
いま「集団的自衛権」のために憲法の「解釈」を変えてしまおうという動きが急ピッチで進められている。
「国防」「自衛」の名のもとに、その本来の目的から外れ、解釈を拡大し、意にそわぬものを弾圧し、侵攻することが簡単におこなわれるということを、そしてそのことで、普通の名もない市民が苦しめられることを、ワタシはアフガニスタンやパレスチナで間近に見てきた。
自衛が必要ではないと言っているのではない。しかし、武力云々を整備するその熱心さをもって外交に熱意をもってあたってもらいたい。
結局、戦争をして誰が得をするのか?兵器産業に連なる一部の企業家や権力者だ。
「国防」「安全保障」の名のもとに、日々パレスチナでは弾圧、人権侵害がイスラエル軍兵士によってなされている。
先日、信濃毎日新聞の論説委員の方から、分離壁についてのインタビューを受けた。そして、その社説の掲載紙(25日朝刊)を頂戴した。
「占領下の苦難に想像力を」と題されたその社説では、分離壁がつくられた村々でどのようなことがおこなわれているのか、それに反対するイスラエル人の活動も紹介したうえで、遠い日本からは「直接何かができるわけではないけれど」と前置きされつつも「パレスチナへの武力行使に日本が加担することを防ぐことこそが私たちに出来ること」と結ばれていた。
まったく同感。
その記者さんとは、遠い日本でどのようにパレスチナに親しみを持ってもらう伝え方が私たちに可能なのか、そしてこの先にどんな希望があるのか…ということを話した。
日本がいま進もうとしている「自衛」への道は、本当に私たちを「守れる」のか?
平和のための、地道で、地味な日々の努力こそが、私たちを「守る」ことになるというのは、キレイごとだろうか?
ワタシは、そうは思わない。
「自衛」の名のもとに、他国の人間を進んで殺しに行くような、そんな国にしてはならない。
まあ、考えはひとそれぞれ色々あるだろうけどね。
写真は、パレスチナ側の土地に入り込んできて、分離壁反対の声を上げるパレスチナの村人たちを弾圧するイスラエル軍兵士。



