世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2014年07月

仕事以外で長文を書くことが、時間的になかなか難しくなってしまっている。

このたび、ガザへの空爆と地上侵攻が始まった、それに際しての思いなどをIWJに寄稿させてもらったので、ブログ読者の皆さんにはご存知のエピソードも多いかと思いますが、お知らせします。

是非とも、読んでみてください。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/156060

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ワタシは普段ほとんど日本でデモに行かない。その理由を改めて考えてみると色々あるなと気づくのだが、一番の理由は「団体行動が苦手」ということなのかもしれない。そんなことは求められていないよ、という声も聞こえてきそう。そうかもしれない、行かないことへの言い訳かもしれない。

デモをしても、署名をしても、そのこと自体で何かを変えられるとは思っていない。ゼロではないけれど。ただ、意思表示としてはすごく大事なことだと思っている。

6月30日、ある高校でパレスチナやアフガニスタンの人々の話をする機会をいただいた。いつものように、大きな国際情勢の流れなんて話ではない。ワタシに出来ることは、出会った人たちがどんなふうに生き、どんなことを考えているのかを伝えること。

生徒さんたちは、熱心に聞き、質問をし、授業が終わった後も何人かの生徒さんとずっと教室の片隅で話を続けた。みんな、ものすごく勉強していて、ものすごく「自分にできること」を真剣に考えている。

この授業を終えて、心の底から、彼らを戦場に行かせてはならない、彼らの未来を大人たちの身勝手な欲望や弱さや怠惰でいま潰してしまってはならない。彼ら自身が自分たちで考えて、決めることが出来る日までは、自分たちが責任を持って行動しなくちゃならないと痛感した。

だから、その足で、官邸前に向かった。

ワタシにとっては、日本のデモはなんだか敷居が高い。「デモに敷居なんてないよ」と言葉を寄せた友達がいたが、それは、それぞれの感じ方。理由は定かではないけれどワタシには簡単に足が向かう場所ではない。取材、撮影ならともかく。

案の定、辿り着いてみると、まだ早い時間だったので「常連さん」とおぼしき方々が多く、皆さん顔見知り同士なのか、仲間同士なのか、談笑をしていらっしゃる方が多い。ひとりで所在なさげに立つ自分。SNSで発信してみる。すると知人のひとりから「官邸前へ向かっているよ」とコメントが。しばらくして合流して、ようやくなんだかホッとする。

「安倍はやめろ」「ファシスト打倒」「民主主義を取り戻そう」いろんなコールが繰り返される。自分には違和感のあるコールも少なくない。でも、そんなときは黙っていればいい。何も自分の思いと違う言葉を場の雰囲気に流されて叫ぶことはない。

パレスチナや「革命」後のタハリール広場でのデモと一番違うのは「ここで命を失うかも」という緊迫感がないこと。それは非常に気持ちが楽だ。でも同時に、本気で変えたいなら、ここに立っているだけではダメだなと自省する。これで「何かをやった」気分になっていては、何も変わらない。

夜21時半くらいにその場を離れる。この日のニュースでは35000人から40000人が官邸前で声を上げたと。これだけのひとの思いを、どうにかできないものなのか。

その日知人に話したことを、家に帰ってからもずっと考える。自衛隊員の弟がいること、彼がアフガンや中東に攻め込む日がくるかもしれないという可能性を、もう長年ずっと考え続けていること。そして、集団的自衛権行使が決まれば、ますますその可能性が近づくこと。

眠れなくなった。自分が官邸前に立つのは、集団的自衛権に反対するのは、上記の理由から。普段行かないデモに参加するのは、マジで他人事じゃないから。個別的自衛権と集団的自衛権はまったく別物。自分の国が攻められて守るのは当たり前。でも、他国を「自衛」の名のもとに攻めるのは違うと思う。

ここからは、ツイッターの投稿を含めて。(以下●印がツイッターへの投稿)

●明け方眠れずこれを作ってみたものの、実際官邸前で掲げる勇気があるのか自分でも分からない。こんなとき思うのは戦死した父親の死の意味を問い続ける金城実さんの勇気と覚悟。逃げちゃいけない。闘い続けるパレスチナの友に恥ずかしくないように。

それが、この写真の紙。国家に反対するということは、特別国家公務員である弟に迷惑をかける可能性もある。お互いに大人なのだから、それぞれの意思を通して生きていけばいいとは思う。でも、やっぱり一線を越えるようで躊躇する。「写真家、高橋美香」として国家に抗うことに躊躇はなくても。

母の顔がなぜか浮かぶ。ワタシはもう何年も弟と話をしていないし、ましてや彼の仕事の話に関しては、一度も話したことがない。「もし弟が、アフガニスタンでワタシの大切なひと達を殺すようなことがあったら、ワタシは絶対にあいつを許さない」と何度も母を責めるように口にしてきた。母を責める筋合もない。でも、誰かに言わずにはいられない自分の弱さ。それを母に甘えてぶつけ続けてきたワタシ。そのたびに「そんなこと言わんといて」と顔を曇らせる母。

差別される沖縄の現実をみつめ「立派な日本人」になれば差別はなくなると信じ、志願兵として戦死した父親の死の意味を問い続ける金城実さん。お父さんの盛松さんの思いを踏みにじるように、いまでもほとんどの日本人は無自覚な構造的差別が続き、沖縄には米軍基地が集中する。靖国の「英霊」として祀られる父親の死は「犬死にやった」と厳しく問う実さんの勇気と覚悟を思い出す。

同じころ、パレスチナの状況はどんどんひどくなっていく。入植者の青年の「誘拐殺人事件」の報復としてガザに空爆が加えられ、西岸地区でも日々弾圧が進められる。命を懸けて抗うパレスチナの友を思う。

そして、一度、爆破されて瀕死の重傷を負って、なんとか回復して、不自由な体で懸命に生きるアフガニスタンの友のことを思う。彼にはもう二度と苦しんでほしくない。彼だけでなく、あの国で懸命に生きる多くの友、大切な子どもたちが苦しめられるかもしれない。そんなことに、自分の血がつながった身内が加担するかもしれないなんて耐えられない。

眠れぬまま「閣議決定」される1日の朝を迎えて、アフガニスタンでの活動のための助成金申請の説明会に向かい、それを終えてまた官邸前に向かった。あの紙を持って。

●ジェニン難民キャンプでまた居候先の家族の知り合いがイスラエル軍兵士に射殺された。ワタシがたかが紙切れを掲げる勇気を必要としているあいだにも、命が消えていく。弾が飛び交う現場に立つより躊躇する自分って何なんだろう。母の顔ばかり浮かぶ。そのタイミングでアフガンの友からメールがくる。

●カメラマンなんだから、本当は紙を掲げるより写真を撮るべきなのも分かってる。でもやっぱりその前にひとりの人間として言うべきこと、言いたいことがあるから、カメラを持つべき手で紙を掲げようと思う。両立できる器用さがあればいいのにね。さあ、「仕事」が終わったので官邸前へ行こう。

●わたしには自衛隊員の弟がいます そしてアフガニスタンに大切な友がいます 集団的自衛権の名のもとで弟に友を殺させたくない 殺されたくない」と書いた紙を掲げて一日官邸前に立ちました。4社から取材受けて弟の命の問題を主題に話を進められるのですが、覚悟をもって命令に従い攻め入る弟の命の問題だけでなく、むしろ何の覚悟も準備も、もちろん非もなく「集団的自衛権」のもとに彼らに突然奪われる可能性のある異国の友の命の問題を訴えたいのです。極論だとは分かっているけれど。血の繋がりの有無だけが、かけがえのない大切なひとをつくる要素じゃない。

土壇場で、本当に躊躇した。何度も、自分ひとりの自己満足のために家族に迷惑をかけてもいいのか?その覚悟は出来ているのか?と自問自答した。この姉を持つことで、弟が望む道を絶たれる可能性があるんじゃないか?そんなことも考えた。その責任をとれるのか?

でも、もしそうなった場合、一生、弟からの、家族からのどんな責めも受け続けようと思った。責任なんて取れないけど、一生恨まれて、責められて生きていけばいい。そう思った。血のつながった肉親だからという甘えなのかもしれないが。

そんなことよりも、命が大切だと思った。理解してほしいとも思わない。自分勝手なひとりよがりな思いなのだろう。でも、ワタシにとっては、弟だけじゃなく、異国の「家族」や友の命が大切だから。

閣議決定はされてしまった。もちろん、そうなることは分かっていた。まだまだ行使を阻止するためにこれからも闘いは続いていく。ワタシはこの紙を掲げて意思表示を続けていこうと思う。

命を懸けて闘い続ける、懸命に日々を生きる友に顔向けできないような生き方は絶対にごめんだから。

※ご批判やご意見等たくさんあることは承知のうえです。ただ、自分自身が必死に考えて、悩んで決めた行動ですので、この場での説教などはご遠慮申し上げたいと思います。もちろん、ワタシのことをよくご存知である方々からの、直接の対話の場でのご意見、ご批判、説教等は大歓迎です。顔の見えないブログという場ではご勘弁と思っておりますので、ここにはコメント欄は設けないことにさせてください※

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