世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2014年12月

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今年も、パレスチナの帰国報告会を下記の通り開催することになりました。

日時:12月28日(日)(1)13時〜 (2)17時〜
会場:M.A.P.
 狛江市岩戸北4-10-7-2F
 小田急線喜多見駅徒歩5分 島田歯科2階
   会費:1200円
お問合せ:M.A.P. 03-3489-2246

主催のM.A.P.のブログ記事
会場へのアクセス等、こちらをご覧ください
http://mapafter5.blog.fc2.com/blog-entry-4119.html

○スライドトーク内容

今年は秋のパレスチナをウロウロ。民家や難民キャンプに居候。ともに寝起きし、農作業や建設作業をしながらの撮影の日々。

・イスラエルの占領政策に抵抗する俳優(Saleh Bakri)の闘い
・分離壁がつくられたビリン村のその後
・ジェニン難民キャンプの暮らしと人々
・エルサレムの現在
・占領されたヨルダン渓谷

・「ナイントゥファイブ」(17分)の上映
・ナイントゥファイブ後日談、主人公ニダルのその後

帰国報告トークに次いで、質疑応答の時間を設けます。
 ※また会の後、懇親会なども予定しています。

新入荷!パレスチナの女性たちがつくったハンディクラフトの販売や、メイドインパレスタインのこだわりクフィーヤ(スカーフ)の販売も予定

皆様のお越しをお待ちしております

ご予約は、フェイスブックページへの書き込みでも可能です
https://www.facebook.com/events/594933973941973/

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ここ一年ほど、ママの調子が急激に悪化しているとハムディから聞かされていた。一時期は入院していたが、少し容体が持ち直して自宅に戻っていいと言われ、少し安心した。しかし、ママの体はどんどん糖尿病が進んでいて、失明だけでなく、腎臓の機能が低下し始めた。退院は出来たものの、週に二度の通院による腎臓透析が必要とのことだ。

ラマッラーの病院へ、片道40分ほどかけて週に二度息子たちが交代で付き添う。五人兄弟なのでシフトのように順番が決まっていて、一か月に二度弱ひとりずつが付き添う計算になる。

車を持っているハミースとムスタファとヘルミー以上に大変なのがハムディとムハンマド。ガソリン代も高額ながら、車を持っていないハムディとムハンマドはタクシーで毎回ママを連れて行かなくてはならない。その往復の代金は、決まったドライバーと契約していて、交渉して安くしてもらっていたとしても、どんなに安く見積もっても往復で三千五百円は間違いなくかかる。

「もう私は生きていても息子たちの負担になるだけ。本当に息子たちがかわいそうだと思う。病院に行かなければ死んでしまうけど、病院の治療費、薬代、交通費、もう収入も貯金もない私たち(パパとママ)は、子どもたちの世話になるしかない。本当に申し訳ない。ハムディとムハンマドには、本当にかわいそうなことをした。上の子たちが結婚したときはまだ貯金があったから結婚式の準備をしてあげられたのに、彼ら二人には何もしてやれない」と嘆く。

「神様、どうか私を楽にしてください。生きていても体中が痛くてしんどいだけ。ああ、それも何もかも神様の思し召し。ハムドゥリッラー」

いま、ハムディは週に二回大学に通い、ジャーナリズムを学び直している。そして、そのかたわら、懸命に土地を手入れして、様々な野菜や木を植えて育てている。もともとパパがしていた農作業。畑を耕すのも家畜の世話をするのもパパとママの仕事だった。しかし、2010年を境にふたりとも視力の低下が進んでしまい、家畜は売り払われ、農地は荒れ始めた。

次男のムスタファとハムディは、ふたりで家畜を買い戻し、農地の手入れを再開した。「いまうちにはお金がないから、なかなか野菜を買うのもままならない。初期投資をして、自分たちの食べる分くらい賄えたらなと思って」と、ラマッラーで買ってきた種を手に話すハムディ。

ママは五人息子たちのなかでも一番ハムディを気にかけている。決してそう口にはしないが、それははたで見ていて分かる。「ミカは兄弟五人のうち誰が一番好き?」とママはよくワタシにたずねる。同じことをいつもママにたずね返す。お互いに「ハムディ」だとは決して口には出さない。でも、お互いにそう感じている同士よく分かる。好き…という単純な言葉では表せない。気にかかるし、心配だし、多くを語らなくても分かり合える相手だし、いろんな思いがこめられている。

ワタシもママも、同じ家に居ても、ハムディと一緒に時間を過ごすことはあまりない。昔はいつもハムディと一緒に居たけれど、いまは敢えて一緒に過ごすこともなくなった。本当の「姉弟」が実際はそうであるように。ワタシはあの家で、ママが起きている限りはいつもママの隣で過ごす。ハムディがその場に加わることもマレだ。

この夜は、ビリンで過ごす最後の夜。何度目だろう、今年もこの夜がやって来た。「来年ミカが帰ってくるときには、もう私はこの世に居ないよ。これが最後だよ」とママ。「毎回そう言うけど、毎回また再会できているじゃん」とワタシ。その場にいたハミースが「ホント、毎年お約束の場面だな」と笑う。でも、ママの光を失った目からは涙がこぼれる。

ハムディが部屋にやって来て、ママをなぐさめる。ママのからだを枕に横になる。こうやって、わざと甘えてじゃれ合う。ワタシはそんなふたりを眺めるのがとても好きだ。

ママを元気だったころに戻してあげたいと思う。あのころに戻りたいと思う。でも、決してかなわない。こうやって年月は流れていく。積み重ねてきたもの、過ぎ去ったもの、失ったもの、得たもの…ママとハムディは、いろいろなことを教えてくれる。

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パレスチナへの出発前に、オリーブの苗を贈りたいと呼びかけ、カンパをお預かりしました。
詳細は→http://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/40098246.html

今日は、その件についてのご報告を。

オリーブ畑を訪ねて、誰に託そう、どこへ贈るのがふさわしいのかと、なかなか決め切れずにいました。もちろん、長い付き合いがあり、多くの村人をよく知り、信頼関係もある程度つくることが出来ているビリン村で計画を実行するのが一番「簡単」ではありました。

しかし、あまりに多くの村の人たちをよく知りすぎているがゆえに、逆に実行できなくなりました。というのも、希望者みんなに贈るほどは予算はなく、希望者=本当に困っているひとという訳でもないと気付いたからです。もうすでに多くの木々を持っているひとからも希望が出ました。限られた予算で、遺恨を残すことなくうまく実行できる気がしませんでした。外国からの「支援」の配分の不公平が嫉妬を生み、村の人間関係をズタズタにするケースをこの村でたくさん見てきたからです。そこで、ビリンでは今回はこの計画を実行しないことに決めました。

新たに訪れたカフルマーリクは、そういう意味ではうってつけの場所でした。ここはエリアCでヨルダン渓谷にほど近く、頻繁にイスラエル軍兵士の侵入があります。エリアCでは、完全なイスラエルの主権下に置かれているため、紙切れ一枚で土地や家屋を破壊され、接収されるということが続いています。ここで、村や地域のことを広い視点でみつめ、考え続けて活動してる女性Mに出会いました。彼女にこの話をしたところ、「もしミカがここでその活動をしたいのならいつでもサポートする。本当に苗を必要としているひとへの配布も全力で手伝う。いつでも準備が出来たら教えて」と言ってもらえました。

結論:彼女と話して、次回、この村でのオリーブの苗の配布と植樹を実施することになりました。

カフルマーリクを去って、あちこちを巡りながら、半ば決心を固めていました。カフルマーリクに戻って、Mにサポートしてもらって植え始めようと。そう考えながらジェニン難民キャンプに向かいました。

ジェニンでは相変わらず毎晩のように発砲音が響き、深夜に侵入してきたイスラエル軍兵士に「容疑者」が連れ去られる、ということが続いていました。

居候先のアワード家の兄弟、長男のカマールの一番の親友のカイスは刑務所に入れられたまま、次男ムハンマドの一番の親友だったマジドは昨年の夏に射殺され、そしてこの春、兄弟の幼なじみのハムザがまた射殺されました。ワタシはマジドもハムザもよく知っていました。いつも冗談ばかり言っている明るい青年たちでした。難民キャンプの生まれ育ちじゃなかったら、きっと全然違う人生だったのだと思います。でも、彼らは殺されました。

ハムザの最期の様子を兄弟たちに聞かされました。どんなふうに殺されていったかを。ワタシはそれを聞いて、思わず泣いてしまいました。笑ってるハムザの顔しか知らないのに、兄弟たちに見せられた写真は、顔も体も蜂の巣状態で顔の原型もとどめていなかった。血の海のなかでハムザは亡くなっていた。「ミカ、泣くなよ。喜んでやれよ。ようやくアイツらは楽になれたんだ。これでようやくゆっくり休めるんだ。自分にもその順番が来るのをまっている。占領のなかでただ生きながらえているよりも、抵抗して闘って死にたい」と、これまでに見たどんな顔よりも悲しい顔で、兄弟のひとりがつぶやきました。

オリーブの収穫の時期は、本当に楽しい喜びの季節です。でも、その一方で、土地を奪われ、故郷を奪われた難民は、耕す土地も持てず、他人のために安い日給でオリーブ摘みを手伝う、または収穫が終わった後の土地で干乾びた実を土地の持ち主の厚意で拾わせてもらうことがオリーブの木とのかかわりです。

もちろん、難民のすべてがそうだとは言いません。また、土地を持っているひとはそれだけで暮らしが安泰という訳でもありません。土地収奪の問題や水の収奪の問題などによって、彼らもまた多くの問題を抱えています。

それでも、アワード家の困難は際立ち、それを克服しようと努力する姿はとても大きな力だと常々感じています。アワード家の一家の大黒柱だった父親イマードが2002年のキャンプへの軍事侵攻の際に拷問に遭い、以来身体を壊して病に臥せり、妻のマハは夫の介護と子育てとカネを得るための労働と懸命に働いてきました。ただでさえ女性の働く場が限られているパレスチナで、小学校しか出てない彼女は農場で肉体労働に従事してきました。トマト農場、キュウリ農場、レタス農場、カリフラワー農場、マハと一緒にワタシも何日も何週間も作業をしました。その経験を通じて、それがどんなにキツイ仕事であるかはよくよく分かっています。そしてそのキツイ仕事の7~8時間の労働の日当は50シェケル、1500円ほどです。

パレスチナは決して物価が安いわけではありません。日本に比べれば安くても、収入との相対で考えると非常に高いと言わざるを得ません。

占領下で夢を持つことも難しい、占領に抵抗すると「テロリスト」として逮捕されたり殺されたりする日常。まだ二十代の兄弟たちもまた、あまりに多くの人の死をみつめ続けてきました。拷問に遭わされた父親は晩年言葉も発することなく寝たきりでした。まだ四十代前半でした。

ワタシは、試しに兄弟たちに「日本から預かってきているお金があるんだけど、これで裏のゴミの山を片付けてオリーブを植えるのをどう思う?ヤル気ある?」とたずねてみた。兄弟たちの目が輝きました。「ホントに?」「オリーブだけじゃなくレモンも植えたい」「木だけじゃなくてニワトリや鳩やウサギも飼いたい」「玉子をとったり、食用にしたり、増えたら売ったり出来たらいいな」と、それぞれが言い出しました。「分かった。いくらかかっても出来るだけサポートするから、早速始めよう。セメントとブロックを注文に行くチームと裏のゴミを片付けるチームに分かれて開始」とワタシが宣言すると、彼らの目に涙が浮かびました。

根本的に彼らの人生に対して何かが出来るなんて、そんな甘い考えを抱いているわけではありません。どんなに「死んでほしくない」とは言えても、「我慢して何が何でも生き延びてほしい」とは言えないでいます。彼らは「そのとき」が来れば、きっと「闘い」に行くのだろうと思います。それを避けて、とにかく生き延びるという気持ちは薄いようにみえます。一緒に暮らしていると、ことあるごとに、彼らの現世での絶望を思い知ります。

それでも、本音では「生きる」ことを考えてほしい。未来につながることを考えてほしい。将来の木の実の収穫とか、家畜の世話とか、少しでもいいから先のことをみつめてほしい。オリーブやレモンのみの収穫の喜びを感じてほしい。家畜が成長する、増える喜びを感じてほしい。それが「生きる」ということだろうから。

まずゴミを集めて焼いて、瓦礫や岩を砕いて、出来るだけ家の裏の土地を平らにして、半分は木を植え、半分はセメントを流し込んで鶏舎、鳩小屋、ウサギ小屋をつくることに。兄弟たちの友達にも手伝ってもらって、なかでもプロの土木作業員や大工の仕事をしている友達には日当を払って仕事としてやってもらうことに。それ以外のひとたちには、昼食や夕食を用意。

季節が秋から冬に移ってきて、雨降りが続き、なかなか作業がはかどらず。結局、帰国までに作業終了を見届けることが出来ず、彼らは引き続き作業を継続することを約束。完成の報告を楽しみに待つことにしました。

※会計報告※
収入:(苗木カンパ)           72500円
   (その他)             28800円
                   計101300円

支出:
・土砂代、セメント代、砕石代、ブロック代 47300円
・オリーブの苗木、レモンの苗木代      6900円
・運送費                   750円
・日当、昼食代               9780円
・鳩、ニワトリ、ウサギ代(預け)     11000円
                   計 75730円

余剰金(次回繰り越し)         +25570円

※余剰金は、次回さらにオリーブの苗木を植える資金に充てさせていただきます
※必要に応じて、余剰金のなかから小屋のドア代、窓代等を送金する場合があることをご了承ください

また、「オリーブの苗木を贈る」としてカンパを募ったのにもかかわらず、当初の主旨から外れ、独断で使途を変更してしまったことをお許しください。手渡し、振り込みでカンパをお寄せくださった方のなかで、違和感を抱かれ、返金をご希望される方はどうぞ遠慮なくお申し出ください。

また報告のアップデートがありましたら、この場でお知らせいたします。

ありがとうございました。

写真1:まずはゴミの片づけと整地からスタート
写真2:ブロックやセメントの材料と苗木が届く
写真3:整地した場所にセメントを流し込む。この上に家畜小屋を建設
写真4:瓦礫を取り除き、岩を砕き、深く穴を掘ってオリーブの木を植える
写真5:オリーブを植えたジュジュとカマール
写真6:植えられたレモンの木を眺めるエリヤ(アワード家の末っ子)とイマード(長男カマールの息子)
写真7:家畜小屋を建設

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昨夜無事に帰国しました。

今回もパレスチナ滞在が二か月にも及んだので、いろいろなことがありすぎて、何から書けば、手をつければいいのかサッパリ分かりません。

膨大な写真の前で途方に暮れているといった感じ。

また、荷物をほどきながら、ワタシの滞在期間中の二か月、連日連夜懸命にクラフトをつくり続けた女性たちから預かってきた大量のクラフトを前にこれまた途方にくれる。

→預かってきた作品の詳細は、今後このブログでもご紹介していきます。

肝心のオリーブ基金のご報告は、またきちんと数字とともに改めて。。。

とはいえ、簡単に報告すると、結果的に、二か月間に出会った多くのパレスチナ人家庭のなかで「一番困難に直面していて、一番この基金が生きそうなところへ」と悩みに悩んだ結果、ジェニン難民キャンプのアワード家(一家の大黒柱であった父親イマードが拷問に遭った末に長いこと病に臥せって去年亡くなり、一家は厳しい経済状況に置かれている)の家の裏のゴミ置き場となっていた敷地を片付け、整地し、オリーブとレモンの木を植え、セメントで固めた土台の上に鶏小屋(食用の玉子をとる)、ウサギ小屋、鳩小屋(食用の目的とともに、将来増やすことが出来たらウサギや鳩を売る)の建設に着手しました。

それを決意した理由としては、一家の兄弟の幼なじみのマジドが去年射殺され、今年の三月またハムザが射殺されたことが大きな理由となりました。ワタシがそのことを悲しんでいると「彼らはようやく楽になれた。ここで生きていても辛いことしかない。自分にもその順番がやってくることを願っている。占領に屈して生きながらえるより闘って死にたい」と兄弟のひとりがつぶやいた言葉が大きなきっかけとなりました。

根本的に、なにひとつ彼らにできないことはよくよく分かっています。ワタシには「死んでほしくない」とは言えるけど「我慢して生き続けてほしい」とは言えない。占領のなかで生き延びるためだけに我慢し続けることがどんなことかずっと見つめ続けてきたから。それでも、本音では生き抜いてほしい。木を植えて、将来の収穫を考えて、家畜を飼って、その世話をして、少しでも「生きる」ことを考えてほしかった。

基金の目的に必ずしも適ったものではなかったかもしれないけれど、それを送ることで爪の先の先ほどのわずかな「希望」を生み出すということには、寄与できたのではないかと思っています。この話を提案したとき、兄弟たちの目が文字通り輝いた。そして彼らの目に涙がうかんだ。あの目をみたとき、迷っていた気持ちが吹っ切れました。とことん付き合おうじゃん、と。

※改めて詳細を出し、報告しますが、振り込みまたは手渡しにより出資してくださった方のなかで、当初の予定と違う使途に違和感を抱かれ、返金を希望される方は遠慮なくお申し出ください。

写真:まずは瓦礫の散乱するごみの山からごみを拾い岩や瓦礫を砕き整地することからスタート。作業のあいまの休憩時間。カマールとジュジュ。

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最新の報告を兼ねたスライドトークを下記の日時、会場でおこないます。

12月10日(水)18時半から20時
「わたしたちの難民問題2014/vol.15」『パレスチナの日常生活』

神戸市青少年会館・研究室
神戸市中央区雲井通5-1-2
三ノ宮駅徒歩五分

参加無料
要申込

お名前、ご連絡先、12月10日参加希望と下記いずれかにご連絡を

難民事業本部関西支部 078-361-1700 kansai@rhq.gr.jp
神戸YMCA国際・奉仕センター 078-241-7204 houshi@kobeymca.org

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