世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2020年03月

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昨日はパレスチナの「土地の日」だった。パレスチナの現在進行形の苦難が語られるとき、空爆や封鎖ばかりが語られる。軍事攻撃や空爆、封鎖が言語道断の非道であることは疑いなく、それに対する抗議の声をあげ続けなければならない、それはそれとして、現在イスラエルという国に存在するイスラエル国籍やエルサレム居住権をもつ、イスラエルに組み込まれた人びとの苦難は忘れられがちであることは、「土地の日」だからこそ忘れたくない。いうまでもなく、「土地の日」はそんなイスラエル領内のパレスチナ人の村で起きた出来事がきっかけだ。

彼らの苦難はガザ地区や西岸地区のパレスチナ人の苦難にくらべて、目に「見えにくい」。そしてパレスチナ以外の場所で暮らす難民の苦難も。封鎖や空爆だけが「パレスチナ人」を苦しめているのではない。「分断して統治せよ」は過去の植民地支配に限らない。長年にわたる分断の苦しみを、イスラエル国内に組み込まれたパレスチナ人から感じることがある。彼らの苦難も続いている。多分、この話はまた今度。

難民キャンプの居候先の母ちゃんの息子カマール(長男)の息子(母ちゃんからすると孫)はイマードと名付けられた。若くして亡くなった母ちゃんの夫の名前を受け継ぐ。どうして祖父イマードが若くして亡くなったのか、母ちゃんはどんな苦労を重ねて子どもたちを育てながらここまで生きてきたのか、そのあたりのことは拙著『それでもパレスチナに木を植える』にたっぷり書いたのでここでは繰り返さない。

あの本の最後の方で、難民キャンプの一家の裏庭に木を植える場面がある。木を植える経緯はあの本のハイライトなので、まずはご一読を。その際カマールが「レモンの木も欲しい」とつぶやいた。そして兄弟は「鶏を飼いたい、鳥小屋が欲しい」と言ったのだった。詳細に関して重複する部分を、この場ではすべてすっ飛ばす。いまでも、あの本は、あれだけ苦しまなければ書けなかった、あのときだからこそ書けたものだと思っている。「難民」「過激なテロリスト」「ワタン(祖国・故郷)を守る英雄」という、イメージだけがひとり歩きする、その等身大の姿を近くにいてみつめることで、なんとかつかみたい、描きたいと思った。いまのワタシにはもう書けないだろうと思う。そのとき、そのときの「熱量」というものがあるから。

そう、そうして兄弟が望んだ家畜小屋、鳥小屋を裏庭に造ろうと試みて、弟たちの「銃を手に取った容疑」の嵐が一家に吹き荒れて、家畜小屋、鳥小屋を造るどころの話ではなくなって、最後、ワタシはその完成を見届けられないまま難民キャンプを後にしたのだった。

そして三年半ぶりの再訪で、長男カマールの不在と資金不足が重なり家畜小屋は建設途中でブロックが積み上げられたまま、鳥小屋は廃材でできあがっていて、鶏とアヒルが飼われていて、その世話をカマール不在のあいだ、母ちゃんと、カマールの弟のムハンマドがしていたのだった。

カマールの長男のイマード(孫)は、鳥を追いかけまわし、鳥に追いかけられ、裏庭で遊びながら成長していた。毎日卵を小屋に採りに行くのはイマードの役目だ。命がともにある暮らし、命から恵みを受ける暮らし、殺風景な難民キャンプの裏庭で、子どもたちがそんな風に命のぬくもりを身近に感じながら成長していることが嬉しかった。そんなきっかけをつくることができたことが、嬉しかった。

イマードは、親戚の家の屋上に立派な鳥小屋があると知り、ワタシの手を引っ張って連れて行きたがった。自分の家の廃材の鳥小屋よりもはるかに立派な鳥小屋。自分の家にはいない鳥を嬉しそうに眺め、追いかけた。

今度また訪ねるときには、どんな鳥が飼われているのだろうな?

もう6年近く前のことになりますが、あのとき難民キャンプにオリーブの木を植えて、レモンの木を植えて、家畜小屋・鳥小屋を造る計画にカンパをお寄せくださったみなさま、本当にありがとうございました。いつか、みなさまに実際にお訪ねいただきたいです。そんな日が来るといいなあ。

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2019年、フェアトレードでパレスチナからオリーブオイルやザアタル、石鹸、刺繍製品を輸入販売するパレスチナ・オリーブ代表の皆川万葉さんと共著『パレスチナのちいさないとなみ』(かもがわ出版)を出版しました。パレスチナの「おしごと」をテーマにした一冊です。お近くの書店でお取り寄せが可能です。

パレスチナ・オリーブのサイト
http://paleoli.org/

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ネット上でのご投稿やご感想、レビューなどには #パレスチナのちいさないとなみ をつけてご投稿ください。

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パレスチナもひどい格差社会であることは、これまでもずっと感じていた。まるで宮殿のような豪華な家に住む知人がいる一方で、難民キャンプの居候先やビリン村の居候先は、その日食べるものにもこと欠いているという日がある。そんなことは、生活をともにする実感としてわかってはいた。

しかし、この日は打ちのめされた。パレスチナの社会の闇に心がズブズブ沈んでいくのを止めることができなかった。ショックで、心底打ちのめされた。

難民キャンプの居候先の母ちゃんは、2018年久しぶりに再会したとき、学生用マンションの清掃という日雇い仕事を得ていた。彼女の日雇い仕事の苦労や生活の苦難は拙著『それでもパレスチナに木を植える』に記したとおりだ。また、この新しい仕事については『パレスチナのちいさないとなみ』にも記した。重複する点はできるだけ割愛。

そもそも、母ちゃんの家に「モノが増えたな」と思ったのだった。高そうなシャンプーやコンディショナーが何種類も浴室に並んでいる。これまで柔軟剤なんて使っていなかったのに、高そうな洗剤や柔軟剤が何本も洗濯機の周辺に置いてある。カーペットがやけに増えたな。これまではカーペットなんて高くて買えないから、薄いベニヤ板を床に敷いてしのいでいたのにな。モノを収納するためのカゴが増えたな・・・そんな印象からこの話はスタートする。

ある日、母ちゃんの電話が鳴り、仕事が入り同行することにした。着いたのは、町の郊外にある私立大学の周囲に建ち並ぶ学生マンションのひとつ。聞けば、その私大で学ぶために遠くて通いきれない学生たちが暮らすマンションが建ち並んでいるという。学期が終わり、新学期まで数か月あるのでいったん家を引き払い、また新学期に同じ家、またはほかの家に越してくるのだという。学生が引き払った後の部屋の清掃とゴミ出しが母ちゃんのその日の仕事。

部屋の中に入って驚いたのは、まるでいますぐ誰かが帰ってきそうなほど、何もかもが残されていること。シャンプー、洗剤、油、調味料、冷蔵庫の中にはソーセージや肉まで。テーブルの上には食べかけのピザ。クローゼットのなかには大量の真新しいジャケットやセーターやジーンズ。「この部屋、本当に引き払ったあと?伝達ミスじゃないの?この部屋のひと、絶対帰ってくるよ。こんなにモノ残ってるもん」とワタシが言うと、「そう思うでしょ?私もこの仕事を始めてすぐのころは信じられなくて、何度も管理人に確認しちゃった。でも、そのたびに『ゴミだから残っているものは全部捨てて。必要なものがあったら帰りに知らせて。持って帰ってもらっても構わないものはどうぞ』と管理人が言うの。さすがに最近じゃ、なにが残されていても驚かない」と言う。

だから、居候先の家にモノが増えていたのだ。新しく開けて、ちょっと使っただけで残されているモノの多いこと。まだ新品のモノの多いこと。持って帰ったり、自分で捨てるのも面倒だから、ということなのだ。

だいたい、学生マンションの部屋の広さにも驚かされる。もちろん、予算によってさまざまだが。母ちゃんの一家が5人で暮らす家より、一人で暮らす学生の部屋の方が広いことも多々ある。

そもそも、この私大なんてお金がなければ入れるはずもない。奨学金をとって苦学しているひとももちろんいるはずだけれど。少なくとも、このレベルの学生マンションに暮らす学生は間違いなく金持ちだ。でも、本当の豊かさとはなんだろう?こんな生活って本当に幸せなのかな?と暗い気持ちになる。ひとつのものを、苦労して手に入れることを知らず、大切にすることも知らず、買っては捨て、買っては捨ての生活。これって本当に「豊か」?

この日だけでも、何部屋もそういう部屋を掃除した。このあと、何日も何日もこういう部屋を母ちゃんと一緒に掃除した。

最悪だったのは、引き払われた部屋に、空っぽの食器、汚れた猫砂とともに、猫が残されていたときのことだ。学生が引き払ってすぐだったので、弱ってはおらず、そのことだけが救いだった。冷蔵庫の中にあったありったけの食べられそうなものを出してあげて、どうしてあげることもできずに、泣きながら外に放した。母ちゃんは「うちでは飼えない」と言い、管理人は「全員が退去しているわけではないから、残っている学生からご飯をもらいながら、運がよければ生き延びるんじゃないかな。それ以上のことは、してあげられない」と言った。シロのことを思い出して、たまらない気持ちになった。

モノを大切にできない人間が、命を大切にできるはずもないのだ。またひとつ、苦渋とともに学ばされた。

母ちゃんは、白タクを雇い、帰りは車のトランクに管理人から許可を得たまだ使えるものを全部載せて帰宅する。そのタクシー代を引くと、その日の日当の多くが消えていくが、持ち帰ったものを近くに住む家族、親せき、近所のひとにわけている。そのお礼にと、野菜や食料などが返ってくることもある。

この格差社会のなかで「豊かさ」について考える。「足るを知る」幸せについて考える。命を愛しむ幸せについて考える。

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2019年、フェアトレードでパレスチナからオリーブオイルやザアタル、石鹸、刺繍製品を輸入販売するパレスチナ・オリーブ代表の皆川万葉さんと共著『パレスチナのちいさないとなみ』(かもがわ出版)を出版しました。パレスチナの「おしごと」をテーマにした一冊です。お近くの書店でお取り寄せが可能です。

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どうせ新型コロナ禍で仕事がほとんどなくなって時間があるのだから(と思いきや、実はなぜか、わりと忙しい。カネにもならないことに熱中していると、いつも以上に時間があっという間に過ぎゆく)、せめてこの期間はできるだけブログくらいは書こう、一枚でも多くこの期間に写真を紹介して、記録しておこうと努め始めた。(いつまで続くやら、という声が聞こえるような・・・)

先日、誕生日だった。「冴えない気分」が先に立ちすぎて、全然印象にも残っていないが。二年前は難民キャンプの居候先で誕生日を迎えた。ちょうど一家の末っ子のエリヤの誕生日も近いので、一家で二人分のお祝いをしてくれることになった。

誕生日といえばケーキ。ジェニン難民キャンプの一家とケーキといえば、拙著『それでもパレスチナに木を植える』でも記したとおり、三男のジュジュの誕生日祝いのケーキを「ワタシが用意する」と豪語したものの、その日、8時間かけて母ちゃんと畑仕事にいそしんだ日当とほぼ同じ額のケーキに、ひるんだのだった。お祝いをしてくれるということは、一家にそれだけの金額を使わせてしまうということだ。ありがたい以上に、申し訳ない。しかし、エリヤのお祝いでもある。しかも、みんなはケーキが大好き。一家の楽しい気分に水を差したくない。

エリヤと母ちゃんとサリーム(四男)と一緒に、いつものジェニンの町中のケーキ屋に向かった。「エリヤとミカがそれぞれひとつずつ選べ」と言われたが、パレスチナの甘いケーキがあまり得意ではないので、ルンルン気分のエリヤにふたつとも選ぶ権利を譲る。いつもみんな、奪い合うように、何ピースも食べまくる。見ているだけで胸焼けしそうになる。

初めてのときは、心底驚いた。ケーキの上にはロウソクではなく、小さな花火を点てる。ロウソクだと思っていたのに、花火が噴出して驚いた日が懐かしい。あのジュジュの誕生日の日だ。もう驚かないよ。

「ケーキを囲む人数が増えたな」と、ふと感じた。それぞれの「弟」たちの家族が増えている。いまでは、ケーキひとつではどっちみち足りないんだな。そのことが感慨深くもある。

日本でもケーキの上のロウソクを吹き消す前に歌う「ハッピーバースデイトゥユー」の歌。そのアラビア語版をみんなで歌う。エリヤとワタシがそれぞれロウソクを吹き消す。その瞬間、「おめでとう!」と言われ、エリヤとワタシはみんなにケーキのクリームを顔に塗りたくられる。みんなで大笑いする。

愛しい「家族」たち。かけがえのない時間。思い出すと、じんわり心が温かくなる。

みんなに会いたい。

*********************************

さて、本題とはカンケーないけど、最後に今日の一言。

ワタシは和牛や魚をもらうために納税しているわけではありません。この国で暮らす民のことを真剣に考え、議論を尽くし、「いま必要なのはまさに和牛だ、魚だ」という真剣にはじき出された答えなら、いいんです。でも、利権?縁故?利益誘導?なんか、すべてにおいて、そういう話多すぎません?主権在民、ワタシたちは国の「奴隷」ではないし、ワタシたちが考え、議論を尽くして、自分たちの代表としての議員に代わりに託しているはずなのに、政治がどんどん遠ざかる。空虚な、言葉ばかりバカ丁寧で、中身がなにもない「エライひと」の言葉に、心底うんざりしている。いま、「政府からわざわざ支給されるもの」として必要なのは和牛じゃない、魚じゃない。

以上。

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昨日、「パレスチナ結婚事情」と題して、友人知人のいくつかのケースを紹介した。結婚がゴールではないことは(多分)誰でもわかる。しかし、自由恋愛がご法度なせいか、話を聞いていると、結婚に過剰な期待を抱き、夢見心地の婚約期間を過ごすひとが多く見うけられる。そして、結婚後、困難に遭遇したとき「こんなはずじゃなかった!」と失望する。失望しながら、だんだんと現実的になり、乗り越えていく。なんだかこんな書き方をすると、結婚に否定的なように聞こえるけど、笑。現実は現実。「頼むから現実を見てくれ」とお願いしたくなるようなひとにもたくさん出会った。きっと、大きなお世話だね。

さて、昨日「AとBのケース」として紹介した二人の後日談。結婚して8年、いまだにBはAにぞっこんだし、四児に恵まれ特に言うこともないように見える。ただ、夫としての務め、父親としての務めはきちんと果たしているが、Aの心がときどき「ここにあらず」であることは、傍から見ていても感じる。

難民キャンプで生まれ育ち、父親を早くに喪い、友達や幼なじみの多くが殺され、逮捕され、収監され・・・ということが身近にあるなかで、時間を割いてそんな友達の家族を助けたり、心を家族以外のものに向けて、外へ外へと目が向くのは、無理もないことのように思える。きっと妻であるBとしては「たまったものではない」に違いないが、自分の家族には「兄弟姉妹親戚、いろんなところから手が差し伸べられている」とAが安心しているからこそ、友達やその家族のために奔走できるのだと思う。Aはとても優しく、愛情深い。その愛情の深さが、家族以外のものにも向けられる。他人から見ると、「それだけのこと」なのだが、Bにはそのことが辛い。

Aの親友が「武装組織の一員」として逮捕、収監されて、とうとうAにも容疑が及び、逮捕、収監された。「武装組織の一員である友人を助けた」という「罪状」による。収監は一年以上に及んだ。

Bは面会日に子どもを連れて、Aが収監されている軍事刑務所に面会に行く。きれいに化粧をして、Aに会えることを心待ちにしながら向かう。

ところが、あるとき「面会はX刑務所で」と指定されたのに、直前にAの身柄はY刑務所に移されていたそうで、明け方懸命に支度をして、幼い子どもたちを連れて面会に行ったのに、会えないまま帰ってきたことがあった。手違いなのだろうか、連絡ミスなのだろうか、泣き叫びながら、誰に向かってともなくぶつけまくるBの姿を、みんな呆然とみつめるしかなかった。まだ幼い子どもたちも一緒に泣きだした。それをみんなでなだめながら、荒れ狂うBの気が済むまで、ぶつけられる言葉を聞き続けるしかなかった。

そのとき、Bは叫んでいた。「なんで私ばっかりこんなに耐えなきゃいけないのよ?夫は逮捕され、幼い子どもを抱えてひとりで育てなきゃいけない。Aにとって家族ってなんなのよ?彼にとって妻や子どもの存在ってなんなの?少しは私たちのことを考えてくれてるの?彼の心は家族で占められていない。家族のことを一番に考えてくれていたら、こうはなっていないはず。どうして、こうなるとわかっていて、私と結婚したのよ。どうして、結婚させたのよ?私の人生はなんなのよ。私の人生を返してよ!」と絶叫して泣き崩れた。その言葉は、会えなかったAとAの母親であり、自分の伯母であるインムAに向けられていた。

泣きながら、子どもを連れて自宅へ引きあげていったB。彼女が帰ったあと、重苦しい沈黙に包まれた。インムAは「夢を見るのは勝手だけど、いつまで夢を見ているのだろう、あの子は。母親として、しっかりしてほしい。普段、どれだけ家事、育児を姑や義理の兄弟姉妹に押し付けていると思ってんの?大変なのは彼女だけ?Aが収監されているあいだ、子どもたちの育児を分担して、金銭的に家族の面倒をみているのは私たちなのに」とつぶやいた。

とはいえ、翌日からまた「何事もなかった」かのように、いつもと同じ生活が始まった。子どもたちの笑い声も戻った。

現在は、釈放されたAも家族のもとにいる。

「占領さえなければ・・・」という問題は、確かにパレスチナにはたくさんある。そして、全世界共通の普遍的な悩みももめ事もまた、たくさんある。

写真は、春パレスチナに咲くアーモンドの花。

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昨日、難民キャンプの友達の結婚と叶わなかった恋の話を書いてから、ふと、みんなの結婚のいきさつ、馴れ初めを書き出してみようと思った。現代のパレスチナ社会の一考察として。ウソ、そんな大げさな話ではありません。あくまでも一例。圧倒的に多いのは、いとこ婚、親戚どうし婚だと思われる。

・AとBのケース
某難民キャンプで生まれ育ったA(現在30代前半)は、母方の従妹Bと結婚。AとBの母親どうしが姉妹。ふたりの母親は難民キャンプの出身ではなく、近隣の農村出身。Aの母親インムA(インム某は、某の母親の意味)は三十年前に農村〇から難民キャンプに嫁入りした。叔母と同様にBも農村から難民キャンプに嫁入りした。Aは二度目の結婚。一度目の結婚は、親戚の口利きでの若いころの結婚だったが、数か月で離婚。離婚の理由は、難民キャンプの生活に慣れていなかった元妻が、収入も考えず浪費がひどく、諍いが絶えなくなったことから周囲の勧めにより離婚。

数年後、まだ若かったAは再婚を決意。周囲の勧めにより従妹のBに結婚を申し込む。当時まだ婚約中だったBにたずねたことがある。「ずっと、いとこの兄ちゃんだと思って育ってきた相手が、いきなり自分の夫になるってどういう感じなのだろう?日本ではいとこ婚はあまり一般的ではないから、ちょっとワタシにはピンと来ないんだけど」と。

「パレスチナではいとこ婚が多いし、年頃になると従兄弟を『もしかして』と夫になるひとと意識する。Aのことは従兄妹どうしでよく知っているし、好ましく思っていたし、結婚を持ちかけられたときは嬉しかった。婚約してから恋愛が始まったという感じ」と、まるで模範解答。残念ながら、ふたりきりで聞けなかったせいか、兄のような存在がいきなり恋愛の対象?になるという心の移り変わりのひだにまでは踏み込めず。ちなみに、婚約時代、あまりにうっとりAをみつめるBの姿や、ぴったりくっついて離れないベタベタぶりに、従兄妹どうしと聞いて驚いたことを思い出す。

四児の親となった現在もBはAを熱愛中。「好きで好きでたまらない」と聞かされたことがある。Aは…?「いろいろ息苦しいんだよな。まあ、でも結婚生活なんてそんなもんだろ?外で友達と会っている方がいい。察してくれよ…」とため息。絶対、口が裂けてもBには言えない。

・ハミースとアシールのケース
拙著『それでもパレスチナに木を植える』にも書いたハミース(現在30代後半)とアシールのケース。ハミースはビリン村の居候先の長男。2011年、居候先の四男ハムディがパレスチナを離れてドイツへと移住の決心をして(その後、紆余曲折あり帰国)、ドイツへと旅立つ前夜の壮絶な兄弟げんか。ブチ切れまくる大荒れのふたりの喧嘩の原因の裏にあったものは、ハミースとアシールのままならない恋だった。(詳細は拙著をご一読ください。小さな農村で、誰もがお互いに知っているような社会のなかでの出会いと恋と恋の成就の一幕)

ハミースは農家の長男。ただし分離壁反対運動に積極的に参加していた2009年、彼は頭部を銃撃されて瀕死の重傷を負う。その後一命はとりとめたものの、体調が思わしくなく、何種類もの薬を毎日摂取しなければ、日常生活もままならない。一方、アシールは村一番のインテリ一家の長女。父親は大学教授。本人も修士課程の学生。ハミースとアシールは同じ村の遠い親戚同士。遠い親戚とはいえ、お互いの家族の普段の行き来はとくにない。あるとき、ハミースがアシールのことを「いいな」と思い、SNSを通じてアプローチ。実際に顔を合わせるデートはないものの、頻繁にチャットでやりとりをして、お互いへの理解を深めていた姿が印象的だった。

その後、両家族の大反対にあい(詳細は拙著に記載)ながらも思いを遂げて、結婚。あんなにハミースのことを「学がない」と嫌っていたインテリのアシールの父親も、いまでは「頼りになる婿殿」としてハミースと仲良し。ヨカッタネエ!

・ヘルミーとドゥアーのケース
拙著『パレスチナ・そこにある日常』で書いた居候先の三男ヘルミーと五軒隣の親戚(居候先のパパとドゥアーの父親のアディーブが従兄弟どうし)ドゥアーは、村でも有名な大大恋愛結婚。いつのころからか、お互いに意識していたらしい。普段から行き来のある近い親戚同士、なおかつすぐ近所なので、顔を合わせ、さりげなくアプローチするのもさほど困難ではなく。村中がふたりの熱愛ぶりを知っていて、両家のメンバー含めてみんなが大賛成、普通ならなんの障害もなく結婚…のはずが、分離壁反対運動で熱烈な活躍ぶりを見せていたアディーブが、みせしめのために逮捕、収監され、結婚は延期。婚約期間が延びに延びた。その後めでたくアディーブが釈放され、結婚。ドゥアーはめちゃくちゃ美人なので、ヘルミーはいまだにデレデレ。四児の両親となる。ヨカッタネエ!

・ムスタファとサブリーンのケース、その後ムハンマドとイクラームのケース
ムスタファは居候先の次男。上記のハミースの弟、ヘルミーとハムディの兄。居候先の二件となりの親戚アブーハーニー、インムハーニー夫妻の孫がムスタファの見染めたサブリーン。サブリーンの母親インムイブラヒムは隣村のハルバサに嫁いでいたが、サブリーンを連れて実家に帰ったある日、たまたま用事があってアブーハーニーを訪ねてきたムスタファがサブリーンをみそめた。近所だし、遠い親戚同士だし、適齢期だし、ということで、特に誰からも反対がなく結婚。

この話には後日談あり。ムスタファとサブリーンが結婚して五年後、居候先の四女イクラームが婚約した。結婚を申し込んできたのはサブリーンの弟ムハンマド。うわ、そんなことあるんだ!と驚くワタシに、親族として付き合いが始まるにつれて、お互いの存在を意識し、婚約となった。イクラームが生まれ育った家にサブリーンが嫁として入り、サブリーンが生まれ育った家にイクラームが嫁入り。まあ、重層的に付き合いが深まり、両家とも仲良くうまくいっているので、これもヨカッタネエ!

・イルハームに結婚話が持ち込まれたときのこと
居候先の五女イルハーム(当時19歳)に結婚話が持ち込まれたときのことは印象的だった。ある日の午後、見知らぬ中年女性が居候先の一家を訪ねてきた。ここから先は、客が帰ってから聞いた話。遠い親戚にあたる女性だが、普段の行き来はないらしい。女性はひとりで訪ねてきた。当時、まだ元気だったママが応対。パパはヤギの放牧に行っていたので留守で、客間で、お客さんに出す茶器と菓子入れで接客。家族同士や近い親戚であれば、ここまでかしこまった器や皿は使わない。きちんと化粧をして、女性しか家にいないのでそんな必要もないのだが、きちんとした服を着て(ふだんはジャージやトレーナーなどの家着)お茶を出すイルハームの姿に、「もしや、これは?」と思ったのだが、後から聞くと、やはり「うちの息子の嫁にイルハームはどうか」というような、正式な訪問や申し入れの前段階のような、探りのような、茶飲み話のような…そんな雰囲気での「偵察」のようなもの、とのこと。結局、この話はイルハームが先方に会う前に断った。ああ、こんな風に話が持ち込まれるんだなあ…と感じた一幕。ちなみに、イルハームはその数年後、同じ村の肉屋の息子マーリクと結婚。マーリクは、働き者の好青年。分離壁反対運動に積極的にかかわっていないので、それまで知らないひとだったが、イルハームの結婚を機に、マーリクとワタシも「義兄弟、いや義姉弟」に。イルハームが嫁いでから激変したことは、拙著でも記したとおり。ワタシは、マーリク(または彼との出会いを妹にもたらしてくれた神の采配)に内心感謝している。

・CとDのケース
ある農村で暮らすCとDのケース。CとDは父親どうしが兄弟。ただ、Dの父親は若いころに結婚して村を出てアラブ某国に移住したので、Dは某国育ち。〇村には何度か親と一緒に里帰りしたことがある程度だった。ただ、その何度かの里帰りで、従兄のCに初恋。大人になったらCと結婚したいと夢見た。その後、Dの父親の仕事が某国でうまくいかず、一家で〇村に帰る。〇村に帰って数年後、思いが通じたのか、Cからプロポーズされ、結婚。ただし、Cの実家とDの実家が険悪で、板挟みにされたCとDは苦労が絶えない。土地や金銭を巡って、次から次へとお互いの実家から問題が持ち込まれる。Cの実家とDの実家のあいだにはさまれたように建つふたりの家。その距離感も…。ため息。以下略。

・EとFのケース
話を聞いて、わりと衝撃が大きかったケース。パレスチナ社会の一面をのぞいたような気持ちで話を聞いた。

E(現在30代前半)は某難民キャンプの生まれ育ち。近隣の町の飲食店で働いている。そこに客としてやってきたF(Eより5歳年上)と恋に落ちた。

ふたりが出会ったころ、Fには家族があった。夫と夫とのあいだに生まれたふたりの子ども。二人目の子どもは、まだ赤ちゃんだった。FはEが住む難民キャンプやEが働く町からは車で三時間半も離れた町で暮らしており、ふたりが出会ったことすら不思議なくらいだ。Fの妹が結婚したのが、このEが働く町の人で、Fと夫と子供、Fの妹夫妻とEが働く飲食店にやってきたのだった。

Eは「ひとめぼれだった」と当時を語る。「Fが悲しそうな、寂しそうな顔をしていたことも気になった。たくさんの家族に囲まれているのに、陰があったことが」と。

Fと妹は孤児だった。幼いころに父親を亡くし、未亡人となったふたりの母親は「生きていくため・食っていくため」に再婚して湾岸某国に移住したパレスチナ人男性の後妻として嫁いだ。親戚に預けられて育った姉妹は「ずっと肩身の狭い思いだった。妹だけは守りたかったし、妹の存在だけが私の救いだった」とFは話す。やがて、姉妹は全寮制の孤児学校に預けられた。パレスチナ(やアラブ社会)では、父親を亡くした子は「孤児」とされる。そのような孤児に喜捨をして支援をすることで、徳を積むという考えがある。

余談になるが、ジェニン難民キャンプの居候先の一家も、末っ子のエリヤは幼いうちに父親を亡くしたので、彼女には「養い親」から定期的に「支援金」が届く。イードなどのお祝いにそのような喜捨を集めた慈善団体から「お祝い金」が届く。この支援にエリヤ本人だけでなく、一家がどれほど助けられているかは言うまでもない。

話を戻そう。孤児学校を卒業するにあたり、Fは親戚から結婚話を持ち掛けられた。「まだ私も若かったし、結婚することでようやく普通の生活を送れる、妹のことも守ってあげられると、当時は思っていた」。しかし、婚家では、夫からも夫の両親や兄弟姉妹からも「孤児のくせに」とばかりに辛くあたられたという。「まるで嫁という名の家政婦だった。朝から晩まで一家のすべての仕事を押し付けられた。『食わせてやっているのだから、当然』とばかりに。ひとりの人間として大切にされ、尊重されたと婚家で感じたことがなかった。それは、子どもが生まれてからも変わらなかった。夫も夫の家族も子どものことはかわいがった。でも、私への態度は変わらなかった」と。

そんなころに、Fは家族で訪れた飲食店でEに出会ったのだった。妹夫婦に会いに行くたびに、家族でEが働く飲食店に立ち寄るようになった。そのうち、客と店員であったはずのFとEは惹かれ合い、言葉を交わすようになった。Fの妹以外の家族の目をしのんで。Fの妹は姉の不幸な結婚に心を痛めていたので、Fが「離婚したい。Eと結婚して人生をやり直したい」と願うことに、反対はしなかったそうだ。

自由な恋愛などご法度、ましてや夫と子どものいる女性の抱く恋心、「略奪婚」と言われるふたりのことは、周囲にとっては大スキャンダルだった。Fの元夫には会ったことがないので、向こう側の言い分や事情などはわからないが、離婚に際して、「夫がFに与えたものはすべて置いていく。ふたりの子どもは父親とその家族のもとで育てる。Fの元夫の許可のもとにふたりの子どもには会わせる」という条件だった。Eが高額な慰謝料を元夫に支払ったとも聞くが、本人たちには確認できなかった。

やがてふたりは結婚した。Eの家族は、Fを一家の嫁に迎えることに大反対だったが、もともと「財産のある名家」というわけでもない現在の難民キャンプの一家。結婚に際して、家や家具や財産になるようなものを用意してあげられるわけでもない。反対して聞くようなふたりでもない。「なにも用意してもらえなくてもいい。結婚披露宴もしない。イスラームにのっとった正式な結婚を整えるだけでいい」とのふたりに、半ば「勝手にどうぞ」とばかりに、ふたりの結婚と新生活は進んでいった。

毎日、Fの子どもからFに電話がある。小学生の娘は「はやくお母さんに会いたい」と毎日のように電話越しに言う。「宿題は済ませた?お父さんのいうことをちゃんと聞くのよ」と娘に語りかけながら、ときおり電話を切った後Fは泣いている。Eは優しく抱きしめる。「二週間後の週末には会えるよ。二週間なんてあっという間だよ」と励ます。EはFのふたりの子どもを「引き取って育てたい」という。「自分たちの子どもも早くほしい。一緒に育てたい」とも。しかし、元夫とその家族は「それだけは譲れない」という。

子どもを思いながら、特にまだ赤ちゃんだった下の子のことを思い、泣きながらも、Fは「それでも後悔はしていない」という。「自分はひとりの人間としての人生を生きたかった」からと。

何組かのカップルから垣間見えるパレスチナの結婚事情。大学に進学する男女が大学で恋愛結婚するとか、SNSをとおして出会い、交際するとか、昔のように「顔をみたこともない相手と親の勧めによって婚約して、初めて会った」というばかりではなくなってきた。しかし、そのような結婚ももちろん現在もまだまだある。スマートフォンの登場によって、出会いと交際が劇的に変化したことは確かだと思う。

写真は、これまた恋愛結婚のジェニン難民キャンプの居候先の三男ジャマールが、バレンタインデーに奥さんのムサーイダに買ってきたケーキ。えらい長文になっちゃった。

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2019年、フェアトレードでパレスチナからオリーブオイルやザアタル、石鹸、刺繍製品を輸入販売するパレスチナ・オリーブ代表の皆川万葉さんと共著『パレスチナのちいさないとなみ』(かもがわ出版)を出版しました。パレスチナの「おしごと」をテーマにした一冊です。お近くの書店でお取り寄せが可能です。

パレスチナ・オリーブのサイト
http://paleoli.org/

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★『パレスチナのちいさないとなみ』
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★過去の著作★

★『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624411022
 
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★『パレスチナ・そこにある日常』(未来社) 
版元の未來社のページ
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624410919

アマゾン
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★写真集『ボクラ・明日、パレスチナで』(ビーナイス)
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