世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2016年05月

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先日、アフガニスタン山の学校の卒業生が学校に先生として戻ってきたという話をご紹介した。今日ご紹介する話も、同じく山の学校を巣立っていった卒業生のその後の話。

先日のシャーズィヤ同様、ワーシックも当会が学校の支援を始めたとき入学したての一年生だった。彼は、学校でクルアーン(コーラン)を教えるムッラーカリームの息子。そんなことを知ったのは、つい数年前の話だが。

ワーシックが七年生(日本でいう中学一年生)くらいのとき、彼が成績優秀でクラスで一番だったので表彰したことを覚えている。その後も(多分それ以前もずっと)彼はクラスでぶっちぎりの一番だった。

山の学校を卒業した彼は、歩いて二時間ほどかかる下の町の高校(リセ)に通った。ワーシックと同年代だったワタシの居候先のヤシン家の次男ワーレス、三男バーエスは「ワーシックは高校に入ってもぶっちぎりだよ」と。

そして、エンジニアを目指す彼は、全国一斉大学入試試験(コンクール)を受けてバグラン大学工学部に入学しようとした。彼の点数であれば、希望すれば、ほぼどの大学でも行けたであろう。なんと彼は、パンジシール州全体で三番の成績でコンクールをパスした。

しかし、国立大学の授業料は無料とはいえ、希望する大学のそばに親戚でもない限りは寮費や下宿代がかかる。そのうえ、実家に帰省する際に、遠ければ遠いほど交通費もかかる。入学する大学は、そういうことも考えてから決めなければならない。アフガニスタン全土が安定とは程遠い現状では、大学のある地域の治安や帰省などの際の道のりの治安なども考えなければならない。実際、ヤシン家の次男ワーレスは、入った大学が遠いうえに、その道のりも危険なことから、しばらく実家への帰省をあきらめている。

結局、ワーシックはカピサにある国立大学アルベルニ大学工学部を選んだ。カピサはパンジシールからもさほど遠くない。帰省する道中の治安の悪化もいまのところ見られない。

「卒業生に話を聞かせてもらいたいから、週末に帰ってくる子がいたら知らせてほしい」と、先生たちや村のひとたちに頼んでおいた。そして、週末ワーシックが帰省するというので、インタビューのため学校に立ち寄ってほしいと伝えておいた。

ワーシックに会うのは数年ぶりだった。ワタシたちが山の上に車で上り、ワーシックが山の上から下の町の学校に通うために歩いてきて、ほんの一瞬すれ違って手を振ることはあったが、ゆっくり対面するなんて本当に久しぶりのことだった。

目の前で微笑み、握手を交わすワーシックは、いつの間に、すっかり青年になっていた。金髪で目の色の緑がかった少年は、すっかり大人になっていた。「いやあ、立派になったねえ」と、近所のおばちゃんみたいに、肩をたたきそうになったよ。

ワーシックは、山の学校で過ごした九年間の思い出や、自分の夢を語ってくれた。「ノートやカバンや学用品の支援は、現金収入があまりない村の生活では本当に大きな支えであったし、それがあったから学業を続けられた」と語った。

彼は、いま留学準備中。これはコンクールで成績が優秀だった者が「国費留学生」としての権利を与えられる制度による。サウジアラビアの大学で工学を学ぶ予定だという。「留学して、少しでも外の世界の進んだ技術を学んで国の発展に寄与したい」とワーシックは話した。夢を語るワーシックは、本当にまぶしかった。

「サウジに大学してアラビア語をマスターしたら、今度はアラビア語で会話できるね!」と軽口をたたくと、ワーシックは微笑んだ。

種を植え、水を注ぎ、どんな花々が地表に出てくるのかも分からないまま、その育て方も知らずに手探りで続けてきたような支援活動。ようやく地表から芽が出てきたことに喜びながら、気が付けば、それが立派なつぼみになりつつあることを実感して、驚いているような現状。

子どもたちの夢は、どんな大輪の花となるのだろう。それぞれの夢をかなえてほしいと思う。

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*大学進学支援を募っています*

下の町の高校卒業後の大学進学を希望する生徒のため、支援を募っています。予定では、来年高校を卒業するマリナのためです。ただし、本人が希望校、学部に受からなかった場合、対象者に変更があるかもしれません。

国立大学の場合、授業料はかからないまでも、教材費と下宿や寮などでの生活費に、最低でも年間15万円ほどかかると聞いています。四年間で60万円。

ご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、ご支援をよろしくお願いいたします。
mikairv★gmail.com(★を@に) にご連絡ください。詳細をご説明いたします。

また、ご支援をくださった方々には、ワタシからのお礼として、アフガニスタンのポストカードセット、またはプリントをプレゼントいたします。(ただし三千円以上の場合)



*お知らせ*

「アフガニスタン山の学校支援の会」の活動は、当初の予定を延長して、この先も支援を継続していく予定でおります。

「第二期」会員募集や寄付なども今後受け付けて参ります。

詳細については、会の公式発表をお待ちください。

また9月には大阪高槻、東京武蔵境でそれぞれ報告会をおこないます。
9月4日(日)大阪・高槻 今村学園こども園ホール
9月10日(土)東京・武蔵境 武蔵野スイングホール

http://www.h-nagakura.net/yamanogakko

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アフガニスタンでの居候先の末っ子のワーセル。初めて出会ったときにはまだ4歳だった彼も、いまや10歳になり、すっかり「大人っぽく」?なった。

というのも、ワーセルの上には兄ちゃんと姉ちゃんが8人。常に兄ちゃん姉ちゃんの真似事をしてすくすくと育っている彼は、やることなすこと、その仕草だけが大人っぽい。まだ子どもなのに、いつも「ミカ、カバンを貸せよ、持ってやるから」「ミカ、大丈夫か?この坂道バテてないか?」などと、大人の顔でワタシに声をかける。兄ちゃんたちと同じように。

末っ子なので、みんなにかわいがられて育っているので、とにかく天真爛漫。とても素直ないい子。小さなころからその成長を近くでみつめ続けてきた彼のことは、特別に愛しく思う。

いつも、兄ちゃんたちと同じように、まるで自分が子どもではないかのように振舞うことの多いワーセルも、夜遅くなると、眠そうに目をこすり、うたた寝を始め、子どもの顔に戻る。朝、みんなが起き出した後も最後まで毛布にくるまって眠るワーセルの顔をのぞきに行くと、そこには紛れもない子どもの寝顔がある。そっと毛布を掛け直し、微笑む自分に気付くと、こんなワタシにも母性のようなものがあるのだと気付かされる。

多分、アフガニスタンでここ数年、一番一緒に時間を過ごしているのはワーセルだろうと思う。居候先の子であるうえに、学校に行っても一緒だから。ワーセルは、いつも小さなボディガードのように、気が付けばワタシの横にいる。気を配り、何か困ったことがないかと先回りして察してくれる。

大好きだったおじちゃん(アクバル)は国を離れた。お兄ちゃんたちも長男のサーメは家を離れて勤務先で暮らし、次男のワーレスと三男のバーエスは大学に通うため家を離れた。お兄ちゃんたちが家を離れたいま、兄ちゃんたちが担っていた役目の一部を担わなくてはならない。ワタシの「ボディーガード役」もその一部なのかな?

これから、どんな少年へと成長していくのだろうね?そしてどんな青年になるのだろう?未来にどんな夢を描いているの?これからも、ワーセルの成長を眺めつづけていたいなと思う。


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*大学進学支援を募っています*

下の町の高校卒業後の大学進学を希望する生徒のため、支援を募っています。予定では、来年高校を卒業するマリナのためです。ただし、本人が希望校、学部に受からなかった場合、対象者に変更があるかもしれません。

国立大学の場合、授業料はかからないまでも、教材費と下宿や寮などでの生活費に、最低でも年間15万円ほどかかると聞いています。四年間で60万円。

ご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、ご支援をよろしくお願いいたします。
mikairv★gmail.com(★を@に) にご連絡ください。詳細をご説明いたします。

また、ご支援をくださった方々には、ワタシからのお礼として、アフガニスタンのポストカードセット、またはプリントをプレゼントいたします。(ただし三千円以上の場合)



*お知らせ*

「アフガニスタン山の学校支援の会」の活動は、当初の予定を延長して、この先も支援を継続していく予定でおります。

「第二期」会員募集や寄付なども今後受け付けて参ります。

詳細については、会の公式発表をお待ちください。

また9月には大阪高槻、東京武蔵境でそれぞれ報告会をおこないます。
9月4日(日)大阪・高槻 今村学園こども園ホール
9月10日(土)東京・武蔵境 武蔵野スイングホール

http://www.h-nagakura.net/yamanogakko

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毎回毎回、渡航前はボスと同行の仲間と「アフガニスタンでは必要最低限しか出歩かず、目立たず、おとなしく…」などと誓い合うのだが、いざ現地についてみると、知らない場所はいざ知らず、慣れている場所に関しては、やはりつい車の扉を開けて外に出てカメラを構えたくなる。ボスや現地の事情をよく知るYさんのOKが出た途端、待ってましたとばかりにカメラを片手に飛び出す。

このときも、全旅程のなかで初めてシャッターを切ったのは、この八百屋の兄ちゃんに向けてだった。働くひとを撮ることが好きだ。人間の営みをみつめることが好きだ。日本にいると、戦闘やテロのニュースばかりが流れてくるので、ここに当たり前の日常、当たり前にひとの営みがあることを忘れてしまいそうになる。現地に行くたびに、そんな当たり前のことをまた再確認して、反省させられる。

八百屋には、豊富に野菜が並んでいた。味が濃くて美味しい野菜が多い。同じ野菜のはずなのに、なにがこんなに違うのだろうというほど、日本の一般的なスーパーで買って食べる野菜とは違う。もっとも、手をかけて育てられた野菜、その多くは値の張るものではあるが、そういう野菜は日本でもしっかりとした味がある。そういうものを口にする機会のないワタシの日本での生活は、本当に哀れなものだと野菜を食べながら思う。本当の豊かさとはなんだろう?と。

金銭的な豊かさと、人生の豊かさは違う。そのことをいつもアフガニスタンで教えられる。どちらがいいとか、悪いとかではなくて、ときどきそのことを立ち止まって考える機会を与えられることは、自分の人生にとって大切なことだなといつも思う。

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アフガニスタン山の学校支援の会の「山の学校」への支援が始まった年に一年生だったシャーズィヤ。最初は窓もドアも机も椅子もなく、地べたに座って牛が入り込んでくるのを追い出しながら、懸命に教科書の文字を追っていた「山の学校」の子どもたち。

あれから十数年が経過した。シャーズィヤは、その後会の支援によって教師を雇い開設された山の学校の「中学部」を卒業し、三年間、歩いて片道一時間半かかる高校に通い、卒業した。

高校三年生当時のシャーズィヤに会って話したとき「大学は法学部に入りたい。法律家になって、この国の悪事を駆逐したい」と夢を語った。

その翌年、彼女は大学に合格したが、合格したのが夜間部であったため親に反対されて進学を断念したと聞いていた。

そしてさらにその翌年、なんとシャーズィヤは山の学校の教師として教壇に立っていた。進路を変更して午後からの教員養成学校に通いながら、午前中は教師をしているとのことだった。

山の学校の卒業生が、山の学校の子どもたちを教える…それは、ワタシたちの夢でもあった。「そんな日が来るといいね」とスタッフでいつもそんな話をしていた。

シャーズィヤに改めてインタビューすると「いまでも法律家になる夢をあきらめたわけではない。いつか法学部に入って、勉強して、卒業してという夢は持ち続けている。でも、いま働きながら大学に通うということが、私にできること」と、彼女は薄給とはいえ、教師として給料をもらいながら、そのお金で教員養成校(短大卒業相当資格、大学卒業相当資格の両コースがある)に通う。

午前中は山の学校の二年生の担任として、二年生に全教科を教え、授業を終えてから下の町までまた二時間ほど歩いて通い、下の町から通学バスに乗って養成校に通う。帰りはまた下の町から山を登って歩いて二時間かけて帰宅する。

授業中は「先生」の顔のシャーズィヤも、授業が終われば「昔からよく知る子のひとり」の顔になる。「ミカ、一緒に写真を撮ろう」と彼女はコートのポケットから古い壊れかけた携帯電話を取り出し、何度も押さないと反応しないボタンを何度も押して、写真を撮った。液晶は壊れかけていて写真は全然鮮明ではなかった。「ワタシも撮りたい」と持っていたアイフォンでふたりで自撮りした。そのアイフォンの写真がキレイで鮮明であればあるほど、そのこと自体がなんだか申し訳ない気がした。

彼女は懸命に、全力で自分に与えられた道のなかから、それがベストではなくても、本当の希望の道ではなくても、ベターな道を選択して、頑張っている。その壊れかけた古い携帯電話が、彼女にとっては精一杯の買い物であろうことがわかる。それに引き替え、自分が鮮明な写真を手に入れられることの簡単さときたら。

シャーズィヤの姿をみていると、本当に、着実に「子どもたちを育てる」ことに寄与している、役に立っているんだということを実感する。「ノートやペンや学用品がなかったら、買えないから通わせてもらえなかった」「だんだんと地域の大人たちの意識が変わってきた。昔は学校なんてそこそこ終えればいいという考えだったのに、いまは大学進学する子も増えてきた」と卒業生たちも口々に話す。

「女子は学校に行かず、家のことができればいい」→「女子は小学校を終える程度でいい」→「下の町までは通わせられないが、中学が近くにできたなら通わせるか」→「下の町の高校に本人が希望するなら通わせようか」という具合に、この十数年だけでも、地域の大人たちの意識の変化をみてきた。そして、「大学に通いたい」という女子生徒もあらわれ、シャーズィヤはそれを自らの手で実現させ始めている。

自分が同じ年頃の頃、なんて甘ったれだったのだろうと思う。いや、それはこの年になったいまでも同じか。シャーズィヤや他の山の学校の子たちの覚悟をみていると、心の底からそう思う。反省もする。

誰の手も借りずに、自分で夢に向かって歩んでいるシャーズィヤの夢が、いつか叶いますように。

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*大学進学支援を募っています*

下の町の高校卒業後の大学進学を希望する生徒のため、支援を募っています。予定では、来年高校を卒業するマリナのためです。ただし、本人が希望校、学部に受からなかった場合、対象者に変更があるかもしれません。

国立大学の場合、授業料はかからないまでも、教材費と下宿や寮などでの生活費に、最低でも年間15万円ほどかかると聞いています。四年間で60万円。

ご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、ご支援をよろしくお願いいたします。
mikairv★gmail.com(★を@に) にご連絡ください。詳細をご説明いたします。

また、ご支援をくださった方々には、ワタシからのお礼として、アフガニスタンの子どもたちのポストカードセット、またはプリントをプレゼントいたします。(ただし三千円以上の場合)



*お知らせ*

「アフガニスタン山の学校支援の会」の活動は、当初の予定を延長して、この先も支援を継続していく予定でおります。

「第二期」会員募集や寄付なども今後受け付けて参ります。

詳細については、会の公式発表をお待ちください。

また9月には大阪高槻、東京武蔵境でそれぞれ報告会をおこないます。
9月4日(日)大阪・高槻 今村学園こども園ホール
9月10日(土)東京・武蔵境 武蔵野スイングホール

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アフガニスタン「山の学校」にも体育の授業がある。

昔はカリキュラムに体育が入っていても教えられる先生がいなくて男子はサッカー、女子はバレーボールの自習、なわとび(日本から持ち込んで教えた)くらいだった。子どもたちもその時間は外で運動をせずに他の教科の自習しているをしているということも多かった。

しかし、ここ数年、下の町から会の支援で走らせている車に乗って山に通勤してきてくれる若い女性の先生たちの実力、やる気が学校全体にいい刺激を与えてくれていて、そんな先生のなかには積極的に体育を教えるひとも現れた。

若い女性の先生たちは、下の町の高校を首席で卒業した女性たち。まだ国の正式採用ではない先生もいるが、授業を終えて下の町にある教員養成学校に通いながら正式な資格を取得し、正式採用になるように努力を続けている。

なかには、教員養成学校を終え、大学の教育学部を終え、いまマスター(修士)に挑戦している先生もいる。「教えることが、子どもたちが教えたことを吸収して自分の夢に向かって歩んでくれる姿をみるとやりがいを感じる」と、シュグファ先生。

シュグファ先生も、この体育を教えているフェルシタ先生も、授業中はメチャクチャ厳しい。主に高学年を教える二人の先生は、いいかげんに授業を受けている子には容赦ない。厳しい一喝が飛ぶ。教室の空気がピンと張りつめる。

このときも、ワタシが撮影していることをザーヒル(マリナの弟)が意識して笑い始めると、すかさず「ザーヒル、マジメにやれ!」と一喝された。ザーヒル、すまぬ。

大きなことが出来るわけではないけれど、この地域で、子どもたちのために少しずつ、一歩ずつ…と続けてきた教育支援が、少しずつ「カタチ」として見え始めていることをいままでになく実感した。

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下の町の高校卒業後の大学進学を希望する生徒のため、支援を募っています。予定では、来年高校を卒業するマリナのためです。ただし、本人が希望校、学部に受からなかった場合、対象者に変更があるかもしれません。

国立大学の場合、授業料はかからないまでも、教材費と下宿や寮などでの生活費に、最低でも年間15万円ほどかかると聞いています。四年間で60万円。

ご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、ご支援をよろしくお願いいたします。
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また、ご支援をくださった方々には、ワタシからのお礼として、アフガニスタンの子どもたちのポストカードセット、またはプリントをプレゼントいたします。(ただし三千円以上の場合)



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詳細については、会の公式発表をお待ちください。

また9月には大阪高槻、東京武蔵境でそれぞれ報告会をおこないます。
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