世界の笑顔に出会いたい

写真家・高橋美香のブログ。 公園にいたノラ猫のシロと暮らす。 カメラを片手に世界を歩き、人びとの「いとなみ」を撮影。 著作に『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』(未來社)『パレスチナのちいさないとなみ』(共著)『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版) 写真集に『Bokra 明日、パレスチナで』(ビーナイス)

2021年06月

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昨日、ヘブロン在住のパレスチナ人二ザール・バナートさんがパレスチナ自治政府の治安部隊に連行される際に暴行を受け、殺害された。二ザールさんは、元々はファタハに所属するメンバーだったが、自治政府首脳や高官の汚職や腐敗、自治政府の治安部隊とイスラエル軍(つまりイスラエル政府と自治政府)の「セキュリティコーディネーション(治安の共同維持)」にも反対をしていて、自治政府批判を続け、これまでにも8回も自治政府警察に「逮捕」され、数々の脅しを受けていたと弁護士や家族が証言する。

「セキュリティコーディネーション」は、簡単に言えば、自治区内でイスラエル軍の占領政策の手足となって占領の片棒を担ぐこととしか言い様がない。「セキュリティ」は誰のためのもので、何から誰を守るのか?それはパレスチナの人民を守るためのものではなく、「セキュリティ」とは人びとの「安全」を意図しない、意味しない。

政府をいくら批判しようとも、どんな思想信条であろうとも、それが殺されていい理由には絶対にならない。これは暗殺、密殺としか言いようがない。「イスラエル対パレスチナ」なんていう、そんな単純な構図ばかりを信じないでほしい。イスラエルにもパレスチナにも自国政府や当局に弾圧を受けながら自由と尊厳のために闘っているひとがたくさんいる。そんな単純な構図だけが、何重もの闘いを強いられている人びとを苦しめているのではない。

確かに、自治政府首脳や高官のなかにも、このような現状を憂い、本気でどうにかしなければならないと考えているひともいるだろう(と信じたい)。このような「自治」も「治安維持」も、なんらパレスチナの人びとの希望を意味しないし、こんなことのために「パレスチナ解放」を掲げて闘ってきたのではないはずだ。強大な占領者という圧倒的なチカラに首根っこを押さえられ、従わされ、利用され、強いられる屈辱的な「占領の片棒担ぎ」「占領の下請け」に、表立って声をあげられないまでも(声をあげればたちまち自分が弾圧される側になることは、きっと彼らが一番よく知っている)、「その時期」をじっと待っているひともいるのだろうと思う。その背後にいる占領者という強大なチカラこそがより責められるべきで、「利用される弱さ」を批判することは、「弱い自分」を自覚するだけに正直言って辛い。「そうだよな、自分が生き残るためにはそうするしかないのかもな」と流されそうになる。「そうこうしてるうちに、旨味を知って引き返せなくなっちゃったんだろうな」と思いたくもなる。

でも、そうやって批判を手控えることが、二ザールさんを殺し、バーセルを殺されるまでに追い込み、何度もイーサを逮捕・弾圧させている原因となっているのだ。それだけでなく、そんな上記のような甘っちょろい「同情」や「理解」など通用しない、本当に自分たちの利得や利権のために、民衆のことなど何も考えておらず、人びとの命を「使い捨てて」いる本物の悪が存在するのだろう。ワタシは、何に関しても甘っちょろすぎる。

このひと月ほど、空爆が終わって「停戦」になり、向けられる注目も寄せられる関心も、反応もまたグッと少なくなった。

イベント主催者の高山さんは、「こんなとき(つまり、空爆で注目が集まっているとき)」にイベントを企画する内心の葛藤を【主催者から】の文章として語っていたが、「停戦」になりひと月、もはや高山さんの葛藤がまるで「通用しない」ほど、人びとの関心は消え去っていった。残酷なほど正直な、たったひと月という時の流れ。

「空爆が終わればまた世界の無関心が戻ってくる。空爆前と何も変わっていないのに。何ひとつ良くなったこともないのに。その無関心を前にすると絶望的な気持ちになり、いっそのこと空爆されていた方がマシなんじゃないか、少なくとも世界に目は向けてもらえると思ってしまう時がある」と2014年の空爆後の関心が薄れてきたときに、ガザ在住の当時の知人にそう言われた。あれから7年。ワタシたちは何も変えられていないし、変えようともしていない。7年前に返す言葉もなく胸に刺さった言葉が、今この時の言葉だといわれても不思議ではないくらいに、何も変わっていない。

「停戦」になっても、ガザへの封鎖は続いているし、西岸地区には入植地が現在進行形で造られているし、それに反対すれば殺されるし、東エルサレムやヘブロン郊外やヨルダン渓谷などでは家屋の破壊と住民追放が続けられているし、このひと月のあいだにも、たくさんの殺人と人権侵害が「政府」という占領者の名のもとに堂々と続けられているのに。

そして、イスラエルからの弾圧と抑圧だけでなく、自治政府を批判する二ザールさんの命は奪われた。こんなことは、ずっと続いているのに。

二ザールさんの死を忘れない。闘って死んでいったみんなの遺志を絶対に忘れない。命がけで訴えてきた彼らの思いや人生を「なかったこと」にされてたまるか。

その一心だけで、悔し涙にくれながらイベントの準備をする。できることを続けていくしかないから。どれだけ虚しくて、もうたくさんだと言いたくても。いつでも「止めて」「逃げられる」自分の自由を思いながら。逃げたくても逃げることもできないパレスチナのみんなのことを思いながら。

写真は、東エルサレムのシュアファット難民キャンプの検問所。この難民キャンプは東エルサレムにありながら、併合された東エルサレムの他地域と切り離すため(要するに難民人口の多いここは要らないってこと)に、分離壁に囲まれ、検問所で切り離され、コントロールされている。子どもたちが学校などに通うのも毎日この検問所を通らなければならない。住民はキャンプの外に出たければ(通勤、通学、買い物など日常的な用事を済ませに)、この検問所を通ることを強いられる。

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7月4日(日)16時からの有料オンラインイベント
(zoomで開催予定、後日Youtubeでの視聴可能の予定)
「パレスチナを考える」

お申し込みはこちらのサイトより(またはM.A.P.へお電話を)
高橋美香と「パレスチナを考える」―よんたま沖縄映画祭・特別企画 | Peatix

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昔から、なにかを考えすぎると眠れなくなったり、悪夢を繰り返しみたりということがひどくて、ここ数日「そういうフェーズに入った」のだなと、グッタリしながら目を覚ます。そう、多分7月4日(日)のイベント「パレスチナを考える」のことを考えすぎている。そして、思うように進まないパレスチナについての原稿のことも考えすぎている。

もとがトコトン不器用な人間なので、全然違うテーマならともかく、同じパレスチナというテーマでふたつを同時に「形作る」のはとても難しい。考えてばかりで進まないし、進めたそばから「なんだか違う」と壊したくなる。

最近、自分の思いをシックリくる言葉で表すことが難しいと感じる。これは「写真を撮っていない」証拠だ。言葉ばかりを使って表現しようとするからこうなる。今度のイベントの主催者であるM.A.P.の高山さんはワタシを指して「高橋美香にいい肩書はみつからない。高橋美香に肩書は似合わない」と評すが、やはりワタシは写真を撮ることが一番好きだし、たとえ「力不足で一枚の写真でなにかを表現することができていない」のだとしても、そのことに挑み続けていたいと思う。だから肩書が必要な場合は自分では「写真家」を名乗る。なのに、最近自分のテーマやライフワークとしての写真を全然撮っていないんだよな。

スライドトークをすると、「細かいことまでよく覚えているね」と言われることがある。それは、写真のおかげだ。その写真をみると、瞬間にそのときのことがよみがえる。空気感やにおいまでも思い出すことがある。匂いを嗅いだ瞬間にその匂いに関連付けられた思い出の瞬間がよみがえるように。感覚ってすごいものだと思う。ワタシは、そんな「感覚の人間」なので、数字(出来事の年号とか数とか)をきちんと把握したり、順番をきちんと理解したり、物事を筋道立てて考えたりすることがとても苦手だ。おそらく、苦手というよりも本来欠けているものが、訓練もされないで(しないで)ごまかして生きてきたゆえに、身につかなかったのだろうと思う。

だから、「パレスチナの歴史をわかりやすく解説して」などと言われるとパニックになる。自分がそんなこと分かっている気もしないし、他人様に説明できる気もしない。自分が撮った写真を用いないとなにも喋れる気がしない。

苦手なことに固執するよりも、苦手なことは任せてしまおうというわけで、今度のイベントでも高山さんが参加者のみなさまに事前に「パレスチナ入門講座」を用意する予定です。

あんまり自分の分を越えていることや、苦手で克服できそうもないことや、そんなことに引きずられて自分を見失うのやめようと思う。そう言うと「苦手なことから逃げるなよ、挑戦心が足りない」と叱咤されるのだろうけど。確かに、そうかもしれないんだよなあとは思いつつ。

どうも、自分が「伝えるべきこと」や「なにが求められているのか」など、勝手にひとりで考えすぎて自分を見失いかけているので、自省のために記してみた。

写真は、東エルサレムでシェイクジャラと並んで当局による家屋の破壊、住民追放や接収などが続けられているシルワンにて撮影。

7月4日(日)16時からの有料オンラインイベント
「パレスチナを考える」
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7月4日(日)の16時から「パレスチナを考える」と題した有料オンラインイベントが開催されることになりました。

主催は、数々のワタシの報告会やパレスチナから持ち帰ったドキュメンタリー映画の上映などでお世話になり、挙句の果てに?「喜多見と狛江の小さな映画祭+α」まで一緒にやることになった仲間でもあるM.A.P.のおふたり。

ワタシが実行委員を抜けたあと映画祭はどんどん事務所がある地元の狛江や喜多見のみなさまとのコラボにより発展して、現在は「キタコマ映画祭」として継続中。その発展形のひとつとして「よんたま沖縄映画祭」があり、さらにその「よんたま沖縄映画祭」の緊急企画として「パレスチナを考える」が催される(のだと思う、間違ってたらすみません)。

その「パレスチナを考える」で、なにを話し、みんなで考える材料とするのか、考えすぎて煮詰まり気味である。パレスチナのことは毎日考えている。アホみたいに暇さえあれば考えている、思い出している。そうやって自分が毎日暇さえあれば考えていることを、どうすればうまく伝えられるのだろう。

まだ詳しい打ち合わせもできていないので、あくまでも自分のアタマのなかで考えているだけではあるが、写真を使ってお話しするのは、
・シェイクジャラとエルサレムのこと(このことが先日のロケット弾と空爆につながったことも含めて)
・ベイタで進められる入植という名の土地強奪と殺人のこと(ビリンとアルワラジャの闘いの例を用いながら)
・難民と呼ばれる人々(「落穂ひろい」の意味から考える)
・4月に殺されたオサマ・マンスールさんのこと(占領の現実とその意味を考える)
を考えている。

イベントの詳細や、参加のお申し込み方法などは、下記をご覧ください。
まだ、お申し込み方法の詳細は発表されていませんが、おそらく近日中に情報更新されると思います。

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