世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2014年04月

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写真展「カフェアラビアン」でバタバタな日々に、宮古から荷物が届いた。

差出人の名前をみてみると、いつもお訪ねしている、仮設住宅にひとりで暮らすおばあちゃん。

同じ仮設住宅の方々とあまりうまくいっていないので、普段、孤立しがち。

「いらねえ気を使って無理に付き合うよりいーんだ」とばあちゃんは強がる。

でも、行くたびに、手を握り、抱きしめ、あがっていけと言い、帰り際になると寂しそうな顔に変わり、それでも気丈に「また来てくれな。ねえやん(と呼ばれている)が訪ねてきてくれるのがどれだけ嬉しいか…」と、ありったけの栄養ドリンクや魚を持たせてくれる。

お礼の電話をすると「ああ、よかった。ねえやん日本にいたんだな。この前は雪かきありがとうな。おまけに軽めのスコップまであとで持って来てくれて。あれで、ようやく雪かきもできるようになったこった」と。

箱を開けると、大量のマス(一尾分まるまる!)、マスのあら、ホタテ、タコ、ワカメが所狭しと入っている。そして達筆で書かれた「本日のお品」と題された説明書き。あたたかくて、これを書きながらワタシのことを思ってくれていたばあちゃんの心が伝わってきて、なんだか切なくもあって。

「また五月に行くからね。待っててね」と言うと「ああ、そうか!楽しみだなあ。早く姉やんに会いてえもんだ」とばあちゃん。

結局さあ、、宮古でもパレスチナでもアフガニスタンでも、みんなにあたたかい気持ちを貰ってばかりだなあと思う。どうやって恩返しをすればいいのか分からないくらい、みんなに貰ってばかり。

何が出来るわけでなくても、訪ねつづける、いまのワタシにはそんなことしか出来ないけど。

さっそく、ホタテとタコは刺身でいただいて、焼き用と書かれたものはみりんと醤油で煮る。そしてマスを塩焼きにして、マスのあらは三平汁に。近年まれにみる豪華な食卓の日々。

ばあちゃん、本当にありがとう。

毎日多くの方にご来場いただいております。

本当にありがたいことです。

共同開催者のトモさんは、ワタシよりはるかに若い後輩ですが、彼女から学ばされることもたくさんあります。

彼女くらいの年のころ、いつも「どうやったら写真展が開催できるのか?」「どうやったら作品を発表できるのか?」と考えていたことを思い出します。

でも、方法が分からなかったし、きっかけもつかめなかった。

だからこそ、そののちに、長倉洋海さんや古居みずえさんという先輩方と親しくなり、いろいろと先輩方に気にかけていただき、少しずつ自分の道が牛歩のようではあっても進めるようになったいま、今度は自分が後輩たちの、なにがしかの力になれるといいなと思ったことが、この写真展のきっかけでもあるわけです。

でもふたを開けてみると、結局また、「先輩」であるトモさんのお母様(染色家)に助けられ、トモさんにも助けられという日々なのであります。

ところで、この写真展について、「日刊SPA!」のキタムラさんがお取り上げくださいました。

キタムラさんに出会ったのも、思えば、これまた先輩のドキュメンタリー映画監督西山正啓さんの上映会で、西山監督がご紹介くださったのがきっかけでした。

日刊SPA!の記事はこちら。
http://nikkan-spa.jp/624810

ワタシが言いたいことを、よくよく酌みとってくださっているなと思います。

写真展はあと三日。

是非お立ち寄りください。

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昨日は本当にヤバかった。

何がって?精神状態。

一昨日の金曜日、オフェル軍事刑務所前での「囚人」解放要求デモには各地から多くの人が集まっていた。

最近、各地のポピュラーコミッティー(民衆運動の指導部。ビリンも村内にコミッティーが組織されて、運動を今まで引っ張ってきた)が共闘して、毎週の最重要デモを持ち回りしている。今週がビリンなら翌週はナビーサーレハ、その翌週はブドゥルス…というように。

この金曜日は、オフェル刑務所前だった。

ビリン村の「従弟」ムハンマドもいつものように、カメラを持って参加していた。

うちのママが一番かわいがっている弟バスマン「叔父」さんの息子。

アーシムとは双子の兄弟で、最初は全然見分けがつかなかった。

でも、アーシムが長いこと「投石をした罪」で軍事刑務所に収監されて、それから雰囲気が変わってしまった。今まで以上に口数が少なく、顔つきが険しくなった。皮肉なことで、それ以来、ワタシは屈託なく笑っているのがムハンマド、険しい顔をしているのがアーシム…と見分けがつくようになってしまった。

バスマン「叔父」さんは、第一次インティファーダが始まった日に、そうとは知らず仕事でイスラエル領内にいた。もっとも、そのころは西岸地区全土も完全被占領状態。いまのように、壁があったわけではない。

村に戻ってくるまでのすべての検問所であの日兵士に暴行を受けた。バスマンをみたママは彼だとは分からず、「叔父」とママのお母さんはバスマンの腫れあがった顔を見て卒倒しかけた。

涙を流しながら、あの日のことを語ってくれた「叔父」。「子どもたちだけはこういう目に遭わせたくない」と語った。

そして金曜日、ムハンマドはデモのさなかに撃たれた。顔をゴム弾で撃たれ、腹部を実弾で撃たれた。

プレスと書かれた蛍光色のベストを着ていた。カメラを手に記録していただけだった。

病院に運ばれて、弾丸摘出手術を受けたが、伝わってくるのは「意識が戻らず、肝臓に弾丸がとどまり、損傷した片方の腎臓は摘出するしかない」という知らせ。

久しぶりに泣いた。悔しくて悔しくて。アーシムの気持ち、「叔父」の気持ちを思うとたまらなくて。

翌日、用事があって出かけなければならなかった。

車内はもっぱら花見の話題で持ちきり。混雑する赤羽の駅でワタシは叫び出しそうになった。

みんなの笑顔も、満開の桜も、何もかもに吐きそうだった。

「なんでみんな笑ってるんだよ!ムハンマドはいまこの瞬間も生死の境をさまよっているんだよー!」とのど元まで出かかった。

そんなことみんなの知ったことか。お門違いの八つ当たりだ。そんなことはいまなら分かる。

でも、あの瞬間は、もうオカシクなりかけていた。でも、ギリギリのところで理性が歯止めをかけた。

そして昨夜、ようやくハムディから「ムハンマドが意識を取り戻した」と連絡があった。

無意識のうちに「神さまありがとう」って言葉が出て、安堵したらだーだーと涙が出た。

そして今日、花をゆっくり見るべきなのは自分だな…と思った。

冬に逆戻りの寒さのなか、自転車をこいでひとりで近くの公園に行った。

桜は散りかけていた。

でも、吐き気はおさまっていた。

あやうく、毎年、桜の季節になると吐き気を催すところだった。。。

ムハンマドのために、祈り続けてくれた皆さん、本当にありがとうございました。

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働く人を撮るのが好きだ。

パレスチナ、ナーブルスの旧市街の市場、ここはワタシのお気に入り撮影スポットのひとつ。

撮影や取材に行き詰ったとき、気分転換にこの市場を訪れ、一日かけてあてもなくブラブラ歩き、出会う人の姿を片っ端からカメラにおさめる。

そうやって出会ったひとをまた訪ね、またその姿をカメラにおさめる。

そんなことをずっと続けてきた。

この漬物屋のおやじとも、ずっとそういう付き合いを続けている。

名前も知らない、どこで暮らしているのか、家族はいるのか、何も知らない。

おやじも、ワタシの名前も知らない。かろうじて日本人であることは知っているみたいだ。

いつも「元気?」「おお、おまえも元気だったか?」「今日も写真撮るよ」「ああ、ちょっと待ってな」と、ただそれだけの会話だ。

おやじの店はいつも忙しい。客がひっきりなしに来る。

酸っぱい、ワタシが少し苦手な漬物を、いつも持って行けと袋に入れてくれる。

「またね」「おお、またな」

ただそれだけ。

でも、いつもおやじを訪ねると心がじんわりあたたかくなる。

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パレスチナから、あらたにコインケース、クッション型のキーホルダー、リストバンド、バッグが届きました。

これらは、現在開催中のコーヒー屋アンダンテ(三鷹)での写真展「パレスチナの輝き」で一部販売予定。実物を手に取ってご覧になりたい方は、足をお運びください。ちなみに今日、展示写真の半分を入れ替えました。

また、4/14~4/20に開催の千駄ヶ谷での写真展「カフェアラビアン」でも販売。
https://www.facebook.com/events/205454479664277/207408252802233/?notif_t=like

また遠方の方には、郵送も致します。
お問い合わせは mikairv@gmail.com まで。

いずれも数に限りがあるので、早い者勝ちです。

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