イメージ 1

イメージ 2

今日もパレスチナについて書きます。

この日私は、レバノンのサブラ・シャティーラ難民キャンプで起こった大虐殺の追悼デモが行われるというので、ヨルダン川西岸の町、ベツレヘムの難民キャンプに赴きました。この虐殺についての解説や、この日のデモの様子についてはまたいずれ書くこともあるでしょう。今日、お伝えしたいのは、あくまでもデモが終わって、その散会が進まぬうちにイスラエル軍への投石が始まり、応酬としてゴム弾が撃ち返されたその様子について。

以下、当時の日記より。
******************************************
デモ隊は、町をひと回りして、予め会場に定められていた空き地で集会となった。子供達が追悼と決意を示した作文を読み上げ、会場内の人々が呼応する。追悼の碑にはパレスチナの旗が飾られデモは終わりを迎えた。

しかし夕暮れになり、散会が進まない中で、誰からとも無く数百メートル離れた所で集会を監視するイスラエル兵に投石が始まった。罵声、怒声が飛び交う中で石を投げるのは、ほとんどが少年であった。街灯も無い薄暗い場所で、イスラエル軍車輌の赤いランプの光りだけが不気味に光る。パレスチナ警察の制止を振り切り、本格的に投石が始まり、業を煮やしたイスラエル兵がゴム弾の射撃をし始めた。あたりは騒然となり、みんなが盾代わりになる壁に隠れようと必死の形相だ。ゴム弾といえども決して柔らかいゴムの弾ではなく、鉛の弾にゴムがコーティングされている物で、当たり所が悪ければ重傷を負いかねないので、一通り撮影した後その場を離れる。

そして数百メートル先のイスラエル軍の側にまわってみると、いくつかのメディアの取材班がヘルメットに防弾チョッキ着用の重装備で取材していて、Tシャツにジーンズの自分の姿がなんとも心もとなくなる。そんな中でコンクリートのバリケードに身を隠しながら、タイミングをはかり射撃していく二人の兵士の後ろで、無線連絡などをしている兵士に話を聞くことが出来た。

「あれ?あんたマスコミの人?じゃないよね?装備軽すぎるもんねえ。まあいいか。あのガキどももそろそろ石を投げ疲れて、お母さんのもとに帰って、メシ食って宿題して寝るだろうよ。なんてったって明日は学校だしな!残念ながら休みじゃないもんな。この騒ぎ?もう終わると思うよ。今日はパレスチナ警察がデモの全責任を負ってるから、そろそろ意地でも止めさせるだろうしな。」

まさに大人と子供のけんかだ。まるで条件反射のようにイスラエル兵に投石を始め、投げているうちに本気になり、本気になったところをゴム弾で応酬され、ますますムキになる子供達。そして、それをいつものルーティンワークだとでも言いたげに適当に相手にするイスラエル軍兵士。この時は、政府レベルでいくら和平交渉が進もうとも、一人一人の心に宿る、憎しみ、嫌悪、不信、妬み、そういう感情は決して消えないんだなと感じた。石とゴム弾の飛び交う中で和平・共存の難しさを感じた夜だった。しかし、思えばこの時がちょうど、ありふれた日常のルーティンワークと本気の境目だった。

この二週間後に爆弾と実弾の応酬が始まる。
*******************************************

まさに、大人と子供の喧嘩だった。
この当時は、今よりも遙かに和平の機運が高まっていた時期なので、この程度の騒ぎで済んでいた。実際にゴム弾に被弾して、重傷を負ったり、柔らかい頭部に被弾して亡くなる人も多いけれども、少なくとも実弾ではなかったし、任務中に質問に答える兵士など、緊迫感は薄かった。

現在は、子供も容赦なく射殺されている。
それでも、子供たちは、イスラエル兵に向かって行く。
家族を殺し、家を奪い、兄弟を拘禁し、畑を根こそぎブルドーザーで均したイスラエル軍への憎しみをこめて、唯一の武器である石を投げる。

あまりに多くの少年が、この戦いで命を落とした。あまりに多くの父母が、息子の死に涙を流した。
いつになったら終わるのだろう…。

1)ゴム弾の射撃が始まり、必死で身を隠す少年たち
2)バリケードから、余裕しゃくしゃくで任務を遂行するイスラエル軍兵士