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ウソ、ウソそんな堅い話じゃないので気軽に読み始めてください。
本日は旅の供(友?)通訳のオマールと運転手アクバルについてのお話です。

彼らは共に、19歳。青春真っ只中の青年達です。校長先生の紹介で彼らと出会いました。校長ともう一人の先生の従兄弟、兄弟との事だったので、最初内心では、ここぞという収入は身内で山分けか?という穿った見方をしていたのですが、のちにこの判断が大変重要だったことが発覚します。(その話はあとで)

オマールは3年前に家族とともに帰国するまで、ずっとパキスタンで育ったそうです。現在はカブール在住できちんとライセンスを持った通訳として仕事をしています。彼のお父さんはスウェーデン委員会のコックを勤めていたそうで、後日お会いしたところ、非常に穏やかな方でした。恐らく父親の職業が彼に影響を与え、英語を学び、通訳の資格を取らせたのでしょう。性格は明るく、気分屋、能天気の三言で言い表せそうです。質問の答えをを尋ねる相手に代わって答えたり、自分の意見を差し挟んだ答えや問いを用意してみたり、仕事中も明らかにつまらない面倒くさそうな顔をしたり、いつの間にか脱走していたり・・・問題行動は尽きませんでしたが、愛すべき奴でした。常に携帯電話を片手に誰かとお喋りし、ガールフレンドは4人いると豪語したり、田舎では誰も着ていないような蛍光イエローや赤の服を着て、ナイキのスニーカーを履き、世界のサッカー中継の衛星放送に目を輝かせ、インド映画に喜び、山の上に日参しながら「俺だったらこんなつまらない田舎にいたら気が狂う」と。世界中どこにでも居そうな現代っこの代表が彼でした。

一方、アクバルは山の麓の村で生まれ育ち、二番目のお兄さんを頼ってカブールに出て運転手をしています。性格は優しくて、穏やかの一言。携帯電話で喋るのは仕事の用だけ手短に。オマールが車で流行りのアラブポップス(日本人で言うところの流行りの洋楽みたいな感じですかね)をかけようとすると、少し眉を寄せながら反対の意を示し、テープが一周したらすかさずド演歌のようなアフガンポップスのテープを入れ替えます。初日こそ若者らしく洋装でしたが、二日目からはずっとシャルワーカミーズ(伝統的なアフガン服)でした。一度、靴を川に流されて泣いていた子供を抱えて、山道を登りその子を送り届けていったことがありました。そういうことを笑顔で出来る優しい青年でした。残念ながら言葉があまり通じず、込み入った話や質問は出来ませんでしたが、言葉が通じないことを忘れるほど、先回りして気遣いをしてくれるアフガンホスピタリティーのかたまりのような人でした。

何故二人がこの任務に加わることになったのか、山の上の村で明らかになりました。
まず、オマール(通訳)。山の村に滞在するのに、余所者では宿泊の受け入れ先探しが困難でした。一泊くらいならともかく、連泊となると余所者でない、身内でないと家の女性たちが安心してくつろげません。他人の男性に顔を見せるなんてもってのほかの地域です。その点オマールは身内なので、彼の前で女性たちも安心してくつろげます。この点が滞りなく任務を進める上で重要だったのでした。
一方運転手のアクバル。学校のある村に日参するのに、ものすごく険しい未舗装の岩だらけの山道を四駆の車で上り下りしなければなりません。道幅は車一台通れるだけで、横にはずっと川が轟音をたてながら流れています。地元出身で、道を知り尽くした運転のできる人間でなければなりませんでした。

こんな風にひょんなことから選ばれ、旅を共にし、何日も一緒に過ごしてきた彼らですが、二人とも性格は正反対のようなのに、不思議と滅茶苦茶気が合っていました。

最終日、学校のある村からカブールへの帰り、学校に我々は重大な忘れ物をしてきてしまいました。そこで、さらに数倍の時間をかけて来た道を引き返して学校に戻り、忘れ物を持ってカブールへ再び帰ることを要求された彼ら。いつものオマールなら「冗談じゃない、そんなの俺の職務を越えてるね。行くならチップをはずんでもらわないと!」くらいの軽口は叩きかねないのですが、何も言わず、落ち込む我々に「心配するなって、数時間後にカブールで!」と言い残し、村へ戻っていきました。何時間もの悪路の運転でヘトヘトなはずのアクバルも「大丈夫、まかせといて!」と笑顔で去っていきました。

数時間後、忘れ物を持って笑顔でカブールに現れました。そして、何日も一緒だった彼らとお別れをしました。「また会おう!」「うん、きっと」二人と長い長い握手をしました。そのぬくもりに泣きそうになりました。
明るく、優しく、思いやりにあふれた青年たちでした。普通の青年たちのことを知ってほしいと思い、長い話を書きました。