世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2014年05月

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あわただしく日々が過ぎていく。

いま「集団的自衛権」のために憲法の「解釈」を変えてしまおうという動きが急ピッチで進められている。

「国防」「自衛」の名のもとに、その本来の目的から外れ、解釈を拡大し、意にそわぬものを弾圧し、侵攻することが簡単におこなわれるということを、そしてそのことで、普通の名もない市民が苦しめられることを、ワタシはアフガニスタンやパレスチナで間近に見てきた。

自衛が必要ではないと言っているのではない。しかし、武力云々を整備するその熱心さをもって外交に熱意をもってあたってもらいたい。

結局、戦争をして誰が得をするのか?兵器産業に連なる一部の企業家や権力者だ。

「国防」「安全保障」の名のもとに、日々パレスチナでは弾圧、人権侵害がイスラエル軍兵士によってなされている。

先日、信濃毎日新聞の論説委員の方から、分離壁についてのインタビューを受けた。そして、その社説の掲載紙(25日朝刊)を頂戴した。

「占領下の苦難に想像力を」と題されたその社説では、分離壁がつくられた村々でどのようなことがおこなわれているのか、それに反対するイスラエル人の活動も紹介したうえで、遠い日本からは「直接何かができるわけではないけれど」と前置きされつつも「パレスチナへの武力行使に日本が加担することを防ぐことこそが私たちに出来ること」と結ばれていた。

まったく同感。

その記者さんとは、遠い日本でどのようにパレスチナに親しみを持ってもらう伝え方が私たちに可能なのか、そしてこの先にどんな希望があるのか…ということを話した。

日本がいま進もうとしている「自衛」への道は、本当に私たちを「守れる」のか?

平和のための、地道で、地味な日々の努力こそが、私たちを「守る」ことになるというのは、キレイごとだろうか?

ワタシは、そうは思わない。

「自衛」の名のもとに、他国の人間を進んで殺しに行くような、そんな国にしてはならない。

まあ、考えはひとそれぞれ色々あるだろうけどね。

写真は、パレスチナ側の土地に入り込んできて、分離壁反対の声を上げるパレスチナの村人たちを弾圧するイスラエル軍兵士。

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もう何度目なのか数えられなくなっていたら、たまたま11回目の記録をみつけた。そこからならたどれる。今回は15回目のようだ。

車で行ったので、一関ICでおりて、そのまま気仙沼へ出て、沿岸沿いを北上した。そのルートを走るのはたぶん一年ぶり。去年の2月以来だ。陸前高田では、山の土砂を大きな機械でベルトコンベヤーのように運んでいる様子に驚いた。いつの間にそんな大がかりなものが出来ていたんだ。

大船渡、釜石、大槌、山田と北上していると、少しずつ工事が進んでいる様子が見えるところもある。ようやく目に見えるカタチで少しずつ進んできているようだ。

宮古でも、ようやく盛り土による嵩上げが始まりかけているところがあった。ようやく完成した最初の復興住宅への入居も始まった。しかし、復興住宅の家賃を払う余裕がなかったり、大きなものの処分費用が捻出できなかったり、また新たな問題も聞こえてくる。

元の場所のコミュニティを維持するのか、新しく仮設住宅で親しくなったそのコミュニティを維持するのか、それが合致していれば言うことなしだが、なかなかそうもいかないらしい。

震災から三年、子どもの成長期の三年も大きな三年だが、高齢者にとっての三年も大きな三年。被災前は元気だったのに、仮設住宅で動く機会が減ってすっかり弱られた方もたくさんいらっしゃる。

ただ、今回ひとつだけとびきり嬉しいこともあって、被災時に両親と離れて過ごさなければならなくなって、その後学校に通えなくなった少年と、震災の年の夏よく一緒に遊んだり、ボランティアをしたりしていた。その後、少年は少しずつ学校に通えるようになり、再会するたびに成長を遂げていて、冬に会ったときは受験生だと言っていた。そして今回再会すると「志望校に合格して、いまは部活やってます」と日に焼けた顔でニッコリと笑う。筋肉もついて少したくましくなっていて。本当に嬉しかった。

辛いことを忘れたわけでもないし、まだまだ辛い目に遭っている方々のことをきちんとみつめていなきゃと思うけれど、でも被災地にも嬉しいことや幸せなことがないわけじゃなくて、それをすべてひっくるめて、三年の月日なんだなと思う。

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つい先日、アフガニスタン、パンジシールのよく知る場所がテロの現場となった。カーブルから「山の学校」に行くには、あの道のあの場所を通るしかない。何度も通ったあの場所が…と思うと、やはりショックだった。でもそれ以上に、たまたまその時間に、たまたま誰か知った人がいたんじゃないかと、そんな可能性は限りなく低いとは分かってはいても、気が気ではなくなってしまった。

そしてしばらく前から目にしていた洪水のニュース、そして地滑りでの多数の犠牲者。どうしてこうもアフガニスタンの苦難は続くのだろう。土砂に埋まってしまって、数日後に泥だらけで灰色になった子どもの遺体の写真をみたとき、胸がつぶれそうになった。どうか、みんなが天国で心休まるときを送っていますように。

そんなとき、決まって思い出すのは、ワタシが出会ったみんなの笑顔。ちょっと行っただけでは、何週間かずつ滞在しただけでは、「アフガニスタンを知っている」とも言えないほど、ほんの一面しか見ることが出来ていないのは重々承知している。

でも、ワタシはアフガニスタンが大好きだ。たとえ一面しか知らないにすぎなくても。

いろんなことで疲れ、ささくれ立っているときは、アフガニスタンの写真を眺める。今夜もそんな気分だった。みんなの笑顔を眺めながら、心だけアフガニスタンへ飛ぶ。

ふと、バーミヤン空港の写真をみつけた。ああ、そうだ、ここはターミナルビルもなくて、どこかから探してきた椅子を適当に確保して、青空の下でジリジリと太陽に焼かれながら、三時間遅れのフライトを待ったんだった。

荷物は、ひとつずつ開けて持ち主立ち会いのもと警察が調べる。調べ終えた荷物は全部を一か所にまとめて置いて、飛行機がやってくると荷物だけ車が運んで積み込む。乗客は滑走路に駐機している機体まで歩いて行って、タラップをのぼって乗り込む。

ユルイなあ。でも、「辺境の地」の空港なんてそんなものなのかもしれない。空港があることじたいスゴイとも思う。

アフガニスタンに行きたいなあ。みんなに会いたいなあ。

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今年もこの季節がやってきました。

第二回喜多見と狛江の小さな映画祭+α、今年も開催します。

思えば、西山正啓監督の上映会後の飲み会で実現することとなったこの映画祭、気が付けば自分たちが当初考えていたよりもずっと大きなものになりました。ワタシとして「壊された5つのカメラ」を上映して、解説トークして、パレスチナと金城実さんをテーマにした写真展をやって…という程度の関わり方しか考えていなかったのですが。

さて、今年は、パレスチナ報道の大先輩、古居みずえさんにお願いをして、「飯舘村の母ちゃんたち」と「ぼくたちは見た」を上映してもらうことになりました。

さらに、ワタシの一押し、大好きなDAMが出演する「自由と壁とヒップホップ」の上映も決定。

そして分離壁を越えてイスラエル領に働きに行くパレスチナ人労働者の姿を追った「ナイントゥファイブ」と、ビリン村の分離壁反対運動がテーマの、皆様にはおなじみの我が大親友ハイサムが監督をした「車椅子のジョディ・Life On Wheels」を上映することも決定。

以下は、映画祭に寄せられたハイサムのメッセージです。

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「この映画をご覧くださる皆様,、関心をお寄せくださる皆様、本当にありがとうございます。大きな感謝と愛を贈ります。

私は皆様をパレスチナに招待したいです。日本で耳にされるニュース、目にされるニュースではないパレスチナをきっとここで感じていただけるはずだと思うからです。

日本の皆様は、紛争や占領下の生活に苦しむ私たちに同情を寄せ、連帯し、決して少なくない方々が実際にサポートのためにパレスチナに足を運んでくださっています。そのうちの何人かは、私たちの実際の生活を日本の皆様にご覧に入れるために、私たちと一緒に現場に立ち報道を続けてくださっています。

私たちは、世界中の皆様と同じように、人生を愛し、自由を求めている人間にすぎません。

どうか、私たちが求める自由のための闘いをご支援ください。

私たちは日本の皆様の歩まれてきた道のりに敬意を表します。

どうか、私たちのかたわらに立ち、私たちとともに歩んでください。

心からの敬意と愛をこめて」

           2014年5月1日   ハイサム・アルカティーブ

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みなさまのお越しをお待ちしております。

http://kitamitokomae-artfes.com

twitter:@KitamiFilmFes

いつもパレスチナの写真展や上映会などのイベントに来てくれるFさんが、三鷹市新川の「食茶房むうぷ」ギャラリー(杏林大学病院前)で、彼女が応援したいと思うものを集めて販売するという展示販売をおこなっています。

そこに、ワタシのパレスチナの作品とパレスチナのクラフト、クルド難民の女性がつくるオヤのクラフトを置いてもらうことになりました。

期間は今日から二週間。売上額によっては、延長もあるとのこと。

三鷹と仙川のあいだという、そんなにアクセスしやすい場所ではないのですが、深大寺、神代植物園の散策がてら、お立ち寄りいただければ。

ワタシも会期中どこかで時間をみつけて自然食レストランのごはんを食べに行きたいと思っています。

http://www1.parkcity.ne.jp/muwp/sagy_syoku.html

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