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二か月もブログの更新が滞ってしまった。いや、ブログの更新に限らない。「発信」という事柄から遠ざかっていた。この二か月のあいだの気持ちを一言であらわすのは難しい。でも、ただでさえ自分のやっていることの意味を頻繁に見失いがちで、自分自身との闘いに負けそうになるワタシに追い打ちをかけるような事柄が相次いだ年末年始だった。

プツンと糸が切れてしまったようだった。パレスチナと関係のないことならいくらでも向き合う気力が湧くというのに、パレスチナと向き合う事柄となると、途端にしんどくてたまらなくて、逃げ出したい気持ちになった。原稿を書こうとしても、資料をあたろうとしても、発信しようとしても、フリーズしてしまう自分がいた。

そんなさなか、先輩の古居みずえさんから、「イスラーム映画祭の『乳牛たちのインティファーダ上映でトークをしない?」と声をかけていただいた。こんな状態の自分でいいのだろうか?いまの自分にひとさまの面前で話せることなどあるのだろうか?断った方がいいんじゃないか?そう思いながらも、とりあえず古居さんとお会いして、話をしてみた。先輩に「もう疲れたから縁側で猫と座ってお茶を飲んでいたい」と心情を吐露しつつも、心は久しぶりにパレスチナへと飛んでいた。話したいこと、伝えたいこと、本当はたくさんある。とりあえず、「自分にできることがあるのなら」と、お引き受けしてみた。

そして、イスラーム映画祭の藤本さんから『乳牛たちのインティファーダ』をみせていただいた。実は以前にテレビで放映された版を実家で録画してもらっていたのだが、なかなか全部を観ることができないままだった。

「イスラエルから牛乳を買わされるなんてもうたくさんだ。自分たちで乳牛を飼って牛乳を生産しよう」と考えた第一次インティファーダ期のベイトサフールの住民たちの物語。「教育水準が高い、クリスチャンの村」は非暴力抵抗運動を村ぐるみで始める。牛乳生産はその一環。

物語はシニカルで、当時の映像でまかないきれない部分は再現映像としてアニメが用いられている。それが余計にこの映画のクスッと笑えるおかしさを増幅させているように思える。占領当局が18頭の乳牛たちを「お尋ね者」にして捜索するその「おかしさ」は、現在もなにも変わらないなあと思う。非暴力抵抗運動を「引き継いだ」ともいえるビリン村では、占領軍が村に撃ち込んだ催涙弾のキャニスターを集めて作った「抵抗のアート」が「安全保障上の理由」から捜索、没収されたことがあった。

「この賢さ、強さがパレスチナだよなあ」と感心しながら画面をみつめ続ける。胸が熱くなるような気持になる。「どれだけ弾圧を受けても、次のひとが、後に続く世代が立ち上がる」と聞かされた、そんな言葉も思い出す。

とはいえ、その強さの裏で払わされた犠牲の大きさ、悲しみの大きさも描かれる。一昨日から繰り返し流れてくるエルサレム旧市街のアラブ系住民(パレスチナ人)アブアサブ家の悲劇(三世代にわたって旧市街に住み続けている一家が、家を奪われ追い出され、そのあとに入植者が入居した。裁判所によると1948年以前この家は『ユダヤ系住民のものであった』として、アブアサブ家に立ち退きを命じた。拒否した一家の主と息子は逮捕、連行され、連行される際の家主の男性の涙が、たまらない気持ちにさせる。一家は元の家を追われてここ旧市街にたどり着き、三世代が過ぎたが、一方で西エルサレムやイスラエル領内で暮らしていた難民や避難民が1948年以前の自分たちの家の所有権を主張したり、認められたりするケースはない。入植者には許されても。。。)が心に重くのしかかったまま、エンディングを迎える。

かつて若かりし頃のワタシは、本を読みまくり、映画を観まくっていた。知らない世界を少しでも知るための一歩が映画や本だと思って。久しぶりに、そんな気持ちを思い出した。

インティファーダの意味、人びとがなにを目指して、なんのために大きな犠牲を払って闘うのか、そんなことを教えてくれる映画だった。

3月21日(木・祝)18時50分から上映される『乳牛たちのインティファーダ』上映後に、そんな人びとの「闘い」のことを古居さんとお話します。

イスラーム映画祭
http://islamicff.com/

写真は映画の舞台、ベイトサフールから眺めた虹。忘れもしない某年12月24日、25日のクリスマスをベツレヘム、ベイトサフールで過ごしたのだった。クリスマスの朝、窓の外を眺めると虹がかかっていた。この虹の下に、映画に出てきたみんなが暮らしていて、同じ朝を迎えていたんだなあと思うと、なにやらこの写真がまた違ったものにみえてくる。