世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2018年10月

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苦しみも悲しみも喜びも、あなたの姿をとおして、この7年間みつめてきた。

3年ほど前だったかな。あなたはワタシが訪ねても、以前のように大喜びしなかったし、ほとんどすべての自分の予定を投げ出してでもワタシと一緒にいようとしなかったし、別れの際に泣かれなくなったし、とうとう見送りにも来なくなった。

でも、愚かなワタシは、それをポジティブに受け取っていたんだ。あなたが「もとあった日常」に戻ろうとしている、戻った証なのだろうと。少し寂しかったけれど、これでいいんだと思った。所詮、ワタシはあなたのそばにずっといることなどできないのだから。

でも、いまならわかる。その頃が、ひとりぼっちで気分が沈み、様々なことに無関心になる、そんな病のスタートだったのだと。

約2年ぶりに再会したあなたは、病と老いと貧困と孤独のなかで、置き去りにされていた。

不自由な体では部屋を片付けることも、ゴミを捨てることもままならない。かろうじて週に2度ヘルパーさんが来てくれる範囲では、台所だけはなんとか最低限の整頓が保たれ、手で洗える範囲の下着などは洗ってもらっているようだが、普段過ごす居間には残飯と生ごみの山とそれにたかる虫が、万年床の布団は湿り、テーブルの上はゴミの山だった。ヘルパーさんもあなたに「ここは触らないで」と言われているのかもしれない。部屋もあなたからも以前とはまるで違う異臭がただよっていた。

あなたを普段から気にかけている方々に話を聞いて回った。「もうひとりで暮らせる状態ではない」「時間や日にちの区別がつかなくなっている」「要介護度をあげてもらってもっと適切なケアがされなければ暮らしていけない」と口々にみなさんはおっしゃった。

しかし、唯一の肉親をあの津波で喪ったあなたは、あなた自身が「大丈夫」とかたくなに言い続ける限り、誰にもそれ以上のことができない。あなたのそばで、あなたのことを一番気にかけてくれてきたひとが覚悟を決めて「後見人になる」と申し出たら、あなたはかたくなにそれを拒んだと聞いた。

もう、自分で買い物に行くことも、台所に立つことも難しいよね。以前は料理が得意だった。訪ねるたびにいろんな料理を作ってくれた。そんな写真がたくさんある。花のお世話が大好きだった。キレイなものが好きだった。でも、いまのあなたの家を彩り、飾るものはなにもない。台所の冷蔵庫に行くことすらも困難なのか、常温で出しっぱなしの豆腐がテーブルに置かれていた。「冷蔵庫に入れようか?」と聞くとあなたは「いいから」と硬い表情に変わった。

ゴミをみていると、食生活がいやでもみえてくる。すぐに食べられるもの、豆腐だけ、パンだけ、ビスケットだけ、バナナだけそんな日々が続くのだろう。ワタシが持って行った小さなパンを半分だけ食べ、大切そうにテーブルに置いた。翌日また半分食べるのだろう。

翌日、いやがるあなたの家を少しだけ掃除しようとした。硬い表情になったので、もうそれ以上は手を付けられず、残飯と生ごみだけ袋にまとめた。でも、ゴミの日に不自由な体でそれをどうやって出しに行くというのだ?元気なひとなら5分の作業も、あなたには30分もかかる作業になるだろう。

お金さえあれば、肉親や頼れるひとがいれば、病がなければ、老いていなければ…もう少し違っているのかもしれない。でも、あなたにはすべてが重くのしかかる。

できる限り一緒に過ごそうとした。でもあなたは「疲れた」とつぶやいて湿った布団にもぐりこんだ。数日前に転んでしまったそうで、痛みが強く動くのも辛そうだ。大きなテレビの音だけが響く部屋で、あなたは繭にくるまれた蚕のように、布団のなかで丸くなった。その背中に、涙があふれそうになった。

ワタシが出会ったあとの、あなたの背中はいつも寂しそうだった。どれだけ笑っていても、ひとりの部屋に帰る顔は曇った。何度も「泊まっていけば?」と言われ、帰れなくなって狭い部屋に無理やりふたりで寝た。明け方ワタシがはねのけた布団をなおしてくれていたことに気づいたとき、きっと喪ったお子さんにもそうしていたのだろうと思うと、涙があふれた。

津波注意報が出て、深夜にあなたを迎えに行ったときもそうだった。注意報が解除されたあとも、不安げなあなたの手を離せなくて、手を握って一緒に眠った。

ワタシからは絶対に聞けなかったあなたのお子さんのこと。昔のアルバムを引っ張り出して、「これが小学校のころ、これが高校生のころ」と写真を見せてくれた。ワタシはその白黒の写真を、カメラに収めた。どうしてなのかはわからないけれど。

街はさらに「復興」が進んでいた。どんどん進められる大型工事。分離壁のような高さの壁が防潮堤として海沿いに建てられている。復興道路も工事が進んでいた。東日本大震災の被災地の話も、すっかり巷の話題にのぼらなくなった。

でも、その陰には、あなたのような「復興」から完全に取り残され、置き去りにされ、「ひととしての尊厳を保てる暮らし」からは遠く隔てられたところに置かれているひとがいる。きっと、そういう方は少なくないのだろうと思う。

パレスチナの難民キャンプを思い出す。自分の力で切り開き、立ち上がっていけるひともいる。でも、どうすることもできないひともいる。声をあげることもできずに、いまの状態をどう変えていけばいいのかきっかけもつかめず、その方法がわからず、途方に暮れているひとがいる。

「じゃあ、また来るね」と丸くなった背中に声をかけると、あなたは「ありがとう」と、ワタシの手を握った。暖かくて、やわらかいあなたの手。あなたはそれ以上の言葉もなく、2度力をこめた。その手を離さなければならないことが、罪悪のように感じた。

あなたが心から笑える日が、穏やかで安らかな日々を得ることが、ワタシにとっては本当の「復興」だと思っていた7年間だった。それが、いかに甘い見通しだったかを思い知り、打ちのめされた。

あなたのことを気にかけている、あなたの街の方々に託すよりほかにない。情けないけれど、ワタシにはどうすることもできない。そのやるせなさとともに、あなたを、この街を、みつめつづけていく。ワタシの人生が続く限り。

写真は、あの日すべてを変えてしまったこの街の海。この街にずっと恵みをもたらしてくれる海でもある。

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昼間、PCの前に座り込み「さあこれから某原稿を整えよう、そのあとは府中のお話会の準備をしよう」と思いながら、なにげなくツイッターを見ていたら、いつもお世話になっている(どれだけお世話になっているかを書いたら、それだけで、ひとつの記事ができあがる)ビタミンティーの店主さんこと石塚さん(@Tee_vitamin)のつぶやきが強烈に目に飛び込んでくる。

「やってもやらなくても誰も文句を言わない。この落とし穴が一番コワい」と。

雷に打たれたような気持ちになり、しばらくなにも手につかなくなった。

「まったく同感、激しく同意。誰も文句を言わないし、誰も困らない。毎日この落とし穴にハマる。毎日一度は『もうこんなことやめて違う生き方しよう』と惑う。それでも同じところへ戻る。この繰り返しとの闘い。苦笑。」と引用RT。

本当に、日々この落とし穴との闘いだ。自分自身との闘いでもある。忍耐力のテストのようでもある。一日に一度は「もうこんな生き方はやめよう。もっと『まっとうな』生き方をしよう」と思ったりもする。そんなとき、必ず思い出すのがパレスチナの友達のお母さんのこと。

彼女には、長い長い説教をくらったことがある。「ミカがパレスチナに通い、費やすお金をミカの身の回りのひと、家族や友人のために使ってあげなさい。そのお金で家を買いなさい。家族を大切にしなさい。もっと堅実に日本で生きていきなさい。もうパレスチナには来ない方がいい。そのお金でできることが日本でたくさんあるはずよ」と。要点をまとめると、そういうこと。

正論だろうと思う。ごもっともだと思う。いろんな意味で「忍耐」を繰り返してくれている家族のことを思うと、否定しきれない言葉でもある。「これがワタシの仕事だ」とデカイ顔をしようとしたところで、「その『仕事』ではまともに食ってもいけない」という現実がある。自分のライフワークと決めた仕事、金を稼ぐための仕事のあいだで揺れる。では、パレスチナ通いも「趣味」と割り切るか?趣味ならこの「割に合わなさ」も納得できるのだろうか。

でも、やはりライフワークは自分の人生、生き方そのものだと思う。この生き方は変えられそうもない。「堅実に生き」る「まっとうな」「分別のある」ワタシだったら、出会えなかったことがヤマのようにある。パレスチナとも、エジプトとも、アフガニスタンとも、沖縄とも、宮古とも、またそこで生きるワタシの大切な人々とも、決して出会えなかっただろう。そして公園のノラ猫だった愛猫シロとも。

まわりまわって、ようやくまた肯定感が芽生えてくる。

前出の友達のお母さんは、16歳で10歳以上年の離れた親戚の男性と結婚。結婚して子どもを産んで育てるとともに夫(友達のお父さん)の家業であった結婚披露宴会場の設営(昔は屋外のテントが多かった)の手伝いの一環で、花嫁のためのサロンを経営、ヘアメイクと着付けや飾りなどの仕事に携わってきた。やがて結婚披露宴会場の設営は受注が減り、夫は家業を廃業。友達のお母さんは人気店であったサロンを維持し続けた。

友達を国外の大学に留学させるため、お母さんはサロンを人手に渡し、そのお金を長男であるワタシの友達の将来に託した。その友達ラーエドのことや彼と過ごした「エジプト革命」後の日々のことは、拙著『それでもパレスチナに木を植える』に書いた。東エルサレムで生きる一家やその周辺の人々の苦悩を垣間見た日々だった。

この四年間、ことあるごとに彼女の長い長いお説教を思い出す。今日の写真は、お説教を受けながら、ラーエドがお説教を受けるワタシに忍び笑いの視線を送りながら、一緒に食べた朝食の写真。

「よく来たね」と言われることはヤマほどあっても「もう来るな。パレスチナより自分の人生を考えろ」と言われたのは初めてだった。生き方は変えられないけれど、この言葉を忘れようとは思わない。戒めの言葉として、忘れないでいたい。



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広島県府中市で「パレスチナのいま」と題されたスライドトークをおこないます。

日時:10月9日(火) 10時から11時半

場所:府中市文化センター3階会議室
   府中市府川町70番地

参加費:千円(飲み物、お菓子付き)
ワタシもアラビックコーヒーを持ち帰るように努めますね!ご来場のみなさまにもお召し上がりいただけるように努めます。もし実現しなかったらお許しください。

ご参加のお申し込みは、こちらのページからも可能です
フェイスブックのイベントページ
https://www.facebook.com/events/244782982893460/

お申し込み・お問い合わせ
miho_bluemoon★yahoo.co.jp(★を@に変えて)
杉原さん

みなさまのお越しをお待ちしております。

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『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)
店頭にない場合は、書店でご注文いただければ幸いです。
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624411022

アマゾンからも購入できます。
http://amzn.asia/bUm0U7i



また、引き続き、下記の二冊の本のご注文もお待ちしております。

『パレスチナ・そこにある日常』(未来社) 重版が決定しました。
版元の未來社のページ
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624410919

アマゾン
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%83p%83%8C%83X%83%60%83i%81E%82%BB%82%B1%82%C9%82%A0%82%E9%93%FA%8F%ED&x=10&y=21

写真集『ボクラ・明日、パレスチナで』(ビーナイス)
http://www.amazon.co.jp/ボクラ(Bokra)%E3%80%80明日、パレスチナで-ビーナイスのアートブックシリーズ-高橋-美香/dp/4905389275/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1421878540&sr=8-2&keywords=ボクラ%E3%80%80明日

版元ビーナイスのページ
http://benice.co.jp/index.html

最寄りの書店でも、お取り寄せ可能です。

著者のサイン入りをご希望の方は、
mikairv★gmail.com(★を@に)までご一報ください。
ただし、この場合恐れ入りますが、本代と送料実費を頂戴します。

写真集『ボクラ・明日、パレスチナで』に収められた写真のカード、Tシャツ、トートバッグをこちらからお求めになれます。
ビタミンTeeのページ
http://www.vitamin-tee.jp/?mode=cate&cbid=985137&csid=1

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