
やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、心をこめては、何も手につかない。必然的に、空っぽのまま、生きていくための必要最低限のことをこなす日々。
夢見るのは、某国某地での隠遁生活。何もかもを投げ捨てて、某地の一員となり、みんなに囲まれて、畑を耕して、牛を追って、乳搾りをして、山菜をとって暮らすことを夢想し続けた。
でも、「入植者誘拐事件」とその「捜索」と称したパレスチナへの侵攻作戦によって、ワタシはいつの間にか元の場所へ引き戻されていた。
日々増えていく「逮捕者」と犠牲者。ジェニン難民キャンプの友人までもが「逮捕」された。
それでもワタシは最初、なんだかすごく遠くの出来事のように(パレスチナは普段ワタシにとって「遠く」ないので)感じた。
入植者の青年三人が神学校の帰りに、入植地へとヒッチハイクをしようとして誘拐された。誘拐されたとみられるのは、パレスチナ人が自由に立ち入ることの出来ないC地区。ダウラトアルイスラームという組織が犯行声明を出した。
そんな情報をボーっと眺めていた。
しかし、すぐに、それは「捜索」という名の大弾圧に変わり、事件の舞台となった場所の近郊のヘブロンだけでなく、ラマッラー、ナーブルス、ジェニン、カランディア…などなど、多くの場所で、嫌疑もあやふやなまま多くの人が「逮捕」され、それに抗議する人々が各地で撃たれ、殺され始めた。
パレスチナ人の友達から、亡くなった方々の遺体の写真、その遺体にとりすがって泣くご遺族の写真が日々送られてきた。ラマッラーの町中、ナーブルスの町中、よく知る場所が「戦場」と化している。
カランディアで射殺された青年が遺した言葉。「僕はイスラエル軍に対する抗議行動に参加する。イスラエルのやり方にはもう耐えられない。占領がなくなる希望もない。投石する、死を覚悟で」。この遺言を読んだとき、もしかすると「彼」だったかもしれない多くの友の顔が浮かんできて、悔しくて泣いた。
ようやく、現実に引き戻された。
ジェニン難民キャンプの「弟」は、また親しい友人を連れ去られた。ワタシにとっても親しいヤツ。自分で台本を書いて、自分で演出をして、真剣に演劇に取り組んでいた。
「弟」は、親友の喪失に苦しみ続けている。
「マジドを喪ってから、もう一年近くの月日が流れるのに、俺のなかでは、あの日のまま、ときが止まっているみたいだ。現実と向き合って、現実的に生きているのに、ふとした場面で立ち止まって、マジドと過ごした日々を思い出すと、もうダメなんだ…」
「ワタシがしてあげられることは何もないけど、でもワタシも、マジドのことを絶対に忘れないよ。それだけは誓う」
と、返す。
毎朝、「弟」を迎えに来てくれていたマジド。狭い難民キャンプの小さな家では、扉を開けると、そこは玄関であり、広間であり、ワタシたち「一家」が雑魚寝をする寝室でもある。すべてを兼用するその部屋を見渡しながら「おい、ムハンマド起きろよ。エリヤ、起きて学校行けよ。ミカおはよう。今日も髪の毛大爆発」と笑ってたマジド。
ひとり、ふたりでは、決してこの日本ではニュースにもならない、その死を、こんなにも悲しみ、苦しみ、思い続ける遺族や友達の姿があるってことも、日本でニュースにならなかったその死者にも名前があり、家族があり、友があることを、ワタシは決して忘れない。
