあいだにカイス、アブード、ナウラス、ラマールが生まれ、そして今回会うことの出来なかった「姪と甥」がまだ他に5人もいるという。

弟の嫁や妹たちは、とにかくよく子どもたちを実家に連れてくる。恐怖なのが、カメラやハードディスクやタブレットなどを投げたり、落としたり、水やコーヒーをその上にこぼしたり、されること。実際、実家でそういうものを、彼らの手が届かない場所に保管しておけるような場所はないに等しい。

親たちに、頼むから「ミカおばちゃんの持ち物には手をつけてはいけない」と、しつけてほしい。まったく気の毒なのが同じ被害に遭うハムディで、彼は甥っ子たちにカメラのメモリーカードは壊されるわ、コンピュータにコーヒーはこぼされるわで、そのたびに冷や汗をかいている。ワタシは、あまりに大事なものは実家には置かず、ハイサムの家に避難させるということを思いついた。

まあ、でも、カワイイのである。大きな石をいたずらで投げられたり、大事なものを投げ捨てられたり、ときどきはマジ切れしそうになるものの、やはりカワイイ。もう少し彼らが大きくなって、ススやヤジードのように分別あるお兄ちゃんへと成長してくれるのを待つのみ。

いたずらっ子だらけのなかで、とてもお利口さんなのが長男ハミースの息子のアブード。いつもニコニコ、ワタシのことを大きな目でじーっと覗き込んでくる。なぜか相性がいいみたいで、機嫌が悪くてもワタシがあやすとご機嫌になる。そうすると、ますますカワイイ。

糖尿病が悪化して、目が見えなくなってしまったママも、孫たちが来たときだけはご機嫌だ。「世界中のすべての子どもは等しくカワイイ」と言い切るママは、ワタシと違って大の子ども好き。ワタシは基本的にどちらかというと苦手なのである、子どもが。もちろん、特別な存在の愛しい子どもたちもいるけれど。

ママは、普段は痛む体に泣いてばかりいる。どうして神様は私を生かしておいでになるのか、と嘆く。「痛む体を与えられているのも神様のおかげ(アルハムドゥリッラー)」と言いながら、体の痛みに耐えかねるように苦痛に顔を歪めている。

でも、孫たちの存在は、彼女を幸せにする。占領や病気を嘆きながらも、孫に囲まれながら笑顔をみせるママの姿に、人間の幸福とは…と、考える。

ママは、早く楽になりたいと嘆くけれど、ワタシはまだもう少し、いろいろな言葉をママから聞かせてもらいたいと願っている。彼女に手を握られながら、同じ毛布にくるまって、とりとめのない話をする夜が大好きだから。

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カルミーが亡くなって一年、母親のハウラはいまも毎日その喪失に苦しんでいる。

ただ、最初の三か月間のような、本当に文字通り誰とも会わずベッドに横になって泣いているだけの日々から考えると、それでも少しずつ現実を受け入れて生きていけるようになったのかもしれない。

日に何度か、カルミーのことを思い出して涙をこぼすハウラ。「神様に毎日カルミーのもとに連れて行って欲しいとお願いしているけれど…」と号泣する。とてもつらくて見ていられない。

でも、そんなハウラも時々、前向きになれるときがある。向き合うべきことの大きさは違っても、深刻さの程度は違っても、人間なんてみんなそんなものだ。最愛の息子を亡くしても、人生は続く。ハウラにも時折笑顔が戻る。

夫のハイサムは、ずっと失業状態にある。カメラマンだと言ってはみても、収入があることなんてマレだ。ひとのことは言えないけれど…苦笑。

お金のないストレスが、二人の心を蝕む。ストレスから、どんどん夫婦げんかもエスカレートしていく。些細なことから火がついてしまう。

「もうこれ以上、借金も頼めない。でも仕事もない。カルミーの死を乗り越えるためにも何か打ちこめることが欲しい」とハウラ。そんな彼女の生活の足しにと、ハンディクラフトをつくって売る、そのための材料費を彼女に渡した。

彼女の顔は輝き、そんなに根を詰めて大丈夫かとこちらが心配になるくらい、一日の大半を刺繍に費やし始めた。「こんなデザインはどう?」「この色の組み合わせはどう思う?」と、彼女はどんどん積極的にアイディアを出すようになった。

旅の最後に、彼女がつくったもの、すべてを買い取ると申し出た。日本でそれが本当に売れるのかどうか、そんなことは、大した問題じゃなかった。頑張る彼女に、頑張った「報酬」を用意したかった。

彼女は、文字通り涙を流して喜んだ。「頑張ったことが報われるのがうれしい」と。

このほか、夫を亡くした女性などの生活支援のために買い取ったものもあります。

これらのクラフトを購入後希望の方は、どうかご一報ください。

詳細をご連絡いたします。

mikairv@gmail.com

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アンマンには、たくさんのシリア難民が暮らしていた。

ワタシが泊まった安宿には、従兄弟同士ふたりのシリア難民が部屋の清掃をしていた。話を聞くと、彼は東グータの出身だという。あの毒ガスが撃ち込まれた地区だ。毒ガス攻撃以前に彼らの一家はシリアを離れていた。しかし、内戦で家族二人を亡くしたという。

アンマンの街なかで、シリア人だけでなく、エジプト人にも多く会った。彼らは口々に「エジプトにはいま仕事がない」と言った。「革命」や「クーデター」の影響でエジプトの観光産業はズタズタ。多くの人たちが、アンマンに流れ着いていた。

出会ったヨルダン人の何人かは、「シリアから難民がたくさん流れ着いてきているせいで、俺たちの仕事がなくなった。彼らは安いカネで同じ仕事を請け負うから」と苦々しく言った。

夜、ホテルの近くのカフェでお茶を飲んでいると、ある子連れの男性に声をかけられた。このカフェの店員もシリア人で、その店員の友達だという。一緒に連れていた女の子を指さして「うちの娘がアジアのことが大好きなんだが、しばらくご一緒してもご迷惑ではないだろうか?」という。一緒に座ってもらって、娘さんの話を聞く。

どうやら、彼女は韓国ドラマをきっかけに、韓国人アーティストにはまっていて、日本人も韓国人も中国人も区別はつかないが、とにかくそのスッキリした東アジア人の顔(!彼女は本気でうらやましがっていた)が好きだ、という。「めちゃくちゃクール」と。

彼女は、父親のスマートフォンのなかにダウンロードしたたくさんの韓国人アイドルの写真を眺めながら、「ホンモノのアジア人に会えて嬉しい。一緒に写真をとってもいい?」

彼女は中学生だった。比較的経済的に余裕のある父親がシリア脱出を選び、アンマンに家を借りて暮らしている。ダマスカスの出身で一家全員で逃げてきたそうだ。「アンマンでの暮らしはどう?」と聞くと「学校に友達もたくさんできたし、楽しいよ」という。父親はそんな娘をなでながら、「でもお父さんはシリアに帰りたいよ。故郷のことを思うと、耐えられない」と涙をこぼした。

しばらくして、父子は家に帰ると席を立った。父子は何度も何度も振り返ってこちらに手を振った。姿が見えなくなるまで二人を眺めていたが、ギュッと握られた父子の手が、異国で生きていく彼らの心をあらわしているかのようだった。

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12月14日(土)16時半からは、西東京市芝久保公民館において
講座「平和を考える」をおこないます。

アフガニスタンやパレスチナや沖縄の人々の姿を通して、平和を考えるという
テーマのお話しです。

参加費無料、要申込。

空きがあれば、市外の方の参加もOKです。

詳細
http://www.city.nishitokyo.lg.jp/event/kyoiku/kouminkan/20131209.html

また、同館ロビーでは、パレスチナの新作ミニ写真展を開催中。

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