世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2017年09月

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先日、約4か月ぶりにクルド友人宅に晩御飯をおよばれに行ってきた。「ミカさん、最近なんで来ないのよ?さみしいよ。顔出しに来てくれるだけでいいのに」と一家のおとーさん。不義理をあやまる。

一家のムスメは高校生活、部活に勉強に励んでいる。初めての文化祭も楽しかったようだ。現在のところ、将来の夢は「看護師か英語の先生!」とのこと。そういえば、昨年の夏休み、進路を考えるための高校の一斉学校説明会の会場に「保護者」として付き添って行ったとき、ずいぶん熱心に看護系の高校の情報も見てたよね。結局その学校は自宅から遠かったので、「自転車で通える範囲」と決めて、いまの高校を選んだのだけれど。

おとーさんは「親として、できるだけ娘たちを幸せにしてやりたい。少しでもいい環境で暮らせるようにしてやりたい。なんで私たちにこんな苦労をさせたの?と言われないように…。そのためなら俺自身はどんな苦労だって引き受けるよ」とおっしゃる。

おかーさんは、ムスメの頑張りを目にしながら「あと二年半後、娘が大学に行きたいと希望したときに行かせてあげられるように貯金をしたい」とおっしゃる。難民申請中は就労すら禁じられている。どこかからの援助があるわけでもない一家の暮らしは、非常に厳しい。「大学に行かせられるように、みんなで頑張ろうね」と、おとーさん、おかーさんと三人で誓い合う。

そんなわけで、またもや、恒例のオヤの新作のご紹介です。

本当は、金銭的なこと以上に、「日本で安心して一家が生きていける」ということが一番大切なのだけれど、ワタシには、そのためになにができるのか、ずっとわからないままでいる。

とりあえず、できることを、やるしかない。

値段についてはコチラを
https://www.facebook.com/mika.takahashi.9693/posts/1793698137311178?notif_t=like¬if_id=1505373039474245

一昨年末より、送料実費のほかに一件(一回の発送という意味)につき発送手数料300円を申し受けておりますことをご了承ください。

以前は、完全無償ボランティアでおこなっておりましたが、お問い合わせ、ご注文対応、お振込確認、発送作業にかかる手間を鑑みて、私自身も負担を軽減して長く続けていくためにも、恐縮ですが申し受けることにしました。お許しください。

お問い合わせ、振込先等の詳細につきましては、恐れ入りますが、メッセンジャー、またはmikairv★gmail.com(★を@に変えて)までご連絡ください。

発送までの流れをご説明いたしますと、
,幹?召良覆鮠綉にメールしてください
∈澹砲陵無、お振込先と品代+送料+手数料を合わせた金額をご返答します
お振込いただいたことを必ずご一報いただき、確認次第、発送いたします
い澗針擦里り恐れ入りますが、無事に届きましたらご一報いただければ幸いです

ご注文をお待ちしております。

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ワタシの地元、広島県。18歳まで暮らした備後地方ではなく、安芸の広島でパレスチナのお話をする機会を頂戴しました。昼夜二回会場を変えての開催です。

日にち:10月3日(火)

●昼の部
14時から16時
喫茶さえき 紙屋町1-4-25
082-246-9339
定員15名
https://www.facebook.com/events/119947725411470/?ti=icl

●夜の部
18時半から20時半
Social Book Cafe ハチドリ舎 土橋町2-43光花ビル2階
082-576-4368
定員20名
https://www.facebook.com/events/354733374982824/?ti=icl

参加費は両会場とも1500円+ワンドリンクオーダー

できるだけ事前にお申込みください

お申し込みは電話090-5691-5680(正垣さん)
またはメール namuamidamasumi★yahoo.co.jp(★を@に)

主催 広島で高橋美香さんの話を聞く会
共催 Social Book Cafe ハチドリ舎

★追記★
9月15日(金)朝日新聞朝刊広島版(かな?)イベントナビにイベントの告知記事をご掲載いただきました。ありがとうございます。

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パレスチナで闘う友人、知人を取り巻く闇の深さに、ワタシはこの「安全な」身の危険を感じることもない、命を脅かされることのない「遠い」場所で、ひとり途方に暮れている。

ヘブロンの人権活動家イーサ・アムロが、パレスチナ自治政府のジャーナリストに対する言論弾圧に対する批判を理由に身柄を拘束されて二日になる。(訂正、月曜日に拘束されたので木曜日時点では三日が経過、四日目が正しい)

その経緯はコチラに。
https://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/41826823.html

上記のブログ投稿後、BBCでも報道されたし、何度も現地に足を運んでいるEU評議会議員が身柄解放要求の声明を発表したし、きっとそのことにイーサも勇気づけられていると信じたい。

ただ、きっと、それらの批判は「彼ら(大統領本人なのか、側近なのか、警察の上層部なのか、政府高官なのか、あるいはそのいずれも、なのか)」にとっては想定内なのだ。「いつもの」メンツが「いつもの」批判をするだけでは、足りないのだ。嵐が通り過ぎるのを待つように、批判をのらりくらりとかわしながら、ときが過ぎるのを待っているように思えてならない。

イーサのようなひとは、「みせしめ」だ。イスラエルの占領を批判するのは「ガス抜き」と許容、いやむしろ利用できても、自らにその批判の矛先が向かうことは許さない。その声が大きくなれば、「セキュリティコーディネイション(治安の共同維持!)」という名の、「占領の下請け」と引き換えの「特権」は消えてなくなる。

「外」からの占領、自分たちの身や権利を守ってくれるはずの「内」からの抑圧、弾圧、パレスチナの人びとの闘いは過酷すぎる。

「自治政府を批判することは、イスラエルを利するだけだから、控えたほうがいいんじゃないの?」そんなことを言われたこともある。ワタシもまったくお恥ずかしながら、その考えを否定しきれなかったときもあった。「何かがおかしい」と思いながらも、遠慮がちにしか批判をしなかった。それがどれほど大きな間違いだったのかは、バーセルの死という、取り返しのつかない過ちによって知ることになる。

もう二十年以上も前の話だが、自治政府に希望を託したかった。オスロ合意が希望の一歩なんじゃないかと浅はかにも夢見た未熟な自分がいた。未熟なのは、どれだけ失敗しても変わっていないか。

絶対に名前を明かさないという約束で、あるひとが語ってくれた。「正直に言うと、PA警察に捕まるよりもイスラエルに捕まった方がマシなときがあるよ。PAの方がマシだなんてとても言い切れない。自分たちを守るべき同胞が、自分たちを守るどころか、敵とみなして襲ってくる、この絶望感は味わったものでなければわからない。誰が味方で誰が敵かわからない恐ろしさ」。

非暴力での抵抗運動という信念を抱いていたバーセルが、その信念を捻じ曲げられ、進むべき道を変化させていったのは、PA警察での拷問がきっかけのひとつとされている。遺族の証言を読んで、そのあまりのひどさ、それが上記の某さんが言うように「自分の身を守ってくれるはずの同胞からくわえられる」という絶望の深さも加わり、肉体だけでなく、どれほどバーセルの精神を壊したのだろうと思うと、ワタシはいまでも打ちひしがれる。

この風刺画は2013年にラマッラーで撮影したものだ。ラマッラーと言えば、自治政府のお膝元。自治政府の紋章である鷹がピストル自殺をしているという絵。これを撮影したとき以上に、バーセルを闇に追い込み、いままたイーサを痛めつけようとしている社会の闇を、ヒリヒリするほど感じる。

この闇に少しでも灯りをともすわずかな光となるよう、できることを、していきませんか?「いつもの」メンツの「いつもの」批判じゃない声が広がることでしか、この闇は変えられない。

パレスチナ当局への批判が逮捕、勾留に値することなのか?言論の自由や権利を守るためにイーサは闘いを続けています。身柄の解放を勝ち取るまで、水、食糧、医薬品の摂取を拒否するハンストも始めたようです。どうか、彼の闘いをサポートしてください。

ご賛同される方は、アッバース自治政府大統領宛の身柄解放要求の署名をお願いします。

http://www.yashebron.org/free_issa_from_pa_arrest

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9月9日(土) 12時50分~13時40分
アースキャラバン2017 東京(江東区木場公園 イベント広場)
「ワークショップ&交流ブース」でパレスチナの話をします。

http://www.earthcaravan.jp/ec2017/ec2017_03tokyo.php

会場では、著作のほかに、アフガニスタンの女性たちがつくるクラフトやクルド難民のおかあさんがつくるオヤのアクセサリーなども販売します。

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つい先日、ジェニン難民キャンプの「弟」カマールが逮捕されたと書いたばかり。今度はヘブロンの人権活動家イーサがPA当局に「逮捕」された。フェイスブックでの当局への批判の投稿が元で。

イーサは武装した入植者が旧市街の中心部を占拠し続ける町ヘブロンで、命がけでその状況を外から来た人に伝え、発信し、誰かが人権侵害を受けたらすぐに駆けつけ、サポートするという活動をするYouth Against Settlementsというグループのコーディネーターをしている。

しかし、彼の活動が正当な権利の主張であればあるほど、軍もその手先となったPA当局も彼の活動を弾圧している。ありとあらゆる「罪」をかぶせて軍事裁判にかける。そのたびに、莫大な金額の「罰金」などが科される。それでもイーサの活動は、世界中の少なくないひとのサポートを受け、注目を集めている。国連やアムネスティなどでスピーチをしたりもしている。

PA当局による弾圧と言えば、苦すぎる記憶がすぐによみがえる。ワタシはかつて、入植地や占領に反対する人権活動家のパレスチナの知人をサポート出来ず、「見殺し」にしてしまうという、取り返しのつかないあやまちをおかした悔いを、いまだに引きずっている。

そのことを綴ったブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/41619624.html

https://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/41622991.html

https://blogs.yahoo.co.jp/mikairvmest/41624139.html

だからこそ、二度と同じあやまちを繰り返したくない。

あのときバーセルが死に追いこまれていったのも、きっかけは当局への批判、「逮捕」だった。イーサの活動には少なくない「目」が向けられ、バーセルのときとは違い、闇に追い込まれ、葬り去られていくことはないとは思うし、イーサはとても強いひとではあるけれど。強いからこそ、弾圧もより一層過酷になる。そのことを許してはならない。

遠くからでは無力に等しくても、せめて注視すること、注視している目があることを当局にわからせること、イーサの解放を求めること、そのための署名をすること、彼のグループYouth Against Settlementsの活動をフォローすること、これらは、その気があれば誰でもできること。#StandWithIssa このタグを活用することなども。

もう二度と、現地で闘う彼らを「見殺し」にしたくない。バーセルの死が教えてくれたことを絶対に無駄にしたくない。一生消せない戒めとして。


追記
アムネスティも声明を発表
"Criticizing the authorities should not be a criminal offence," Amnesty International said in a statement

解放要求署名サイト
https://freeissa.org/

再追記
昨日からお知らせしているとおり、へブロンの人権活動家イーサ・アムロの身柄が、昨今の当局によるジャーナリストへの言論弾圧を批判する投稿をしたとして、パレスチナ自治政府警察に勾留(実態は拉致だと思いますが!)されています。

昨日も別のサイトをお知らせしましたが、こちらのサイトからもイーサの身柄の解放を求める署名が可能です。

パレスチナ当局への批判が逮捕、勾留に値することなのか?言論の自由や権利を守るために彼は闘いを続けています。

解放を勝ち取るまで、水、食糧、医薬品の摂取を拒否するハンストも始めたようです。

彼の闘いをサポートしてください。

ご賛同される方は、アッバース自治政府大統領宛の身柄解放要求の署名をお願いします。

http://www.yashebron.org/free_issa_from_pa_arrest

写真はヘブロンの入植地に囲まれた地域の状況を説明、案内してくれたときのイーサ

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9月9日(土)23時より「アフガニスタン山の学校の記録 写真家長倉洋海とマスードの夢」がNHK、EテレのETV特集にて放送されます。再放送は9月13日(水)24時。

http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2017-09-09/31/23911/2259593/

(番組HPより)
自由と独立のため戦ったマスードと、写真家・長倉洋海の出会いから生まれた小さな学校。長く戦乱が続くアフガニスタンで、未来を見つめる子供たちの瞳に希望の光が輝く

ヒンズークシ山脈パンシール峡谷に小さな山の学校がある。男女共学の学校は、祖国の独立を夢見た戦士マスードと写真家・長倉洋海の出会いから生まれた。マスード亡き後、長倉は学校を支援し子どもたちの成長を撮りつづけた。戦乱が続くアフガニスタンにもいつか平和が来る。その鍵は教育だとマスードは考え、長倉はその願いを受け止めた。子どもの瞳には学ぶ喜びがあふれる。30年を超える記録映像を生かす希望のドキュメンタリー

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